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2nd day
かっこ悪いから
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普段外に出かけない私や土地勘の全くないソラでは、その後も目当ての店に行くのは一苦労だった。
メモに書いてある店をようやく一つ見つけたと思ったら、今度は次の店を探してもう一度歩きまわる。
歩く度に精神を擦り減らしていくようだった。
ただ、そんな私と違ってソラは楽しそうだった。
迷ったら近くにいた人たちに道を訊ね、露店や土産物屋に物珍し気に立ち寄り、親とはぐれた子供にはすぐさま声をかける。
ソラは街の中をただ歩いているだけで、本当に楽しそうな笑顔を浮かべていた。
そんな笑顔を見せられてしまうと、逐一立ち止まるソラを強引に引っ張っていく気にもなれず、結局そのままずるずると付き合う形になってしまう。
そうして、何度目になるか分からない寄り道をした後、時刻は昼をとうに過ぎて、十四時になろうとしていた。
「……なあ、そろそろ休憩にしないか?」
両手に紙袋を提げたソラにそう提案する。
衣類や食器など、それなりに嵩張る物も多く、私の手にも同様に紙袋が提げられている。
ソラが私に振り返ると同時に、ぐー、という音が鳴り響いた。
「そうだね。なんだかお腹も空いてきたし」
「……お前、一度胃を医者に診てもらった方がいいんじゃないか?」
歩き回っている途中も串焼きやら何やら結構買い食いしていたくせに。
ホント、このちっこい身体のどこにそれだけの量が入るんだろうか?
休憩はソラの希望で軽食も頼める喫茶店でとることになった。
カウンターでソラはハンバーガーのセットを、私はコーヒーだけを注文してオープンテラスに出る。
テラスの席はちらほらと埋まっていたけれど、ランチタイムを少し過ぎたこの時間帯はまだまだ余裕があり、私たちは陽当たりの良さそうな席に着くことができた。
パラソルの下に荷物を降ろし、コーヒーを一口飲んでようやく一息つく。
「さて。買い物は一通り終わったけど、この後どこか行きたいところはあるか?……まあ、帰りのバスの時間もあるから、あまりたくさんは回れないと思うけど」
出来れば早く帰りたいので、最後にそう付け加えておく。
ハンバーガーに齧りついていたソラが「んあ?」と顔を上げた。それから咀嚼していたものをオレンジジュースでズズーと流し込む。
「あー、そっか。買い物に結構時間取られたもんな。メモの店同士が結構離れてたせいもあると思うけど」
「ああ。それについてはまあ、フェリシアがわざとそうしたんだろうな」
「わざと? どういうこと?」
ソラが不思議そうに首を傾げる。
私は軽く肩を竦めて、
「セリアが言ってただろ。お前にこの街を案内してやれって。さっきも言ったけど、日用品の買い出しくらいなら別に十三区に来なくても西区画の商店街で事足りる。なのにわざわざ繁華街を指定したのは、お前にこの街を楽しんでもらおうっていうフェリシアの心遣いじゃないのか?」
あのメイドは不愛想なくせに昔からそういう細かい気配りが異様にうまい。
もっとも、本人が無表情なせいでせっかくの気配りが解りづらいところもあるけど……まあ、そのあたりは私も人のことは言えないか。
「そっか。それなら今度フェリシアさんにも改めてお礼を言わないとな。今回のこともそうだけど、これまでのことも全部含めて」
そう言って、ソラは納得したように笑った。
この少年は本当に屈託なくよく笑う。
翳りなんてまるでないかのようにひどく純真に。
こうして食事をしている今も、興味深そうに周りを向いてそわそわしている。
その笑顔を見ていると、ふと疑問が湧いてきた。
「お前、よく笑うよな」
「ん? そうかな……もしかして、気に障ってた?」
「別に。ただ不思議に思っただけだ。お前言ってただろ。憶えているのは名前だけだって。お前はその記憶の空白を不安に思ったりはしないのか?」
見知らぬ場所。見知らぬ他人。自分が何者なのか分からず、帰る場所も分からない。
想像でしかないけど、普通そういう境遇になったらこんなふうに笑っていることなんてできないんじゃないだろうか。
少なくとも、私なら部屋に閉じこもって震えている自信がある。
そんなことを思っていると、何故かソラはきょとんと眼を丸くしていた。
「? なんだよ、変な顔して」
「いや、最近似たようなこと言われたばっかだったから。まあ、そいつは心配するっていうよりただ面白がってただけなんだけどさ」
ソラは嫌そうに顔を顰める。
でも孤児院の中にそんな意地の悪い子がいたのにちょっとびっくりだ。
もっとも、つらい境遇で性格が多少歪んでしまうのもある意味仕方ないことなのかもしれないけど。
ソラはストローでカップの中の氷をカラカラ転がす。
それから告白するようにポツリと呟いた。
「……夢をさ、見たんだ」
「夢?」
「そう。なんだか不思議な夢でさ。古い屋敷と小さな女の子の夢。その女の子の顔も名前もまるっきり思い出せないんだけど。その夢を見た後は、いつも心がざわざわして、胸の奥が締め付けられるみたいに痛くなって……多分、僕はその子に会いたくて、あの場所に帰りたいんだと思う」
そう言って、ソラは寂しそうに笑った。
少年の瞳が遠くへと向かう。
ここではない何処かに想いを馳せるように。
恐らくは、この子が帰りたいと願っている場所に。
「アウローラの言う通り……正直、怖いよ。このまま記憶が戻らなかったらどうしようって、不安にだってなる。セリアさんの屋敷で初めて過ごした夜、怖くてずっとベッドの中で震えてた。一晩中そうしてて、それで思ったんだ――ああ、今の僕メチャクチャかっこ悪いなって」
「かっこ悪い?」
遠い場所に向かっていたソラの瞳が再びこちらへと向けられる。
強い意志の籠められた、強い瞳で。
「うん。どうせならさ、僕は『かっこ悪い』じゃなくて『かっこいい』を目指したい。『悲しい』よりも『楽しい』が欲しい。結局、今の僕にできるのは今できることを頑張ることだけだから。だから、せめてそれを精一杯やろうって思ったんだ。鍛錬することも、食べることも、遊ぶことも全部……そうすれば、いつかまた、あの子に会えた時、胸を張って笑えると思ったから」
「―――――」
その言葉に、私は目を見開く。
ああ、そうか。
この少年は〝そういう〟風に物事を考えるのか。
「……前向きなんだな」
「下を向いてるだけじゃ、何も変わらないからね」
ソラはきっぱりと答える……でも、そう思えるのは、君が強いからだよ。
自分とはあまりに違うその在り方に、私は負け惜しみのような感情を覚える。あるいは、これを嫉妬と呼ぶのだろうか。
私もこの少年のように過去を忘れることができたなら、こんな風に生きられたのだろうか。
そんな考えをすぐに否定する。
放り出して、逃げ出して……この十年、ただ流されるままに惰性で生きてきた。
そんな自分が、この子と同じ境遇に立ったとして、この子のように前を向けたとは思えない。
人も時間も、私を置いてどんどん先へと進んでいく。弱い私は、ずっと同じ場所に蹲ったままなのに。
「ところで、アウローラはこれからどうしたい?」
「……え?」
不意に、ソラがそんなことを訊いてくる。
ソラは単純にこの後の予定について訊ねただけなのだろう。
けれど、その質問に私は一瞬どんな言葉を返せばいいのか分からなくて、言葉を詰まらせてしまう。
その問いはまるで私のこれからの生き方を訊いているようで。
その問いに対する答えは、未だ私の中に無いものだったから。
「……私は、」
「アウローラ? 貴女、そんなところで何してるの?」
その時、後ろから若い女の声が割り込んできた。
メモに書いてある店をようやく一つ見つけたと思ったら、今度は次の店を探してもう一度歩きまわる。
歩く度に精神を擦り減らしていくようだった。
ただ、そんな私と違ってソラは楽しそうだった。
迷ったら近くにいた人たちに道を訊ね、露店や土産物屋に物珍し気に立ち寄り、親とはぐれた子供にはすぐさま声をかける。
ソラは街の中をただ歩いているだけで、本当に楽しそうな笑顔を浮かべていた。
そんな笑顔を見せられてしまうと、逐一立ち止まるソラを強引に引っ張っていく気にもなれず、結局そのままずるずると付き合う形になってしまう。
そうして、何度目になるか分からない寄り道をした後、時刻は昼をとうに過ぎて、十四時になろうとしていた。
「……なあ、そろそろ休憩にしないか?」
両手に紙袋を提げたソラにそう提案する。
衣類や食器など、それなりに嵩張る物も多く、私の手にも同様に紙袋が提げられている。
ソラが私に振り返ると同時に、ぐー、という音が鳴り響いた。
「そうだね。なんだかお腹も空いてきたし」
「……お前、一度胃を医者に診てもらった方がいいんじゃないか?」
歩き回っている途中も串焼きやら何やら結構買い食いしていたくせに。
ホント、このちっこい身体のどこにそれだけの量が入るんだろうか?
休憩はソラの希望で軽食も頼める喫茶店でとることになった。
カウンターでソラはハンバーガーのセットを、私はコーヒーだけを注文してオープンテラスに出る。
テラスの席はちらほらと埋まっていたけれど、ランチタイムを少し過ぎたこの時間帯はまだまだ余裕があり、私たちは陽当たりの良さそうな席に着くことができた。
パラソルの下に荷物を降ろし、コーヒーを一口飲んでようやく一息つく。
「さて。買い物は一通り終わったけど、この後どこか行きたいところはあるか?……まあ、帰りのバスの時間もあるから、あまりたくさんは回れないと思うけど」
出来れば早く帰りたいので、最後にそう付け加えておく。
ハンバーガーに齧りついていたソラが「んあ?」と顔を上げた。それから咀嚼していたものをオレンジジュースでズズーと流し込む。
「あー、そっか。買い物に結構時間取られたもんな。メモの店同士が結構離れてたせいもあると思うけど」
「ああ。それについてはまあ、フェリシアがわざとそうしたんだろうな」
「わざと? どういうこと?」
ソラが不思議そうに首を傾げる。
私は軽く肩を竦めて、
「セリアが言ってただろ。お前にこの街を案内してやれって。さっきも言ったけど、日用品の買い出しくらいなら別に十三区に来なくても西区画の商店街で事足りる。なのにわざわざ繁華街を指定したのは、お前にこの街を楽しんでもらおうっていうフェリシアの心遣いじゃないのか?」
あのメイドは不愛想なくせに昔からそういう細かい気配りが異様にうまい。
もっとも、本人が無表情なせいでせっかくの気配りが解りづらいところもあるけど……まあ、そのあたりは私も人のことは言えないか。
「そっか。それなら今度フェリシアさんにも改めてお礼を言わないとな。今回のこともそうだけど、これまでのことも全部含めて」
そう言って、ソラは納得したように笑った。
この少年は本当に屈託なくよく笑う。
翳りなんてまるでないかのようにひどく純真に。
こうして食事をしている今も、興味深そうに周りを向いてそわそわしている。
その笑顔を見ていると、ふと疑問が湧いてきた。
「お前、よく笑うよな」
「ん? そうかな……もしかして、気に障ってた?」
「別に。ただ不思議に思っただけだ。お前言ってただろ。憶えているのは名前だけだって。お前はその記憶の空白を不安に思ったりはしないのか?」
見知らぬ場所。見知らぬ他人。自分が何者なのか分からず、帰る場所も分からない。
想像でしかないけど、普通そういう境遇になったらこんなふうに笑っていることなんてできないんじゃないだろうか。
少なくとも、私なら部屋に閉じこもって震えている自信がある。
そんなことを思っていると、何故かソラはきょとんと眼を丸くしていた。
「? なんだよ、変な顔して」
「いや、最近似たようなこと言われたばっかだったから。まあ、そいつは心配するっていうよりただ面白がってただけなんだけどさ」
ソラは嫌そうに顔を顰める。
でも孤児院の中にそんな意地の悪い子がいたのにちょっとびっくりだ。
もっとも、つらい境遇で性格が多少歪んでしまうのもある意味仕方ないことなのかもしれないけど。
ソラはストローでカップの中の氷をカラカラ転がす。
それから告白するようにポツリと呟いた。
「……夢をさ、見たんだ」
「夢?」
「そう。なんだか不思議な夢でさ。古い屋敷と小さな女の子の夢。その女の子の顔も名前もまるっきり思い出せないんだけど。その夢を見た後は、いつも心がざわざわして、胸の奥が締め付けられるみたいに痛くなって……多分、僕はその子に会いたくて、あの場所に帰りたいんだと思う」
そう言って、ソラは寂しそうに笑った。
少年の瞳が遠くへと向かう。
ここではない何処かに想いを馳せるように。
恐らくは、この子が帰りたいと願っている場所に。
「アウローラの言う通り……正直、怖いよ。このまま記憶が戻らなかったらどうしようって、不安にだってなる。セリアさんの屋敷で初めて過ごした夜、怖くてずっとベッドの中で震えてた。一晩中そうしてて、それで思ったんだ――ああ、今の僕メチャクチャかっこ悪いなって」
「かっこ悪い?」
遠い場所に向かっていたソラの瞳が再びこちらへと向けられる。
強い意志の籠められた、強い瞳で。
「うん。どうせならさ、僕は『かっこ悪い』じゃなくて『かっこいい』を目指したい。『悲しい』よりも『楽しい』が欲しい。結局、今の僕にできるのは今できることを頑張ることだけだから。だから、せめてそれを精一杯やろうって思ったんだ。鍛錬することも、食べることも、遊ぶことも全部……そうすれば、いつかまた、あの子に会えた時、胸を張って笑えると思ったから」
「―――――」
その言葉に、私は目を見開く。
ああ、そうか。
この少年は〝そういう〟風に物事を考えるのか。
「……前向きなんだな」
「下を向いてるだけじゃ、何も変わらないからね」
ソラはきっぱりと答える……でも、そう思えるのは、君が強いからだよ。
自分とはあまりに違うその在り方に、私は負け惜しみのような感情を覚える。あるいは、これを嫉妬と呼ぶのだろうか。
私もこの少年のように過去を忘れることができたなら、こんな風に生きられたのだろうか。
そんな考えをすぐに否定する。
放り出して、逃げ出して……この十年、ただ流されるままに惰性で生きてきた。
そんな自分が、この子と同じ境遇に立ったとして、この子のように前を向けたとは思えない。
人も時間も、私を置いてどんどん先へと進んでいく。弱い私は、ずっと同じ場所に蹲ったままなのに。
「ところで、アウローラはこれからどうしたい?」
「……え?」
不意に、ソラがそんなことを訊いてくる。
ソラは単純にこの後の予定について訊ねただけなのだろう。
けれど、その質問に私は一瞬どんな言葉を返せばいいのか分からなくて、言葉を詰まらせてしまう。
その問いはまるで私のこれからの生き方を訊いているようで。
その問いに対する答えは、未だ私の中に無いものだったから。
「……私は、」
「アウローラ? 貴女、そんなところで何してるの?」
その時、後ろから若い女の声が割り込んできた。
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