上 下
6 / 12

第6話 ミッシェルの想い

しおりを挟む
 あの虫も殺さぬやさしい両親が、国際テロリストだったとは未だに信じられなかった。

 フランス人の父はフランスのオーケストラのコンサート・マスターだった。
 バイオリンは父から手ほどきを受けものだった。
 父の奏でるバイオリンは、まさに神が奏でているような美しい音色をしていた。
 母はピアニストとして世界各地を演奏して回っていた。

 私は中学になると各々に忙しい両親とは離れ、東京の母親の実家で育った。
 母の実家は都内で総合病院を経営していた。

 祖父と祖母は私に医者になることを勧めたが、私は音大へと進学した。
 祖父母は「医者になっても音楽を続ければいいではないか?」と言ったが、両親のようなプロの演奏家になることを目指した。

 親子で演奏することが私の夢だった。
 それは両親と同じ道を進むことで、親から認めてもらいたかったのかもしれない。
 私は両親の愛情に飢えていた。

 だが、その両親もテロリストによって殺害されたと信じ、私は両親の復讐を誓った。
 
 (両親がテロリスト? レッド・スフィンクスとは何?)

 たとえそれが事実だとしても、私はもう驚くことはない。
 それは今、自分がしている闇の処刑と同じ思想が背景としてあるからだ。
 やはり私には両親と同じ血が流れている?


      この世から悪魔を退治する


 それが共通の想いなのかもしれない。
 真面目に誠実に生きている者たちが、報われる社会でなければならないのだ。
 私は弱者の無念を晴らしてあげたかったのだ。
 命を奪うことは人間には許されない行為だ。その行為が神の怒りに触れ、この身が地獄の業火に焼かれようとも、その覚悟は既に出来ている。
 命を剥奪した後に涙が流れるのは、自分の中に埋め込まれた理性とやさしさ、良心への呵責があるからだろう。
 人は恨みを買った時点で、命を全うする資格はないのだ。
 

      「殺したいほど憎い」


 そう思われること自体、その人間は人間ではなく悪魔だからだ。
 私はひとりで悪魔狩りを続けた。

 確かに西園寺が言ことにも一理ある。
 コングロマリットで潤う無限の富の源泉は、憎しみに基づく殺戮だ。
 争いを起こし、そこへ武器や物資を売る。
 永遠に廃れることのない悪魔のビジネス。
 人間の欲望には際限がないのだから。

    「もっともっと。もっと欲しい」

 戦争による貧困、傷病、教育格差や差別。
 生まれながらにして恵まれた者と、絶望の中で苦しみ喘ぎ生きる者。
 支配する者と支配される者。

 ベトナムではリンゴ1個と小学生の女の子の性が交換されていた。
 この世には死ぬよりも辛い生き地獄が、数え切れないほど存在する。


 西園寺や両親たちはその撲滅に尽力し、そのために身を投じていたというのか?
 ちっぽけな人間が生きていくために、必要な物は限られている。
 ひとつの身体にたくさんの衣類、ひとつの握りこぶし大の胃袋に詰め込む大量の美食に酒。
 ひとりの男や女に多くの愛人、何台もの高級車、大きな屋敷、宝石、金銀財宝、絵画、美術品など。
 そして留まることのない果てしないカネへの執着。
 自分に必要な分だけを求め、それを分け合えば済む話なのだ。
 身体はひとつなのだから。
 すべての恩恵は神からの一時的なレンタルであり、褒美なのだ。
 遅かれ早かれ人は死ぬ。何も持たずに丸裸で死んでゆくのだ。

 人間は「足るを知ること」を忘れてはならない。
 お互いに感謝して生きる義務があるのだ。
 だが、支配しようとする愚者たちは、それを人から奪おうとする。
 そして醜い争いが始まるのだ。
 そんな社会を神様はお望みにはならないはずだ。

 私はそんな卑しい人間たちを放置することができなかった。
 そして私は自分の幸福と引き換えに、闇の死刑執行人になる道を選んだ。



 汐音と南青山の裏通りにあるビストロで食事をしていた。


 「ミッシェル、今日の演奏も凄く素敵だったわ。
 あの天を切り裂くような伸びやかで艶のあるハイトーン、グッときちゃった」
 「そうかい? 小野君の音程が外れたのが残念だったけどね?」
 「いいの、そんなことはどうでも。私はオケの完成度に興味はないわ。
 私が見ているのはあなただけだから」

 汐音はラム・チョップの香草焼きをナイフで切り分けると、小さな口にそれを入れた。


 「来週、ロンドンに行くつもりなんだ」
 「長いの?」
 「いや、数日で戻る予定だよ」
 「コンサートの打ち合わせ?」
 「亡くなった両親に花を手向けるためにね」
 「ごめんなさいね、私、来週は忙しくてついて行けないけど、気を付けて行って来てね」
 
 私は両親が自爆した場所へ行き、両親の想いに触れてみよう思った。
しおりを挟む

処理中です...