亡国のグリモア外伝

赤井ハコ

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外伝【黒炎、星拳、その原点】中編

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 バルティナの森の長い冬が明けようとしている。
 白の景色は相変わらず、それでも各地に青葉が垣間見え、沢は澄んだ雪解け水で増水していた。蝶が飛ぶ程ではないが、鳥はよく見かけるようになった。
 
 エリアスが孤児院を離れてから四月ほど。

 早朝から子供たちの元気な声が、孤児院の前にある広場から鳴り響いていた。この時期の澄んだ空の影響か、よく通る。
 朝の運動を終えて、朝食までの間の自由時間だ。

 そんな中、孤児院の壁に隣接されている石造りの長椅子に、マリの姿はあった。
 わんぱく少女が珍しく本を熱心に読んでいる、と思うだろうが、実はここ数ヶ月前からこのような調子である。

「ほんほん……ここがこうなってこう繋がるとこういう運勢。今日のアタシは絶好調ってか?……あれ、カレンの誕生日いつだっけ?ん。ホロスコープはもう完璧かな~?んー、でもシュクヨーケー……?東方の占星はよくわかんにゃ~」

 柄にもなく小声で呟き続けている。途轍もなく早口で。
 初めは孤児院のメンバーに心配されたこの変貌っぷりであったが、みんな子供なのですぐに慣れてしまって、ベルティンもリーザも、「あのマリが勉強している」と感心して今は特に気にされることもない。
 が、中にはからかうのが好きな子もいるようで、そんな彼女の姿を面白がって、一つ下の孤児であるバイスはちょっかいをかけにくる。

「またマリが本読んでら!鶏頭は三歩歩いたら忘れちゃうだろ、無駄だからやめとけって!そんなもんより追いかけっこしようぜ!」

 全く無警戒のマリから本をすいっと取り上げると走り出して広場の輪の中へ入っていく。

「わっ!ちょっとやめてよバイス!」
「やめてほしかったら取り返してみろバーカ」
「あーっ、もう怒ったからね!!」

 朝食の準備を手伝って後から外に出てきたカレンから見たら、マリも共に遊んでいるように見えた。

「……マリ……彼女は外に出るときに本を持っていったハズだが……?」

 やはり飽き性なのだろうかと、呆れたように瞼を伸ばす。そして腕組みをして木製の扉の前に立ち尽くした。

「あれは遊んでいるということでいいのかな?」

 すぐ足元でままごとをして遊んでいたエイミーに、視線はそのままで尋ねる。

「んーん?バイスおにーちゃんがマリおねーちゃんの読んでた本を取ったんだよ。それで、マリおねーちゃんが追いかけてるの」
「ああ、バイスのかまってちゃん……納得」
「カレンおねーちゃん、もうすぐ朝ご飯?」
「そうだな。そろそろ食堂に向かってもいいんじゃないか」
「うんっ、わかった!行こ、メアリーちゃん、リズちゃん!」

 少女たちは、待ち侘びた食事を嬉しそうに駆けてゆく。カレンは彼女らの残した道具が邪魔にならないように、シートごと半分に畳んで再び腰を上げて言う。

「朝食を摂ったらしっかり片すんだぞ」
「はーい!」

 それを見送った後、マリの座っていたであろう椅子に置いてある本を手に取って進んだ。
 その時ちょうど風のように通りかかったバイスの襟を掴み、急ブレーキをかけたマリの頭を本で軽く叩く。
 バイスはえずき、マリは腰から転けた。

「いったーい……」
「おえっ、な、なにすんだカレン!」
「朝食の時間だ。いつまでもマリをからかってるんじゃない」
「柄にもないことしてるマリが悪いんだろ!アホはアホらしく一緒に遊んでりゃいいんだよ!勉強なんて得にもなんねー……」
「柄にもないって何よ!アタシには夢があるんだから!アンタに馬鹿にされる筋合いはないもん!」

 ムキになって反論するマリ。
 バイスもバイスで「絵本読んでるだけで何が勉強だよ!」と、星座の図や対応表を見て言っているのだろう。
 ただ、本気でマリをバカにしているような風ではなかった。

 なるほどそういうことか。
 カレンは見え透いた彼の言動が面白おかしくて、逆にからかってやりたくなった。

「そうか、そうなのか」
「なんだよ……」
「そんなにマリに相手してほしいのか?他の子と遊べば良いだろう?最近彼女へのちょっかいが酷いな。気になる子とは遊びたいものな?」
「えっ……!そ、それは……」

 無意識ではないだろう、だから林檎のように顔を赤らめて両者から視線を外すバイス。

「えっ、なに何のこと?」

 マリがもっと早く気付いてやれば、察しが良ければここまで拗れなかったものを、とため息を鼻から溢す。眠そうに。

「マリは黙ってて」

 そう言ってバイスの肩に腕を回して少し離れた森の前に連れていく。

「そういう気の惹き方は嫌われるぞ」
「は!?別に好かれるとか嫌われるとかそういうんじゃ……!」
「ダメだなバイス。キミは嘘がヘタだ。もっと上手く立ち回れ。マリは素直だから、嫌がらせすればそのまま受け取ってしまう」
「……そんなこと言っても仕方ないだろ……最近のマリはなんか変だ。本なんて一度も読んだことないようなやつだったのに。一緒に遊ぶには意地悪して気を惹くしかなかった」
「子供だな。もっとよく考えてみろ」
「うーん……どうすれば……。カレンはどうすればいいと思う?」
「……それだ」
「え?」
「私には素直にできるじゃないか。そうやって真っ直ぐ向き合ってストレートに言えばマリには伝わる」
「あ」

 盲点だったと言いたげに目を光らせてこちらを見てくる。カレンからすれば常識の範疇で、今更何を、という話だったが。
 だからそれ以上に気になったことがある。

「で、どんなところを?」
「はい?」
「だ、か、ら、マリのどこが良いんだと訊いている」
「あー、うわ~……」

 バイスは面倒くさいと思った。ものすごく面倒くさいやつに目を付けられたと思った。
 逃げ出したかったが、この歳の一歳差は男女とあれど大きく、ましてやグリモアーツが夢で、鍛えているカレンから逃れられるような力は、彼にはなかった。

―·―

「はっはっは!傑作だなマリ!」

 孤児院の食堂を南北に横断する長いテーブルの端、その椅子の真ん中に座って、猫のような表情で笑うカレン。

「よしなさいカレン、お行儀が悪いわ」
「ごめんなさいベルティン」

 朝食中に堪えきれなくなって注意される。

「だって……」

 あの後、どういうことなのかマリに追求され逃れられなかったバイスは、その心の内を彼女に明かすことにしたのだが、即答で拒否されてしまった。
 それを眼前で披露されたので、笑ってはいけないとは思いつつも我慢しきれず、マリの顔を見るたびにその光景が脳裏に蘇り、吹き出すのだ。

「ひでえよカレン……」

 正面でスープを啜るバイス。半泣きだ。

「バカ言わないで。マリに好かれるように振る舞ってこなかったバイスが悪いんだ。私はきっかけに過ぎないよ」

 意外にもいじめっ子適性のあるカレン。
 院の他の子たちよりも知識があるので、自然と言えば自然かも知れない。
 けらけらしているカレンの隣でマリが不満げにパンを頬張る。

「もーカレンやめなよ。アタシだってビックリしたんだから。まさかあのバイスがって」
「でも即決したじゃない。『ごめん、そういう風には見られない』って。普通だったら『考えさせて』とか言うところでしょ」
「いやそれは無理でしょ」
「どうして?」

 口の中を空にして答える。

「アタシもバイスも子供じゃん」

 納得。
 マリは、その天真爛漫でやんちゃな言動に対して、確かな考え方を持っているようだ。
 そういうのは大人になってから、と。
 カレンは「返す言葉もない」とつまらなそうに肘をテーブルに立てると、再びベルティンに行儀が悪いと注意される。
 恐らくこの孤児院でマナーについて最も注意されたのはカレンだろう。おかげで数年後には見違えるほど、見本になるほどになった。

 しかしこれ以上ふざけていても、リーザの怒りに触れてお手伝い倍増になる可能性があったので、黙々と食事を進めることにした。

 その沈黙を破ったのは誰であろうバイス。
 朝食の残りもミルクのみに差し掛かったところで、彼がグラスをテーブルに叩きつけて怒り気味に宣言した。
 唐突のことで全員がそっちを向いた。

「……っ!」

 視線を感じて一瞬だけ尻込みしたが、すぐにマリを指差す。

「だったら!大きくなって強くなって頭良くなったらその時はもう一回考えて貰うからな!ガキとか言わせねえくらいになってやる!俺が好きになったのはその綺麗な紫の瞳と明るい性格だからな!そこは変わらねえだろ!」

 場は騒然としながら、冬が戻ってきたのではないかと言うほどに凍り付いたような空気に満ちた。
 ベルティン、リーザのみが温かそうな笑顔で「あらまあ」と。
 バイスの顔が真っ赤に染まったかと思うと、誰の反応も受け付けないぞと言わんばかりに食器を持って台所へ直行。食器洗いの当番でもないのにそれを片し、そそくさと食堂から去っていった。
 その瞬間にたちどころに子供たちから彼への反応を示すヒソヒソ声が聞こえ始める。

 大人二人はそれを無理に止めさせることもないと思い、手を叩くと「はい、おしゃべりもいいけどご飯の後は朝の掃除よ」と朝食を促して台所に向かった。

 それを眺めながらスープを飲み干すカレン。

「だからって好みの男はいるでしょ」
「気になるの?」
「いや、全く。そんなこと考えて生きてない」
「へぇ~。アタシは将来、恋人とか欲しいけどな~」
「ま、普通はそう考えるよね」
「あ、でもでも、エリアスおじさんみたいな大人の男性にはちょっと憧れるな~」
「ほー。たしかに一理あるね。付き合うなら年上?」
「アタシはそうだなぁ」
「ふふ、意外と楽しそうだね」
「カレンもそう思う時が来るって」
「だと嬉しいよ。ただまあ、別にいなくてもそれなりに生きられるし。マリがいるから、退屈はしないだろうね」

 正直な話、孤児院の狭い生活の中でも人間関係が面倒だと感じ始めていたカレンは、マリさえ一生の友人でいてくれればいいと思っていた。マリにそれを強要するつもりは微塵もないが。

「私はマリを見てるのが好きだよ」
「えぇ~、なにそれ。アタシのこと好きってこと?」

 若干照れくさそうに笑いながら食器を重ねるマリ。

「好きだろう。でなきゃつるまない。もっとも、異性への恋とは違うと断言はできるけど」
「アタシもかな~。アタシもカレン好きだよ。頭いいし気を使わないし、夢が一緒だし、優しいし、賢いし、格好いいし、可愛いし」
「私はそういうバカっぽいところが気に入ってる」
「どこが!?」
「ほら、気づかない」
「もしかしてバカにされてる?」
「されてるさ」

 二人ともこういうやり取りがとても楽しかった。院でも最年長の二人は、両者とも本当の意味で対等なのはお互いだけだと思っているから。
 バカにされて噛みつくマリに対して、読んでいたと言わんばかりに見事に受け流して立ち上がるカレン。
 もはやお決まりのくだりだ。

「ほら、またグダグダしてるとリーザに叱られる。とっととやるよ」
「にゃー!!」

 カレンは座っていた場所のテーブル拭きを、マリは二人分の食器を洗い、自分達の後片付けを慣れた手付きでこなす。
 今の彼女たちは活力に溢れている。
 夢が夢だけに、毎日の食事や掃除からして自分を鍛えるものだと一生懸命になっている。読書に運動、字の練習から食料の調達、時には野鳥の生態を調べようと一日中追い回したり、やることが尽きなくて忙しない。

―·―

 午前9時。
 緋色の朝焼けが銀色の日光に変わる頃、風呂掃除の当番を終えたカレンは木編みの手提げ、マリは2本の釣竿を持って揚々とワルプルギスを出た。

 冬が明けて活動範囲が解放された今日の2人は、たくさん山菜を採るのだと張り切っている。
 山菜といっても野苺や木苺、ブルーベリー等のベリー類やハーブ類が殆どだが。
 それでも長い冬で蓄えた知識と自然の恵みを照らし合わせるのが楽しみで、彼女らの心は踊るように跳ねている。特に冬季に危険から行けなかった渓に下ることが出来るようになったので、日が暮れるまで沢周辺を観察するつもりでいる。

「カレン!ちゃんとパンとハム2人分ある!?」

 出発早々、小走りに先を行くマリが尋ねる。

「もちろん籠に入れたとも!それからスケッチブック、木の実図鑑と、香草図鑑と、淡水魚図鑑と、それから……」
「ちょっとカレン!そんなに詰め込んだの!?そんなに入れたら採ったもの持って帰れないじゃん!」
「問題ないよマリ、枯れ木を編むのはさんざん練習したじゃないか。現地調達!」
「にゃ!嫌だよぅ!細かい作業苦手なんだアタシ。知ってるでしょ!?」
「甘いよキミは!苦手はなるべく克服すると約束したろ!」

 グリモアーツの魔導使になると誓ったことだ。

「くぅ……!そう言われるとどーしよーもない!」

 そんな問答の矢先、カレンが木々の隙間から遠くに見えた爪痕に気づく。

「マリ、何年もこの森にいるからわかってると思うけど、今は春だ」
「……!そっか、熊に気を付けないとね」
「うん」

 例えば成人男性の魔導使ならば、一般的な猛獣を撃退するのに難しくないだろう。
 しかし彼女らはまだ10歳だ。警戒を怠って縄張りへと侵入すれば、たちまちその餌食となる。
 ので、一応腰から鈴をぶら下げている。

「ま、いいや。や、よくはないけど急ご!1日なんてあっという間なんだから!」

 マリは更に走るスピードを上げて渓を駆けていった。
 子供ゆえの無尽蔵の体力。集中するとスタミナゲージが減らないらしい。
 最も、カレンも読書を始めると周りの音が聴こえなくなって、何時間でも椅子に座っているが。

「はぁ、はぁっ……。さ、流石に速いねマリ……」

 1時間弱といったところか。ようやく谷底の沢につくと、少し遅れて来たカレンが息を切らしながら、水を両手いっぱいにすくってゴクリと飲み干す。

「ぷはっ、雪解け水だ。美味しいな」
「ねーっ。あ、あそこよさそう!」

 着いたばかりだというのに忙しなく川沿いを下っていったマリは、倒木がちょうどベンチになりそうで、池状に広くなった沢のある河原に走り、万歳してピョンピョンしている。
 彼女、フィジカルだけは一流だと思った。

 それはさておき、実際にロケーションは最高だ。
 気温も湿度もちょうど良く、低めの土手から伸びた大木のお陰で直射日光も抑えられる。
 来るときはマリを追うのに必死だったし、坂だったので気付かなかったが、すぐ上流に小さな滝もあって風情だ。
 鏡のような水面が弾け、カワセミが翔んでいった。

「さーてと、まずどうしようねカレン?」
「うーむ。とりあえず火を起こそう。いつ川に入ってもいいように。それと……」
「ん?それと……?……あ、わかっちゃった!カレンったら、早く魔法使いたいんだ!ベルティンいないときにやるの初めてだもんね!」
「お……皆まで言わないで……」

 珍しく頬を赤らめるカレン。子供っぽさは、当時の彼女にとって恥ずかしいことだった。

 2人が魔法を学び始めたのは冬の真っ盛り。エリアスが去ってすぐだ。
 もちろん他の孤児たちには内緒で。
 2人の熱意と、エリアスの後押しもあったらしく、ベルティンが折れたのだ。
 といってもまだ幼いので、基本的な元素系の精霊魔法しか教わっていないし、体力作りに重点が置かれている。
 ベルティン曰く、「健全な魔法は健康な肉体から」らしい。

 そしたらカレンは手提げに手を突っ込み、スケッチブックを取り出す。 
 そこから1枚破りとり、一緒に出した木炭で魔方陣を描く。
 それは2人が初めてベルティンに教わった火の魔法だった。
 二重円の間に文字を並べ、それをベースに五芒星ペンタグラムを配置。最後は中心に火の記号を描いて準備万端。

「大丈夫かなカレン……」
「なにを弱気になっている。あれだけ練習したんだ、きっと上手くいく」

 石の上にその紙を起き、あとは魔力を込めるだけだ。
 カレンの、かざした小さな両手が熱を帯びていったのがマリにも見てわかった。
 刹那、中心が弾けるように発火。円形に紙が灰へと変わっていく。

「やった!マリ、ベルティンがいなくてもできた!」
「わ、わ!すっごいよカレン!自分達だけで魔法できたよっ!」

 しかし紙切れ1枚ばかりではすぐに燃え尽きてしまい、灰は風に飛ばされてしまった。

 魔術で起こした現象が魔法と定義付けられる。
 人間は大気から摂取した魔力を変換して魔術を使い、そして発生した魔法は、目に見えぬ精霊に分解されて大気に還って行く。

 すなわち、魔法は魔力を込めなければそこに留まることはないのだ。
 ただし、火魔法で燃やした紙は、紙が燃え尽きるまで消えたりはしない。紙の燃焼と、精霊による分解が等しく作用するからだ。

「カ、カレン!」
「うん、ベルティンに教わった通りだ。急いで薪を集めよう!幸い晴れ続きだからね、すぐ終わるさ!」

 そうして数分。
 初めて魔法で焚き火をすることに成功した二人。その特別な炎の色と温度を、2人は生涯忘れることはなかった。

 後でマリも同じ要領で魔術に挑戦してみたが、カレンほど上手くはいかなかった。
 しかしそれが魔術自体の得手不得手なのかはまだわからなかったが、魔法には属性があって、使用者の魔力傾向に大きく依存すると教わっていたので、特に落ち込むことはなかった。

「火種も確保できたし、昼ごはんまで釣りでもしよう。それとも分業する?」

 しゃがんで両手を焚き火にかざしていたマリが、向きはそのままで尋ねる。
 木の実図鑑を広げ、少し足が浮く程度の倒木のベンチに座っていたカレンは、前後に揺らしていた足を止め、図鑑を閉じつつ河原に降り立つ。

「キミから分業なんて言葉が出るとはね。驚き桃の木山椒の木だよ」
「ええ……?またアタシのわかんないこと言う……」
「はは、感激しているだけさ。勉強頑張ってるなぁ、てね。……ま、ともあれ分業はしなくていいと思うよ」
「効率はいいの?」
「おバカだなキミは。どのみち2人でやれば作業量は倍。言ってもまだまだ私たちだけでは危険が多いし、なるべく一緒に行動した方が賢い」

 珍しく煽りに反応せず即、納得したマリ。
 何故なら自分で持ちかけておいて、実はカレンと一緒に行動したかったのはマリの方だったりするから。それではと、倒木に立て掛けておいた釣竿のもとへ駆け、それを渡す。

「はい、カレン!」
「ありがとうマリ。だが、肝心のエサが見当たらないな」
「ぁ……」
「忘れたのかい?」
「あはーはは……。……おっしゃる通りで」
「バカマリ」
「ちょっと!!」

 キレた。逆ギレだ。

「バカって2回言った!いちいち煽らないでよ!」
「ごめんよマリ。でも、本当のことだ。だって私なら私にバカって言わせない」
「そりゃカレンはカレンだからね!」
「おお、意外と目ざといな。そこに気付くとは。「またわからないこと言う~」って言うかと」
「んおああ!いいよもう!エサがあれば問題ないんでしょ!どーせアタシはドジでマヌケなバカマリですよ-だ!」

 そっぽを向いて石をめくり始めるマリ。寂しそうな背中をしているのがわかった。
 カレンの賢い部分に憧れている反面、それに満たない自分に多少のコンプレックスがあった。それが、ちょっとした弾みで出てしまった。
 急にキレるなんてと、カレンも土手沿いの岩陰で、土を掘り返してエサのミミズを探す。
 
「マリー、見つかった?おーい……」

 カレンの呼び掛けに無反応だ。

「なにも無視までしなくても……」

 いや、流石に意地悪し過ぎただろうか。
 マリはキレても能天気だからすぐ許してくれる。なんて考えは良くなかったのだ。
 誰だってくどく欠点を指摘されたら嫌だ。子供だからって、配慮がなかった。
 反省だ。
 しゃべる前に一旦、間を置いて考える癖をつけよう。
 悪いのは完全に自分だ。
 バツが悪くなったカレン。ミミズを数匹とったので、成果と共に謝りに行く。

「マリさっきは悪かったよ。これまでも、さ。ごめん。……人間なんだから至らないとこもあるよね……。バカにするんじゃなくて、そういうのを助け合ってこそ友達だった」

 しゃがむマリの足元にあるエサ籠にそれを入れ、彼女の隣で同じ体勢になる。
 そして、すごく怒っているんだろうなと、彼女の顔を覗き込もうとした瞬間、顔面に冷たい衝撃が走る。

「わはははっ!やーい引っ掛かった!仕返しだ!」

 襟元から前髪にかけてびしょ濡れになってしまい、水滴を拭う。マリが沢の水をかけてきたのだ。焚き火があるとはいえまだ冷たいのに、追ってきてみろと言わんばかりに彼女は靴を脱ぎ捨てて沢に入っていく。
 飛沫が木漏れ日で煌めく。

「この……!キミはまたそうやっ……」

 否、そうじゃない。
 "仕返しだ"。そう、自分には反省するところがあっただろう。
 カレンは次の言葉を中断し、やはり謝罪の言葉を述べた。

「まーあ許すけどぉ?だってそもそも忘れたのアタシだし。ちょっとイラッときたけど、嫌いになるような出来事じゃないし?」

 それに――と、エサ籠を見るよう促し、胸を張る。

「カレンに出来ないこと、アタシになら出来るもん」

 ミミズを入れたときにはマリのことばかり気にして見落としていたが、そこにはカゲロウの幼虫がうぞうぞと一杯に入っていた。

「さ、流石に気持ち悪いな」

 ある程度の虫になら慣れているが、この数は抵抗がある。30匹くらいだろうか。
 なんと、教わった魔力の使い方を応用して、地面に手を当てたときに感じる幼虫の気配を察知し、いとも簡単にここまで集めたという。
 天性の才能というやつだろう。
 実践的なセンスと発想力は、マリに軍配があがったようだ。

「もしかして、魚の位置もわかったりするの?」

 カレンが問う。

「わ、それは考えてなかった。やっぱり持つべきはカレンだね」

 それを聞いたマリはエサ籠を持って、彼女の手をひく。
 そして魚を逃がさないようにそっと人差し指を水面に突き立て、じっと集中。
 しかし結果は、失敗に終わった。

「あれ~?おかしいな……。いっつもはなんとなくだけどわかるのに……。まさかお魚いないのかな」
「……ふむ……。そういえばさっき、私に水をかけた奴がいたような……」
「ん……?」
「キミだよ。水面を思い切り弾いたじゃないか!」
「わわーっ!そうだった!あれで逃げちゃったんだ!」
「バカマリ!」

 今度ばかりはカレンの言う通りバカなことをしたと、あたふたする。
 優れた野性的センスとは裏腹に、後先考えずに直感で行動することの欠点はまだまだ治りそうにない。カレンも、これは苦労するぞ、と思った。
 
 仕方ないので、少し沢を上った流れのある場所で獲物を狙うことにした二人。
 じっとすることが苦手なマリをカレンは心配しつつ、ただそれも杞憂だったようで、すぐに彼女の竿がピクリと反応。15センチほどのマスが釣糸の先にぶら下がって跳ねている。

「やったぁ!」
「いいサイズだねマリ。食べるには丁度いい」
「10匹くらいいればダイジョブだよね」
「ごーごーか。まあ、孤児院から持ってきた昼食も加味すれば妥当だと思うよ」

 食べ盛りの2人には多すぎず少なすぎずのようだ。
 春先なので魚の食いつきがよく、目標の数にはすぐに達した。太陽が真上に来る少し前に。

 そして丁度、時計が12の針を指した時間。
 魚の内臓を処理し終わり、火にかけ始め沢で手を洗っていたマリが戻ってくる頃、またカレンも茂みの隙間から顔を出した。
 今度は分業したようで、マリはいわずもがな、カレンは昼食用に香草とベリーを10分ほど採取しに行っていたのだ。

「どうだいマリ。下処理まで……」

 しかし最後まで訊くことなく、焚き火の周囲に立てられたその様子を見てこちらの成果も提示する。

「立派な菩提樹があったんだ。せっかくだから魚が焼けるまでお茶でもしよう」
「うわお。カレンってばオシャレぇ~」
「それと野イチゴもちょっとだけ。まだたくさん生えてたから、持って帰ってジャムの作り方教えてもらおう」
「いいね!リーザのタルト美味しいんだよね!」
「あ、でもその前に」

 カレンはスケッチブックを再び取り出すと、さらさらと採取したもののラフ画を1種類ずつ描いてゆく。
 物体の構造をよく知り、よく覚えておくことが、何でもいい何かしらの役には立つという彼女の持論だ。実際に触って描いたものは、そうでないものよりも覚えが早いという経験則でもあった。
 味、香り、触感といったものの正負のイメージが魔法に影響することは少なからずあるし、知見を広めるといった意味合いもある。

「よーし」

 スケッチブックを閉じた頃、木製のコップに入れた水が沸騰していた。菩提樹の葉、野イチゴを使ったカレンマリブレンドだ。
 直接火にかけられないので、焼けた石を入れて沸かしたせいで灰や土が多少は浮かんでいたが、それを気にするような2人ではなかった。

 穏やかな昼下がり。自然と互いの間に流れる時が遅くなっているのを感じた。雲の動きは変わらないというのに。

「おいしーねぇ……」
「うん。滅多に院じゃお茶なんて飲まないしね」
「……カレンがさぁ、孤児院にきてアタシは幸せだよ」
「唐突だ」

 それもそのはず。
 ふと口にした台詞だったから。
 もちろん、"カレンが孤児になったこと"を喜んだ文脈ではない。

「……」
「カレンが他の子だったら今のアタシはいない。カレンのお陰でいろんな事に触れてるよ。……って言ってもまだ語れるよーな歳じゃないけどさ」
「人生に歳も糞もないよ」
「言葉遣い直しなよ……糞なんて言っちゃいけません」
「はは。でも本当さ。経験がその人の人生だ。断言出来る。世界には私たちよりもっと薄い人生の大人だっている。それくらいワルプルギスでの生活は充実しているよ」
「だとしたら、人生を濃くしてくれたのがカレンってこと」
ってこと?」
「やははーっ。そういうことかもね!」

 ふわふわとタンポポの綿毛が舞っている。
 お茶を飲み干したマリは、ぴょんと立ち上がり、焼き魚の刺さった枝を手に、それを頬張る。
 どうやら上手く火が通っているみたいだ。親指を立ててカレンにも手渡す。
 それから持参のパンやハムも一緒にたいらげた。

 お腹が膨れた2人は、眠くならないよう伸びをして駆け出す。
 カレンが見つけた森の開けた場所に向かったのだ。
 そこには小さな花畑が広がっており、向かいには崖、中央辺りには件の冬菩提樹が聳えていた。

 暖かな陽気の中、しばらくそこで野鳥観察や山菜採取を楽しんでいた2人。
 しかし異変に気付いたのはマリの方だった。

「あれ……?なんか、さっきから鳥が1匹も飛ばなくなったような」
「気のせいじゃない?だってまだ日没には早いし」
「そりゃ、まだカラスは山に帰ってこないけどさ」
「私たちが騒がしくしていたからだと思うけど」
「でも……」

 こういう彼女の不安が当たることを知っていたカレンは、隣に並んで同じように木々のてっぺんや空を見渡す。
 なんと、本当に鳥の飛翔はおろか、鳴き声すら聞こえなくなっていた。

「なんだろう……?今夜雪か雨でも降るのかな」

 一抹の不安を感じたカレンが深呼吸。続けて口を開ける。

「どっちにしたって今日はもうワルプルギスに戻った方がいいかも。動物たちが普段通りの行動をしないのは何か感じてるからだよ」

 野生生物の勘は時に占い師の未来視すら出し抜くことさえある。最近になって占星術を理解してきたマリだからこそ、その事はよく知っている。
 魔力に満ちる世界では、直感は正答に等しい。

 まだおやつ時。
 日没には早いので物足りない気持ちもしたが、ベルティンと「些細なことでも、心に引っ掛かったらすぐ対策しなさい。手遅れになる前に」と、2人の歳に見合わない約束ごとをしたので、荷物を回収しに川原へ戻る。

 帰路に着くと、やはりすぐに異変が森のあちらこちらにかいまみえた。移動に使っていた獣道を進んでいると、マリが微かな震動を感じる。
 木の枝にいたリスが隠れるのを見た2人も、道の脇にはけて茂みに姿を潜めてみた。

 すると震動が徐々に大きくなり、南方から鹿の群れが、すぐ近くを駆け抜けていく。
 2人の存在に気付いていたはずにも関わらず、気にもとめずに走る様は、何かから逃げているようにも見えた。
 
「森の南で何かあったのかな」

 マリが不安そうにカレンの裾を掴んで訊く。
 対して彼女はその気持ちを汲み取ってか、その手を握り返して勇ましく答えた。

「大丈夫さマリ。ワルプルギスにはベルティンとリーザがいる。それに、今まで外の人はおじさんと信頼ある農家さんしか見たことないんだ。仮に、誰に何の企みがあったとしても、そう簡単には辿り着けないはずだよ」

 いっぱいの収穫と一抹の不安を手に、今日は孤児院へと帰った。
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