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ある日の試験
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私は講義室で席に着いている。並んで数人が座れる横長い机の端の席で、筆箱からシャーペンと消しゴムを取り出している。シャーペンの尾部のふたを取り、消しゴムの栓を抜いて逆さまにして、替えの芯が入っていることを確認し、栓とふたを元に戻して、机に置く。
それぞれの机の両端には、私と同じように席に着いている人達がいる。皆一様に紺色のスーツを着て、持ち込みの筆記具を改めたり、周囲を見回したり、部屋の正面にある講壇を眺めている。
講義室には、筆箱のチャックを開け閉めしたり、シャーペンをノックしたり、ときおり誰かの咳や、鼻をすする音などが聞こえるが、誰一人として話をする者はいない。
しばらくして、引き戸が引かれる音がして、講義室の前方側面の扉が開き、数人の男が入ってきた。彼らは暗い灰色や明るい灰色など、それぞれ少しずつ異なった色のスーツを着ていたが、おおざっぱに見れば、みな灰色のスーツを着ている、といってよかった。
そのうちのひとりが講壇に立ち、残りは分厚い紙束を手に、机と机の間の通路の前にそれぞれ立つ。
「これから試験用紙を配布します」
講壇の男は衿に小型のマイクを付けており、その声は講義室に据え付けられたスピーカーによって伝えられた。
その声を合図に、灰色のスーツ達が、一人ずつに紙束を渡していく。やがて私の机の上にもやってきて、紙束を置いていった。紙束は裏返しで置かれ、左上に小さく"221"と数字が振ってある。
「試験用紙は全部で221枚あります。左上に通し番号を振ってありますので、全部揃っていることを確認してください。抜けているページがある場合は手を挙げてください」
私は数字の書かれたところを順繰りにめくっていき、220、219、と、1ずつ順序よく数字が減っていくかどうかを確認していった。
講義室は紙をめくる音で満たされ、やがてそれは徐々に小さくなっていき、静かになった。
講壇の男は室内を見回し、それから振り返って黒板に向かい、チョークで「試験開始 24:00 試験終了 25:00」と書いた。
「試験開始は24時、つまり日付変更直後です。試験終了は25時、つまり1時です。試験時間は60分となります。25時になったら、試験官が解答用紙を回収しますので、解答用紙を表向けて机の上に置き、待機してください」
講壇の男が何かを操作する。すると、スピーカーから時報が聞こえた。まもなく、午後11時59分、30秒をお知らせします。短い電子音が3回鳴り、長い電子音が1回鳴る。まもなく、午後11時59分、40秒をお知らせします。短い電子音が3回鳴り、長い電子音が1回鳴る。
日付変更を報せる長い電子音が鳴った瞬間、一斉にあちこちで紙を返す音が鳴った。私ももちろん表に返し、まずは解答用紙を探した。
解答用紙は221ページ、つまりは裏返しだったときの一番上、表に返した時に一番下になった紙だった。解答用紙の書式からわかったことは、問題は全部で5問、すべて記述式ということだった。ともかく所定の欄に受験番号と名前を書き、それから問題用紙を確認する。
最初の問題は、文章を読んで内容を要約し、それについての意見を述べるというものだった。解答にあたっては、本や資料、情報端末の利用可とある。とりあえずざっとページを繰り、他の問題についても確認すると、5問とも同様の問題だった。つまり、平均44枚の文章を5つ読んで、それぞれその内容を要約し、意見を述べる必要があるわけだ。
試験時間は60分だから、均等に割ると1問あたり12分。もちろん、問題によって時間がかかったりかからなかったりということはあり得るので、12分というのはあくまで目安ではある。実際に問題文にざっと目を通して、時間配分の見当を付けることにする。
1問目の問題文をざっと読むと、カントやヘーゲルについて言及している、かなり難解、というか地獄のように読みづらい文章だった。「物自体」だとか「意識」などといった言葉が散見されることから、ある程度内容は想像できるものの、ひどい悪文なので要約すること自体が困難そう。そのうえ意見を述べようとすると、どうも『純粋理性批判』やら『精神現象学』やらといった本に当たらないと難しそうな印象だった。12分はおろか、1週間あってもできそうにない。
一旦飛ばして2問目を見ると、今度は、あらゆる学者や著書の名前が大量に登場する、よくわからん文章だった。マルクスとかウェーバーとか言っているから、経済学の話なのかと思っていたら、突然ケプラーだの赤色矮星だのといった単語が登場してくる。さきほどの文章が地獄なら、こちらは魑魅魍魎の蠢く逢魔の文章といえるだろう。様々な学問の様々な学説が絡まり合い、解きほぐして内容を理解しなければならないと思うだけで気が遠くなる。
3問目は図形やグラフをたくさん使いながら哲学だか文学だか社会学だかの問題について何か言っている、よくわからん文章。そもそも図形やグラフが何を意味しているのかすらよくわからない。普通、図形などというものは、わかりにくい概念をわかりやすく表現するためのものではないのだろうか? なぜ余計にわからなくなるのか。
4問目はジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』に関する論文か何か。『ユリシーズ』自体が長ったらしい上に無茶苦茶な小説で、それについての論文というだけでも既にやる気を削がれるが、パロディに関する言及などの比較的理解しやすい問題には触れておらず、なんだかわけのわからない、難解そうなアプローチから作品を分析している。何を言っているのかを理解すること自体がまず困難で、その上で、著者の言っていることが当を得たものなのか、的に向かって射てすらいない大ハズレなのかを判断するのは、制限時間のことを考えると相当難しいと思われる。
5問目は、ボーアとかフォン・ノイマンといった断片的に理解できる単語を拾っていくことで、辛うじて量子力学に関する論文らしいということはわかるものの、数式ばかりで何が何だかさっぱり理解できない。仮に理解できたところで、結局60分で回答できる問題ではなさそうに見える。
ざっと問題を確認したところで、私の見解としては、どうやら私の試験結果は零点になりそう、ということだった。これも日頃から勉強していなかったせいだろう。採点結果はアラビア数字で記されるだろうから正確には0点と言うべきところだが、せめて格好いい漢字でも使わないと救われない心持ちがする。0点よりは零点の方が諦めが付くような気がするのだ。無であることに変わりはないが。
目の前が真っ暗になった錯覚……というか、実際、頭から血の気が引いてくらくらするから、私が感じているお先真っ暗感は錯覚ではなく、生理学的に現実のものなのだろうが、ともかく、真っ暗気分で視界も真っ暗になり、頭の中も真っ暗で、自分でも何をやっているのかよくわからないまま、私は無意味に試験用紙をぺらぺらめくっていた。紙は文字がびっしり印刷されていて、どこまでめくっても真っ黒で、それがさらに気分を暗くしていく。
と、そのとき、妙に白の目立つページが目に留まった。言うまでもなくそれは、何問目だかの問題文の末尾のページで、余白があること自体に不思議はない。しかし、真っ暗視界の中に驚きの白さを見つけて、私は少しだけ正気に返った。戻ってきた一握りの理性で問題文をぼやっと眺めていると、末尾に(配点・20点)と小さく書いてあるのを見つけた。
この試験の満点が何点かは知らないが、仮に100点満点なら配点20点というのは妥当な数字だろう。しかし、ある問題が5点で、ある問題が50点とか、そういうこともあるかもしれない。そこで、他の末尾も調べてみることにした。ざっとページを繰って、大きい余白のあるページを見つけるわけである。
すると、1、2、3問目は全部20点だった。結局、20かける5で100点満点なのだろうか。そう思いつつも、4問目の末尾を探す。と、そこには(配点・920点)とあった。
……つまり、1000点満点? 4問目さえ解ければ合格?
驚きつつも喜び勇んで4問目にかじりつ……こうとしたが、思いとどまって、とりあえず5問目も確認することにした。こうなると5問目の配点が9999万9020点で1億点満点ということだってありえる。5問目の末尾は考えるまでもなく最後のページ(正確には解答用紙が最後のページなので、最後から2番目)なので簡単に見つかり、結局、5問目の配点は20点で、つまりは1000点満点だということが判明した。
それを確認したところで、改めて、驚きつつも喜び勇んで4問目にかじりつく。しかし、問題文を2行も読まない内に、喜びは再び絶望に変わった。そうだった。4問目って『ユリシーズ』じゃんか。しかも『オデュッセイア』との比較とか、そんな生やさしい内容ではなくて、わけのわからない分析についてなのだ。
しかし、なにしろ920点も配点があるのだから、部分点だけでももらえば、それだけで合格できるかもしれない。そう思い直して、とりあえず流し読みして、なんとか内容を把握できないかやってみることにした。何ページ読んでも不毛の砂漠のような手応えのする文章を目で追い、どうにか内容を理解しようとする。
そのとき、講義室の引き戸が引かれる音に気付き、私はそちらに目線をやった。どうやら受験者の一人が、講義室から退席しようとしているらしい。辺りを見回すと、さきほどまでは受験者で埋め尽くされていた机の両端に、ぽつぽつと間引きされたように空席が目立っていた。
私は最初、それが意味するところが何なのかが理解できなかったが、やがて思い出す。そういえば、本や情報端末の利用が可なのだった。つまり彼らは、この講義室の隣にある資料室で参考資料にでも当たったりしているのだろう。
もしかすると「情報端末利用可」というのがミソで、たとえばこの問題の文章をネットで検索したら、要約が丸々載っているとか、そういうことがあるのかもしれない。
しかしあいにく、私はケータイもスマホも持っていない原始人だったので、その場で試すことはできなかった。この試験会場の大学には、インターネットに繋がったパソコンを貸し出すところがあったが、この会場とは別の棟にあり、急いでも片道5分はかかる。最悪どうにもならない場合は行かなければならないかもしれないが、できればこの場で片付けたい。
腕時計で時間を確認すると、0時37分だった。つまりは20分ほどしかなく、移動だけで往復10分かかることを考えると、やはり厳しいところ。
他に方法もない、本当にないかどうかはわからないが、少なくとも思いつかないので、再び問題文に取りかかる。
流しつつ30ページほど読んだだろうか、砂漠のような文章が、突然、妙な方向へと変化しているのを見つけた。
――以上は、我らが大学の文学部が誇る機関誌『明麗』に来月掲載される予定の、枡峰数騎氏の寄稿文、「『ユリシーズ』~その多言語的複雑系感覚と非線形力学」よりの抜粋である。氏は来期より我らが文学部に新設される、世界文学科の主任教授として着任する予定だが、この素晴らしい論文のさわりを読むに、その活躍への期待が今から膨らむ読者も多いことだろう。
氏はまた、スーパー「かめつる」の「文学部キャンパス店(仮称)」出店計画の大口出資者でもある。氏は我らが文学部の学術面での充実に貢献するだけでなく、学生諸君の大学生活の改善にも格別の関心を寄せており、学業には食の確保と安全が肝要であるとの理念から、この計画に賛同して下さった。「かめつる」は創業五十七年を迎える老舗スーパーで、戦後の日本を食の面から支えてきた。「かめつる」の助力によって、我らが文学部は盤石の礎を築くことになるだろう。
思いを馳せれば二〇一〇年、我が文学部の学部主任として佐竹五十道教授が着任されたとき、我々は雲間から光が差し込んだように感じたものだった。前任者の茂義は暴君として知られ、専門の日本中古文学史ばかりを厚遇し、他の学科の教授達をないがしろにし、英米文学科などは廃止しようと目論むほどであった。過去にしがみつき、現実を見ない愚者であった。皆の憩いの場であり、芸術の発露の場であった休憩所を廃止して黴臭い資料室へと変え、学生諸君のキャンパスライフまでも奪った。
だが、我々は暴君に屈せず、戦い続けた。そしてついに茂義の暴政を打倒した。茂義は神の怒りに触れ、心臓発作で倒れたのである。
茂義の圧政により疲弊した文学部を立て直すことは、佐竹主任教授の御威光、御力を持ってしても困難な道程であった。しかし我々はようやく、本来あるべき文学の正道に立ち返ることができつつある。広い視野を持つ文学、地球規模の広い視点から見る文学、超学問的立場から見る文学である。
枡峰氏の「『ユリシーズ』~その多言語的複雑系感覚と非線形力学」は、我らが佐竹新生文学部の象徴となる論文であろう。文学を文学としてだけでなく、言語学、文化人類学、経済学、物理学、数学などと、様々な学問を横断しつつ論じる大胆かつ繊細な手法は、まさしく現代における文学の有るべき姿であり、超学問的学術研究の先鋒となり得る、斬新かつ野心的な試みである。
それでは、この素晴らしい論文からさらに一部を抜粋し、結びに代えたい。――
この後は再び文章の砂漠がはじまり、それが10ページほど続いているようだった。しかし私には、もうその残り10ページを、流してでも読もうとする気力は失せていた。もっとも、仮に気力があったところで、残りの部分を読む必要がないことはすでに明らかではあったが。
私は自分の身体が、そっくり空洞になってしまったような、なんともいえない空虚感に包まれていた。0だか零だか、つまりは無点を覚悟したときの無よりも無で、お先や視界がまっ暗になることすらなく、色も感覚も思考も、何もかもが無色透明へと変わっていくようだった。
空虚なまま、私の手はシャーペンを掴み、4問目の回答欄にペンを走らせた。
要約……駄文
意見……ひどい
私はシャーペンを置くと、席を立ち、講義室を後にした。
建物の外に出ると、太陽の日差しがまぶしかった。雲ひとつ無い濃紺の空が広がり、星が瞬いていた。暖かく心地よい風が吹き抜け、それに乗るようにして白い鳥が数羽、音を立てて羽ばたいていった。
私は自由だった。それを0と表現するか、零か、あるいは無か、もしくは部分点が付いてしまう可能性もあったが、そんなことはもう、どうでも良かった。
それぞれの机の両端には、私と同じように席に着いている人達がいる。皆一様に紺色のスーツを着て、持ち込みの筆記具を改めたり、周囲を見回したり、部屋の正面にある講壇を眺めている。
講義室には、筆箱のチャックを開け閉めしたり、シャーペンをノックしたり、ときおり誰かの咳や、鼻をすする音などが聞こえるが、誰一人として話をする者はいない。
しばらくして、引き戸が引かれる音がして、講義室の前方側面の扉が開き、数人の男が入ってきた。彼らは暗い灰色や明るい灰色など、それぞれ少しずつ異なった色のスーツを着ていたが、おおざっぱに見れば、みな灰色のスーツを着ている、といってよかった。
そのうちのひとりが講壇に立ち、残りは分厚い紙束を手に、机と机の間の通路の前にそれぞれ立つ。
「これから試験用紙を配布します」
講壇の男は衿に小型のマイクを付けており、その声は講義室に据え付けられたスピーカーによって伝えられた。
その声を合図に、灰色のスーツ達が、一人ずつに紙束を渡していく。やがて私の机の上にもやってきて、紙束を置いていった。紙束は裏返しで置かれ、左上に小さく"221"と数字が振ってある。
「試験用紙は全部で221枚あります。左上に通し番号を振ってありますので、全部揃っていることを確認してください。抜けているページがある場合は手を挙げてください」
私は数字の書かれたところを順繰りにめくっていき、220、219、と、1ずつ順序よく数字が減っていくかどうかを確認していった。
講義室は紙をめくる音で満たされ、やがてそれは徐々に小さくなっていき、静かになった。
講壇の男は室内を見回し、それから振り返って黒板に向かい、チョークで「試験開始 24:00 試験終了 25:00」と書いた。
「試験開始は24時、つまり日付変更直後です。試験終了は25時、つまり1時です。試験時間は60分となります。25時になったら、試験官が解答用紙を回収しますので、解答用紙を表向けて机の上に置き、待機してください」
講壇の男が何かを操作する。すると、スピーカーから時報が聞こえた。まもなく、午後11時59分、30秒をお知らせします。短い電子音が3回鳴り、長い電子音が1回鳴る。まもなく、午後11時59分、40秒をお知らせします。短い電子音が3回鳴り、長い電子音が1回鳴る。
日付変更を報せる長い電子音が鳴った瞬間、一斉にあちこちで紙を返す音が鳴った。私ももちろん表に返し、まずは解答用紙を探した。
解答用紙は221ページ、つまりは裏返しだったときの一番上、表に返した時に一番下になった紙だった。解答用紙の書式からわかったことは、問題は全部で5問、すべて記述式ということだった。ともかく所定の欄に受験番号と名前を書き、それから問題用紙を確認する。
最初の問題は、文章を読んで内容を要約し、それについての意見を述べるというものだった。解答にあたっては、本や資料、情報端末の利用可とある。とりあえずざっとページを繰り、他の問題についても確認すると、5問とも同様の問題だった。つまり、平均44枚の文章を5つ読んで、それぞれその内容を要約し、意見を述べる必要があるわけだ。
試験時間は60分だから、均等に割ると1問あたり12分。もちろん、問題によって時間がかかったりかからなかったりということはあり得るので、12分というのはあくまで目安ではある。実際に問題文にざっと目を通して、時間配分の見当を付けることにする。
1問目の問題文をざっと読むと、カントやヘーゲルについて言及している、かなり難解、というか地獄のように読みづらい文章だった。「物自体」だとか「意識」などといった言葉が散見されることから、ある程度内容は想像できるものの、ひどい悪文なので要約すること自体が困難そう。そのうえ意見を述べようとすると、どうも『純粋理性批判』やら『精神現象学』やらといった本に当たらないと難しそうな印象だった。12分はおろか、1週間あってもできそうにない。
一旦飛ばして2問目を見ると、今度は、あらゆる学者や著書の名前が大量に登場する、よくわからん文章だった。マルクスとかウェーバーとか言っているから、経済学の話なのかと思っていたら、突然ケプラーだの赤色矮星だのといった単語が登場してくる。さきほどの文章が地獄なら、こちらは魑魅魍魎の蠢く逢魔の文章といえるだろう。様々な学問の様々な学説が絡まり合い、解きほぐして内容を理解しなければならないと思うだけで気が遠くなる。
3問目は図形やグラフをたくさん使いながら哲学だか文学だか社会学だかの問題について何か言っている、よくわからん文章。そもそも図形やグラフが何を意味しているのかすらよくわからない。普通、図形などというものは、わかりにくい概念をわかりやすく表現するためのものではないのだろうか? なぜ余計にわからなくなるのか。
4問目はジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』に関する論文か何か。『ユリシーズ』自体が長ったらしい上に無茶苦茶な小説で、それについての論文というだけでも既にやる気を削がれるが、パロディに関する言及などの比較的理解しやすい問題には触れておらず、なんだかわけのわからない、難解そうなアプローチから作品を分析している。何を言っているのかを理解すること自体がまず困難で、その上で、著者の言っていることが当を得たものなのか、的に向かって射てすらいない大ハズレなのかを判断するのは、制限時間のことを考えると相当難しいと思われる。
5問目は、ボーアとかフォン・ノイマンといった断片的に理解できる単語を拾っていくことで、辛うじて量子力学に関する論文らしいということはわかるものの、数式ばかりで何が何だかさっぱり理解できない。仮に理解できたところで、結局60分で回答できる問題ではなさそうに見える。
ざっと問題を確認したところで、私の見解としては、どうやら私の試験結果は零点になりそう、ということだった。これも日頃から勉強していなかったせいだろう。採点結果はアラビア数字で記されるだろうから正確には0点と言うべきところだが、せめて格好いい漢字でも使わないと救われない心持ちがする。0点よりは零点の方が諦めが付くような気がするのだ。無であることに変わりはないが。
目の前が真っ暗になった錯覚……というか、実際、頭から血の気が引いてくらくらするから、私が感じているお先真っ暗感は錯覚ではなく、生理学的に現実のものなのだろうが、ともかく、真っ暗気分で視界も真っ暗になり、頭の中も真っ暗で、自分でも何をやっているのかよくわからないまま、私は無意味に試験用紙をぺらぺらめくっていた。紙は文字がびっしり印刷されていて、どこまでめくっても真っ黒で、それがさらに気分を暗くしていく。
と、そのとき、妙に白の目立つページが目に留まった。言うまでもなくそれは、何問目だかの問題文の末尾のページで、余白があること自体に不思議はない。しかし、真っ暗視界の中に驚きの白さを見つけて、私は少しだけ正気に返った。戻ってきた一握りの理性で問題文をぼやっと眺めていると、末尾に(配点・20点)と小さく書いてあるのを見つけた。
この試験の満点が何点かは知らないが、仮に100点満点なら配点20点というのは妥当な数字だろう。しかし、ある問題が5点で、ある問題が50点とか、そういうこともあるかもしれない。そこで、他の末尾も調べてみることにした。ざっとページを繰って、大きい余白のあるページを見つけるわけである。
すると、1、2、3問目は全部20点だった。結局、20かける5で100点満点なのだろうか。そう思いつつも、4問目の末尾を探す。と、そこには(配点・920点)とあった。
……つまり、1000点満点? 4問目さえ解ければ合格?
驚きつつも喜び勇んで4問目にかじりつ……こうとしたが、思いとどまって、とりあえず5問目も確認することにした。こうなると5問目の配点が9999万9020点で1億点満点ということだってありえる。5問目の末尾は考えるまでもなく最後のページ(正確には解答用紙が最後のページなので、最後から2番目)なので簡単に見つかり、結局、5問目の配点は20点で、つまりは1000点満点だということが判明した。
それを確認したところで、改めて、驚きつつも喜び勇んで4問目にかじりつく。しかし、問題文を2行も読まない内に、喜びは再び絶望に変わった。そうだった。4問目って『ユリシーズ』じゃんか。しかも『オデュッセイア』との比較とか、そんな生やさしい内容ではなくて、わけのわからない分析についてなのだ。
しかし、なにしろ920点も配点があるのだから、部分点だけでももらえば、それだけで合格できるかもしれない。そう思い直して、とりあえず流し読みして、なんとか内容を把握できないかやってみることにした。何ページ読んでも不毛の砂漠のような手応えのする文章を目で追い、どうにか内容を理解しようとする。
そのとき、講義室の引き戸が引かれる音に気付き、私はそちらに目線をやった。どうやら受験者の一人が、講義室から退席しようとしているらしい。辺りを見回すと、さきほどまでは受験者で埋め尽くされていた机の両端に、ぽつぽつと間引きされたように空席が目立っていた。
私は最初、それが意味するところが何なのかが理解できなかったが、やがて思い出す。そういえば、本や情報端末の利用が可なのだった。つまり彼らは、この講義室の隣にある資料室で参考資料にでも当たったりしているのだろう。
もしかすると「情報端末利用可」というのがミソで、たとえばこの問題の文章をネットで検索したら、要約が丸々載っているとか、そういうことがあるのかもしれない。
しかしあいにく、私はケータイもスマホも持っていない原始人だったので、その場で試すことはできなかった。この試験会場の大学には、インターネットに繋がったパソコンを貸し出すところがあったが、この会場とは別の棟にあり、急いでも片道5分はかかる。最悪どうにもならない場合は行かなければならないかもしれないが、できればこの場で片付けたい。
腕時計で時間を確認すると、0時37分だった。つまりは20分ほどしかなく、移動だけで往復10分かかることを考えると、やはり厳しいところ。
他に方法もない、本当にないかどうかはわからないが、少なくとも思いつかないので、再び問題文に取りかかる。
流しつつ30ページほど読んだだろうか、砂漠のような文章が、突然、妙な方向へと変化しているのを見つけた。
――以上は、我らが大学の文学部が誇る機関誌『明麗』に来月掲載される予定の、枡峰数騎氏の寄稿文、「『ユリシーズ』~その多言語的複雑系感覚と非線形力学」よりの抜粋である。氏は来期より我らが文学部に新設される、世界文学科の主任教授として着任する予定だが、この素晴らしい論文のさわりを読むに、その活躍への期待が今から膨らむ読者も多いことだろう。
氏はまた、スーパー「かめつる」の「文学部キャンパス店(仮称)」出店計画の大口出資者でもある。氏は我らが文学部の学術面での充実に貢献するだけでなく、学生諸君の大学生活の改善にも格別の関心を寄せており、学業には食の確保と安全が肝要であるとの理念から、この計画に賛同して下さった。「かめつる」は創業五十七年を迎える老舗スーパーで、戦後の日本を食の面から支えてきた。「かめつる」の助力によって、我らが文学部は盤石の礎を築くことになるだろう。
思いを馳せれば二〇一〇年、我が文学部の学部主任として佐竹五十道教授が着任されたとき、我々は雲間から光が差し込んだように感じたものだった。前任者の茂義は暴君として知られ、専門の日本中古文学史ばかりを厚遇し、他の学科の教授達をないがしろにし、英米文学科などは廃止しようと目論むほどであった。過去にしがみつき、現実を見ない愚者であった。皆の憩いの場であり、芸術の発露の場であった休憩所を廃止して黴臭い資料室へと変え、学生諸君のキャンパスライフまでも奪った。
だが、我々は暴君に屈せず、戦い続けた。そしてついに茂義の暴政を打倒した。茂義は神の怒りに触れ、心臓発作で倒れたのである。
茂義の圧政により疲弊した文学部を立て直すことは、佐竹主任教授の御威光、御力を持ってしても困難な道程であった。しかし我々はようやく、本来あるべき文学の正道に立ち返ることができつつある。広い視野を持つ文学、地球規模の広い視点から見る文学、超学問的立場から見る文学である。
枡峰氏の「『ユリシーズ』~その多言語的複雑系感覚と非線形力学」は、我らが佐竹新生文学部の象徴となる論文であろう。文学を文学としてだけでなく、言語学、文化人類学、経済学、物理学、数学などと、様々な学問を横断しつつ論じる大胆かつ繊細な手法は、まさしく現代における文学の有るべき姿であり、超学問的学術研究の先鋒となり得る、斬新かつ野心的な試みである。
それでは、この素晴らしい論文からさらに一部を抜粋し、結びに代えたい。――
この後は再び文章の砂漠がはじまり、それが10ページほど続いているようだった。しかし私には、もうその残り10ページを、流してでも読もうとする気力は失せていた。もっとも、仮に気力があったところで、残りの部分を読む必要がないことはすでに明らかではあったが。
私は自分の身体が、そっくり空洞になってしまったような、なんともいえない空虚感に包まれていた。0だか零だか、つまりは無点を覚悟したときの無よりも無で、お先や視界がまっ暗になることすらなく、色も感覚も思考も、何もかもが無色透明へと変わっていくようだった。
空虚なまま、私の手はシャーペンを掴み、4問目の回答欄にペンを走らせた。
要約……駄文
意見……ひどい
私はシャーペンを置くと、席を立ち、講義室を後にした。
建物の外に出ると、太陽の日差しがまぶしかった。雲ひとつ無い濃紺の空が広がり、星が瞬いていた。暖かく心地よい風が吹き抜け、それに乗るようにして白い鳥が数羽、音を立てて羽ばたいていった。
私は自由だった。それを0と表現するか、零か、あるいは無か、もしくは部分点が付いてしまう可能性もあったが、そんなことはもう、どうでも良かった。
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