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花屋の前に来ていた。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。今って華道教室開いてますかね」
「あー、あの時のお二方ですか。ちょっと待っててくださいね」
数分後。
「先生が準備しているようですので、短い時間ならよろしいとのことです」
「わざわざ、ありがとうございます。帰りにこのお花選んでもらってもいいですか」
「お買い上げありがとうございます!」
二階に上がり、教室に入る。
「昨日ぶりですかね。今お茶とか入れますね」
「ありがとうございます」
「暑かったでしょ。湿度も高くてべとべとよ」
「津田さんのお家にお邪魔させてもらってたこともあったので」
「津田の家に行ったの」
柾は睨みつける。
「ダメでしたか?」
「いいや、そういうわけじゃないんだけど。あんまり得意じゃないのよ」
「ですけど、昨日電話番号知っていましたよね」
「昔仲良くさせてもらっていたのよ」
「詳しく聞いても?」
「昔、職場が同じだったのよ」
「何のお仕事を?」
「ただの事務局のお仕事よ。津田さんは何をやってたのかは知らないけど同じ会社だったのは知っているわ」
「なるほど」
「恥ずかしいことに、働いてた時に離婚してシングルマザーになったから津田さんに相談していたのよ」
「娘さんは?」
「死んだわ」
「死んだ?どうして」
「路上ライブ中に後ろから車に追突されたのよ」
「場所聞いてもいいですか」
「品川駅南口の広場よ。最近話題になってるみたいじゃない」
「そ、そうてすか」
「お名前は?」
「立花響よ。私の唯一愛せてた人よ」
「辛いことを思い出させてしまって申し訳ございません」
「いいのよ。もしかしたら、品川の件が響に関係あるんじゃないかって思って心配だったのよ」
「生きてますよ」
柾は力強い口調で言う。
「ありがとう。私の心の中で響が生きてるものね」
 考え直したのか、温かな眼差しで二人を見る立花。
「そうですよ。生きてます」
「品川のは、響が起こしたことってことなの?」
「教えられません」
「貴方たちがどんなことを探っているのか分からないけど、聞いてもらっていいわ。電話してくれれば教えられるし」
「協力ありがとうございます」
柾は小声で楓音に伝える。
「連絡した方がいいんじゃないか」
「そうですね」
「少し席離れますね」
「え、えぇ」
部屋を出て、楓音は電話をかける。
「梨央。品川の件ですけど、正体が分かったかもしれません」
『ん、本当に?何も分からず仕舞いだったから助かるわ』
 梨央の声は冷静を保っているが、周りの人が歓喜する声が聞こえる。
「こちらに来ますか」
『えぇ、話を聞かせてもらいわね。アポとって貰えるかな』
「いいともー。って言いたいところですけど、時間がありません。早く来てください」
『おふざけが過ぎたわね。楓音ありがとう』
「お役に立てたなら嬉しい限りです」
『柾くんにも感謝伝えといて』
 楓音は電話を切って、「だそうですよ」と柾に伝えた。

「すみません。私たちがいなくあった後に話をお聞きしたいと申し出ている方がいるんですがお時間大丈夫ですか?」
「まぁ、開講の時間もあるし大丈夫だけど。響のこと?」
「基本的にはそうですかね」
「そ、そうですか」
話したくない顔をする。
「報酬はしっかりと出しますので」
「そうですか。お気遣いまでありがとうございます」
「話戻しますよ。響さんは若菜と関わりは?」
「あったわ。響はこの華道教室に入っていたもの」
「若菜と響さんは話していなかったんですか」
「話していたわよ」
「ですけど、昨日は寡黙だったと」
「あまり響のことを話したくなくて。ごめんなさい」
「いえいえ、話したくないことっだってあると思いますので」
「学校での関わりは無かったんですか」
「それがね。学校で唯一の友達が響だったみたいなのよ」
「でも、若菜はイジメられていたんじゃないですか」
「ひ、ひびきがあの日。じ、じ、事故で亡くなって目の前にいなくなって。どうすることもできなくて。日が経つのを見届けるのが精一杯で」
嗚咽を吐きながら、ゲリラ豪雨が降ったかのように零れ落ちる。
水が循環するのと同じように、立花の気持ちも循環しているのだと、悲しき思い出は何時如何なる時であったとて込み上げてくるものがあって、それを止めることは出来ないのだ。
「立花さん。ティッシュどうぞ」
残り少ない箱ティッシュ、溜まりに溜まったゴミ箱。
「私はどうすればいいのよ。私だけが世界に取り残されて、自分だけが生きていいのかも分からなくなる。もっと、あの子を見てあげてたら。もっと、私があの子を愛してると伝えられることが出来たなら、もっと、もっと」
楓音は立花の背中をなでる。
「辛いですよね。失うというのは」
「だんだんと響のことを忘れていく。枯れ葉が木から落ちていくみたいに」
「立花さんの記憶は響さんだけじゃありません」
「違うわよ!私の娘よ」
「じゃあ、何で華道教室を今もやっているんですか」
「響の生きた印が残っているからよ」
「それだけじゃないですか」
「どういうことよ。そんなの」
「立花さんは、響さんを亡くして空いた穴を塞ぐために教室をやってるんじゃないですか」
「……。何が言いたいのよ」
「それだけじゃない。残った若菜の居場所を考えて残してくれたんじゃないんですか」
「違う。それは響の望むことだから。響が大事にしたから」
「本当にそれだけですか」
「………」
「それ以外にも理由ありますよね」
「楓音どういうことなのかさっぱり分からないんだが」
「待っててください」
「………」
「言ってくれますか」
「いいわよ話すわ。だけど、少し待ってて」
 仏頂面をしながらも堅い口を割ってくれようで安心する二人。
立花は、洗面所に行った後グシャグシャになった表情で出てきた。
「何から話せばいいのか分からないけど。響の死因はお二人は知っているの?」
「知らないです」
「そこからね。あの子は事故で亡くなったのよ。路上ライブ中に信号無視した乗用車がガードレールを突っ込んでね」
「路上ライブ?音楽が好きだったんですね」
「えぇ、バンドも組んでいたみたいよ。響が亡くなった後スグに解散しちゃったみたいだけど響の拠り所でもあったのは間違いないわ。一度は響の奏でる音楽聴いてみたかったな」
「他のバンドメンバーは生きていたんですか」
「いいえ。響は独りで弾き語りしていたのよ」
楓音は言葉を飲み込んだ。
それが正解だったのだろう。今ここで慈善的な言葉を投げかければそれは鋭利となりかねない。
「しかもよ、犯人が捕まっていないのよ」
「………」
「響を亡くして自殺しようとしていた時、ある人がね助けてくれたの」
「ある人?」
「津田って人よ。そういえば昨日、津田さんが連絡してくれてたわよね」
「!?」
「どうしたの二人して」
「ちょっと席外してもいいですか」
「いいけど、時間も時間だから早めにお願いするわね」

「楓音、時間が無いとか言ってたけど流石に予定変更だよな」
「そうですね」
「津田の家に戻るのも遅くなりそうだな」
「ですけど、津田さんの証拠を見つけないといけません」
「あとどれくらい時間ある」
「昨日のこともあります。良くて明後日、悪くて今日」
「急がなきゃいけないのは変わらないってことか」
「頼りないばかりに、ごめんなさい」
「あれ?二人帰るの?」
楓音が呼んでいた梨央が来た。
「梨央~~~!」
「んー、どうしたのよ」
「梨央さん。色々分かってきたかもしれません」
「私たちの情報も渡せるから後で夕食食べながら打合せね」
「分かりました。柾さん梨央の奢りみたいなので高いの食べていいですよ」
「楓音!」
「ふぇー、ヒドイよ」
「アハハ、梨央さんごちそうさまです」
「柾くんまで!」
「ダメですか?」
「んー、後で銀行寄らせてよ」
「やったー!」
「まったく、しょうがない子ですね」
「梨央さんありがとうございます。じゃあ、話しの続き聞きに行きましょうか」
「そうね。私にも時間は無いわ」
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