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あるパン屋の息子のお話
しおりを挟むあの日彼女が酷い言葉を投げられ、転ばされるところを見ていることしかできなかった。
その場にいてなにもしなかったことは、共犯であると同じだ。
嫌だった水汲みも毎朝自分からやり、彼女がいることを願ったが、あの日以来彼女は水汲みにはやってこなかった。
街中でも姿を見かけたのは数回程度。
そのどれもが教会の誰かと一緒だったから、声をかけることもできなかった。
なんて情けない。
あの時彼女が立ち去る前に咄嗟に自分の口から漏れた音は、なにを紡ごうとしていたのか。
それを伝えようにも、もう一度無視されることが、嫌われることがたまらなく怖い。
結局のところあの場にいた皆は、彼女のことが気になっていたのだ。
月日がたつ毎に綺麗に、女性らしくなっていく彼女に。
どう表現すればいいかわからず、でも振り向いて欲しいから悪口を言う。
力ずくで無理やり向かせようとして、そして失敗したのだ。
今更理解しても、もう遅かった。
悪口を言った、彼女の肩に手をかけた彼らは、いまだに荒れて悪さばかりしているらしい。
もうつるむことがない彼らだが、一緒に謝れたらと思うこともある。
すっかり明るくなっているが、通りの裏手にあるから喧騒も聞こえず静かだった。
ため息を落としながら、桶を棒にかけて肩に持つ。
帰ろう。
自分のことしか考えてない、ただの身勝手だとわかっている。
でもただ一言謝りたいんだ。
やり直させて欲しいんだ。
息子がなにかを悩んでいるらしい。
随分前から気づいていたが、年頃の男の子だ。
あまりせっついて悪化してもよくないと思い、放置してきたがどうにも解決する素振りを見せない。
ただの思い煩いというわけでもないようだが。
夫に相談してみたところ、気づいていなかった。
男ってやつはどうしてこんなに鈍いのか。
そしてそのまま息子に突撃している。
もう少し考えてから行動したらどうだい。
馬鹿だね。
父親からいらないところまで受け継いでしまったかい。
鈍い音は頭でも殴られたのだろう。
泣きながらも夫と教会に謝りに行くことを承諾してるあたり、素直ないい子に育ってくれた。
鈍いけれど思いきりがよくて、面倒見がいいところに惚れたんだったね。
昔を思い出すよ。
このことは秘密にしておく、男の約束だって。
それならもう少し場所を考えておくれよ。
この家の壁は薄いんだから。
もう戻ってきそうだ。
仕方ないから少しばかり出掛けるとするかね。
今日の夕食は、息子の好きなものにしてあげようか。
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