上 下
5 / 47
第一章

第5話 もうひとつの家族

しおりを挟む
 それは俺が駅で電車を待っている時の出来事だった。
 高校生らしき女の子と母親が、顔を見合わせて頷き合っていた。

 (心中?)

 俺は悟られないように気配を消して、その母娘の後ろに立った。

 快速電車がホームを通過しようとした時、その親子が手を繋いで電車に飛び込もうとした。
 俺は咄嗟にその母親の腕を掴んだ。

 「何をするんですか! 離して! お願い死なせて!」

 電車は何事も無くホームを走り抜け、風と電車の音だけが残った。
 抱き合い、泣き崩れる娘と母親。

 「どうして助けたんですかあ! あなたには関係ない事でしょう!」
 「目の前で死なれるのを見るこっちの気持ちにもなれよ」
 「だったら見なければいいじゃないですか! 辛い目に遭っている人を見て見ぬふりをする、それが世の中でしょう!」
 「そんなに死にたいなら死体もあがらない、人に迷惑の掛からないところで「ひとり」で死ねよ。富士の樹海とかで。
 あんたが死ぬのは勝手だが、こんな可愛いアイドルみたいな娘まで道連れにすんなよバカ親。
 自分だけが不幸だなんて思ってんじゃねえ! 甘えるな!
 いいか! 生きたくても死んでしまう人間だっているんだ!」

 私は社長の岩倉のことを思い出し、ついムキになってしまった。
 
 「・・・もう、限界なんです。私たち・・・」
 「説教するつもりはねえが、「死ぬより辛いことはない」なんてほざく奴らは死のうとしたことがない連中だ。
 この社会には死ぬより辛いことなんか山ほどある。
 人間の悩みの殆どはカネだ。
 カネがないと生きてはいけないからだ。
 働きたくても働くところがない、あるいはそこでは働きたくない。
 いっそ死んでラクになりたい、この苦しみから解放されたい。
 でもよ、カネの為に大切な人生を捨ててもいいのか?」
 「そんなのキレイ事ですよ。もう誰も頼れないんです。私たち親子は」
 「誰も頼れない? じゃあ俺を頼ればいい」

 俺は財布にあった10万円を母親に握らせ、名刺を渡した。

 「今日はこれで旨い物でも食ってビジネスホテルにでも泊まってゆっくり頭を冷やせ。
 そして明日、九段下のウチの会社に来い。
 仕事と家、そして給料の前借りをさせてやる。いいな?」

 母親と娘は泣いていた。

 「このお金は必ずお返しします。ありがとうございました」
 
 電車がやって来たので俺はその電車に乗った。
 その親子はいつまでも深く頭を下げ、俺を見送っていた。



 翌日、その女が俺を訪ねて来た。
 秘書の田子倉も同席させた。


 「昨日はありがとうございました。娘もとても感謝しておりました。
 一生懸命働きます、何でもします。せっかく副社長さんに頂いたチャンスですから。
 御恩は必ずお返しします」
 「チャンスはな?「チェンジ」なんだよ。自分が変わることなんだ。
 田子倉、この女がさっき俺が話した女だ。面倒を看てやってくれ」
 「かしこまりました」
 「こちらが履歴書になります」

 沢村直子。俺はその女の履歴書を見て驚いた。
 
 「一橋なのか? あんたが出た大学って? すげえじゃねえか?」
 「昔の事です」
 「ご主人とは死別なのか?」
 「はい。会社を経営しておりましたが、事業に失敗しまして・・・。
 自ら・・・」
 「そうだったのか。会社経営なんて本当にクズでどうしようもない奴でも偉そうに金儲けしているが、能力も人望もあっても失敗する奴は失敗する。
 結局、社長に向いているかいないかだけなんだよ。
 過去は忘れろ、これからの人生を明るくイメージするんだ。
 辛いことは考えず、楽しいこと、ワクワクすることだけを考えろ。
 人はな、「我思う 故に我あり」なんだ。人間は自分が思った通りの人間になる。
 「私はダメな女」だと思えばダメな女になるし、「私はいい女」だと思えばいい女になる。
 そして笑え。
 沢村、笑ってみろ」

 すると、意を決したように直子は笑ってみせた。
 ぎこちない笑顔だった。

 「いい笑顔じゃねえか? お前はもう大丈夫だ。
 人生は願えば必ず叶うもんだ。だがそれには注意が必要だ。それはマイナスも実現されてしまうからだ。
 例えばあんたが「失敗したらどうしよう」と考えれば、その思いの通りに失敗をする。
 だからいつも成功をイメージしろ、そして笑え。
 楽しいから笑うんじゃない、笑うから楽しくなるんだ。
 遥ちゃんにもそう伝えろ、オッサンがそう言っていたとな?
 空海の真言密教の教えに『三密』という教えがある。

      身ぎれいにすること
      心をきれいにすること
      そしてきれいな言葉で話すこと


 それが大切だ。
 あんたなら出来る。
 アパートは会社で借り上げてやるからそこを使え。
 取り敢えず100万を貸してやる、給料から毎月1万円ずつ返済しろ。
 あとは困ったことがあれば、いつでも俺か、この秘書の田子倉に相談しろ」
 「ありがとうございます」
 「じゃあ明日、9時までに会社に来て田子倉の指示に従え」
 「はい、よろしくお願いします」


 直子が俺の部屋を出て行った後、祥子が言った。
 
 「副社長」
 「うん?」
 「綺麗な人ですね? しかも一橋」
 「何が言いたい?」
 「別に。自殺しようとしていた人を助けるなんて、副社長らしいなあと思っただけです」
 「妬いてんのか?」
 「まさか。ただ心配なだけです。これ以上、帰るお家を増やしてどうするおつもりなのかと」
 「馬鹿野郎、心配すんな。俺はそんなにアホじゃねえ」



 そしてそれから三カ月、俺は祥子の予言通り「アホ」になっていた。
 直子と遥と家族のように親しくなっていた。
 
しおりを挟む

処理中です...