自称平凡少年の異世界学園生活

木島綾太

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【三ノ章】闇を奪う者

第四十七話 Sleepless Night《後編》

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 耳障りな金属音が耳朶を叩き、交差した長剣と爪が互いに逸れた。
 即座に刃を返すが掴まれ、そのまま屋上の外へ力任せに放り投げられる。浮ついた身体をひねって、伸ばした制服の帯でF-02の腕に巻き付けて戻る勢いで蹴り抜く。
 寸前に差し込まれた両腕に阻まれるが着地と同時に懐へ。潜り込み、腕を斬り上げ、体勢を崩し晒した腹に一閃。

『ガゥ!?』
「くっ、何をしている!? お前の力はそんなものではないだろう! 早く立てっ!」

 鮮血を撒き散らしながら、苦悶の声を上げたF-02の腹の傷が泡立つように治っていく。
 どうやら肉体の代謝機能を活性化させ、再生能力を高めているらしい。治癒魔法や回復魔法、血液魔法のように魔力を用いた再生ではない分、強烈な負荷の全てが肉体に掛かっているはずだ。
 そんな芸当が代償も無しに出来る訳がない。あれは命を削り、身体を壊死させる遅効性の毒のようなものだ。
 何度も続ければ、いずれは想像を絶する痛みと共に肉体の自壊が始まる。
 本当に、使い捨ての駒として機能を追及させた時間稼ぎだけの存在。それがF-02なんだ。

『アアアァァアアアアッ!!』

 金切り声が耳をつんざく。
 F-02の身体から膨大な魔力が溢れ出たかと思うと、白く濁った瞳がこちらを見据えたような気がした──瞬間、魔力の残滓を残して姿を消した。
 息が止まる。それでも身体は動く。
 真正面から弾丸のように繰り出されたF-02の爪を、反射的に長剣で受け止める。突き抜ける衝撃が足場を砕いた。
 一瞬の拮抗が終わり、あおい魔力を帯びた影が乱雑に攻め立てる。
 残像を残す鋭く重みのある連撃を受け流し、大振りの爪は空いた手で足下に突き立て、姿勢を崩す。
 魔力操作……洗練されたものではなく、循環させる必要もなく、膨大な魔力量で身体を強化させている。その証拠が尾を引くように残る魔力の残滓だ。
 こちらも魔力操作と霊薬のおかげで何とか対等に戦えているが、霊薬に関しては俺が作った物は量が少なく、試験管程度ではあと五分も持たないだろう。副作用がどれ程の悪影響を及ぼすか把握していない不安もある。

「時間をかけるほど、苦しくなるだけか。……お互いにな」

 長剣を握り直し、首を狙って振るう。危機を察知したF-02は欠損した耳を揺らし、後ろに跳躍する。
 踏み出す。《コンセントレート》の光輪が弾け、視界が延びる。間合いを詰めて長剣を振り下ろす。碧い爪が防ぐ。
 凄まじい反応速度で視覚外に回り込まれた。《アクセラレート》で加速し、振り向き様に脇腹を殴る。鈍く、肉を潰した音が拳に伝わった。
 だが、それで怯むような相手ではなく、振り抜いた左腕を掴まれ──太く、鋭利な牙が貫いた。
 激痛が脳天まで奔る。痛みに呻く暇もなく、痺れた腕からギチギチと不快な感触が強まった。このままでは喰い千切られる。
 右手に握った長剣を無防備になった喉元へ。横から突き刺し、仮面に返り血を浴びながら抉るように抜く。
 さすがに無視できる痛みではなかったようで、喉奥から血をあふれさせながら左腕を放した。
 だらりと垂れ下がった左腕は心臓の鼓動に合わせて鈍痛を呼び起こす。
 指先に力が入らない。治癒に回す魔力の余裕も無い。
 制服の帯で傷口を塞ぎ、眼前でよろめくF-02の姿を見る。

「……本当は」

 ユキと金庫をさっさと回収してこの場から立ち去るつもりだったんだ。でも、出来なかった。彼が現れてから感じる、泣きそうなほどに苦しくてつらい雰囲気を放っておけなかった。
 彼はもう、人としての形から外れた怪物だ。いびつで、じれて……でも、こうなる前は何気ない日常を、ささやかな幸福を手にして過ごすただの人だったはずだ。
 異種族として生を受けたから、グリモワールに来てしまったから、《デミウル》に目を付けられてしまったから。
 不運が重なったからこうなってしまったのか? それは違う、違うだろう。
 生まれたことが罪だという、この国に根付いたエゴの押し付けが彼の人生を壊したんだ。
 彼にも愛しい人がいたのではないか? 愛を育み、かけがえのない誰かと手を繋ぐ。それはとても、尊いことだ。
 例え人族や異種族であっても、そこに生まれる輝きに差異は無く、等しく……何の違いもありはしない。
 理不尽に奪われ、命をもてあそばれて、道具のような扱いを受けて。
 抵抗の意志も尊厳も覚悟も、何もかも無くなってしまうなんて──悲しいよ。

「もう、いいだろう」

 右手に力が入る。その気配を感じたのか、傷を治した彼が掠れた叫び声を上げながら、肥大化した爪を突き出した。
 避けなければ致命傷は免れない。でも、動くつもりはなかった。
 集中しろ。思考は真っ白に、視線は前に。力の流れを見つめ、息を整える。
 時間が引き延ばされたような錯覚が全身にまとわりつく。世界から色が失われ、自分以外の全てが緩慢になる。
 風も、音も、光さえも。
 緩やかな視界を幾つもの予測が埋め尽くす。頭の奥が、眼が。熱を持ち始め、全身へ伝播する。
 薄く重なった輪郭を一つずつ消していき、必要な情報だけを置いていく。
 何十、何百、何千……それ以上の先の手を読んだ後に残るのは、今から起こる数秒先の未来予測。
 白紙の世界が彩られ、時の流れが戻ろうとして──
 左手を長剣の柄に添えて、少しだけ上半身を前に倒す。重心が移動し、自然と踏み出した左脚から剣先にかけて、自らが生み出した一点の力を。
 脇腹を抉り取ろうとする力の軸に合わせて解き放つ。

 ──暁流練武術初級“天流あまながし”。

 交差した刹那、あおの軌跡が空を舞う。抵抗も無く斬り飛ばされた腕が屋上を転がった。
 何が起きたのか理解できていない彼は、狼狽うろたえながら振り向こうとして。

「……今、楽にしてやる」

 視界に捉える寸前に、
 心臓の位置へ置いた長剣を、一息に突き刺した。

『ァ……ガ、ッ』

 間近で見れば無残なほどに痛々しい身体は青ざめていて、生きていると思っていた身体はもうすでに死んでいた。
 元から膨大な魔力で心臓の鼓動を肩代わりさせていただけで、この人は俺と会う前から命を落としていたのだ。
 魔力の源を絶ってしまえば体内に残存した魔力は拠り所を失い、体外へ散っていく──本当の意味で終わらせられる。
 長剣を通して感じる力の輪郭が急速に薄くなっていく。魔力の粒子が空気に霧散し、手を伝う黒ずんだ血が足下に落ちて染みになった。
 残った腕で長剣を掴まれる。些細な抵抗だろうが、既に限界が近い身体ではそれしか出来ない。
 肉体の再生が起きないように、そのままぐっと押し込み膝をつかせる。
 そして、掴んでいた手が離れ、血溜まりの中に沈む。
 長剣を抜き、血を払い、納めた音が響く。
 泡立つような傷の再生は起きない。代わりに彼の身体から灰が舞い、獣──魔物としての特徴が出ている部分が風に流れていく。
 指先から全身にかけて灰となっていき、最後に身体の多くが欠損した人が残された。
 呆然とこちらを見つめる瞳は少しばかりの生気を取り戻しており、意識があるように見える。
 彼はゆっくりと視線をずらし、ユキと金庫を抱えて立ち尽くす社長に……正確には、ユキの方にだけ向けた。
 瞳が大きく開かれる。酷く穏やかで優しげな表情を浮かべて、何か言いたげに口を開き、しかし喉が潰れているのか掠れていて。
 名残惜しそうに、でも、どこか満足そうに。
 残った左手で弱々しく制服の裾を掴み、微笑みながら。

「──ユキ……を、たの……む……」

 短く、ただ一言だけ。
 そう言って、彼は静かに目を閉じた。
 左手が落ちる。その拍子に彼の全身が砂のように崩れ、乾いた身体を風がさらっていく。
 血も、肉も、骨も。
 声も、感情も、記憶も。
 まるで最初から誰もいなかったとでも言わんばかりに。
 人とも、魔物とも言えない一つの命。僅かに残っていた人の形さえ消え去り、最期に残されたのは薄明りに煌めいた二つの指輪。
 震える左手をなんとか右手と合わせて、静かに頭を下げてから。
 同じ意匠が施された指輪を拾い上げ、内側に彫られたの名前を確認してポケットにしまう。

「そ、そんなバカな……フェンリルの細胞で強化されたヤツを……!?」

 自分でも驚くほどにゆっくりと、声がした方を向く。
 冷や汗を滝のように流し、へたり込んだ社長は怯えた目で俺を見た。

「なんなんだ、お前は……!」

 応える義理は無かった。
 霊薬の副作用か、それとも沸々と腹の底から湧き上がってくる感情のせいか。
 身体の節々の血管が切れ、じわりと生ぬるい感覚が全身に染みていく。ギシギシと嫌な音を立てる身体から、歩く度に血が滴り落ちる。

「っ、そうだ……!」

 血液魔法で最低限の止血を行い、千切れそうな全身を保護する。ぎこちない歩みが力強くなった。
 社長が隠し持っていたナイフをユキの首筋に突きつけて、狂ったような笑みを浮かべる。

「それ以上近づくんじゃあないッ! コイツの命が惜しくなければ、そこから動く……」

 距離にして五メートル。
 伸ばした右手の先から血の腕が奔る。無駄口を叩くクズの襟を掴み、手元へ手繰り寄せた。
 宙に浮かんだままのクズの首を呼吸が出来る程度の力加減で絞める。

「──がはッ」
「目的すら見失い、我が身可愛さで命を捨てようとしたお前を……死をもってして償わせるつもりはない」

 反論される前に、空中へ放り上げた。
 手から零れたナイフが無情にも地上へ落下。下にいる誰かに当たらないことを願いつつ、戻した血の腕とは別にもう一つの腕を生成する。
 赤く、あかく。怪しい輝きを一巡させる腕を引き絞り、目前に落ちてきたクズへ下から掬い上げるようにぶち込む。

「オラァ!!」
「げぶっ!?」

 まだ終わらない。
 無様な悲鳴を上げた肉塊に四本の腕でラッシュを仕掛ける。
 顔面、腹、股間、腕、脚。
 鳩尾、肝臓、肺、心臓。
 人体の急所を何度も何度も殴りつけ、その衝撃でゲスの身体が浮き続ける。
 数十秒にも及ぶ拳の蹂躙だ。左腕の怪我? 全身の激痛? そんなものは知らん。
 たった今、この瞬間にその程度の障害で止まってたまるか。
 言いたいことは諸々あるが、善も悪も一切合切含めて。
 この場に居ない誰かの気持ちの代弁だとか、法の代わりに私刑で裁くなんてもっともらしい理由は投げ捨てて──

「邪ッッッ!!」

 円の動きに乗せて、固く握り締めた拳を振り下ろす。
 青アザだらけの顔面に突き刺さった一撃はゴミの芯の部分を揺らし、意識を奪い、二度、三度と水面を跳ねる水切りの石のように身体をバウンドさせた。
 血や涙、汗を垂れ流しながらゴミが沈黙する。手加減したから……生きてはいる。
 物言わぬ生ゴミから視線を逸らし、砕けた骨が皮膚を突き破っている両手の甲を見る。あれだけ連続で容赦なく攻め立てたらこうもなるか。
 特に左腕は骨が噛み砕かれていたようで、青黒く変色していて見た目が痛々しい。いや、実際とても痛い。破茶滅茶に痛い。
 早々に処置するべきだが、今は魔法で治せるだけの魔力も、ポーション類も手元に無いのでどうにもできない。
 あまり傷口を見るのも外気に晒すのも悪いので、仕方なく上から帯で締め付けた。視界が潤む程に凄まじい激痛が身体中に響くが、何とかこらえる。
 ふらつきながらゴミが抱えていた金庫の方に向かい──扉が外れ、中から転がり出た極彩色に光る液体が入った小瓶を拾う。
 念の為に鑑定スキルで……うん、名前しか判明できないけど、ちゃんとエリクシルだ。
 こじ開ける手間が省けてよかったというよりは、中身が無事でよかったと喜ぶべきか。
 小瓶を布の切れ端で保護してポケットに。ついでに金庫の中に入っていた書類を全て抜き取っておく。
 そして、最後に。

「……ユキ」

 静かに寝息を立てる彼女の縄を解き、横抱きにして持ち上げる。
 手術用の衣服に身を包んでいるが目立った外傷はなく、乱暴された跡などは見当たらなかった。
 自然と溢れた安堵の息を仮面の内に落とす。
 それにしても軽いな。あまりにも軽くて、強風が吹けば今にも飛んでいってしまいそうだ。
 血が滲む手で手放さないように支えて、踵を返すと遠くに見える飛行艇らしき物体の影に気づいた。
 ──その影に突如として飛来した巨大なガレキが激突。爆発と黒煙を上げながら墜落し、爆散した。
 喉の奥がキュッと絞まる。荒唐無稽な光景に声が出そうになったが、十中八九、やったのはカラミティの誰かだと思えば幾分か冷静になれた。
 特にファーストやセカンドのようなナンバーズは得体の知れない実力者揃いだ。常識では考えられない手段で、あんなことをするヤツがいてもおかしくはない。
 きっとそうなんだと心の中で自分に言い聞かせて、何度目かも分からない溜め息を吐いていると、空けた穴から物音がして。

「──なにボーッと突っ立ってんだ」
「──そっちの様子はどう?」
「──よいしょっと~」
「君達どっから湧いて出てきてるの。素直に階段使いなよ」
「折角の近道だし、使わないと損かなって」

 情報統合室に放置してきた三人が這い出てきた。
 おびただしい量の返り血を垂らしているが、もしかして徘徊していた実験体を殲滅してきたのだろうか。……そうだとして、あれだけの数を相手に多少の疲れすら感じさせないというのは凄いな。
 ファーストとクラッシュは生ゴミと化した社長の方へ向かい、黄色と黒色のロープで縛り始める。
 セカンドは眠っているユキの頬を撫でて、眼帯の付いていない左目を優しげに細めた。

「ケガは、してないみたいだね。……よかった」
「ああ。どうも麻酔で眠らされてたみたいだけど、もう効果も切れてて普通に寝てるだけなんだ」
「そう──って、ネームレス、その腕は……」
「ちょっと色々あってね。とんでもなく痛いけど、後でちゃんと治すから気にしないでくれ。……で、なんでそいつを縛り上げてるんだ?」

 赤黒い染みが滲む腕を見るセカンドにそう言って、簀巻きにされた社長だったモノを米俵の如く担いだファーストに聞く。
 俺を鋭い目つきで睨みつけてから、少し機嫌が悪そうに答えた。

「《デミウル》が崩壊した以上、こいつの価値なんて俺達には毛ほどもありャしねェ、それは確かだ。……が、うちのボスが最後の仕上げにこいつの身柄が必要だから、確保しておけとよ」
「……何をするかは知らないけど、最終的に独房にぶち込んでくれれば文句ないよ、俺は」
「なんだ、自分の手で首を飛ばすのは嫌だってか?」
「いや、死ねないギリギリまで痛めつけたから。これまでおとしめてきた人達の苦しみを存分に味わいながら、世間の誹謗中傷の的となり肉体的にも精神的にも追い込まれて生きたまま死んでほしいなって。ここまでズタボロにした俺が言うのもなんけど、簡単に亡くなってもらっては困るよ」
「お、おう」
「ファーストが若干引いてるって珍しいですね~」
「うん。初めて見たかも」
「へー、そうなんだ」

 暗部組織で活動してるなら拷問とか平気な顔してやりそうだし、この程度の責め方なんてぬるいって言われると思った。というか、もしかして本社に来た理由って社長だったモノをアジトに持ち帰る為か……だったらあの時、ちゃんと言えば手伝ってくれたのかもしれないな。
 疑問の解消に納得しつつ、俺達に見つめられたファーストは舌打ちをして、コウモリ羽の翼を広げる。

「もうここに用はねェだろ、先に戻ってるぞ」

 返事を待たずに、屋上の端から飛び降りる。
 セカンドと違って、ファーストは二人分の重量でも難なく飛行し、あっという間に夜の帳に消えていった。

「さて、他の面子も撤収し始めてますし、私達も帰りましょうか~。シャワー浴びたいです、ってネームレスさんとセカンドはこのまま解散するんでしたっけ?」
「この子を家族の所へ連れていかないといけないから。悪いけど、後処理は頼んだ」
「う~ん、この無責任さとどうでもよさを感じる言い方……もしやこれがちまたで噂のパワハラ……?」
「私以外のナンバーズに比べたら良い方じゃない」
「その通りなんですけど~、今回だって私の活躍で上手くいったようなものじゃないですか? なのにみ~んな私を雑に扱う……訴えても勝てると思いますよ?」
「……ふぅ。分かった、後で何か奢るよ。それでいいでしょ」
「やた! じゃあ、楽しみにしてますね~。ネームレスさんもお疲れさまでした」
「ああ。……本当に、手伝ってくれてありがとう」

 諸手もろてを挙げて喜ぶクラッシュに頭を下げる。
 先行隊として潜入していた彼女の手引きが無ければ、ここまでスムーズには動けなかっただろう。
 《デミウル》を潰す、ユキを救出する。両方を完璧にこなせたのは、セカンドはもちろん、裏方としてサポートしてくれた彼女の尽力があってこそだ。
 一瞬、きょとんとした表情を浮かべて。
 それからにこやかに笑った彼女はヒラヒラと手を振ってから、手にした可変兵装を空に向けて撃つ。
 何発か放たれた弾丸は空中で弾け、同時に大気の魔素を青く染め、空気を凍てつかせて氷塊を生み出す。
 出来上がった歯抜けの階段の落下に合わせて飛び移るクラッシュは、軽快に地上へと降りていった。
 ……ああいう動きを見ていると、ナンバーズでないにしろ、名前付きである彼女もカラミティの中では実力者なんだな。

「……アレは顔も名前も知らない相手であろうと、少しの特徴さえ分かれば十分程度で詳細な個人情報をすっぱ抜く情報戦特化の構成員。優秀だけど、暇さえあれば魔導ネットワーク上で中小企業にちょっかいを出して炎上させ、ことごとく潰していく危険人物。安易に他人を信じられない性格で、相手の過去を全て明かそうとする悪癖がある。そのせいでカラミティでも若干疎まれてるから、気を付けて」
「あ、うん。心配してくれてありがとう?」

 なぜか無表情で、セカンドは聞いてもいないクラッシュの情報を早口で教えてくれた。
 なんだか、怒ってる? 機嫌を損ねるようなことでもしたっけ? と首を傾げるも答えは出ず。
 そんな疑問もセカンドが羽を広げたことで振り払われた。

「えっ、もしや颯爽と一人で立ち去るおつもりですか……? 俺、置いてかれるの? こうやって立ってるのも限界なんだけど……」
「置いていくわけない。言ったでしょ、滞空するくらいなら君を抱えても問題ないって。この高さなら滑空も出来るし、安全に降りられる」
「ああ、そっか。でもユキの重さも足される訳だけど、いける?」
「…………さっ、降りるよ」
「ねえ、その間は何? 明らかに不安そうだったよね、っていうか言い淀んだよね? ちょっと、その手に持ったロープでどうす、あっ、お互いを結んで命綱代わりにするのね。いやそんなのはどうでもよくて」

 セカンドは目線を合わせないまま、お互いの胴にロープを回して端をキツく縛った。そのわずかな衝撃ですら副作用で軋む身体には厳しく、捲し立てた口が強制的に閉じられる。
 荒くなる呼吸を静める暇もなく、背中を押された。
 さっきは投げ飛ばされても何とも思わなかった地上までの光景に、全身から冷や汗が流れ、背筋を泡立たせる。
 そして、背後から腹に回された両腕の体温に、布越しに伝わる胸の感触に、これから起きるであろう事態に心臓の鼓動が加速していく。

「うだうだ言ってないで、ユキをしっかり掴んで離さないで」
「あっちょっま」

 ──薄々と、予想はしていた浮遊感。
 風を切る音が、後ろに延びる視界が、感じないようにしていた恐怖心を煽る。それでも悲鳴を上げず、ただただユキの身体をぎゅっと抱き締めた。
 数秒で最高速まで加速した身体は直後、広げた翼の抵抗によって緩やかになり、そのまま高層ビルの谷間を縫うように飛んでいく。
 普通であればありえない。こんな風に空を飛ぶなど、簡単に経験できることではない。
 子どもの時は青く澄んだ大空に憧れを抱き、悠々と飛び回る鳥を見て羨ましいと思った。
 俺なんかが飛べる訳がない、でもいつか、どこかで空を飛べるかもしれない。
 そんな妥協を覚えてからは、焦がれるように空を見上げることが多かった。
 その憧憬が今、ここにある。場違いな思いだとは分かっている。けれど、流れる街並みを見下ろしながら、心に浮かんできたのは嬉々とした感情だった。

「……うん、大丈夫そう。このまま《ディスカード》の大型ファンまで向かうよ。動作は停止させてるはずだし、あそこなら子ども達の所まで一直線で行ける、ってなんだか嬉しそう?」
「その、実はこうやって空を飛ぶのが夢だった時期があってさ。まさかこんな状況で体験できるとは思ってなくて……ありがとう、セカンド」
「あんな目に遭ったってのに、君は本当、神経が図太いというかなんというか……色んなことを気にしないね」
「本社の中でも言ってたけど、それ、褒めてる?」
「想像に任せる」

 頭上から落ちる笑みを含んだ声。
 今の言葉は、どちらの彼女のものだろうか。セカンドか、ルシアか。それを判断するには何もかもが足りない。
 本来なら交わるはずが無かったんだ。元々の立場が違う上に、《ディスカード》で偶然出会った時から。俺が彼女について知っていい資格も無ければ、聞いていい理由もない。
 だから──今は分からなくていい。この時でなくても、また会った時に。
 敵か味方か、定かでない時にでも、彼女の口から聞ければいい。
 背中を預けた仲間への信頼として、何も言わず。
 未だ晴れない曇り空を背に──街の明かりも届かない暗がりへと落ちていく。
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