魔獣奉賛士

柚緒駆

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絶対的

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 ぼんやりとした薄青い光が夜を落ちる。回転するギーア=タムールの頭部。顔が上を向き横を向き下を向く。何度目か、あるいは何十度目かの回転をした後、計算したかのように首の切断面を真下に向けて動きを止めた。地面には落ちていない。優しく受け止める手があったから。

「兄様」

 月光の将ルーナが静かな笑顔で兄の生首に語りかける。

「油断なさいましたか」

 すると生首は、ギロリとルーナの顔をにらんでこう答えた。

「油断などしていない」
「では気を抜かれましたか。それとも手を抜かれましたか」

「兄を侮るな。気も手も抜きなどしていない」
「ならばお認めになるのですね。ランシャに追い詰められたのだと」

 ギーア=タムールの生首は、さらに鬼の形相でルーナをにらみつけた。

「ザンビエンの力がなければ、ランシャ如きに後れは取らん」
「つまりランシャの力がなければ、ザンビエンに後れは取らない?」

「……まあ、そうだな」

 その口元には笑みが浮かんでいる。

「認めるしかあるまい。ザンビエンとランシャの力の融合は、想像を遙かに上回るものだった。ゲンゼルの横槍がなければ敗れなどしなかったとは言え、追い詰められたのは間違いない」

 その言葉に、ルーナは安心したような笑顔を返した。

「お使いになりますか」

 ギーア=タムールの目には一瞬悲しみと哀れみが浮かんだが、それを決意が塗り潰す。

「そのために、おまえがいるのだろう」
「ええ、そうですね」

 ルーナは兄の生首を左手に乗せ、頭上に掲げた。右手には剣。頑丈そうではあるものの、月の光をおぼろにまとっている以外はこれといって特徴のない、地味な剣。

「兄様」
「何だ」

「天界の勝利を信じております」
「ああ、任せろ」

 そしてルーナは、最後の一言を笑顔で口にする。

「さようなら、ザンビエン」

 次の瞬間、右手の剣がルーナ自身の首を斬り落とした。


 漆黒の首を撥ねんと走る白い閃光。だが魔剣の刃が届く寸前、その体は実体を失い、黒い炎へと変わる。硬さも重みもない姿の中を一瞬で通り抜けるレキンシェル。ランシャは空中で振り子のように体の向きを変え、返す剣でゲンゼルを頭のてっぺんから斬り下ろした。しかしこれまた何の手応えもなくゲンゼルの中を通過する。ゆらめく顔が笑った。

「そなたの動きは見切った」

 対するランシャたちはゲンゼルから距離を取り、剣を構え直す。

「なるどほどな。あんたの弱点はその手か」

 三本ある右腕の真ん中の手には聖剣リンドヘルドが握られている。つまりそこには実体が存在しているはずなのだ。けれど。

「ならばこの手、斬り落としてみるか」

 手を突き出し徴発する人型の黒い炎に、ランシャは応えない。確かにこの手には実体がある。けれどこれを斬り落としたところで、ただ六本腕が五本腕になるだけではないのか。

 そのときランシャの背後で別の黒炎が上がる。振り返らずに横に飛び、向かってくる炎を避けた。巨大な竜の形をした黒い炎を。そしてランシャの見ている前で竜型の炎が人型の炎にぶつかると、二つの黒炎は混ざり合って巨大な一つの火炎球をなす。

 その球体の下端から、スルスルと真下に伸びる炎は竜の尾に見えた。左右から爆発的な勢いで伸びた八本の炎は蜘蛛の脚にも思える。先端に輝くのは八つの青い爪。最後に球体中央に口が開いた。人のそれに似た形の、しかし鋭い竜の牙を備えた口。

 ランシャの頭の中に、レクの声が聞こえる。

「あーあ、とうとう人間の姿まで捨てちまったぞ、あいつ」

 それはもう問題ではない、ランシャは一瞬そう思ったが、左腕に抱かれるリーリアの顔をうかがった。あんな親でも父親だ、胸を痛めているかも知れない。だがリーリアはランシャと目を合わせ、力強くうなずいた。それで決まりだ。

 夜空に浮かぶ、黒炎に包まれた八脚の怪物は、八つの青い爪でランシャに襲いかかる。おそらくこの爪はリンドヘルドの刃なのだろう。触れれば切り刻まれるに違いない。触れられればの話であるが。白い魔剣が上に向かって軽く振られた。

 響き渡る硬質な音。夜の空に冷たい亀裂が走る。さっき一度地面にまで落ちた大量の水が、いままた天を突く巨大な氷のとげとしてランシャの眼前にあった。もっともそこはさすがに聖剣リンドヘルド、歯が立たない訳ではない。八脚の先端は太い氷の刺に深く食い込んだ。黒い炎の熱に氷はたちまち蒸気へと変わって行く。だが。

 白い蒸気は立ち上らず、黒い怪物の周囲を覆い隠すかのように漂い広がった。そこで怪物は気づく。爪が氷の中から引き抜けなくなっている事に。実体を持つリンドヘルドが捕まっているのだ。

「甘いわ、小僧」

 怪物の中央、黒い火炎球に浮かぶ口が嗤う。長く伸びた竜の牙を光らせて。響く甲高い高周波音。氷柱を砕き飛び出した黒い八脚の青い先端は、高速で回転していた。

「もはや!」

 勝敗は決した、とでも言いたかったのだろうか。けれど八つの回転する青い爪がランシャに届く事はなかった。すべてが凍り付いていたから。いや、正確には怪物は凍ってはいない。黒い炎は燃えていた。怪物の姿をトレースするように外側を覆う、薄い氷の壁の中で。炎に触れているのに、この氷は溶けないのだ。

「愚かな。これで捕らえたつもりか」

 身を震わせる黒い怪物。氷に無数の亀裂が走り砕け散る、かに見えた。

「二の層」

 砕けるどころか、ランシャの言葉と同時に氷は厚みを増した。

「ぬっ!」
「三の層」

 氷はさらに厚みを増す。また高周波音が響く。氷の中で青い爪が回転しているのだ。

「四の層」
「ザンビエン、貴様ぁっ!」

「五の層」

 宙に浮かぶ巨大な氷塊。それはもう怪物の姿の名残すら留めぬ楕円体。内側からは音も声も聞こえない。ただしランシャの頭の内には、声なき声が届いていた。

――これで勝ったつもりか

「勝ち負けなんか、どうでもいい」

 そう吐き捨てるようにつぶやいた。

――こんな事で我らを死に至らしめる事など、できはせぬ

「あんたらは北の果ての氷の海に封印する」

 氷の中から届いたのは、動揺。

「いつかザンビエンが死ぬまで、海の底で眠ってろ」

 無言。だがその意味はランシャに見通されていた。

「異界に逃げようとしても無駄だ。この氷の中からは出られない。リンドヘルドを握ってるのがギーア=タムールなら氷を割れたかも知れないが、あんたらじゃ無理だよ」

 そう言うと左腕の中のリーリアに気を配りながら静かに氷塊に近付き、その表面に触れた。

――待て、おい待て小僧、早まるな、ランシャ!

 応える義理はない。後はこれと一緒に氷の海まで飛べば一段落だ、ランシャが小さくため息をついたとき。

 背中に感じる痛み、いや違う、これは視線か。焦りながらランシャの振り返った先には、暗い夜の空に浮かぶおぼろな輝き。満月。さっきまで月など出ていただろうか。訝しむ顔に一瞬で緊張が走る。月の中に、光の中に、何かが居る。それはそれ自身がおぼろな光を放つが故に、月の明かりに溶けて見えない。

「逃げろ馬鹿野郎!」

 レクの声が聞こえると同時に、ランシャの体は飛んだ。斜め下に。次の展開など考える余裕はない。ただ闇雲に移動したのだ。そして背中越しに自分の居た場所を見た。そこにはおぼろな黄金の光が浮かんでいる。人の姿をした光。その顔には見覚えがある。

「ギーア=タムール、か?」

 そう、確かにその顔はギーア=タムール。しかし変だ。ギーア=タムールの髪は青かった。だがそこにいるのは黄金の髪の……男だろうか、女だろうか。それに身に着けている鎧が違う。記憶が間違っていなければ、この鎧は月光の将ルーナが纏っていた物。その右手にある凡庸な剣も、たぶんルーナの物のはず。どういう事だ。

「さあ、どういう事でしょうね」

 ギーア=タムールの顔をした黄金色の謎の存在は、ランシャに一度笑顔――人の心が蕩けそうな――を向けると、氷の塊に手を触れた。

「斬れない者は斬らずに封じる。フーブといい、これといい、考え方が柔軟なのは良いですが、未来に禍根を残しますよ」

 ギーア=タムールだ、間違いない。見た目だけではなく、体から溢れ出る、空間を歪めんばかりの巨大な力を感じる。こんなヤツがギーア=タムール以外にいるはずがない。いてもらっては困る。だがランシャはいまひとつ納得できずにいた。何かが違うのだ。

「そう、違うのです」

 おぼろに輝く人影は言う。

「私はもう、ギーア=タムールではありません」

 静かな言葉が、ランシャの背骨を鷲掴みにするかの如き衝撃を与える。

「あんた……何者だ」

 すると相手は満足げに微笑み、そして開いた。背中に翼を。六つい十二枚の真っ白い羽根の。

「私はセイタン。ギーア=タムールとルーナの真に取るべき姿。神の御名において地上を平定する者」

 そのとき、ランシャは耳の奥に激流の音を聞いた。次の瞬間頭上にあったのは、憤怒の気配を全身にみなぎらせた、巨大な氷の魔獣の姿。

「ようやく動きましたね」

 セイタンが嬉しそうに見上げる。それを見下ろしながら、ザンビエンは声を震わせた。

「ルーナを食ったのか、ギーア=タムール」
「言いましたでしょう、これが真の姿……」

「戯言を!」

 万物を凍り付かせる絶対零度の風が、唸りを上げてセイタンに吹き付ける、かに見えた。少なくともザンビエンはそのつもりだったろう。けれどセイタンの剣の一閃で、風は左右に分かれていった。

「全世界にただ一振り、神の打たれたこの天雲あめくもつるぎは、あらゆる剣の原初にして至高。斬れない物などありません。何一つとして」

 天に掲げられるそれは、おぼろに輝いている以外はどう見ても凡庸な剣。しかしランシャはセイタンの言葉を疑う気にはなれなかった。

「正解です」

 そうささやくように口にすると、セイタンは剣を振った。後ろ向きに。白い翼が少し揺れた。氷塊の真ん中に細い線が走り、スッと音もなく上下にずれる。その隙間から黒い炎が吹き上がった。高らかな笑い声と共に姿を表す八脚一尾の怪物。

「礼を言うぞ、愚かなる天界の使いよ!」
「いいえ、それには及びません」

 振り向きもしないセイタンの背後で、黒い怪物の真ん中に細い線が走り、音もなく上下にずれた。

「がっ」
「言いましたでしょう、斬れない物など何もないのです」

 怪物の向かって右半分は、腹を裂かれた天竜ファニアの姿へと変わる。左の側はファニアの残りと、漆黒の三面六臂とに別れた。その手に握るはリンドヘルドの柄、そこに八つの青い爪が集まり、一本の聖剣となる。

「己が剣に倒れよ!」

 青いリンドヘルドを振りかざしたゲンゼルが飛びかかる。セイタンは優雅に、舞うかのように白い翼を揺らしながら振り返った。大上段から振り下ろされるリンドヘルド、一方セイタンの剣を振る手先は見えない。小さな、硬い物が微かに擦れる音が聞こえた。

 無敵の聖剣リンドヘルドの青く輝く刃はいま、綺麗に三等分されて宙を舞う。ゲンゼルの体には顔面、首、胸、腰の四箇所に水平の切れ目が走り、互いの距離を広げていた。セイタンは微笑む。絶対的な優越、絶対的な勝利、絶対的な力の差を満面に浮かべるかのように。

「あなたは暗愚だそうなので、もう一度繰り返します。言いましたでしょう、この天雲の剣に斬れない物など何もないのです。そう、たとえ聖剣であろうと魔剣であろうと」
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