Evening Rain

てぇると

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一話 prologue

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まず、先に言っておかなければならない事がある。
これは恋焦がれた女に思いを告げるための前日譚のようなものであり、後々読み返せば「遠回りしすぎだろ」と十人中十人が感じるような物語である。
少しだけ不思議でどうしようもなく宙ぶらりんな俺と同じく少しだけ不思議でクールな彼女の物語をここら辺で始めさせていただこう
それは、いつも通りの朝から始まった。


※※※※※※※※※※※※※※

なんの前触れもなく突如として耳元で鳴り響いた、アップテンポの曲が寝ぼけた思考回路を吹き飛ばすほどに大音量で流れ出す。
大好きな睡眠から大嫌いな寝起きにシフトするためにと設定した音楽だったが、この曲自体が嫌いになりそうだ。

充電器に指していたスマホを手探りで探し、画面を一回タップすると丁度サビの部分で音楽は消え、小鳥の囀る静かな朝に戻っていた。よし、このまま俺は毛布と一体化しよう、そうしよう。

「していいわけないでしょ」

耳の中に冷水でも流し込まれたのか? と錯覚する程の冷ややかな声が耳元で聞こえる。
声の主に予想はつく、いや違う。一人しかいないのだ。

「もうさ、私が毎日起こさなきゃいけないんだから耳元で音楽流すのやめたら?」

超呆れ気味に上から声が響く。ちくしょう、こうなったらベッドと一体化してやる。

「させるかっての!」

毛布を剥ぎ取られ、四月中旬の寒さに身体がぶるりと震える。

「酷いよぅ……俺はただ寝ていたいだけなのに」

噛み締めるようそう呟くと、頭にコツンと拳が当たる。

「次は5倍…いや、10倍ね?」

ニッコリとそう微笑んだ。よし、起きよう。
決意したが吉日、いや吉時。やけにスプリングが効いたベッドから飛び起きて、嫌がらせのように彼女の前で服を脱いだ。
ふふ、これで少しは慌てる事だろう、鉄仮面のような冷たい表情を打ち破り「なにしてんの!?」と慌ててくれれば尚よし、色々と捗るというものだ。上着を脱ぎ捨てて、寝間着がわりのジャージの下に手をかける。

「どうした? 脱ぎなよ」

「……」

「ほら早く。脱ぎなさいって」

呆れた顔で彼女がつぶやく。

「……」 

彼女の精神力は鋼のように強かった。
俺が想像していたよりも、思いのほかマジで強かった。

「脱がしてあげようか?」

「是非!」

「死ね!」

内側からフツフツと湧き出る性的欲求に抗えず声を上げると、彼女から罵倒の言葉が飛んでくる。
俺がそっち系の性癖に目覚めたらどうしてくれる? 罵声でしか興奮できないようなアブノーマルな人間になったら責任とってくれんの?

「責任は取らない」

「お前ぐらいしか俺の事を娶ってくれる奴いなそうなんだよなぁ」

「男でも娶るって言うの? まぁいいや、早く着替えて降りてきてよ、夕陽?」

ぼーっとくだらない事を考えていた俺を尻目に、彼女が俺の名を呼んだ。
紅星 夕陽あかほし ゆうひ、全体的に赤やオレンジと言った明るい系の色を想像されがちな名前である。個人的には藍色や紺色と言った感じの色が好きなのだが。褐色美女は勿論好きだ。

「……呆れた、私が話してんのに褐色美女想像してるし」

「なんならお前の脳内にめくるめく褐色美女の春画を張り巡らせてやろうか?」

「やったら油を熱したフライパンの中に顔突っ込むから、夕陽のフライだね。食べずに生ゴミとしてだそう」

「下味も衣も付けなかったら素揚げじゃねぇの? あと、せめて食べてくれると嬉しい」

「私にカニバリズムの趣味は無いのよ」

「カニで思い出したけど、お前の父ちゃんがカニもらってきてたよな? 今日の夜、カニ鍋しようぜ」

「……考えとく。早く着替えてきなさいよ」

それだけ言い残すと、俺の部屋から彼女は出ていった。
やっと彼女が出ていったのでズボンに手をかけてパンツ一丁になる。いくら慣れ親しんだ彼女と言えど、堂々と着替えるのは恥ずかしい、付け加えれば俺に露出の趣味はない。

「あぁ、なんとめんどくさい」

ボヤきながら学生服のズボンに裾を通す。よれたTシャツの上にパーカーを着て、片手に学ランを持つ。今年の四月はいささか寒すぎる気もするんだが。
教科書が入ってない為かペチャンコな通学バッグの中に二冊ほど小説を放り投げ、机の上に置いてある音楽プレイヤーをポケットの中にぶち込んで部屋を出た。

俺が長年居候しているこの家は広い。
彼女の両親がどちらも高給取りのため家は凄く広い。だが、あんまり帰ってこないためか俺と彼女以外の痕跡があまり無い、寂しいものだ。

「飯食う前にっと」

洗面所に入り、顔を冷水で洗う。
なにか憑き物が取れたような心地の良い感覚と共に髪にも冷水を浴びせて不恰好な寝癖も直しておく。

タオルで顔と髪を一気に拭いて鏡を見ると、代わり映えのしない、いつも通りの俺がそこにはいた。
何故か変色した茶髪と、タレ目でもツリ目でもない何ともやる気の抜け落ちた目。少しでも彼女のようにキリッとしたいものだ、目元さえ整ってればモテモテ間違いなしだな。

「まぁ、そうはいかんか」

ボソボソと独り言を呟いて、洗面所を後にしてリビングに入る。

「わりぃ、遅かったか?」

リビングに入ると既に料理が配膳されていた。
俺の一日は彼女の朝飯を食べないと始まらない。今日の献立は卵焼きに小さな鯖、味噌汁にご飯と言うなんともシンプルな和食だった。

「シンプルで悪かったわね」

「いやぁ、シンプルイズベストって言いますやん?」

戯おどけながら席に座ると目の前にはエプロン姿の彼女が座っていた。まぁ、なんとも眼福眼福。

「馬鹿な事言ってないで食べるわよ」

「言ったんじゃなくて思ったんだけどね?」

「私の前では言ったも言ってないも、思ったら一緒でしょ? 思考が読める私の前では」

「そりゃそうだ」

先程、彼女が言った通りだ。
なんの比喩表現でもなく、彼女は人の心が……思考が読めてしまう、全て読めるわけじゃないが読める事には読めるのだが、それは完全ではない家の外で誰かの心や思考を読もうとしても五分しか持たない。

外でその症状を酷使すれば彼女は失神してしまうのだ。
そして超不思議なことに、俺の思考はほぼ自由に何の制限もなく読むことができるのだ。まぁ、そこまで頻繁に読まれている訳では無いが。

「読んでるわよ」

「読んでるんだー」

「いいから、食べよ?」

「そうだな」

そう言って、食べる前に俺はコップに注がれた水を口の中に流し込んだ、喉の奥に引っかかっていた物が取れた感覚。そして、いただきますの前に何となく彼女の名前を読んだ。

「星川 雨乃ほしかわ あまの」

「どうしたの急に?」

「いーや、何でも」

ご覧の通り、人の心が読める彼女と。
───の俺の近すぎるために見えなくて、ひたすら遠回りをし続けた、何ともまぁ、回りくどく遠回りな恋の物語である。
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