ちゃんばら多角形(ポリゴン)

柚緒駆

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第十三章 天正十一年十二月三十一日

四十四 井戸端

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【顕如の日記】

 寺内町からは人の賑わいが消えてしまった。聞けば岸和田の町も同様だという話だ。みな戦を恐れているのだろう。噂通りなら、根来雑賀が大挙して岸和田を襲うという事である。雑賀衆の鉄砲の威力は、私が一番知っている。大坂の戦では、本当に頼りになった。そして根来の行人の強さも良く知っている。根来雑賀の一揆衆は、今となっては随一の一揆であろう。正面切って戦えば、勝てない大名も多々あるはずだ。

 だがそれでも、秀吉公の勢力には遠く及ばない。なのに今、秀吉公を刺激するのはどういう訳だ。根来にも雑賀にも、あるいは粉河や高野山にも、それぞれ秀吉公と因縁があるのは知っている。しかし今このとき、岸和田を襲う理由がわからない。もしや誰かに焚きつけられたか。だとするなら、やはり徳川殿だろうか。

 堀村の辺りで鉄砲の音が聞こえたという話も伝わっている。ああ、胃が痛い。

 ◆ ◆ ◆



 水のニオイがする。目を開ける前にナギサはそう思った。目を開くと、もう日が傾いているらしく、周囲は薄暗くなっていた。自分は横になっているようだ。視界の真正面を雲が流れて行く。

「あ……」

 声を出してみた。喉が痛むかとも思ったが、それはないようだ。

「法師殿、目が覚めましたか」

 孫一郎の顔が見えた。隣にみぞれの顔もある。

「……ここは」
「堀村の井戸端を借りましてね」

 ナギサの問いに海塚の声が答えた。

村長むらおさは年に何度か卜半斎さまの所に顔を出す人ですから、話が早くて助かりました」

 ナギサは上半身を起こした。すかさず孫一郎が背中に手を回す。

「ピクシー、私の身体の状態は」

 つぶやくナギサの視界の隅で緑色のこびとが踊る。

「首の周囲に擦過傷がある。あとは短時間の酸欠によって脳が多少のダメージを受けているけど、すでに回復している。総合的には大きな問題はないと言えるね」
「了解」

「大丈夫?」

 みぞれが心配げにのぞき込む。ナギサはおでこをコツンと当てて、「大丈夫」と言った。

 井戸から少し離れた場所で焚き火が燃えている。孫一郎はナギサを近くに連れて行った。その火をつついているのは、ナギサの知らない青年。

「法師殿、ちょっと待っていてくだされ。今、薪を増やしますので」

 孫一郎が立ち上がろうとすると、先に青年が立ち上がった。

「いいよ、俺が持ってくるから、あんたは火に当たってろ」
「いや、だが甚六」

「あんた古川の当主になるんだろ。いい加減、人の使い方を覚えろよ」
「……すまん」

 その孫一郎の一言に、甚六と呼ばれた青年は切れた。

「あんたに謝られたくはねえんだよ!」

 そして大股で薪の方に向かった。

「孫一郎の知り合いなの?」

 甚六の背中を横目に見ながら、ナギサはたずねた。孫一郎はうなずく。

「それがしの家で働いている者です。旅の途中、ずっと陰から護っていてくれたようで。あの者の父親を含めて仲間が三人、この和泉国で亡くなったそうです」
「そっか、それで」

「……それがしは、周りに不幸をバラ撒いているのですね」

 そうつぶやく孫一郎の頭頂部に、ナギサはチョップを入れた。

「あて」
「そういう考え方、直した方が良いよ」

「そうら見ろ」

 甚六は孫一郎から少し離れて座った。そして仏頂面で薪を一本火に投げ込むと、こう言った。

「誰だってそう思うんだよ。いつまでもウジウジしやがって」

 孫一郎は不思議そうな顔で、首をかしげた。

「いつまでも……もしかして甚六は、椿の事で怒っているのか?」

 甚六が怒りの形相を浮かべたとき。

「お武家さまは大変ですね。他人を使うとか使われるとか、面倒臭い話です」

 海塚が火に近付いて来た。

「海塚さまも本願寺で使われているではないですか」

 孫一郎はそう言いながら、ふと気付いた。

「そう言えば海塚さま、お家に戻らなくて良いのですか」
「先ほど村の人に使いを頼みました。一日二日戻らなくても問題ないですよ」

「ですが卜半斎さまが」
「あの方は融通が利きますので、何とかするでしょう。そんな事よりも」

 海塚はみぞれを見つめた。みぞれはナギサの隣で、うつむいて座っている。

「そろそろ教えてくれても良いんじゃないですか。あの化け物じみたお嬢さんは何者なんです。知ってるのでしょう」

 一同の視線がみぞれに注がれる。ナギサは手を伸ばし、みぞれの肩を抱いた。

「……竜胆。服部竜胆。服部半蔵の娘」

 みぞれの言葉に、時間の流れが止まったかのような、しばしの静寂。火がパチリと音を立てた。

「服部ですか。これはまた、こんな田舎にえらい大物が出てきたものですね」

 さしもの海塚も、驚いたような呆れたような顔を見せた。

「忍びの元締めかよ。そりゃあ俺たちじゃ敵わない訳だ」

 甚六もうめくような声を上げた。

「でもその服部が、どうしてみぞれを」

 孫一郎の問いに、みぞれは指先を火に向けた。すると。

 火が大きくなる。どんどん大きくなる。そして突然上に伸びた。高く高く伸び、火柱となった。やがて巨大な火柱はうねりだし、その先端に口が開いた。牙を並べた大きな口が、天を飲み込まんばかりに開いた。ついに火柱は龍となり、夕焼け空高く、踊るように駆け上っていった。

「……今のは、幻?」

 みぞれ以外の一同が唖然と空を見上げる中、孫一郎が何とか声を出した。みぞれはその問いには答えず、こう言った。

「他にもイロイロできる。遠くのものを見たり、先々の事を言い当てたり。だからみぞれはさらわれた。だから徳川家康の所に連れて行かれる事になった」
「ああ、もう良いです。もう充分」

 海塚の言葉がみぞれの口を止めた。

「これは無理ですね。私たちの手には負えません。家康とか秀吉とかが出てきたら、もうお手上げです」
「ですが、海塚さま」

「お黙りなさい」

 海塚の厳しい声に孫一郎は押し黙った。

「良いですか、世の中にはできる事とできない事があります。頑張れば何でもできるなどというのは世迷い言です。たとえばあなたの家は会津の蘆名家の御家中ですよね。もしあなたがここで頑張ったせいで、蘆名家が徳川家康の恨みを買ったらどうします。あなたにどうにかできると本当に思いますか」

「思いません」

 孫一郎は即答した。

「それならば」
「ですが」

 孫一郎は続けた。

「それがしにとって、蘆名のお家は大事ですが、お家だけが大事なのではありません。他にも大事なものはあります。そのどちらかのために、もう一方を諦めるなど、それがしにはできません。それに」

 孫一郎の頬を涙が伝う。甚六は目をそらした。

「今ここで諦めたら、それがしは二度と妹に顔向けができません。それは死ぬよりつらい事です」
「死んだ者に忠義立てですか。お武家さまの考えそうな事ですね。馬鹿馬鹿しい」

 海塚は呆れたようにため息をついたが、それ以上何も言わなかった。


 しばらくして日の落ちた頃、焚き火をつつきながら甚六が言った。

「当面の問題は、あのお姫さまをどうやって捜すかじゃないのか。まさか放っておく訳にも行かんのだろう?」
「それなら何とかなると思う」

 ナギサが答えた。そして小さくつぶやく。

「ピクシー、発信器は」

 緑色のこびとは楽しそうに踊る。

「まだ反応は生きている。どうやら岸和田にいるようだと言えるね」
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