理由

柚緒駆

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 十二月三十一日
 雪の降る中、ようやく妻の火葬が終わった。何という一年の終わりだろう。巨大生物の上陸により破壊し尽くされた街の中で、火葬場が生き残っていてくれたことを幸いと言うのは不謹慎か。だが、もし火葬場まで破壊されていたなら、私は腐敗する妻の死体を抱き締めながら発狂していたかも知れない。
 政府は巨大生物の呼称を決定すると同時に、今回の襲撃を激甚災害に指定した。比較的速やかな政府の動きを評価する声は高いようだが、それで喪った家族が生き返る訳でもない。何も終わらず何も始まらない喪失感の中、私にできるのはただ、妻の遺骨を見つめるだけだ。
 お帰り、苦しかったね。

 十二月二十五日
 日記など書いている場合ではないのだが、何かに没頭していなければこの異常事態に耐えられない。海から出現した全長二百メートルの巨大生物は街の中央を縦断し、自衛隊の総攻撃によって海に追い返されたものの、行政の情報共有が遅れたのだろう、避難指示が出たときにはもう目と鼻の先、逃げ遅れた者は五人や十人ではあるまい。
 その中に、帰宅途中の妻がいたらしい。もちろんまだ全員の身元が判明した訳ではないし、何かの間違いという可能性はある。あるのだが、もしこれが事実なら。
 私はどうにかなってしまいそうだ。

 十二月三日
 妻、二十三時過ぎに帰宅。残業とのこと。微かにアルコール臭。

 十一月二十四日
 日本の海洋探査船が太平洋の深海にて巨大生物の反応を捉えたとの報道あり。全長は二百メートルに及ぶそうだ。シロナガスクジラの七倍ほどか。とんでもない大きさである。
「もしこいつが上陸してきたらどうなるだろうな」
 私の問いかけに、妻はいつも通りの口調でこう返事をした。
「そんな心配いらないでしょ。怪獣映画じゃあるまいし」
 しかし言葉にトゲはない。機嫌がいいようだ。助かる。

 十一月二十一日
 例の男から連絡。間もなく結果が見られるという。随分と待たせるものだな、と言った私に男は悪びれもせずに電話口で笑った。
「これでも大急ぎの突貫工事でやってるんですけどねえ」
 まったく、どこまで信用していいのやら。

 十月十日
 妻、同窓会より帰宅。二十一時。

 十月五日
 来週に中学の同窓会があると妻が言う。出席しても良いかと問うので了承した。子供がいる訳でもないし、私は在宅勤務だ。特に困る理由もない。機嫌を損ねられてもややこしいことになるのだ、笑顔で送り出してやろう。

 九月二十三日
 妻、残業との連絡あり。二十時帰宅。

 八月八日
 例の男が家に現われた。決心がついたかと問われる。
「あのときの言葉に嘘はないのか」
 私の問いに表情すら変えずに相手は言った。
「髪の毛一筋ほどの嘘いつわりもありませんとも」
 面白い、ならば試してやろう。

 七月十六日
 かつての妻の同僚から、聞きたくもない話を聞いてしまった。妻が上司と不倫しているという。予想だにしていなかった言葉に、私はどう返事をしたのか覚えていない。そんな馬鹿なとしか思えない。しかし、これっぽっちも心当たりがないという訳でもない。もしもそれが事実なら、本当にそうなら私は。

 七月三日
 珍しく妻が残業をして帰ってきた。二十時過ぎ。無理をして体を壊さなければいいのだが。

 六月十七日
 七回目の結婚記念日。毎年のことだけにプレゼント選びは困る。妻は外で仕事をしているので派手なアクセサリーでは普段身につけられないし、地味なデザインの指輪にした。
 ところが何ということだ、妻は結婚記念日が今日であることを忘れていたらしい。でもまあ、七年も時間が経てばそれも仕方ないか。今日の妻は終始上機嫌だった。何かいいことがあったのかも知れないが、笑顔でいてくれればそれでいい。

 五月三十日
 スーパーへ買い物に出かけた私の前に、あの男がまた現われた。黒い帽子に黒いトレンチコートの怪しい男。もうコートの季節じゃないというのに。
「そろそろお気づきになるかと思っていたのですが」
 などと話しかけてくる。
「いったい何のつもりだ、警察を呼ぶぞ」
 私がスマホを取り出すと、男は肩をすくめて背を向けた。何故私につきまとうのだろう。

 五月三日
 最近妻が塞ぎ込むことが増えた気がする。仕事で何かあったのだろうか。相談してくれればいいのだが、
「家に居るあなたにはわからない」
 の一点張り。頼れる相談相手と見られていないのはちょっとショックだが、無理に怒らせることもない。一番最後に彼女を受け入れ、守れる場所に自分がいられれば、それで良しとしよう。

 四月六日
 正式に異動の辞令が下りた。これで私も晴れて在宅勤務だ。会社に出た方が緊張感があって効率が上がるという者もいるが、周囲に他人の気配がある環境を苦手とする私には、この働き方が一番合っていると思う。
 ただ、妻は不満顔だ。手取り収入の減るのが気に食わないらしい。通勤手当と残業手当がなくなるくらいの話なのに。うちは共働きだし、これで生活に困るようなことにもなるまい。合理的な判断だと思うのだけど。

 三月十日
 子供を作るかどうかでまた妻と喧嘩をしてしまった。年齢もあるし早く産みたいという妻の気持ちは痛いほどわかるが、現実としていま子供を育てられる環境にあるかどうかは冷静に考えなくてはなるまい。人間一人の命を預かるのだ、出たとこ勝負の楽観主義ではどうにもならない。そもそも子供を産むだけが幸福ではないように思うのだけれどなあ。

 二月十四日
 聖バレンタインデー。妻からは特大のチョコをもらった。もっとも職場に持って行く手作りの義理チョコの残りを固めただけであり、そもそもこの作業は私も手伝っている。それを改めて渡されるのは何とも不思議な気分だ。

 一月二十九日
 あの男が夢に出てきた。まったくいまいましい。何が悪魔だ、くだらない。

 一月一日
 晴れ渡った一年の始まり。今年も一年良い年ならいいのだが。だが一年の計は元旦にありという。困った一年になるのかも知れない。
 妻と二人で出かけた初詣の帰り、ファミリーレストランのトイレで私に話しかけてきた男がいる。黒い帽子に黒いトレンチコートの男。それが突然、こんなことを言い出したのだ。
「悪魔の存在って信じますか」
 小春日和が続いた訳でもないというのに、おかしなのが出て来るものだ。私が無視をして手を洗っていると、男も隣で手を洗った。
「あなたが心から望むのなら、悪魔は『どんな願いでも』叶えてくれるのですがね」
 何を言っているのやら。そもそも、仮に悪魔が実在したところで、私の願いを叶えて何のメリットがあるというのだ。
「もちろん対価はいただきますよ。あなたの一番大切なものをね」
 まるで心の中を読んだかのような男の言葉に私は思わずため息をつき、返事をしてしまった。
「本当に『どんな願いでも』叶えるというのかい」
「ええ、いまあなたの頭によぎったそれを現実のものとして差し上げましょう」
 男はそう言う。やれやれ、それはとんだスペクタクルだな。
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