アイアンハート――宇宙樹と歌う世界

柚緒駆

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33.声を

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 雷鳴が響きひょうが降る中を、ロボ之助は走り続けた。クネクネと曲がりくねった道を上へ上へと登って行く。いつしか雷鳴は遠くなり、雹は止んだ。だがそれに代わり目の前に現れたのは、雪。一面が真っ白に覆われて、道路も見えない。

 立ち止まったロボ之助は、胸のハッチを開けた。給油口を開き、そこに右手に持ったポリタンクのガソリンを流し込む。

「よし、満タン」

 ガソリンがまだ少し残ったポリタンクを地面に置くと、ロボ之助は給油口を閉め、胸のハッチを閉じた。タイヤを格納すると、両脚が飛び出す。

「博士の作ってくれたこの体、この程度でへこたれるもんか。こんなときこそ、根性だ!」

 ロボ之助は両手をついて四つん這いになった。

「行くぞ、4WDだ!」

 その姿勢のまま、ロボ之助は真っ直ぐフジヤマの頂上へと進んだ。雪の下には砂利が、小石が、転がる岩があった。けれど手を取られ、足を掬われ、滑り、転ぼうとも、尖った岩盤がボディをへこませ、傷つけようとも、ロボ之助は止まらなかった。前進することをやめなかった。

 川の水を掻き出すことに比べたら、どうってことあるもんか。ゴールが見えてるんだから。ロボ之助の両目に輝くサーチライトの光は、揺らぐことなく頂上を差し続けていた。


 そのロボ之助の姿はまるで、逆巻く荒海に挑む小舟の如き様に見えた。知恵の神殿の中央司令室はしばし沈黙に包まれた。それを破ったのはアルファ501。

「クエピコ、我々に今できることはないのか」

 苛立ちをクエピコにぶつけてみても意味はない。それは理解しているのだが。

「回答する。何もない。君たちがロボットであり人間である以上、あそこに近付くことは許可されない。ここでただ状況の推移を見守る以外の選択肢はない」

 しかしアルファ501は食い下がった。

「それはわかっている。だがそれでも、それでも何か、少しでもいい、本当にできることはないのか」

 それは問いと言うより、懇願に近かった。一瞬の間。クエピコが迷っているようにイプシロン7408には思えた。

「……回答する。ならば、声を送れ」
「声を、送る?」

 虚を突かれた。予想だにしていなかった返答に、アルファ501は戸惑った。クエピコは言う。

「それが意味のある事なのか、効果のある事なのかは不明だ。だがかつて人間たちは、自らが参加できぬ状況下において、同胞に対して声を送っていた。効果の存在する蓋然性は低くない」

「どんな声を送ったのだ」
「回答する。一言、『頑張れ』と」

「頑張れ……」

 まだカラス型ツーラーとの回線は途切れていない。そのスピーカー機能を起動さえすれば、こちらの声はロボ之助に届くだろう。けれどそんな事をして意味があるのか、自問する声がアルファ501の内面にあった。だが。

「クエピコ、スピーカー起動」
「了解。スピーカーの起動を確認」

 何かをしなければ。その気持ちが、何かをせずにおれない衝動がアルファ501を突き動かした。雪を蹴立てて進むモニターの向こう側に、あらん限りの声を送った。

「頑張れ、ロボ之助さま!」

 イプシロン7408も叫んだ。

「頑張れ、神さま!」

 イオタ666は手を叩いた。

「頑張ってください!」

 ジョセフ・カッパーバンドは手を合わせ祈った。

「頑張ってくれ、頼む!」


――頑張れ、頑張れ、頑張れ

 その声は遠くから聞こえてくるような、それとも近くから聞こえているような。いまのロボ之助にはよくわからなかった。雪の壁は厚くなり、風の唸りは強くなる。強烈なブリザードに襲われながら、でもその顔は笑っていた。

 博士、おいらを応援してくれる人が居るよ。おいら、今度は間違ってないみたいだよ。だから急がなきゃ。前に進まなきゃ。

 ラジエターの不凍液が凍り付きそうな極地の冷たい風を裂き、ロボ之助は駆けた。頂上へ、ただ頂上へ。そのとき、ロボ之助の聴覚センサに、懐かしい声が聞こえた気がした。

 おう、目え開けろ。

 ロボ之助は目を見開いた。どの辺りから目を閉じていたのだろうか。いつの間にかブリザードは止み、闇が静寂を従えていた。空に星はない。それはそうだ、茂りに茂った宇宙樹の枝葉が空を覆い尽くしていたのだから。


 キンと澄み切った空気の向こうに、巨大な幹が見えている。その根元に、何かがある。ロボ之助のサーチライトがそこを照らすと、宇宙樹の根が籠状に空間を包んでいた。その中に動く影が。

「ロボ之助さん!」

 ドリス・カッパーバンドが囚われていた。どうやら無事らしい。

「ドリちゃん」

 思わずロボ之助が駆け寄ろうとすると、根で編まれた籠の上部に、赤い光が浮かんだ。それは瞳。赤く輝く眼が姿を現した。その瞳の中心が盛り上がる。何かが出て来る。手。小さな小さな左手が、次いで小さな小さな右手が現れた。頭が、顔が、胸が、腰が現れたところでそれは止まった。

 小さな体を包んでいた赤い光は徐々に薄れ、腰まである長い髪にのみ留まった。体は緑色に変わり、その背には透明な羽根が生えている。気の強そうな顔。ロボ之助の記憶にある顔だった。

「……やあ、久しぶりだね」

 ロボ之助のかけた声が聞こえたのかどうか。その妖精の如き小さな体は、さらに小さな唇を開いた。

「機械の子よ。何故なにゆえここに来た」
「ドリちゃんを助けに来た。それと、また君に会いたかったから」

 ロボ之助の浮かべた笑顔を、妖精は見開いた冷たい目で見つめた。

「我に会ってどうする」
「謝りたかったんだ。人間が酷い事をしてごめんね。でもね、人間がみんな酷い訳じゃないんだよ。だからお願い、許してあげて」

「傲慢なり」妖精は吐き捨てるように言った。「人間ですらない作り物が、人間の罪を許せという。そんな権利が、そんな資格が己にあると思うてか。そもそもこの害毒しか垂れ流さぬけがれた知的生命に、許す価値があると本当に考えているのか。信じているのか」

 妖精の言葉に、ロボ之助は少し困った顔を見せた。

「おいらが信じてるんじゃないんだ。みんながおいらに教えてくれたんだよ」
「同じだ。おまえはただの機械人形、人間の作った制御情報に従って考える真似事をしているに過ぎない」

 だがそれに応えたロボ之助の言葉に、妖精は口をつぐんだ。

「みんなの中には君も入ってるんだよ」

 ロボ之助は妖精に近づいた。ゆっくりと、静かに、驚かさないように、優しく、愛情を込めて。

「世界がこんなに広いんだって、生きてるってこんなにキラキラしてるんだって、博士や、QPや、ドリちゃんや、この世界のロボットのみんなや、そして君が教えてくれたんだよ」

「我が何を教えたという」

 妖精は少しだけ、後ずさったように見えた。

「歌ってくれたじゃないか。おいら、君の歌が好きだよ。ねえ、もう一度歌ってよ」
「やめろ」

「おいらも一緒に歌うからさ。ちゃんと覚えてるよ。だから歌おう」
「やめぬか!」

 他には音一つしないフジヤマの山頂に、突然音痴のドラ声が響き渡った。
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