妖銃TT-33

柚緒駆

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29 事態急転

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 金庫の中には帳簿とDVD-RWが入っていた。帳簿の各ページには一番上に四桁の数字、あとは金額のみ。おそらく取引品目や取引相手についてはDVD-RWに暗号化でもして書き込んであるのだろう。なるほど、これならネットに流出することはない。しかし、この支部教会で事務を担当していた信者も警察が身柄を確保している。縞緒有希恵の仕事としてはDVD-RWだけ回収すれば、それ以外は警察に渡しても問題ないはずだ。後はお役所同士で情報交換をしてもらえばいい。

 縞緒が帳簿のチェックを続けていると、小丸久志のスマホがチャイムを鳴らした。ショートメッセージが届いたのだ。

「どこからどう来る、何故わかる、と返信が来ました。どうします」

 久志の言葉にマーニーは面倒臭そうな顔を浮かべた。

「天啓だとでも送っておけ」

「おい」

 困り顔の勇作に、真っ赤なロサンゼルス・エンゼルスのキャップを指でクルクル回すマーニーは、ニッと歯を見せた。

「お主が困ってどうする。実際、答えようがなかろう。小娘の予言だとでも言うか?」

「そりゃまあそうだが」

「それに、こと探知能力にかけては、こちらはアレの足下にも及ばない。常に受け身で迎え撃つしかできんのだ、困ったことに。どこからどう来るかなど、こっちが聞きたい」

 すると縞緒が、帳簿から顔を上げこう言った。

「現時点では回答不能。それでいいのでは」

「そうですね、そう送っておきます。後で詰められるんだろうなあ」

 久志はやれやれといった風に頭を掻き、釜鳴がニヤリと笑う。

「後なんてもんが、ありゃあいいですがね」

「怖いこと言わないでください」

 久志の生真面目なツッコミに他の皆は微笑んだのだが、勇作はふとマーニーに目をやった。

「そう言や、おまえが怖がってるところ見たことないな」

「おまえ言うな。お主だってそう変わるまい。と言うか、いまここに集まっている連中はみんなそんなものではないか。一人を除いて」

「いや、他の連中はどう見ても海千山千だしよ」

 そんな勇作の言葉に抗議の意志を示す挙手が。

「すみませぇん、“りこりん”入れないでくださいますかぁ」

 帳簿のチェックをしながら縞緒も小さく手を挙げる。

「すみません、私も以下同文」

 これに釜鳴が首を振った。

「ああ怖いねえ、女は怖い」

 勇作と久志は眉を寄せてジト目で見つめるしかなかった。

「まあ何はともあれ、人はそれぞれだ。怖がらないくらい、どうということもない」

 と、マーニーは言うが、勇作は納得しかねる。

「ガキがそれを言うかね。ガキってのは大人に守られるもんだろう。素直に怖がってりゃいいと思うんだが」

「これでも、かなり素直なつもりなのだけれどな」

「だから余計に気に入らねえんだよ」

 そんな二人の様子を笑顔で見つめながら、久志はつぶやいた。

「でも、あの伝説の教祖マーニーの記憶が、もしすべて残っているのなら、怖れるものなんてないのも理解できなくはないですけどね」

 確かに普通の人間一人分以上の濃密な人生経験がそのまま頭に残っていれば、そうそう怖いものなどないかも知れない。だがマーニーはキョトンとした顔でこう返す。

「すべては残っていないぞ。残っているはずもない。キルデールの顔だってもう忘れているくらいだしな。人間の記憶なんぞ、そんなものだよ。だが、それが人間の強みでもある。忘却なくして進歩なし、だ」

「それはそうなんでしょうけど、でも」

 久志はふっと遠い目をした。

「忘れちゃうのは、ちょっと寂しいかも知れないですね」

 人間の記憶とは厄介な物で、覚えていることがすべて忘れたくない事実ではないし、忘れ去ってしまったことがすべて嫌な記憶でもないのだ。忘れたいのに残り続ける、あるいは忘れたくないのに薄れてしまう記憶もある。

 だが。

「寂しさに囚われるな」

 はっと顔を上げた久志に、マーニーは諭すように話した。

「過去に縛られてはいけない。人は未来に進むのではない、人が進む方向が未来になるのだ。過去にばかり顔を向けていたら、未来に進む意味がなくなる。感傷で自分の未来を閉ざすのは、もったいないぞ」

 その笑顔に、この世のものならざる輝きが見えたのは気のせいか。久志は全身から何か重く硬い物が、外れて落ちたように感じた。

 だが次の瞬間、マーニーの顔に緊張が走る。

「来たぞ」

 勇作がグロック17を尻のポケットにしまい、猟銃のミロク8000を手に立ち上がった。釜鳴はコルト・パイソンを取り出し、“りこりん”の手にはいつの間にか蝶断丸、足下でマルチーズのボタンがワウと吼える。マーニーはキャップをかぶり、準備は万端整った。後は待ち構えるだけである。

「待て!」

 しかしマーニーの発した鋭い声に、一同は驚きの視線を向ける。

「どうした」

 勇作の問いに、マーニーはすぐ答えられない。赤いキャップはうつむいたまま。それは異常事態のサイン。勇作の背に冷たいモノが走った。

「おい、マーニー」

「これは……厄介だぞ」

 マーニーはしばし勇作を見つめ、そして無言で久志に顔を向けた。久志がその意味を察するまでに要した時間は数秒。



 警官隊は動揺していた。言わんやマスコミも野次馬も。投光器の光が煌々と照らす中を、パジャマ姿で裸足の十歳くらいの女の子が、泣きじゃくりながら散場大黒奉賛会の支部教会へと歩いて行く。警官は止めない。止められない。何故なら女の子のすぐ背後を黄色いジャージの男が歩き、後頭部に銃口を突きつけているからだ。黒いトカレフTT-33の銃口を。

 こんな展開は鮫村も想定していなかった。あまりにも常軌を逸している。しかしこのトカレフが、ムスリムを虐殺し、連続発砲事件を起こしたあの拳銃であることは疑いようもない。伝染病のように人から人へと渡って行く、まるで意思を持っているかの如き不幸の拳銃だ。

 ただもし仮に、本当にこのトカレフに意思の主体があって肉体は従属しているだけなのだとしたら、何のために人質が必要なのか。衆目に晒されることが平気な理由はわからないでもない。肉体など使い捨てれば良いのだから。だが同じ理由で、警官隊に狙撃されてもたいした問題はないはず。人質の存在意義が不明に過ぎる。鮫村はまるで死ぬことを怖れているかのようだと感じた。

「マーニー!」

 警官隊に右側面を向けた黄色ジャージの男は、大声で叫ぶ。

「気付いているのだろう。聞こえているのだろう。さあ出て来るがいい」

 そのとき支部教会の玄関に現われた人影。

「恵ぃいいっ!」

 半泣きでわめくのは小丸久志だ。飛び出そうとする彼を何人かが懸命に引き留めているらしい。「小丸さん、落ち着きなせえ!」と声が聞こえる。

 だが久志はそれを振り切らんばかりに前進した。

「恵! 恵! 無事なのか!」

「父さん!」

 恵と呼ばれた娘は顔をくしゃくしゃにして悲鳴を上げる。

「父さん、助けて! 助けて!」

 だが体の自由が利かないかのように、小丸恵は立ち尽くしたまま。それを見た久志がさらに目を釣り上げる。

「何をした! 娘に何をした! この野郎許さんぞ!」

 怒り狂い絶叫する久志の顔に、ポン、と小さな手が触れられた。すると久志は全身の力が抜けたかのようにへたり込む。その横を通って十二、三歳だろうか、赤いキャップをかぶった、半袖のパーカーにハーフパンツ姿の少女が表に出て来た。地豪勇作を従者の如く引き連れて。

 勇作の右手にはグロック、肩には猟銃を背負い、たすき掛けのガンベルトには猟銃弾らしき物が見えた。戦争をするつもりなのだ、とは鮫村の印象だが、いったい誰と。おそらく警官隊とではあるまい。

 マスコミと野次馬はどよめき、警官隊にも緊張が走る。しかし勇作はそちらを見ていない。凄まじい殺気を放ちながら黄色いジャージの男だけをにらみつけている。一方、黄色ジャージの視線は赤いキャップの少女から動かない。この少女が、さっき名前の出たマーニーなのだろうか。

 投光器の光に包まれ鮫村たちの視線を集める中、赤いロサンゼルス・エンゼルスのキャップをかぶった少女は黄色ジャージから十メートルほど距離を取り、立ち止まって口を開いた。

「よく来たなキルデール。他人のことは言えないが、人質とは汚いやり方だ。ザラスシュトラが泣いているぞ」

「黙れ異端者。そのけがれた口でザラスシュトラの名を呼ぶ冒涜は許されない。そもそも私はいまザラスシュトラ教徒ではない」

 少女は鼻先で嗤う。

「鉄砲だものな。鉄の塊に信仰されてもアフラ・マズダが困るに違いない。と言うか、小丸久志に聞いたのだが、そなたザラスシュトラ教徒にも嫌われているらしいではないか。公式の記録がほとんど残っていないそうだぞ」

「知ったことか。我が神は我が内にあり。他人の思惑などどうでもいい」

「なら私のことも、どうでもよくはならんものか」

「ならぬ。害虫は駆除せねば民が飢える。異端者の存在を許せば、正義に迷いを持つ人々が苦しむ。貴様は流行病はやりやまいの病原菌にも等しい」

「病原菌そのものみたいなヤツがよく言う」

 苦笑を見せると、赤いキャップの少女は小丸恵に視線を向けて微笑んだ。

「すまんな、恵。ちょっと待っていろ、すぐコイツをぶっ飛ばしてやるから」

 目を丸くして見つめていた小丸恵は、ややぎこちなくはあったが、それでも少し安心した顔を見せる。

「はい」

「ふん、逃げ回るしか能のないマーニー教徒が、いつから暴力を容認するようになった」

 自分の事を棚に上げた黄色ジャージの見下すような言葉に、しかしマーニーと呼ばれるらしい少女は明るい笑顔で答えた。

「もちろん暴力は絶対禁止だ。ただし、助けを求める無辜なる者へ手を差し伸べることを、我らは暴力とは呼ばないのだ。そなたの神がどうかは知らんが」

「利いた風な口を叩くな、真なる神を知らぬ異端者が」

「とは言うがな、そなたの理屈通りなら、いまのこの世界は異端者だらけだぞ。何十億もの異端者が暮らしている。この大地の上で信仰を持つ者のほとんどが異端者なのだ。そなたの言う真なる神の教えは、何故こうも力が弱いのか」

「滅ぼされた貴様が言うことか。ザラスシュトラの教えはまだいまも生きている」

「その生きている教えを滅ぼしかねない悪しき病巣こそが、そなたの存在なのだがな」

「黙れ、悪魔アーリマンの使いめ!」

 トカレフの銃口がマーニーに向くと同時に、勇作は向かって左側に走り出す。もちろん、こんなあからさまな陽動に引っかかるはずはない。黄色ジャージは視線すら動かさず、マーニーに弾丸を二発撃ち込んだ。だがそこに目に見えない壁でもあるのか、火花を上げて弾かれ地面をえぐる。

 すると黄色ジャージは、まるで見当違いの方向に銃を向け、三発連続で撃った。その意味するところは不明だったが、鮫村課長は大声を上げる。

「何をしている! トカレフの男を取り押さえろ!」

 これに捜査一課の現場を仕切る、倉橋警部補が異議を唱えた。

「人質がいるんですよ」

「人質はまだ大丈夫だ。いまのうちに刺股で押さえ込め。私が責任を取る」

「でも坊主頭は」

「後でいい! トカレフをここで逃がしたら取り返しが付かないことになる、ヤツが最重要対象なんだ。急げ!」

 事態が急転しているのは一課の連中にもわかっているはずだ。一課長に連絡して判断を仰ぐような余裕ある状況ではない。しかもマスコミがこれだけ注目している中で、内輪揉めはしたくないだろう。鮫村の怒鳴り声は勝算ありの計算であった。

「刺股持ってこい!」

 不承不承という顔だったが、倉橋の声で一課が動いた。あとはどれだけ被害を出さずに取り押さえられるか。人質の小丸恵が大丈夫だと思ったのは、トカレフの弾がマーニーに当たらなかったことに起因する根拠のない直感である。しかしいま目の前にいるのは、普通に理性的に常識的に考えれば存在するはずのない怪物なのだ。迷えばこちらの命が危ないどころか、どんな大規模な惨劇が起きても不思議はない。鮫村はさらに怒鳴った。

「マスコミは下がれ! 流れ弾を食らうぞ!」
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