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第二章

第1話 人妻 絹世

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 携帯が鳴った。
 田代さんの奥さんからだった。

 「田代さんの奥さん、ご無沙汰しております。
 何かお住まいにトラブル発生ですか?」
 「杉田さん、社長さんになられたんですってね?
 先日、会社からお葉書を頂戴しまして」
 「前社長の岩倉が退任しまして、その代わりです。私は社長という柄じゃないんですけどね?」
 「いかがかしら? 社長ご就任のお祝いにお食事でも?」
 「ありがとうございます、是非ご一緒させて下さい。うれしいなあ、田代さんご夫婦とお食事が出来るなんて。
 ご主人はエリート街道まっしぐらですもんね?」
 「主人は忙しいので今回は私だけなんですけれど、私とふたりではイヤですか?」
 「とんでもない! 奥さんのような美人とお食事なんて夢みたいですよ!」
 「杉田さんは相変わらずお口がお上手ね?」
 「いえいえ、本心ですよ」

 俺は明日、田代さんの奥さんとランチをする約束をした。



 奥さんに指定された店は意外にも汐留にあるホテルの中華レストランだった。
 定刻通りにレストランに着いたが、奥さんは10分ほど遅れて現れた。

 「ごめんなさい、自分からお誘いして遅れるなんて」

 晩秋だった。田代さんの奥さんはカシミアの黒いコートを脱ぐと、ボルドーレッドのニットのワンピースがとても上品だった。
 流石は世田谷夫人だけのことはある。
 仄かに香るアリュールの気品が、俺を狩人に変貌させた。
 

 「社長ご就任、おめでとうございます。まずは乾杯しましょうか?」
 「ありがとうございます」

 俺たちはシャンパンで乾杯をした。

 「おめでとうございます、杉田

 田代絹世、32歳。木村多江に似た、少し憂いのある魅惑的な人妻だった。

 夫はメガバンクに勤める慶応出のエリート銀行マンだった。
 夫婦に子供はいない。

 俺は現場の勘を忘れないようにする為に、年に2件ほど、顧客から紹介された引継ぎの出来ない重要なお客さんだけを担当していた。
 田代さんもそんなお客さんのひとりだった。


 「その後、お家の方はいかがですか?」
 「おかげさまで快適ですわ」
 「田代さんの家は私の自信作ですからね?」
 「とても使い易いお家ですよ。住めば住むほどカラダに馴染んで来る感じがします」

 (カラダに馴染む?)

 彼女の服の上からはわからない、白いシーツに横たわる奥さんの白い裸体を俺は妄想した。
 
 「それは良かった。それを伺って安心しました」

 長い中華箸を使い、ルージュの口にアワビ炒めを口に入れる仕草がとても艶めかしかった。
 この清楚な口で、この奥さんはあの田代さんの物を咥えたりするのだろうか?

 俺はそんな不謹慎なことを考えながら、それを打ち消すようにボーイを呼び、生ビールを注文した。

 「今日は私に奥さんを接待させて下さいね。
 美人を前にしていると、なんだ緊張して喉がカラカラになってしまいますよ」
 「今日はわたくしがお誘いしたんですから、お好きなだけどうぞ。お仕事の方に支障がなければいくらでも」
 「社長なんて暇なものですよ。毎日時間を持て余しています。
 会食や夜の接待、ゴルフが私の仕事ですから。
 今日はこの後のスケジュールは入れてありませんので、奥さんのお時間が許す限りご馳走させて下さい」
 「それじゃ私もいただこうかしら? 私、今日は帰らないかもよ? うふっ」

 田代夫人は意味深に私を見詰め、悪戯っぽく微笑んだ。

 (俺を誘っている?)

 「うれしいなあー、冗談でも奥さんみたいな人にそんなことを言われると。
 絹世さんも生ビールでよろしいですか?」

 俺は話の流れを掴むと、彼女を名前で呼ぶことに成功した。
 女を口説く時、俺は呼び名をどんどん変えて行く。
 女の反応を見るのだ。そして最後は親しみを込めて「お前」と呼ぶ。
 俺を気に入っているかどうか? このまま次のステップに進めるかどうかをそれで確認してゆく。

 女がそれに呼応するように俺の呼び名を変え始めたら「脈アリ」だ。
 俺はこの駆け引きが堪らなく好きだった。

 私の戦略戦術に、オセロゲームのように変わってゆく女心。

 「ビールはお腹が膨れちゃうので、温かい紹興酒をいただこうかなあ?」

 言葉遣いも変わりはじめた。
 酔いの回り始めた絹世にチャーミングな色気が加わった。


 俺と絹世はウマが合った。
 それは家を作る打ち合わせの時からそうだった。
 私たちの好みは殆ど一致していた。
 

 次第に絹世は饒舌になっていった。

 「私ね、最近お友だちからよく言われるんですよ。「絹ちゃん、欲求不満なんじゃないの?」って」
 「そんな欲求不満な人妻さんは、我々世の男性の憧れですよ」
 「男の憧れ?」
 「そりゃあそうですよ、絹チャンみたいな美人なら特に」

 俺は遂に「絹世さん」から「絹チャン」に彼女の呼び方を変えることが出来た。彼女はそれが気に入ったようだった。
 男と女の会話とは、回っている縄跳びの中に入るようなものだ。その一瞬のタイミングを逃さずに輪の中に入ることが大切だ。

 「じゃあならその欲求不満の私をどうやって慰めてくれるの?」

 彼女もいつの間にか俺のことを杉良太郎のように、「杉サマ」と呼ぶようになって、俺へのボディータッチも次第に増えていった。

 上目使いに俺を見る潤んだ瞳。前髪をいじりながら話す絹世。

 「杉サマは私としたいの?」

 ロイヤルストレートフラッシュが完成した。



 食事を終え、俺は絹世の欲求不満を解消するために「昼下がりの情事」に没頭した。
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