龍眠る宿

柚緒駆

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弁天堂

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 寂れた駅前の商店街の一番端、駅から一番遠い場所にそれはあった。入口の上の小さ目の看板に弁天堂とだけ書かれている。ショーウインドウもショーケースも無い、自動ドアの擦りガラスを透かして、辛うじて中に誰かが居るのがわかる、少なくとも客を寄せようと考えている様子は全く見られない、そんな佇まいであった。
 その店先に立つ、十一の影。僕と萩原さんとコカトリスと飼い主氏と、ボディガードの七人だ。商店街は車が入れないので、近くの道路に路駐して、七人以外の怖い人たちは車の所で待っている。最初は全員ついてくるつもりだったらしいが、飼い主氏が「素人さんを騒がせるな」と止めたのだ。ただ残念なことに、この人数でも既にそこそこ騒ぎになっているのだが、その辺は僕以外あまり気にならないようである。
「弁天堂……」
 萩原さんは看板を口に出して読むと、僕に確認をした。
「ここで合ってるんですよね」
「あ、はい、合ってます。動物病院には全然見えないですけど、ちゃんとここで動物病院やってますので」
 飼い主氏は萩原さんに質問を二つ託していた。一つ目がコカトリスはドラゴンなのかどうか、そして二つ目が、ドラゴンを預けた際、病気になったらどうするのか、動物病院等と提携しているのか、だ。その二つ目の質問の回答がこの弁天堂である。『龍のお宿 みなかみ』ではドラゴンが病気になった場合、この弁天堂の『先生』に往診してもらう事になっている。そのように八大さんが説明したところ、ドラゴンを診てくれる獣医とは頼もしい、ぜひ挨拶がてらコカトリスに健康診断を受けさせたい、と飼い主氏が言い出し、僕が案内する運びとなったのだ。まあここは予約制ではないし、紹介状が要ったりする訳でもないので、連れてくる事自体は問題無い……とは思うのだが、大丈夫かなあ。
「素朴な疑問なのですが」
 萩原さんが、僕と飼い主氏を見比べながら言った。
「動物病院なら動物病院と、何故看板を揚げていないのでしょう」
「ああ、それですか」
 そうだよなあ、そりゃそう思うよなあ。別段僕が困る理由は無いのだが、聞かれる度に困ってしまう。
「あのですね、何と言うか、ここの先生はちょっと変わった人なんですよ」
「はあ」
「ちゃんとした看板を揚げるとその、貧乏人が寄って来るから嫌だと言いまして」
「はあ?」
 ふっ。飼い主氏は小さく噴き出すと、
「そらまた、えらいわかり易い人ですな」
 と呟いた。
「はあ、すみません。悪い人じゃないんですけど」
 僕が謝らなければならない理由も、言い訳しなければならない理由も、毛の先程も無いのだが、ここの先生について説明する際は、いつもこう言っている気がする。
「まあ、立ち話も何ですので中へ」
 僕は自動ドアの前に立った。
「一階は薬局になっています。診察室は二階で」
 自動ドアが開いて僕は中に入ろうとした。しかしそこには壁があった。分厚い筋肉の壁が。
「あれ、青木さん」
 自動ドアの左右一杯隙間なく立ちはだかり、自動ドアの上端よりも高い位置から僕を見下ろしていたのは、弁天堂の薬剤師、青木さんであった。相変わらずデカい。身長は二メートルを超えているであろう。高さだけではなく、横幅も奥行もとにかくデカい。相撲かアメフトでもやっていれば、ちょっとしたスターになれたかもしれない、そんな感じだ。店の前にずらりと並んだ鬼の如きボディガード達も、青木さんの巨大な体躯の前では子供同然である。
「いらっしゃい」
 いつも通りの低い声で僕に挨拶をすると、青木さんは自動ドアの上端から覗き込む様に飼い主氏を見つめた。
「話は八大さんから伺っております。どうぞ」
 青木さんは一歩後ろに下がった。下がりながら一言付け加えた。
「ただし、ボディガードは一人でお願いします」
「なんやとこらぁ!」
 ボディガード達は身構えた。懐に手を入れている者も居る。青木さんは眉ひとつ動かさず、ジロリと一瞥した。
「やめい」
 飼い主氏がすぐに止めなければどうなっていただろうか。取り敢えず僕は卒倒していただろう。飼い主氏は一歩踏み出すと、コカトリスのリードを持っていたボディガードを指で招いた。
「一人は連れて行ってよろしいんですな」
「エレベーターが狭いですので」
 青木さんは先に立って歩き出した。


 自動ドアから入って向かって左側端にエレベーターがある。家庭用のエレベーターでも、ビルなどにある一般的なエレベーターでもない。工場等にある大きな荷物用のエレベーターである。そこに僕と青木さん、萩原さん、飼い主氏とコカトリスとボディガードの五人と一匹が乗って二階へ向かった。青木さんは狭いと言っていたが、全体の三割くらいは青木さん一人で占めているような気がする。
 エレベーターが二階に着きドアが開いた瞬間、キャハハハハッという甲高い笑い声が響いた。見るとそこには長さ五メートルには達しようかという大蛇がいた。ニシキヘビである。そのニシキヘビがグルグルと少女に巻き付いていた。いや、少女ではない。少女にしか見えないのだが、残念ながら僕より年上だ。青木さんが眉をひそめた。
「先生」
「おー青木、丁度良かった。この子ケージに戻しといて」
 青木さんは小さく溜息をつくと、ニシキヘビを両手でガバリと持ち上げた。別に締め付けていた訳では無いらしく、ニシキヘビは大人しく持ち上げられた。とは言っても相当な重さであるはずなのだが。
「お客様です」
 青木さんはそう言いながら、そのままニシキヘビを奥の部屋へと連れて行った。先生は椅子に座り直すと、改めてこちらを見た。相変わらず度のきつい眼鏡をかけている。
「おー、お前か。八大から聞いてるよ、足利ちゃん怒らせたんだって?」
「僕じゃないですよ、それは八大さんが」
「おー!」
 先生は突然椅子からピョンと飛び下り、こちらに駆けて来たかと思うと、そのままの勢いでコカトリスを抱きしめた。
「コカトリスじゃーん、かーわいいなあ!」
 そんなに抱きしめたらコカトリスが嫌がるんじゃないかと思ったが、そうでも無い様だ。先生は近くでまじまじとコカトリスの顔を見つめた。石になるなど露程も思っていないらしい。
「眼が綺麗だねえ、鶏冠もちゃんと赤いねえ、口開けてみ、口、あーん、ほら、あーん」
 先生が口を開けると、コカトリスも釣られた様に口を開けた。その口に指を突っ込む。
「おー、歯も揃ってるねえ、舌もいい色だ。可愛がられてるねえ」
 あまりの自由さに見ているこちらが冷や冷やする。大丈夫なんだろうか。
「あの先生、もちょっと気を付けた方が」
「大丈夫だよ、この子は火は噴かないし」
「え、そうなんですか」
 僕は怖さも忘れて思わず飼い主氏を見つめてしまった。飼い主氏は、ちょっと慌てたように小さく頷いた。火はドラゴンに付き物だと思い込んでいた僕にとっては、ちょっとしたカルチャーショックだ。
「このコカトリスはね、最初から小型化できた事とデザインが奇抜だった事が話題になっただけで、技術的には第一世代のドラゴンなんだよ。だから火も噴けないし、繁殖もできない」
 先生はコカトリスの尻尾を愛おしそうに引っ張った。
「でもそれでいいんだよ、ペットとして飼われるにはさ。創る連中は面白いから色んな能力を持たせようとするけど、人間と一緒に暮らして行く事を考えるなら、火なんか噴けない方が良いに決まってるんだよ。体に負担もあるしね。この子、何食べさせてんの?」
 先生は突然飼い主氏に問いかけた。飼い主氏は少しおどおどしながら答える。
「あ、ああ生のドッグフードを」
「いいね!いいよそれ。ドラゴン用のフードはヨーロッパドラゴンを基準にして作られてるから、こんな小さな子には栄養過多かもしれない。生タイプのドッグフード、できれば保存料とかも気にしてあげてね。試供品沢山あるけど持ってく?いろいろ試してあげるといいよ」
「あ、あのう、よろしいですか」
 萩原さんが飼い主氏の後ろから顔を出した。
「いいよ、なあに?」
「いえ、今日はですね、このコカトリスの健康診断をして頂きたいと」
「健康だよ!とっても健康」
 何と言えば良いのだろう、僕も飼い主氏も萩原さんも、二の句が継げずにいた。そこに青木さんが、奥の部屋から顔を出した。
「先生、カルテを作ってくださいと皆さんは仰ってるのです」
「おー、そっかそっか、すっかり忘れてたよ。じゃ、すぐ作るね。えーっと、このコカトリスの名前は何て言うの?」
 そう言えば名前はまだ聞いていなかった。飼い主氏に視線が集まる。しばらく困った顔で口をぱくぱくした後、飼い主氏は声を絞り出した。
「……ウ……」
「え、何、聞こえない」
 先生は耳に手を当てた。飼い主氏は何やら諦めたような顔で、ようやくコカトリスの名前を口にした。
「……クウちゃん」
「へえ、クウちゃんかあ」
 どうしよう、変な汗が止まらない。


 先生は流れるような指捌きでキーボードにクウちゃんの情報を打ち込んで行った。
「はーい、こんなもんかな。うん、今日はもう帰っていいよ。でもその子まだ成長期だから、健康診断は定期的にね。三か月に一度くらいがお勧め。じゃ、今日は初診料だけでいいから下で清算してね。青木、試供品の用意できた?」
 青木さんが段ボール箱を小脇に抱えて奥から出てきた。中にはドッグフードの試供品が詰まっているらしい。青木さんが持っているから小さく軽く見えるが、おそらく僕なら両手でやっと持ち上げられるくらいの大きさ重さだろう。
「生タイプを一通り入れておきましたが」
「うん、それでいいよ。あと、フライパンも持って行きな」
 これにはさすがの青木さんもキョトンとした。
「フライパン、ですか」
「そう、フライパン。要ると思うから下に持って行きな」
「はあ」
 青木さんは段ボール箱を飼い主氏のボディガードにひょいと渡した。受け取ったボディガードは「ふんぐっ」と言っていたから、やはり相当に重かったのだろう。青木さんは一旦奥に入ると、フライパンを手に持って出てきた。
 一階へと戻るエレベーターの中、飼い主氏が僕に囁いた。
「確かに、変わった人でしたな」
「動物想いの良い先生ではあるんですけどね」
 一階で清算を済ませ、診察券を受け取り、自動ドアから外に出てみると、外で待っていたボディガード六人が、困惑した顔で出迎えた。そりゃまあ、寂れているとはいえそれなりに人通りのある商店街の端っこで、何の商売してるんだかよく判らない店の前に、怖そうな人が六人もたむろってるんだから、目にもつくだろう。今、弁天堂の前には二、三十人の野次馬が足を止めている。警官も二人出て、移動するように野次馬に声掛けをしていた。そこに店の中から飼い主氏が登場である。
「あっ」
「うわ」
「すご」
 ざわめきがざわめきを呼び、周囲は一瞬で異様な空気へと変わった。
「こらさっさと退散せんといかんな」
 飼い主氏はそう呟くと、振り返り、青木さんに軽く頭を下げた。
「これから世話んなります、よろしゅうに」
 青木さんも静かに頭を下げた。その瞬間である。
「うわあああああっ!」
 野次馬の中から男が一人、警官を押しのけて飛び出した。そしてこちらに走ってくる、突き出すその手には拳銃が。
「死ねやああああっ!」
 パン!と乾いた音が……しなかった。その前に、ぶおんっと何かが飛ぶ音が、僕の耳元を通り過ぎた。そしてカーン!という金属音。ドサリと倒れ込む男。青木さんが男の頭にフライパンを投げつけたのだ。


「やあ、どうだったね、刑務所の臭い飯は」
 深夜、タクシーで事務所に戻った僕に、八大さんはさも嬉しそうに尋ねた。
「刑務所なんて行ってませんよ。普通に事情聴取受けただけです」
「そうか、ならばカツ丼だな」
「カツ丼も食べてません。ピザ取ってもらいましたから」
「何だそりゃ、つまらん。世間話のネタにもならんじゃないか」
「なんなくていいですよ、こっちは大変だったんですからもう」
 あの後、拳銃男は救急車で運ばれ、僕達は応援に駆け付けた警官隊に身柄を拘束されて、ついさっきまで警察署で事情聴取を受けていた。何度も何度も同じ話をさせられたが、結局僕は単なるペットホテルの従業員だという事を理解してもらえたのか、他の人より早く放免になったようだ。
 椅子に深く腰掛け、モニタに目をやる。P助はねぐらの中でじっとしている。ドラゴンは本来夜行性だが、生まれた時から人間と暮らしていると、夜は眠るようになるのだ。
「こっちは異常なしみたいですね」
「これと言って無いな。順調だ。明後日には無事に引き渡しできるだろう」
「そうですか、良かった。あ、そうだ八大さん」
「何だね」
「弁天堂の先生って、どんな人なんですか」
「どんな人って、キミもよく知ってるだろう、ああいう人だよ」
「いや、そうじゃなくて……例えば、予知能力みたいなのを……持ってるとか」
「予知能力?まあアレはああいう人物だからね、少々突飛な能力を持っていても驚きはしないが。ん、どうした。おネムかね?もしもーし。おーい」
 このとき僕は返事をしたのだっけか。覚えていない。眠かった。とにかく眠りたかったのだ。
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