【完結】慕情(作品230708)

菊池昭仁

文字の大きさ
上 下
10 / 11

第10話

しおりを挟む
 寝つきの悪い夜だった。
 私は酒と女で自分を満たしていた。
 おそらく今度のハンブルグ行きは、自分を取り戻す最後のチャンスになるだろう。
 
 以前つき合った女に訊いたことがある。
 なぜ俺と付き合ったのかと。

 「最初はあなたがドクターだったから。
 でも付き合っていくうちに、それがあなたへの憐憫に変わった」
 「母性を感じたというわけか?」
 「ううん、そういう感情じゃないんだよね? 土砂降りの雨の中を彷徨う子犬って感じ。
 かわいそうで見ていられなくなった。
 そして抱きしめたくなった」

 女たちは異口同音に私を「かわいそう」だと言った。
 女たちからすれば私は、ただの「かわいそうな子犬」だった。

 私が再婚しない理由は2つ。
 ひとつは自由でいたいこと。そしてもうひとつは子供を持つことが怖かったからだ。
 どうしても咲ちゃんのことが頭から離れなかった。
 ハンブルグに行けば、私は変わることができるのだろうか?

 


 最近、美沙子からの連絡が途絶えていた。
 私から美沙子に連絡することは控えていた。
 彼女は主婦であり、母親だったからだ。
 それが不倫のルールだと思っていた。

 私は美沙子の旦那に対して、罪悪感は微塵も感じていない。
 なぜなら妻が浮気をするということは、夫が間抜けだからだ。
 妻への無関心、靴を磨いてもらっても、朝早く起きて弁当を作ってもらっても「ありがとう」の一言もない。
 男としての魅力もやさしさもない。
 そんな旦那は妻に浮気されて当然であり、憐れむべき理由はどこにもないからだ。

 「よくもうちの女房を!」

 と憎まれ、罵られ、殴られ蹴られても私は平気だった。
 そんないい女を繋ぎ止めて置けるだけの魅力がないという証明なのだ。

 そして子供たちに親が必要なのは、子供たちが恋愛をする時までだ。
 子供たちは恋愛の中から多くを学んでいく。
 だからそれまでの子供の教育について、親には責任があるのだ。
 どんな相手を選べば幸せになれるかを教えてやる必要がある。

 同僚の医者が言っていたが、「子供は親の背中を見て育つ。じっと観察し、意識するしないに関わらず、潜在意識に記憶され、それが行動心理や、根本的な思考に結びついていくのだ。
 子供に対しての直接的な教育は3歳までだ。
 それ以降は子供の手本になるような生き方をしなければならない。
 だからいかなる理由があろうと、幼少期に子供を捨てる父親は最低の人間だと言える。
 そんな男はマザコンの暴君ネロタイプが多い。
 精神的に未発達なんだよ。つまりガキだということさ。
 だってそうだろう? あんな一番かわいい時期に子供を捨てることが出来る親だ、末路は見えているよ」
 
 確かに子供は親の背中を見て育つ。
 だから3歳を過ぎれば面倒な説教などは不要だ。
 それが証拠にダメな親にはダメな子が、人間的魅力に溢れた親には同じような子がいるものだ。
 子供はバカではない。どんなに偉そうなことを親が言ったところで、「あんたにそんなこと、言える資格があるの?」と見下されるのがオチだ。
 だから子供をしあわせにしたいと思うなら、自分が幸せにならなければならない。
 そうでなければ子供を作る資格はない。

 先日、テレビで元アイドルのタレント議員が言っていた。

 「お金に不安がある人でも、国の支援で子供を産み、育てることが出来ます」

 経済的に余裕のないところに子供が生まれる。それこそ悲劇の始まりだ。
 
 

 携帯が鳴った、理恵からだった。


 「先生、遊びに来ちゃいました」

 するとチャイムが押され、ドアスコープから覗くと理恵が黒のカシミアのコートを着て立っていた。
 ドアを開けるとすぐに理恵が私に抱き付いて来た。
 カシミアのコートからは真新しいクリーニングの香りがした。

 「先生、お仕置きして・・・」

 彼女はコートを脱ぐと、ブラとショーツだけの姿だった。
 それから約90分間の戯れが始まった。


 理恵との関係は恋愛ではなかった。少なくとも私にとってはだ。

 可愛い女だとは思うが、それは愛玩動物に対する感情と同じだった。
 
 (では美沙子は?)

 それは考えても無駄なことだった。

 
 「先生、私もうクタクタです・・・はあ、はあ・・・」
 「俺も満足だったよ、ありがとう、理恵」

 理恵は私に体を摺り寄せ、私の胸に手を置き、あの呪いの言葉を口にした。
 
 「私を捨てないでね?」

 君はどうやら「子猫」だったようだ。人は捨てるとは言わない、「別れる」というからだ。

 私は理恵を「捨てる」ことにした。
しおりを挟む

処理中です...