自称平凡少年の異世界学園生活

木島綾太

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【七ノ章】日輪が示す道の先に

第一九〇話 怨親平等

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 激痛に苛まれたせいか裁判中の威勢はどこにもなく、小声で痛みを訴えながら、無様な姿のまま連行されていくシュカ。
 ミカドに対し協力的だったとしても、肉親の不始末を着けるべく後を追って弁護席を離れたマチ。
 裁判に関わる何人かの姿が消え、怒涛の展開で疲れ果てた傍聴席の幾人かが吐息を漏らす。ミカドはそんな彼らを見渡して、最後にクロトの方を向いて近づき、ゆっくりと頭を下げた。

「此度の一件。我ら日輪の国アマテラスの政治事情に其方を巻き込んでしまい、すまなかった。謝罪で済むような話でないにしろ、要らぬ怪我を負わせたのは事実。本当に、申し訳ない」

 一国の王が個人へこうべを垂れる。通常時、というよりも人の目が多い場所ではありえざる行動に周囲がざわめく。
 しかし、態度と裏腹に胸中では妥当だとも感じていた。当然だ。何も知らない、分かるはずもない状況で国家の問題に組み込まれ、利用されていたのだから。

「現人神の神器“始源しげん円輪えんりん”様に対しても、人の世情に口を挟ませてしまい……」
『オレに謝罪は必要ない。救われたのだから、恩を返す。至極真っ当な理由で動いただけに過ぎん』

 食い気味に言い返し、キノスはクロトの傍で浮遊する。
 この場において最も報恩謝徳ほうおんしゃとくの精神を貫く言葉にミカドは目を見開き、気まずそうに唇を結ぶ。

『そも貴様がもっと早く動いていれば、この少年が傷つくこともなく穏便に事態を収束させられたはずだ。何の思惑があって放置していたかなど知らぬが、せいぜい反省することだな』
「……忠告、痛み入る所存です」

 喋る神器に相対する国王、それを見守る弁護席の人員に傍聴席。
 夢物語にも思える裁判場の状態だ。そうでもなければ血で血を洗うような、もっと悲惨な状況におちいっていた可能性は高いが。

『まったく……クロト、気は確かか? まだ声は聞こえているか?』

 キノスは小声で、無言のままに立ち尽くすクロトに呼び掛ける。
 視覚はともかく聴覚に異常は無いはずだが、反応が見られない。それどころか何もない場所に顔を、光を通さない眼差しを向けて、ただ呆然としている。
 裁判は終わり、残すべくはクロトの治療のみ。それは喜ばしいことのはずだ。にもかかわらず、嫌な予感が沸き立つ。
 不審に感じたキノスは刀身を近づける。呼吸は浅く繰り返され、心臓は恐ろしいほど遅くつづみを打っていた。

『……まずいっ!』

 咄嗟の判断で小器用にも刀身を奔らせ、クロトの手錠を切り裂く。
 裁判長の指示で、拘束を解くべく近づいてきていた護心組ごしんぐみの手出しよりも早く、バラバラになった手錠が被告席に落ちる。
 その衝撃でふらり、と。力無く倒れようとしたクロトを、近くにいて駆け寄ったカグヤが抱きとめる。

「クロトさ、っ」

 段差から降ろし、呼び掛けようと名を口にし、即座に漂ってきた濃密な血の臭いに咳き込む。
 傷に響かぬように小さく抑えて、服が汚れようとも気にせず。
 たった一人の出血量とは思えないほどの血を垂れ流し、それでもなお意識を留めているクロトを見下ろす。

「ぅ、だれ……てじょう、俺、倒れて……」
「大丈夫です、クロトさん。もう全部終わりましたから!」
「この、声。カグヤ……?」

 おもむろに折れていない右腕を伸ばし、見えない視界でカグヤを探す。
 血塗れの手で探る様子を見て、カグヤはその手を取って自身の左頬に触れさせる。生乾きの血化粧が白肌を彩った。

「ここにいます。私は、ここにいますから。すぐに怪我も良くなります、目も見えるようになります……だから、安心してください……!」
「──そっか」

 裁判中の強気な態度とは打って変わり、クロトは弱々しく返答する。表情は暗く、頬に触れる手は冷たくも身体は異常に熱く、反して生気の無い肌色が不気味さを助長させていた。
 死に近づき過ぎた人の姿に、過去の欝々とした記憶が蘇る。腹の底から湧き出る反射的で生理的な嫌悪感を抑えるカグヤの元へ、キノスが近づいた。

『手荒な真似をしていすまないが、もはや手をこまねいている場合ではない。く治療することを推奨する』
「貴方は……魔剣の意思?」
『そうだ。……言の葉を交わし、自己紹介したい所だが時間が無い。まずオレを味方だと捉えればいい。何よりも優先すべきはクロトの状態改善だ』
「っ、分かりました」

 裁判場へ不審物は持ち込めないため、ポーション類は手元にない。
 手軽な回復剤が無い分、傷口に手拭いを当て、しないよりはマシな応急手当を施す。
 弁護席の皆も集い、改めて痛ましい状態を視認する。ある者は歯を食い縛り、ある者は両の拳を握り締め、ある者はミカドを鋭く睨む。
 彼らと同様にミカドもまた、クロトの様子を確認すべく近づこうとするも向けられる敵意にたたらを踏んでいた。

 そうするべきではないと、不敬であると分かっていても冷静でいられない。このような事態を引き起こした人物へ、憎悪を向けるのは当然の反応だった。
 されど、そんな些細な感情すら放置して膝を着いたシルフィは、すぐさま魔法を自身の目に展開しクロトを診断する。

「先生、一刻を争います! クロトさんの治療を……!」
「っ、ダメです! 回復しようにも栄養不足に体力の低下、大量失血に度重なる負傷。魔力も枯渇している上に、迷宮の呪いによる損傷のせいで全身の魔力回路が機能していません。当人が衰弱し過ぎていて効果が薄く、むしろ魔法を掛けては魔力に干渉し逆効果に……」
「そんな……なんとかなりませんか!?」
「クロトさんの血液魔法、生命魔法であれば、あるいは……でも」

 魔力が無い以上、出来る訳が無い。しかし、とシルフィは脳裏をよぎる否定の思考を振り払う。
 可能性があるとすればフェネスの生命の炎がある。彼女を召喚し、炎を放射すれば一命は取りとめるだろう。
 問題は、いかに当人の意思を無視して自由に召喚を繰り返す者であっても、召喚者の意思が正常でなければ発動しないということ。
 意識が明瞭、あるいは気絶した状態であれば、制限の緩いソラやフェネスは勝手に出てくる。だが、本人の意識が夢現ゆめうつつの曖昧な境界線上にあり、辛うじて繋ぎ止められている現状では頼れない。

 あるいはクロトの魔法に類する力ならば、彼を癒すことは可能だろう。そんな都合の良い物はセリスのスキルぐらいだろうが、クロトほどの重傷者が相手では先にスキルを使う体力を消費し切る。
 加えて御旗みはた槍斧そうふがあるならまだしも、未だ不安定さの残る彼女ではスキルの制御を暴走させる恐れがあった。けれども、諦める理由にはならない。

「……魔力から魔法へ、魔法から命へ。干渉させずに、根源的な部分へ変換する。……術式魔法イグジストで生命魔法を模倣するしかない」
「出来るんですか?」
「正直、やってみないことには……」

 いかに魔力、魔法、魔術に精通したシルフィであっても、特殊属性の魔法を疑似再現するなど成功した試しが無い。
 過去に学園長、フレンの神秘魔法アルカナムを再現しようとしたが、構築中にまさかの魔力切れを起こすという不甲斐ない結果となったのは記憶に新しい。
 魔術を利用していた時期ですら起きた覚えのない事象に遭遇し、それ以来特殊属性の魔法は再現しないようにしていたのだ。

「──いや、やってみせます」

 しかし、生命魔法の理論は単純明快。
 治癒や回復魔法を行使した際に生まれる万能細胞の機能を、極限まで増幅し損傷に作用させる
 異なりつつも似通った性質を持つ魔法なら、クロトほどの手際でなくとも双方の負担や消耗は少なく、確実に発動できる。

「“巡る輪廻 循環する命 素は火であり水であり”」

 おもむろに、おごそかに、静かに詠唱がつづられる。
 ミカドの身辺警護に当たる者達が警戒を露わにし、腰に下げた刀へ手を掛けるも、彼は詠唱の中身が攻撃的でないと気づき手で制した。

「“永遠とわにあらず またたきの如く 不変の輝きを”」

 周囲の魔素マナが反応し、シルフィから湯水のように溢れ出る魔力が淡く、虹色の粒子へ染まり、散っていく。
 空中を漂い、地面や人肌に触れた途端、雪のように溶けだした先に光を纏わせる。柔らかく温かい感覚はまさしく、生命魔法に酷似していた。

「“器に満たせ 心に満たせ 始まりの円環に回帰せよ”!」

 シルフィの独自解釈によって告げられた術式は、クロトのように眩い光をもたらすことはなく、されど血まみれの身体に作用し確かに傷を癒していく。
 糸を編むように、緩やかに傷口が閉じる。
 時が巻き戻るように、折れた手足が元の位置へ。
 奇跡の御業を疑う光景に、周りからは感嘆の声が上がる──反面、シルフィの表情はかんばしくなかった。

「……っ、魔力が、無くなる……!」

 魔法という分野における摂理を何段も飛ばして実行できる術式魔法イグジストであっても、やはり特殊属性の再現という無茶を押し通している弊害が出ていた。
 無尽蔵にほぼ近いシルフィの魔力が異常な速度で擦り減っている。自身の中で、魔力器官が渇いていく実感があったのだ。
 対して疑似生命魔法の効果は薄く、想定よりも直りが遅い。特に重要な両目の再生がおこなわれていなかった。

「うぐっ!?」
「先生!」

 魔力切れの頭痛が脳天を揺らし、魔法が霧散する。
 たった数十秒の行使で体内の魔力を消費し切った。なのに、クロトの身体は不完全にしか治癒されていない。シルフィの不手際ではなく、血も栄養も魔力も、何もかもが足りていないのだ。

「……ごめん、ね」
「クロトさん?」

 シルフィの霞む視界の奥で、赤に染まったクロトの眼差しが天を仰ぐ。
 影と光の差を判別するだけの瞳は人の顔を認識する事が出来ず、周りに感じる気配に対して小さな声で謝り、耳にしたカグヤが聞き返す。

「うそ、ばっかり、ついて……きずを、いたみを……ほんと、じゃなくても、ひどいことを……」

 わずかに回復したといえど苦痛はある。それでも、まとまらない言葉の羅列が静まった裁判場に響く。
 未だ言論統制の呪符が作用しており、反応していない以上、クロトの言葉に虚偽は無かった。
 誰よりも傷ついて、擦り切れて、今にも死んでしまいそうだというのに。一時とはいえ仲間の心を踏み躙り、裏切ったことをクロトは悔やんでいた。

「いいたく、なかった……このくにを、きらいになりたく、なかった……できることは、したけど……あまり、だれかを、せめないで」
『──っ』

 この期に及んで、自らを取り巻く第三者へのフォローに回る気遣い。
 今回の一連の流れにおける被害者筆頭の口から、全方面へのケアを促す発言。
 言外にミカドの思惑に踊らされた結果であっても、一身に受けたあらゆる悪評、謂れの無い罪状に関する復讐は既に果たした。
 ならば王家とクロトを支持する者の対立、軋轢を緩和する次善の策を実施しなくては、と。個人で考えたにはあまりにも複雑で思慮深い対応を取った。

 ……なお、実際は脳内でレオ達に説得された為、無茶を通して口を開いただけで。
 聞かされた者にはそうまで言わせてしまった、という自責の念を植え付けている。急ごしらえのアドリブが最高と最悪の結果を招いていた。

「かえろう、いえに……じかんが、たてば、きっと、なおせる」
「っ、ですが!」

 クロトが途切れ途切れに言った内容は、決して間違いではない。十分な休息を取って体力と魔力が回復し、フェネスの協力もあれば身体は直せる。
 しかし、おびただしい失血と負傷のまま移動させるのは無理だ。疑似生命魔法で直したとて今のクロトが耐えられるか分からない。
 そもそも医療施設で適切な治療を施さなくては確実に後遺症が残る。

 現にその問題を解決すべく、ミカドは医師を手配せんと手を打とうとした。が、好印象を持たない立場の人間から受ける施しをクロトが、周囲の人間が甘んじて受けるだろうか。
 口頭で気遣いとフォロー、許しこそすれど敵と断定した相手からの施しだ。強制も出来なければ、快く受け入れもしない。足踏みするのも仕方のないこと。
 オルレスほど気心の知れたかかりつけ医がいれば問答無用で麻酔を叩き込み、治療室に放り込んで万全な手術を実施するだろう。だが、この場にいない人間を求めても意味は無い。

「どうすれば……!」
「ぜえ、ふう……やっと着いた。どうやら、お困りのようね! まったく、国の重鎮が揃いも揃って情けない!」

 逡巡する者達に声が降りかかる。
 アカツキ荘の皆ならば、よく知る声の主へ視線を向ければ。

「さて──彼は例によって、なんかやって無茶して死にかけてるんでしょ? でも私が来たからには安心しなさい! 下手な事にはならないわっ!」

 ガニ股で、肩で息をしながら、青ざめた顔に汗を流して。
 裁判場の入り口から全体を見渡し、クロト達が置かれた状況を超速で理解した学園長、アーミラ・フレンがいた。
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