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七日目
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あたしが目を覚ました時に見たのは、見慣れたあたしの部屋の天井だった。寝てるのもいつもの寝床。違うのはクロがいない事。
天然モフモフ湯たんぽの感触は、無い。
「分かっちゃいたけどさ……」
クロはランドで、ランドは貴族で、ランドは凄い魔法使いで、あたしなんか比べちゃいけない存在だ。
あたしは平民で、あたしは魔法オタクで、クロの横にはいられないんだ。悲しくてポタンと目から雫が落ちる。
身分なんて、なけりゃいいのに。
「あーぁ、また一人かぁ……」
窓の外はもう夕暮れだった。空は悲しそうに赤く染まっている。あたしの心模様みたいだ。
結局その日、クロが来る事はなかった。モフモフの無い一人の布団は、冷たかった。
翌朝、ちょっとだるい体を引きずって、魔法研究所に向かった。世界は何もなかったかのように、いつもの様に動いていた。クロに出逢った日々が嘘だったみたいに、いつもの通り、普通だ。
「もう、冬か」
あと少しすれば冬になって、もっと寒くなって、雪も降るんだ。モフモフ湯たんぽが、欲しい。
「猫でも、探すかな」
そんな事を考えていれば、もう研究所だった。杖から降りて建物内を歩いて行く。
「おはよーございまーす」
いつもの通り挨拶をして、いつもの通り席に着く。隣にはいつもの通りアカネちゃんがいる。
「オハヨー、アカネちゃん」
「あれ、シーラちゃん、来ても大丈夫なの?」
「ほへ?」
アカネちゃんだけでなく、禿上司や他の同僚も驚いた顔であたしを見てくる。
あれか、昨日勝手に早退したからか?
「何か、あった?」
「何って、一昨日、行方をくらませてたランドが、突然ここに来て、シーラちゃんが魔力切れで寝込んでるから数日休むって言いに来たの!」
「はぇ?」
「もう、警察やらお偉いさんやらで大騒ぎだったのよ!」
「ほぇ?」
何が何だか分からない。クロがここに来たの?
「シーラちゃん、いつの間に、どこでランドと知り合ったの? 彼、すっごい心配そうな顔してたんだよ! あの顔は絶対そうだよ!」
アカネちゃんは、ちょっとニヤついた。
「どこって言っても……」
あたしが焦っていると、禿上司が音もなくスススと近寄ってきた。
「今週はシーラ君を休ませるように、と上からのお達しが来た。とにかく、休んでくれ」
禿上司がハンカチで汗をふきふきしてる。すっごい量の汗で、ハンカチから滴ってるくらいだ。
「彼、シーラちゃんを休ませないと、又いなくなるぞって脅してたのよ」
アカネちゃんが嬉しそうに話しかけてくる。なんだなんだ、どうなってるのよ?
「えっと、あたしどうすれば……」
「今日はゆっくり休んで、彼と一緒にいれば!」
アカネちゃんはあたしを強引に立たせると、手を引いて外に向かって行く。
「ふふ、シーラちゃんも隅に置けないなぁ」
「ちょっと、違うってば!」
「またまたぁ~」
アカネちゃんに杖を持たされて、にっこにこされて、あたしは仕方なく家路についた。
今日の空は良く晴れて遠くまで見えていた。青い空の向こうまで、くっきりと見えた。
「クロが、いるのかなぁ……」
くっきり見える空が、遠くからボロアパートを見せてくれた。あたしの部屋の隣に明かりがついてるのが見えた。
「隣に誰か来たんだ……って、あんな取り壊し寸前のボロアパートに誰が来るってのよ」
あたしは、ちょっとの望みを持って、杖を走らせた。有り得ない望みだけど。
杖を下りてあたしの部屋の玄関に向かえば、ドアの前に黒い猫が行儀よくお座りをしていた。
「クロ?」
その猫を抱き上げて顔を見れば、瞳は茶色だった。
「あれ、青じゃない」
その黒猫はしゃべらずに「にゃー」と鳴いた。
「ソイツはチコだ」
聞き覚えのある男の人の声が、横から聞こえて来た。振り向けば、そこには夢で見た、黒い髪の彼が、青いローブを羽織って立っていた。
やっぱり実物はカッコイイ。
「……クロ、じゃない、ラン、ド?」
「いや、クロで結構だ。ランドの名は、棄てた」
「すてた?」
「貴族としての権利や家も棄てた。俺は貴族なんかよりも魔法使いとして生きていたいんだよ」
ランド、じゃない、クロは肩を竦め、苦笑しながらあたしに向かって歩いてきた。腕の中の黒猫はするっと抜けて逃げた。
「なんで?」
「帰ると言ったろう?」
クロの声で、彼がそう言った。
「具合は良さそうだな」
彼は薄く笑い、ホッとした表情を浮かべた。優しそうなその顔に、ちょっとだけ見惚れた。
「そうだ、あんた研究所に来たでしょ!」
「一昨日な」
「一昨日?」
あれ、昨日じゃないの?
「シーラ。お前、一日半寝込んでたんだぞ?」
「ほぇ?」
あれ、あたし、夕方に起きたんだよね?
「シーラが魔力切れで気を失った後に、部屋に行って寝かせて、その足で魔法研究所に行った。あそこは何度か行った事があるから場所は知ってる」
クロが顔を近づけて、あたしのおでこにコツンと額を当てた。青い瞳があたしの目を見つめてる。
あたしの顔の温度がグングンと上がっていった。
「……まだ熱っぽいな」
「いや、それは……」
「もうちょっと休んでた方が良いな」
クロが額を当ててるおでこから、あたしを心配する感情が伝わって来た。嬉しいんだか困ったんだか、あたしの胸には嵐が巻き起こってる。
「ふむ」と言いながらクロが離れていった。心臓が働き過ぎてる。過労になっちゃう。
「では食事は明日にでも持ち越した方が良いな」
クロは顎に手を当てて何やら独り言を言っている。あたしは未だ理解が出来ていない。
「っていうか、なんで隣の部屋に来たの? このボロアパートは取り壊すって話も出てるのよ!」
「あぁ、それなら問題ない。ここを買い取った」
「はぁ?」
「聞こえなかったか。買い取った、と言ったんだ」
クロが真面目な顔になった。
「女の子の部屋に転がり込む訳にもいかないからな。せめて隣の部屋にするか、と思ってな」
「ななな」
「大家に聞けば、取り壊すなんて言うじゃないか。平和的な話し合いをして、敷地ごと買い取ったんだ。貴族の財産は放棄したが、魔法で築いた資産はあるんでな」
あたしが唖然と口を開けて呆けてれば「女の子なんだから」と顎に手を当てられた。
「まぁ、時間はある」
「なんの時間よ!」
顎を固定されながらも反撃に転じた。やられっ放しは癪に障る。
「シーラを口説く時間、だ」
クロはちょっと恥ずかしそうにした。
「猫のクロは人間だった訳だ。で、どうだ、俺(クロ)はシーラから見て、合格か?」
クロの青い瞳があたしに刺さって来る。目を離そうと思っても、身体はそうは思っていないみたいだ。
「そそそうね、まぁ、及第点くらいは、あげられるかしら!」
嘘です。合格です。
それでもあたしは精一杯の強がりを見せた。
乙女の意地よ!
「ふむ、猫には勝てないか」
クロは困った顔をした。顎からそっと手が離れていった。
「……もう猫にはならないの?」
天然モフモフ湯たんぽは無くなってしまった。悔やまれる。非常に悔やまれる。
「あの魔法は即席で作ったもので、欠陥だらけだ。時間を任意にして、切り替えも任意にした改良版を作った」
クロが指をパチンと鳴らすと、一瞬眩しく光り、彼がいた場所には黒い猫がお座りしていた。
「性別は雌のままだがな」
その猫はクロの声でしゃべった。
「あの魔法って、即席だったの? 芸術品みたいに作りこまれてたけど」
「さすがシーラだな。よくわかってる!」
クロは嬉しそうに笑った。
あたし達は部屋に入ってテーブルでお茶をしてる。あたしとクロは珈琲で、チコには冷ましたミルクをあげた。この子は猫らしく、にゃーと鳴いている。まぁ、クロがおかしかっただけなんだけど。
「そういえば、さっき言ってた食事って?」
「あぁ、シーラを口説くのにも手順がいるだろ? まずは食事でもと思ってな」
クロはしれっとしてる。口説く、と聞くたびにあたしの耳が熱くなる。だけど負けてはいられない。
「あたしは安くないわよ!」
「どんなに高くても構わないさ」
「ぐぅ……」
クロはにっこり笑ってる。心を読まれてるのか、余裕かまされて、なんだか悔しい。
「……猫に勝つには、時間がかかりそうだがな」
苦笑いしたその顔も、なかなかだ。
あれから一か月。
「うわぁ~遅刻する~」
「食事は作ってあるぞ」
「にゃ~」
顔を洗って髪を梳かして騒いでいるあたしを余所に、クロは優雅に珈琲を淹れている。チコはカリカリに夢中だ。
「まだ時間はあるぞ」
「化粧には時間がかかるのよ!」
あれから、あたしはクロと同棲生活を送っている。あたしは魔法研究所に勤めて、クロは魔法の製作と先生と、なんか色々としているらしい。実業家みたいだけど、自由を満喫している様だ。
働かなくても暮らせるぞ、とクロはいうけど、あたしは今の魔法研究所の仕事が楽しいんだ。
何より、クロが傍にいることが、楽しいと思える理由だ。
「シーラが楽しいなら、俺は何も言わん」
クロはあたしを自由にしてくれる。自分が貴族だったときは、何かにつけて行動を制約されていたから、らしい。だから、あたしのやりたい事は邪魔しないみたい。優しい猫さんだ。
「浮気は認めんがな」
「それは、クロの心がけ次第、かな?」
そもそもそんな気はないけど、癪に障るからこう答えちゃう。
「む、俺の気持ちは真剣だぞ?」
クロの焦る顔を見るのが、嬉しい。
「ほら、折角の食事が冷めてしまう」
「あ、はーい」
朝食はクロが、夕食はあたしが作ることにした。家事も分担制だ。
寝る時はクロは猫になって、天然モフモフ湯たんぽになってくれる。そして癒しのモフモフタイムも健在だ。
「偶には人間として、シーラと一緒に寝たいんだが?」
パンを齧りながらクロがぼやく。
「ま、まだ早いのです!」
クロの要求も、まだ恥ずかしいからと棄却してる。
あたしは安くないのだ!
……まぁ、そろそろ良いかな、とは思ってるけど。
「お、そろそろ時間だぞ?」
「じゃ行こうかな」
玄関の姿見の鏡で身だしなみのチェックだ。
「化粧もばっちり、体調良し、顔色よし。準備おっけー!」
脇でクロがニッコリして見てる。見守られてるみたいで、ちょっと嬉しい。
「よそ見して建物に当たらない様にな」
「クロこそ、迷子にならないでね」
「善処する」
クロが顔を寄せてきて、唇が重なる。
優しい感触と感情が伝わってくる。
「いってきまーす!」
「気をつけてな」
クロに見送られ、ボロアパートを飛び出して、朝日が降り注ぐ空を杖で滑空していく。
キラキラと光る世界は心地よい。
「んー、今日も世界は美しい!」
キラキラに光る希望の世界。
あの時にクロが言ったことが、分かるようになった。
「今日も一日、がんばりましょー!」
お日様は今日もニッコリだ。
青空に杖を走らせて、研究所に急いだ。
天然モフモフ湯たんぽの感触は、無い。
「分かっちゃいたけどさ……」
クロはランドで、ランドは貴族で、ランドは凄い魔法使いで、あたしなんか比べちゃいけない存在だ。
あたしは平民で、あたしは魔法オタクで、クロの横にはいられないんだ。悲しくてポタンと目から雫が落ちる。
身分なんて、なけりゃいいのに。
「あーぁ、また一人かぁ……」
窓の外はもう夕暮れだった。空は悲しそうに赤く染まっている。あたしの心模様みたいだ。
結局その日、クロが来る事はなかった。モフモフの無い一人の布団は、冷たかった。
翌朝、ちょっとだるい体を引きずって、魔法研究所に向かった。世界は何もなかったかのように、いつもの様に動いていた。クロに出逢った日々が嘘だったみたいに、いつもの通り、普通だ。
「もう、冬か」
あと少しすれば冬になって、もっと寒くなって、雪も降るんだ。モフモフ湯たんぽが、欲しい。
「猫でも、探すかな」
そんな事を考えていれば、もう研究所だった。杖から降りて建物内を歩いて行く。
「おはよーございまーす」
いつもの通り挨拶をして、いつもの通り席に着く。隣にはいつもの通りアカネちゃんがいる。
「オハヨー、アカネちゃん」
「あれ、シーラちゃん、来ても大丈夫なの?」
「ほへ?」
アカネちゃんだけでなく、禿上司や他の同僚も驚いた顔であたしを見てくる。
あれか、昨日勝手に早退したからか?
「何か、あった?」
「何って、一昨日、行方をくらませてたランドが、突然ここに来て、シーラちゃんが魔力切れで寝込んでるから数日休むって言いに来たの!」
「はぇ?」
「もう、警察やらお偉いさんやらで大騒ぎだったのよ!」
「ほぇ?」
何が何だか分からない。クロがここに来たの?
「シーラちゃん、いつの間に、どこでランドと知り合ったの? 彼、すっごい心配そうな顔してたんだよ! あの顔は絶対そうだよ!」
アカネちゃんは、ちょっとニヤついた。
「どこって言っても……」
あたしが焦っていると、禿上司が音もなくスススと近寄ってきた。
「今週はシーラ君を休ませるように、と上からのお達しが来た。とにかく、休んでくれ」
禿上司がハンカチで汗をふきふきしてる。すっごい量の汗で、ハンカチから滴ってるくらいだ。
「彼、シーラちゃんを休ませないと、又いなくなるぞって脅してたのよ」
アカネちゃんが嬉しそうに話しかけてくる。なんだなんだ、どうなってるのよ?
「えっと、あたしどうすれば……」
「今日はゆっくり休んで、彼と一緒にいれば!」
アカネちゃんはあたしを強引に立たせると、手を引いて外に向かって行く。
「ふふ、シーラちゃんも隅に置けないなぁ」
「ちょっと、違うってば!」
「またまたぁ~」
アカネちゃんに杖を持たされて、にっこにこされて、あたしは仕方なく家路についた。
今日の空は良く晴れて遠くまで見えていた。青い空の向こうまで、くっきりと見えた。
「クロが、いるのかなぁ……」
くっきり見える空が、遠くからボロアパートを見せてくれた。あたしの部屋の隣に明かりがついてるのが見えた。
「隣に誰か来たんだ……って、あんな取り壊し寸前のボロアパートに誰が来るってのよ」
あたしは、ちょっとの望みを持って、杖を走らせた。有り得ない望みだけど。
杖を下りてあたしの部屋の玄関に向かえば、ドアの前に黒い猫が行儀よくお座りをしていた。
「クロ?」
その猫を抱き上げて顔を見れば、瞳は茶色だった。
「あれ、青じゃない」
その黒猫はしゃべらずに「にゃー」と鳴いた。
「ソイツはチコだ」
聞き覚えのある男の人の声が、横から聞こえて来た。振り向けば、そこには夢で見た、黒い髪の彼が、青いローブを羽織って立っていた。
やっぱり実物はカッコイイ。
「……クロ、じゃない、ラン、ド?」
「いや、クロで結構だ。ランドの名は、棄てた」
「すてた?」
「貴族としての権利や家も棄てた。俺は貴族なんかよりも魔法使いとして生きていたいんだよ」
ランド、じゃない、クロは肩を竦め、苦笑しながらあたしに向かって歩いてきた。腕の中の黒猫はするっと抜けて逃げた。
「なんで?」
「帰ると言ったろう?」
クロの声で、彼がそう言った。
「具合は良さそうだな」
彼は薄く笑い、ホッとした表情を浮かべた。優しそうなその顔に、ちょっとだけ見惚れた。
「そうだ、あんた研究所に来たでしょ!」
「一昨日な」
「一昨日?」
あれ、昨日じゃないの?
「シーラ。お前、一日半寝込んでたんだぞ?」
「ほぇ?」
あれ、あたし、夕方に起きたんだよね?
「シーラが魔力切れで気を失った後に、部屋に行って寝かせて、その足で魔法研究所に行った。あそこは何度か行った事があるから場所は知ってる」
クロが顔を近づけて、あたしのおでこにコツンと額を当てた。青い瞳があたしの目を見つめてる。
あたしの顔の温度がグングンと上がっていった。
「……まだ熱っぽいな」
「いや、それは……」
「もうちょっと休んでた方が良いな」
クロが額を当ててるおでこから、あたしを心配する感情が伝わって来た。嬉しいんだか困ったんだか、あたしの胸には嵐が巻き起こってる。
「ふむ」と言いながらクロが離れていった。心臓が働き過ぎてる。過労になっちゃう。
「では食事は明日にでも持ち越した方が良いな」
クロは顎に手を当てて何やら独り言を言っている。あたしは未だ理解が出来ていない。
「っていうか、なんで隣の部屋に来たの? このボロアパートは取り壊すって話も出てるのよ!」
「あぁ、それなら問題ない。ここを買い取った」
「はぁ?」
「聞こえなかったか。買い取った、と言ったんだ」
クロが真面目な顔になった。
「女の子の部屋に転がり込む訳にもいかないからな。せめて隣の部屋にするか、と思ってな」
「ななな」
「大家に聞けば、取り壊すなんて言うじゃないか。平和的な話し合いをして、敷地ごと買い取ったんだ。貴族の財産は放棄したが、魔法で築いた資産はあるんでな」
あたしが唖然と口を開けて呆けてれば「女の子なんだから」と顎に手を当てられた。
「まぁ、時間はある」
「なんの時間よ!」
顎を固定されながらも反撃に転じた。やられっ放しは癪に障る。
「シーラを口説く時間、だ」
クロはちょっと恥ずかしそうにした。
「猫のクロは人間だった訳だ。で、どうだ、俺(クロ)はシーラから見て、合格か?」
クロの青い瞳があたしに刺さって来る。目を離そうと思っても、身体はそうは思っていないみたいだ。
「そそそうね、まぁ、及第点くらいは、あげられるかしら!」
嘘です。合格です。
それでもあたしは精一杯の強がりを見せた。
乙女の意地よ!
「ふむ、猫には勝てないか」
クロは困った顔をした。顎からそっと手が離れていった。
「……もう猫にはならないの?」
天然モフモフ湯たんぽは無くなってしまった。悔やまれる。非常に悔やまれる。
「あの魔法は即席で作ったもので、欠陥だらけだ。時間を任意にして、切り替えも任意にした改良版を作った」
クロが指をパチンと鳴らすと、一瞬眩しく光り、彼がいた場所には黒い猫がお座りしていた。
「性別は雌のままだがな」
その猫はクロの声でしゃべった。
「あの魔法って、即席だったの? 芸術品みたいに作りこまれてたけど」
「さすがシーラだな。よくわかってる!」
クロは嬉しそうに笑った。
あたし達は部屋に入ってテーブルでお茶をしてる。あたしとクロは珈琲で、チコには冷ましたミルクをあげた。この子は猫らしく、にゃーと鳴いている。まぁ、クロがおかしかっただけなんだけど。
「そういえば、さっき言ってた食事って?」
「あぁ、シーラを口説くのにも手順がいるだろ? まずは食事でもと思ってな」
クロはしれっとしてる。口説く、と聞くたびにあたしの耳が熱くなる。だけど負けてはいられない。
「あたしは安くないわよ!」
「どんなに高くても構わないさ」
「ぐぅ……」
クロはにっこり笑ってる。心を読まれてるのか、余裕かまされて、なんだか悔しい。
「……猫に勝つには、時間がかかりそうだがな」
苦笑いしたその顔も、なかなかだ。
あれから一か月。
「うわぁ~遅刻する~」
「食事は作ってあるぞ」
「にゃ~」
顔を洗って髪を梳かして騒いでいるあたしを余所に、クロは優雅に珈琲を淹れている。チコはカリカリに夢中だ。
「まだ時間はあるぞ」
「化粧には時間がかかるのよ!」
あれから、あたしはクロと同棲生活を送っている。あたしは魔法研究所に勤めて、クロは魔法の製作と先生と、なんか色々としているらしい。実業家みたいだけど、自由を満喫している様だ。
働かなくても暮らせるぞ、とクロはいうけど、あたしは今の魔法研究所の仕事が楽しいんだ。
何より、クロが傍にいることが、楽しいと思える理由だ。
「シーラが楽しいなら、俺は何も言わん」
クロはあたしを自由にしてくれる。自分が貴族だったときは、何かにつけて行動を制約されていたから、らしい。だから、あたしのやりたい事は邪魔しないみたい。優しい猫さんだ。
「浮気は認めんがな」
「それは、クロの心がけ次第、かな?」
そもそもそんな気はないけど、癪に障るからこう答えちゃう。
「む、俺の気持ちは真剣だぞ?」
クロの焦る顔を見るのが、嬉しい。
「ほら、折角の食事が冷めてしまう」
「あ、はーい」
朝食はクロが、夕食はあたしが作ることにした。家事も分担制だ。
寝る時はクロは猫になって、天然モフモフ湯たんぽになってくれる。そして癒しのモフモフタイムも健在だ。
「偶には人間として、シーラと一緒に寝たいんだが?」
パンを齧りながらクロがぼやく。
「ま、まだ早いのです!」
クロの要求も、まだ恥ずかしいからと棄却してる。
あたしは安くないのだ!
……まぁ、そろそろ良いかな、とは思ってるけど。
「お、そろそろ時間だぞ?」
「じゃ行こうかな」
玄関の姿見の鏡で身だしなみのチェックだ。
「化粧もばっちり、体調良し、顔色よし。準備おっけー!」
脇でクロがニッコリして見てる。見守られてるみたいで、ちょっと嬉しい。
「よそ見して建物に当たらない様にな」
「クロこそ、迷子にならないでね」
「善処する」
クロが顔を寄せてきて、唇が重なる。
優しい感触と感情が伝わってくる。
「いってきまーす!」
「気をつけてな」
クロに見送られ、ボロアパートを飛び出して、朝日が降り注ぐ空を杖で滑空していく。
キラキラと光る世界は心地よい。
「んー、今日も世界は美しい!」
キラキラに光る希望の世界。
あの時にクロが言ったことが、分かるようになった。
「今日も一日、がんばりましょー!」
お日様は今日もニッコリだ。
青空に杖を走らせて、研究所に急いだ。
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