亡国のグリモア外伝

赤井ハコ

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外伝【黒炎、星拳、その原点】前編

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 始まりは炎。
 目を伏せれば、その光景は今でも瞼の裏に焼き付いている。
 ただ、それでも覚えていたのはその炎だけだった。

 逃げて生き延びた先の平穏な時間が痛みを消してくれたのだろうと、そう思えるほどに私は短絡的で、まだ子供だった。

 まだ、子供だったのだ──


〈黒炎、星拳、その原点〉

「マリ、もう日も暮れるし帰ろう!こんな時間に怪我なんかしたら危ないって!」
 
 黒いミディアムヘアとエメラルドグリーンの瞳を持つジト目が特徴のカレンが、その眼差しを向ける先には、むき出しの岩肌を数メートルも登っていくマリが映されていた。

 カレンに対してマリは真っ白で桃色がかった不思議な長髪と、珍しい紫の瞳を持っている。目尻の睫毛が長く、カレンよりも身長がやや高かい。

「へーきへーき!あとちょっとで採れるんだから、黙って待っててよねー!」

 辺りは白銀に覆われ、深い針葉樹の森に包まれている。それに、二人が歩いてきた足跡を消し去るほどには降雪もある。
 今年でちょうど十歳のカレンが心配するのは無理もない。

 風も強くなり始め、空も暗くなってきた。

「その本持ち出したのカレンでしょー?おじさんのためなんだから我慢してよね!」
「だからって門限がある!ベルティンやリーザを心配させる方が恐いの知ってるだろう!?」
「ちょっと怒られれば済むことじゃん!カレンは自分の方が大切なの!?」

 聖ワルプルガ孤児院。
 通称ワルプルギスという孤児院で暮らしているカレンとマリにはある程度の約束事があり、中には夕刻までには院に帰っているという決まりがあった。
 しかし無鉄砲なマリにまた振り回されて、カレンは着いて来てしまった。
 院の中でも同い年である彼女のそれを、制御しなければと自覚しているからだ。薬草探しをけしかけた自分が言えた立場ではないので強くは主張できないが。

「ああもうわかった、気が済むまで探せばいいさ。その代わり、日が暮れて狼犬にでも襲われれば呪ってやるからな」
「ふーん!あいにく呪いも幽霊も信じてませんーだ」
「なら夜は一人でトイレに行けるな。もう私を起こすなよ?」
「べべっ、別になんともないし!いつもはカレンもついでにどうか誘ってるだけで他意はないもん!」
「よく言う……」

 呆れ気味に見上げていた視線を落とし、首を休める。耳を澄ませなくても、しんしんと雪の音だけが聞こえた。
 が、直後に張りのあるマリの声が反響する。

「あーっ、あったあった、あったよカレン!」
「ほ、本当か!?まさかこんな雪の中でモーリュ草が……」
「あったったらあったの!採って降りるから抱えてる本で本物か調べ──」

 転瞬、彼女が興奮したせいか、元々不安定だったつま先を乗せられるだけの足場が崩落。

「わ、わ、わーっ!」
「危ないマリ!」

 重力任せに背中から落下する。
 マリが真上から落ちてきたが、カレンは薬草図鑑を両腕で抱えてダイビング回避。二人の腰ほどもある雪の中に二人で飛び込む。

「痛……。だから危ないとあれだけ……。……ん、マリ!おい、大丈夫かマリ!」

 頭に乗った雪を払いながら周囲を見てもマリがいないので、急いでカレンが落下地点の雪を掻き分ける。

「おいマリ返事し──」
「ブハァーッ!」

 それを邪魔だと言わんばかりに自力で飛び出てくるマリ。勢いにおされてカレンは尻餅をついてしまう。

「おいっ、急に出てくるなマリ!本が濡れたらどうするんだ!」
「本の一つや二つどうってことないもん!だいたい雪降ってるのに持ち出す時点で文句は無しでしょバカレン!」
「な、付き合ってやってるのにその言い草はなんだバカマリ!知っているか?馬鹿って言い出した方が馬鹿の度合いは高いんだぞ」
「フン!言い返してるカレンだって同じレベルなんだから」
「む……」

 反論こそできたが、やはりそれでは本当に同レベルになってしまうし、これ以上は水掛け論になると感じたカレンはやむなく唇を噛むことにした。

「……それで、モーリュ草は?」
「あっ!」
 
 両手を頬にあてて焦るマリ。様子からして、落ちたときに見失ってしまったのだろう。

「まったくキミという人は……成果も得られず、これじゃあただ怒られるだけに──」
「なーんてね!」

 焦燥の表情から一転、マリはにぱっと笑い、厚手のコートのポケットからモーリュ草を取り出すと、カレンに見せた。

「ちゃんとゲットしてまーす。アタシ、カレンよりも運動できる自信あるもん」
「てっきり崩落で無くしたかと思った」
「そう見せたもの」
「可愛くないやつ」

 隙を見せればすぐ口論にはなるが、それでも今の二人は満足げな表情だ。

「ほらカレン、早く帰っておじさんに薬草見せよ!」
「ああ、そうだなマリ」

 すると、噂をすれば影。
 息を切らして、と言うよりは咳き込みながらクマの毛皮で作られたコートのを被った男が、雪深い木々の間をくぐり抜けて歩いてきた。

「おーい、カレン、マリ!いた!こんな時間までこんなとこで何してーんだ?」

 歳は二十代半ば、平均以上に整った顔立ちで、艶やかで豊かな黒い髪と緋色の瞳をし、両耳にエメラルドのピアスをしていた。
 エリアス=ロア=アルビオン。
 その姿を見るなり娘二人は、嬉しそうに声をかける。

「魔法使いのおじさん!」
「どうしてここがわかったの!?」
「おっと、今更だけどおじさん呼びはやっぱ特攻だなぁ……」

 流石に二十代であるのに「おじさん」は辛いものがあるが、二人から見たらそれもそうなのかと理解するように努めた。
 そして、木に駐まっていた梟を指差して質問に答える。

「遠視魔法と感覚共有を使ったんだ。空から探した方が早いだろ?二人が門限になっても帰って来ないからって先生たちが騒いでて」
「すっごーい!」

 マリが喰い気味に反応する。
 それに対してカレンは年相応とは思えないため息で「でもやっぱりベルティンとリーザに心配かけてる。帰ったら掃除当番倍増だ」と返す。
 
 「むむむ……!」

 頬を膨らませるマリを見て、「いつもそうやって揚げ足取りを」と思っているのだろうとカレンもすぐに分かった。それくらいには二人の間で意思疎通と呼べるのかはわからないが、図れる。

「まあまあ、ワルプルギスの皆が心配してるのは確かだし、もう帰ろう。冒険は楽しかったか?」
「そう、それ!」

 マリは手に握っていたモーリュ草をエリアスの前に出すと、彼も膝に手をついて目線を同じにする。

「おじさん、前に病気だって言ってたでしよ?最近はよくお咳してるし、カレンと図書室漁って薬草を探してたの」
「冬に育つ植物の方が強くて効力も高いって書いてあったから。ちょうどいいと思って」
「お、お前ら……」

 エリアスは目頭が熱くなった。
 自分よりも遥かに年下で可愛らしい女の子二人が、自分のために門限を破ってまで薬草を探しに冒険していたことが、ここまで尊いものだとは思っていなかったので、二人を思いきり両脇に抱きかかえ、孤児院へ走り出す。

「きゃーっ!」
「俺は嬉しいぞカレン、マリ!俺はもうただただ嬉しいっ!」

 脚に絡まる雪なんてなんのその。雪原を駆ける姿はキタキツネのようで除雪機のよう。
 ところが「イケイケー!」と興奮するマリとは真逆に、風を切る音に掻き消されないような大声でカレンはこう言う。

「あんまり無茶しないでよねおじさん!」
「カレンならそういうと思った!でも大丈夫だ、ワルプルギスに来て療養して少しはマシになったからな!」
「じゃあ顔が赤いのは寒いせいかな!」
「そういうことにしておけ!嬉しいけどな、子供が大人の心配なんてするもんじゃない!」
「はいはい!」

 エリアスは半年前にワルプルギスに戻ってきた。
 元々は、孤児院のシスターであり魔導使でもあるベルティンとリーザの弟子で、修行を終えてからは施設を後にしていた。
 カレンとマリが知っているのは、つい最近やってきた彼が、その魔導使のおじさんだということだけ。

 しかし、魔導に興味のある二人にはそれだけでエリアスに懐く理由にはなった。
 どういうわけか、ベルティンもリーザも魔法を教えてはくれなかったから。

―·―

 ワルプルギスに戻ると、案の定ベルティンとリーザに叱られた。
 小狭い、けして豪華とは言い難い礼拝堂の隅の長椅子に並んで着席させられ、正面にシスター二人、一つ空けた隣の席にエリアスが座っている。
 リーザは、単純に危険なことをしたこと、決まりを破ったことに怒っている様子だったが、ベルティンは二人の意思を尊重して叱る。

「どうしてそんな無茶をしたの?」

 彼女は当然答えを知っている。

「だって……いつまでたってもおじさんのお咳治らないし……カレンと一緒なら大丈夫だと思ったもの」
「マリを一人では行かせられなかった。おじさんのためなのもあるけど、私はマリが心配だった」
「そう……」

 ベルティンはリーザを一瞥。
 リーザが他の孤児の世話のために席を外し、そして腰を落とすと、普段とは違う柔らかな雰囲気でこう諭す。

「でも、それは約束を破っていい理由にはならないわよね?」
「うん……」
「私はあなた達に危険が及ばないように約束事を決めているわ。今回はエリアスが無事に見つけ出してくれたけど、迷子になって魔物に襲われて、死んでしまったら?」
「……それは、やだ」
「そうね。私も悲しい」

 マリが返答していく。
 萎れていくその様子を見かねて、次はカレンが口を開いた。

「私もおじさんが死ぬのは悲しい。約束の前に命が大事なのは皆同じ事じゃないの?」
「そうね、命は大切。だとしてもあなた達はまだ子供なの。命の尊さを訴えたいのなら、まず自分の命を守れるようになってからじゃないといけないわ」
「また子供って……」

 不服げにカレンが視線を外す。
 自衛の方法すら教えてくれないベルティンにその類の話題を口にされても、不満は募るばかりだ。
 エリアスも言いたいことがあるのだろうが、自分の先生の考えはよく分かっているだけに、口を出せない。
 俯いたままでカレンが呟く。

「なら魔法を教えてよベルティン。そうすればもっと役に立てる。前におじさんが教えてくれたよ。誰かを守るためにために魔法はある、って。違うの?」

 その言葉を耳にして、マリも唇に力を入れてベルティンの目をじっと見詰める。

 この目を、彼女はかつて見たことがあった。
 過去のエリアスと同じだ。
 彼が森の魔女である私達に弟子入りしに、この深い森を抜けて辿り着いたときの好奇の瞳。この世界で、魔法から隔離されて生きていくのがどれほど難しいかと、この彼を見て当時感じたことを思い出す。
 その純粋さに妥協してしまいそうになる。

──しかしそれでも。と、ベルティンは二人をおもむろに抱き締めた。

「ベ、ベルティン……?」
「苦しいよー……」
「マリ、あなたはとても優しくて活発な女の子。運動も得意で、苦手な子の手を引っ張ってくれる皆のお姉さん。やんちゃはするけど、それも強い好奇心から来る行動だから、どうかそのままでいて。そういう子はきっと博識な大人になるわ」
「え?……う、うん……」
「カレン、あなたは頭が良くて思慮深いし、思いやりのある女の子。それでいて何でもこなせるから、私も時々助けられたりするわ。マリに振り回されて失敗するのは玉に瑕だけど。これからもマリの一番の親友でいてあげて」
「うん……?」
「魔法なんかなくても、あなた達は生きていけるわ。天使様はいないけど……悪魔も同時に滅んでしまったの。魔導を探究する時代ではないのよ、もう」

 ベルティンにはどうしてもワルプルギスの孤児達には平穏に暮らして欲しかった。
 彼女らは、黒魔術教団を鎮圧するための魔法紛争の孤児だからだ。人と人との争いで導かれる魔法の世界に足を踏み入れて欲しくない。
 それに、魔導は人から人へと伝えられるため、その世界は広いようで狭い。特殊な術を使う者を良く思わない者も少なくない、
 今では誰かを傷つけるための技術と揶揄される魔導を教えれば、その戦場に駆り出されるだけだと考えている。
 
「さ、夕飯の支度ができたころだと思います。この話は終わり。皆のところへ行きましょう」

 無理矢理話の流れを切り、今度は二人の背中を軽く叩く。
 いつもとは違うベルティンの様子に戸惑った様子の二人だったが、難しい話だった上に雪の中を一日中探検していたせいでお腹はぺこぺこ。食欲には抗えず、マリがカレンの手を引き「行こ!お話終わったら急にお腹すいちゃった!」と駆け出す。
 カレンの胸にはベルティンの話の違和感が突っかかったが、やはり子供。すぐに脳内は夕飯のことに切り替わっていた。

 二人の駆けていく姿を見送り、エリアスがベルティンの背後で立ち上がる。

「……先生」
「なんですか?」
「俺、二人には魔法を教えるべきだと」
「あなたは……二人をけしかけないでちょうだい。彼女たちには争いとは縁遠い場所で生きて欲しいの」
「だからって、二人が学ぼうとしてるんだ。先生にそれを止める権利はないでしょ?」

 エリアスは二人の才能に気づいていた。

「好奇心は魔導使にとって一番の才能ですよ。かつて先生が教えてくれたことだ。カレンにもマリにもその才能がある。マリはもっと広い世界を生きたいと思ってる。だから何処へでも行ってしまう。カレンは常に本を持ち歩いてるじゃないか。知識に餓えてる」
「止める権利はない、ですが。私にも教えたくない権利はあります。あなたはあなたが経験した争いと同じような場所に彼女らを立たせたいのですか?」
「そうは言ってない。けど、どのみち二人は魔導に通じる」
「……それは……」
「であるなら、いや、だからこそ俺は二人の意思を尊重するべきだと思う。あんたのエゴを押し付けすぎじゃないか?」

 自分の理想が詭弁で今の世の中では通じないことをベルティンは理解している。自分は時代遅れだとも感じている。
 だけれども、幾たびの争いを見てきた、幾人もの孤児を抱えてきた彼女にはその決断ができなかった。
 実際に今まで魔導にそこまで興味を持った孤児はいなかったのだから。

「まあ、先生の気持ちもわかる。人は反対の気持ちを持つと合理的な判断が苦手になるからさ」

 それだけ言い残すと、エリアスもまた大きく咳を残して宿舎の方へとこの場を去った。

―·―

 ベルティンとの会話を終え、リーザの説教による追撃を食らった後に、夕食後の水浴びを済ませたカレンとマリは自室に戻った。
 礼拝堂に限らず宿舎も、石造りの壁に杉の支柱で構成されており、仄かな香りと足元がひんやりとするのが特徴だ。
 四人一部屋なのだが、同性かつ年齢の近い者同士で組み分けられているため、今この部屋にはこの二人だけが使用している。
 ステンドグラス風のガラス窓の外では未だに雪が降り続いており、今晩は一段と冷えそうであるが、各々の部屋に小さな暖炉があるので、凍え死ぬということはない。

「冬に水浴びなんてするものじゃないね!せっかく夕飯のシチューで暖まったのに台無し!」
「仕方ないよマリ。水浴びしないと不潔。気温は低くても服の中はしっかり汗かいてるし」
「でもでも、浴槽の水、凍ってたじゃん!リーザは悪魔よ!」

 マリは扉の方に向かって中指を立てると、部屋の両サイドにある二段ベッドの下──羽毛の布団へ飛び込む。

「街じゃ魔法道具使えば簡単にお湯に浸かれるのにさ~、なんでこの時代に水浴びなのさ。昼間の薪割りの意味は~?」
「“魔法ばかりに頼っては怠慢を生む”。ベルティンにまえ教えて貰ったでしょ」
「でもアタシ“たいまん”の意味わかんないよ」
「怠けることだよ。魔法に頼りすぎて人が働かなくなれば、人間は終わるんだって」
「んん~、やっぱよくわかんないよね?便利になるのはいいことばかりじゃん?」
「いいことばかりじゃないのを知ってるから二人は魔法を使わないんでしょ」

 そう言いつつカレンはそのベッド枕方向の横に設置されている机に向かった。
 机の上は図書室から持ち出した本と、筆記用具と白紙、情報が書き留められた用紙が無雑作に散らばり、積み上げられている。
 
 日課の勉強だ。

 進んで難しいことをしようとする、その光景はマリには理解しがたかったが、カレンがそういう人間なのを知っているので今更どうこう言うつもりもなく、筆を動かす彼女を眺める。
 というよりも、彼女のその姿を眺めているのはマリにとって妙に落ち着いた気分になるので、好んでそうしている。
 静寂の部屋にはペンが紙を削る音と、北風が窓に当たりカタカタと鳴らす音だけが響く。

 しばらくこうして黙っていたが、カレンが十ページほど書物を書き写した辺りでマリが無気力に呼ぶ。

「ねーカレン~」
「んー?」
「モーリュ草どうした?」
「食器片付けしてるときにおじさんに渡した」
「そっか~」

 空返事気味に返すカレンと上の空で喋るマリ。マリは仰向けに寝転がる。

「本ってそんなに面白いの?」
「面白いよ。私の知らないことがたくさん載ってる。遠くへ行った気分になるよ」
「ふ~ん……。でもペン動かすのは辛いなぁ~」
「将来の役に立つかも知れないから書いて覚えてるの。知識は宝ってリーザ言ってたよ。マリだってさっき怠慢の意味知らなかったじゃん」
「うう、それは」
「とにかく私は自分のためにやってるの」
「お勉強ねぇ~」

 マリの気力が抜けているのには理由がある。
 日課の水浴びを終えてから消灯までの約二時間、毎日のように机で本と対話しているカレンに相手されないのを少し寂しいと思っているからだ。
 彼女のこの姿が好きだとはいえそれとこれとは別。なので特に脈絡もなく、オチもなくとも浮かんだ言葉で話しかける。
 しかし意外にも次はカレンが口火を切った。

「いつまでもワルプルギスにお世話になるわけにもいかないでしょ。街みたいに勉強するところがあるわけじゃないし、自分でやらないと」
「それはわかってるんだけど。なんか気が乗らないにゃ~」
「マリは興味あることないの?動物とか植物とか地質、建築、数学、言語、歴史、商業……政治……?辺りはちょっとわからないか。王都のこととかさ」
「んん~、動物は興味あるかも」
「そうだね、そういうと思ってた。マリは体動かすの好きだしフィールドワーク向いてるよ」

 そこで焼き石に触れたように「あっ」と声を出すマリ。

「お星さま見るのは好きだなぁ~。あの光を見てるとすごく勇気貰えるんだ」
「天文学か。へえ、どうして?」
「世界中の誰もが夜空を見上げたとき、そこにいつもあるじゃない?みんなが同じものを見られるって素敵だと思うの」
「確かに。魔力の起源はあの光、なんとも言われてるくらいだし」
「どこにいたってお星さまが心を繋いでくれる気がして、頑張ろって気持ちになる」

 マリらしい、前向きな発想だった。

「じゃあ天体の本……星座なんてどうだい」
「おおー!それ見てみたい!」

 カレンは重なった本からジェンガの要領で「星と星座と魔法」を抜き取って見せてみる。

「幾億もある星にはそれぞれ物語があるんだよ。その中でも星座は特別な星だ」
「へぇ~、昔の人たちの伝承を空に残したんだね。蟹座なんて、英雄に踏まれて死んだから空に召されたんだって!ふふっ、おもしろ!」

 勉強の小休止と言ったところか。
 今度はカレンがにこにこ笑顔でページをめくるマリの様子を頬杖をついて眺める。文字は殆ど読んでいないようだったが、それでも学びに興味を持ってくれたのはカレンにとって嬉しいことだった。

「私は獅子座が好きだな」
「ライオン!」
「その英雄が旅の最初に戦ったと言われる獅子だな。最硬度の皮膚とそれを引き裂く爪、まさに最強の矛と盾として英雄の装備となったらしい。格好いいだろう」
「王都の魔法組織もシンボルがライオンだったよね!」
「ああ、グリモアーツにおける武の象徴だな」
「憧れるなぁ~」

 そして全天88星座の中でもマリは、特にはくちょう座が気に入ったらしい。それもそのはず、マリの性である“シグナス”は白鳥座の意味があるからだ。
 初めてこの事を知ったマリは、カレンにペンと紙をすぐさま貰い、意気揚々と白鳥座の図と説明を書き出す。
 それに、グリモアーツの制服も。

 けして上手くはないが、絵を描くのは嫌いではないらしい。

「夢は魔導使になることだね、マリ」
「うん!カレンもでしょ?」
「もちろん」
「お互いがんばろーね!」

 この頃から漠然とだが、二人の間には王国に設立された最高の魔法組織であるグリモアーツの魔導使となることが夢になった。

「グリモアーツは、軍隊のトップと言うことだが、正式には魔法の研究機関らしいよマリ。だからやっぱり今から勉強はしなければだね」
「うう~、そうだよね……頑張ってみるよ……」

 どうしても勉強という単語が苦手なのか、「頑張る」の調子がこうも違う。口を尖らせて再び仰向けになる。
 
 両手を前に広げたマリの影が壁に揺らいでいる。
 それを見て、カレンは蝋燭が半分近くになっているのに気づいた。ここワルプルギスで、水浴び後に子供達へ渡される蝋燭は2日に1本という決まりがあり、半分、というのは消灯時間を示していた。
 
「今日は早かったな」

 伸びをして椅子から立ち上がるカレン。背骨をポキポキ鳴らす。
 室内の上と下で温度がかなり違い、足元が冷えたので、床につくのを急かした。
 しかしそれを遮るかのように、思いもよらぬタイミングでドアがノックされる。

 この時間にはベルティンもリーザも巡回には来ない。当然、不思議に思った二人は顔を見合わせて首を傾げた。
 カレンが扉に手をかける。

 「誰だろう?」

 その質問に対する答えはすぐに返ってきた。控え目な声だ。

「俺だ、カレン、マリ」

 声を聴くなりドアを開け放ち、マリも予期せぬ訪問客に体を跳び上げた。
 普段はこんな時間に来ることがないものだから、廊下の冷たい空気すら気にせずエリアスを囲って喜んでいる。

「どうして?ねぇどうしておじさんが?あ、もしかしておじさんが見回りの当番になっちゃったとか?」
「違うでしょマリ。ね、おじさん、モーリュ草どうだった?美味しくはないだろうけど……でも、一生懸命採りに行ったの!」
「薬草なんだから美味しくないに決まってるでしょ!」
「だからそう言っただろう!ちゃんと聞いていたのか!?」
「なによー!おじさんにお礼言って欲しいなら素直に言えば良いじゃんバカレン!ね、おじさん!」
「姑息だぞバカマリ!おじさんに同意を求めるな!」

 何故か論争が始まってしまいエリアスの目線は右往左往。

「ちょ、ちょっとストップだ二人とも!」

 フクロウも眠るような時間に、よくもこうテンションの高い、と困ったので二人の背中に手を回して無理にでも一緒に部屋に入る。
 ドアを開いたままでこんなことされては、またベルティンとリーザに叱られてしまう。

 感性を高め合うのは大いに結構だが、カレンとマリは言い争いを始めると周りが見えなくなって、それに歯止めが利かなくなることが短所と言うべきだろう。

「ま、価値観をぶつけ合うのは魔導使の素質の一つかもな……」

 ドアに背をつけ、へたり込んでぼそりと呟く。
 そしてやはり少女両者、開口一番に放った疑問は「どうしたの?」だった。双子かと錯覚するくらいに息がぴったりだった。

 ベルティンにああは言ったものの、エリアスにはどうしても気になることがあった。
 このワルプルギスでは極力、孤児たちに魔法と関わらないような生活をさせている。それはベルティンの希望によるもので、理解もしている。
 実際に魔導に関する書籍は孤児院のどこにもないし、五大元素を用いた簡素な魔法はおろか、無属性の魔力を持つものなら誰でも扱える魔法すら彼女らは使っていない。
 外から来て魔法を教わったエリアスとはワケが違う。
 
「一つだけ二人に訊きたいことがあってな」

 二人はまじまじと見詰めて、「うん」と首を縦に振る。

「どうして魔法を覚えたいんだ?」

 その思いがけない質問に、少しの間フリーズしてしまう二人。なぜなら、彼の魔法を見たことも解説された事もあるが、少なくとも彼はベルティンの「魔法を教えない」という側に立っている者だと思っていたから。

「それ……」

 やはりこういう時はカレンの方が反応が早い。マリは意外とごちゃごちゃ考えてしまうタイプなので言葉よりも身体が先に動いてしまう。
 その証拠に、視線が隣に座るカレンの顔と正面のエリアスを行き来している。

「どうしてそんなこと訊くの?魔法を教えてくれるから?それともまた『そんなものに興味持っちゃダメだ』って怒るため?」
「あっ……」

 後者になることを不安に思ったマリが口元に手をかざして眉をひそめる。

「や、心配しなくて良いよマリ。怒ったりしないから。……うん、そうだな、単純に興味があるんだ。なぜそこまでして魔法に拘るのか」

 この二人に限って「ダメだと言われたから逆にやりたい」なんてこともないだろう。

「……私は……今のおじさんと同じ」
「俺と……?」
「うん。“単純に興味がある”から学びたいんだ。それで、その上でいつかワルプルギスを出たときに魔法で誰かを救いたい。そうでしょマリ」

 おおよそ僅か十ばかりの少女の返答とは思えなかった。

「そうそう!アタシはカレンと一緒に魔導使になって、魔法を勉強して、それで……そう!街で暮らしたいな!できれば王都!この広くて狭い森から出るのが夢なのかも!」

 カレンの根底にもこの気持ちはあるのだろう。
 でもあえてそれを主張しないのが彼女の賢さ。
 自分のことのように周りの意図を発信してしまうマリ。それでもいつかそれを成してしまう気がして、期待せずにはいられない。

「……うん。でも真面目に言うとね」

 そして二人は息を揃えてカレンから交互にこう言う。

「私達は魔法で家族も故郷も失った」
「でも壊す魔法があるなら治す魔法もある」
「だってベルティンもリーザも私を助けてくれた」
「アタシだって助けてもらったもん」
「……覚えられる力を覚えなくて、使わなくちゃいけないときに使えなくて、また誰かを失って泣いて死にたいほど後悔したくないから。そんな思いをさせたくないから」
「アタシ達が魔法を覚えたいのは誰かのため。例えばそれが自分でもカレンでも」

 強く、真っ直ぐで淀みのない瞳。
 彼女らは自分たちが思っているより遥かに大人だった。素質があった。
 ベルティンは、魔法による争いを理由に孤児たちを魔法から遠ざけていたが、カレンもマリも魔法による争いを理由に魔法の知識を欲している。
 自分たちにできることがあるはずだ、と考え始めていた。

 それからしばらくだんまりしていたエリアスが穏やかに笑顔を作ると、二人に掌を見せるように言った。

「……そかそか。なら、先生の手前俺が魔法を教えることはできないけど……」

 そう言いながら両耳のピアスを外し、片方づつ両者に渡す。エリアスの掌は、二人のそれを覆うほど大きかった。
 マリは不安と喜びが交じった瞳で彼を見上げる。

「え……?おじさん、これ、おじさんの大切なものなんじゃ……」
 
 エリアスの家に伝わると聞いていたエメラルドと金の装飾が施されたピアス。些細な傷を治し、魔力吸収の効率を高める回復魔法の術式が付与されており、護符としての効果がある。

 彼は首を振り、握っている手を力む。

「いや、いいんだ。大切なものだからお前たちに渡すんだ」
「大切なものだから?」
「おじさんは二人の傍にはずっとは居られないから。だから、寂しくないようにこれを持っていてほしい。それと、魔導使になったときの前祝いだ」
「でも……」
「マリ、貰っておこう」

 カレンはもう片方の手をマリの手に被せ、彼女を宥め、エリアスに「ありがとうおじさん」と伝える。
 この行為で、もうすぐエリアスがこの孤児院を離れるんだろうという解釈に至った。

 そして間もなくエリアスは二人の部屋を後にした。
 それから床についたマリは泣いているような震えた声で「おじさんとお別れなのかなぁ……もう会えないのかな、これ渡されたってことは」と。
 ベッドの上段にいるカレンは涙を流しているかは定かではなかったが、多少のショックはあったため、反応できずにいた。

「……寂しくないのバカレン……」

 早朝、予感通りに彼の姿は孤児院から消えていた。
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