妖銃TT-33

柚緒駆

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 倉橋の肉体は仰向けで倒れ、原型をほぼ失った右腕から飛ばされたトカレフTT-33が少し離れた場所に落ちている。

「……どうして……どうして……どうして」

 うなされるように繰り返す倉橋を放置し、地豪勇作は上下二連の猟銃の、下の銃口をトカレフに近付けた。上に入っていたのは散弾だが、下にはイノシシやクマを撃つためのスラグ弾が込められている。極至近距離から撃てば、頑丈なトカレフもお陀仏だろう。まあ仏教徒じゃないヤツにお陀仏もおかしいのかも知れないが。そんなことを考えながら、勇作は感覚を失いかけている右手の指で、引き金に力を込めた。

 轟音と硬い音が入り交じり、猟銃は反動ではね上がる。トカレフは真ん中がひしゃげたスクラップになった。フレームもバレルもひん曲がった以上、もう銃弾は撃てない。ランヤードリングに付いていた小さな子グマの人形は、散弾で撃たれたときに紐がちぎれたのか、離れた場所で転がり空を仰いでいた。

「終わりやしたねえ」

 釜鳴佐平の言葉に縞緒有希恵はため息で応え、白いマルチーズのボタンを抱いた“りこりん”はしゃがみ込む。

「あーあ、壊れちゃいましたぁ。でも無傷で回収しろとは依頼されてませんしぃ」

 蝶断丸の先端で突いてみたが反応はない。もう完全に死んだ鉄の塊だ。

 勇作はしばらく猟銃の引き金から震える指が離せなかったものの、やがて大きな息を吐き、静かに左手に持ち替えた。振り返ればマーニーが笑顔で見つめている。ニッと笑った勇作の口からこぼれるこの言葉。

「どうして」

 勇作の目が見開かれ、口からは驚愕のうめき声が漏れ出す。釜鳴が、縞緒が、“りこりん”が異変に気付き、ボタンは歯を剥き出して唸った。マーニーは一人笑顔で見つめている。

「まったく命冥加なヤツよな。まだ諦めきれないのか」

 頭を抱え目の焦点が合わない勇作の口は、混乱した言葉を吐き出した。

「どうして、どうして、どうしてこのワレが死ななければ、おいテメエ何で俺の中に入って、ワレが敗れるはずなど、どっから入って来やがった! さっさと、死にたくない、死にたくない、出て行けこの野郎!」

 傷口から流れ出す血にまみれた勇作の右手が、尻のポケットからグロックを抜き出し、マーニーに銃口を向ける。しかし左手が咄嗟にハンマー部分に指を突っ込み押さえ込んだ。グロックを左右の手で上下させながら勇作は吼える。

「ふざけんじゃねえぞ、コイツ。かくなる上は、かくなる上は、かくなる上はじゃねえ! 一人では逝かぬ、道連れだマーニー! うるせえ黙れ! 異端者に死を! テメエが死んだんだよ!」

 だがやはり腕の傷の有無が勝敗を分けたのだろうか、勇作の左手が右手をねじり上げるように引き戻し、グロックの銃口を自分に向けた。そして口元へと近付けて行く。

「待て、やめろ、何をする。何をするじゃねえよ、テメエは一人じゃ死にたくねえんだろうが。貴様正気か、馬鹿なことをするな。心配するな、俺は正気だよ。正気だから、俺の居場所なんざこの世界にないことがわかるんだ。だからやめろ、やめてくれ、一緒に死んでやる。ワレは、ワレが!」

 さくり。そんな感じ。勇作の左腕に、小丸久志が持った果物ナイフが突き刺さった音は。勇作が自宅から持ってきた、柄の真っ黒に焦げた果物ナイフ。死んだ母親の唯一の思い出の品。それが突き刺さった途端、勇作の全身から力が抜け、ガックリと膝から崩れ落ちた。

「何だ、この光は、熱は」

 この言葉は勇作のものか、それともキルデールのものだったか。

 マーニーが真っ赤なロサンゼルス・エンゼルスのキャップを手に持ちながら、一歩近付いた。

「それが人の意思の力というものだよ」

「意思の……力?」

 不思議そうな顔を上げる勇作に、しゃがみ込んだマーニーは言う。

「まだわからないのか、キルデール。これこそが神のご意向。そなたは人の世界に与えられた試練そのもの、そなたの存在こそが奇跡なのだ。人の手で倒され、乗り越えられて初めて価値を持つ厄災。その役目をそなたは見事に成し遂げた」

「ワレ、が、成し遂げた……?」

 両膝をつく勇作の頭に、マーニーは赤いキャップを乗せる。

「いまそなたには『彼女』の姿が見えていよう。その者と共に、胸を張って天界に戻るがいい」

「天に、戻る」

 勇作の顔は空を振り仰いだ。ずっとずっと遠くを見つめるような目で。

「戻れるのか、このワレが」

「念じろ、そして信じろ。そなたが生まれ、生きて来た奇跡と意味を」

 勇作は静かに目を閉じ沈黙した。静寂。そして輝き。東の空が白み始めた。夜が明けるのだ。

「さて、行ったようだな」

 空を見上げるマーニーの言葉に、勇作は目を開けて「らしいな」と答える。

「お主も一緒に行きたかったか」

 しゃがんで見上げたままのマーニーを、勇作は横目でチラリと見やった。そして腕に果物ナイフが刺さったままの左手で赤いキャップを自分の頭から取り、マーニーの頭に静かに乗せる。

「思い出したよ」

「何を」

「匂いを」

「匂い?」

「髪や服の燃えたニオイだけじゃない、もっと優しかった匂いをな」

「なるほど」

 キャップを目深にかぶったマーニーが周囲を見回せば、生き残った刑事やマスコミ関係者たちは、憔悴し困惑しきった顔で遠巻きに眺めている。

 勇作はたずねた。

「おまえ、俺のことを最初から知ってたのか」

 立ち上がったマーニーはフンと鼻を鳴らす。

「おまえ言うな。知ってはいたさ、地上に来る前にイロイロと頼まれたからな、天界で」

「……そうか」

「誰に頼まれたのか、聞かなくてもいいのか」

 勇作は震える血まみれの右手で、左腕に刺さった果物ナイフを何とか抜いた。

「それくらいはわかる」

「それを知ってもまだ死にたいか」

「俺はどうせ死刑だぞ、普通に考えて。何だかんだで五人殺してる凶悪犯だからな」

「なら、普通に考えられなくしてやろう」

 そう言うとマーニーは右手のひらを、高く天に向ける。

「え、おいちょっと待て!」

 勇作が立ち上がるより早く、マーニーの手の中で光が弾けた。



 負傷した鮫村を病院に見舞った小丸久志は大変に感謝され、かえって恐縮してしまった。散場大黒奉賛会の銃と麻薬の密輸・密売の証拠を探し出してくれたと鮫村は言うが、実際に活躍したのは縞緒有希恵と釜鳴佐平、そして“りこりん”こと花房璃々子の三人である。自分はただの連絡係に過ぎない、と久志は思っていた。

 支部教会に立てこもった散場大黒奉賛会との激しい銃撃戦は、県警側に大勢の殉職者を出し、現場に駆けつけたマスコミ関係者にも多大な被害が出た。まるで戦場さながらだったという。これに久志が申し訳なさを感じる必要はないのだが、現場指揮者としての責任を取らされて鮫村が降任処分となっていることもある。人間そうそう理屈通りには考えられないものだ。

 久志は直接関与していないものの、ムスリムの大量殺人事件や、その後に起きた連続発砲事件にも鮫村は携わっていた。これらの事件は後任者が解決に当たるそうだが、散場大黒奉賛会との関係を疑う声が世間では日増しに高まっているらしい。いずれ真相が明らかになるときが来るのだろうかと久志は思う。

 縞緒と釜鳴、“りこりん”の三人は行方も告げずに久志の前から姿を消した。もう二度と会うこともないのかも知れない。できればもう一度会ってお礼が言いたかったな、連絡先くらい交換してもよかったのではないかと久志は思ったのだが、「卒業式の中学生じゃあるまいし」と笑われただろうか。

 さあて、休暇は今日までだ。久志は気分を切り替えた。最後の一日、恵と大切に過ごそう。そう言えば恵は最近、夢の中で会った少女のことを話さなくなった。もうすぐ十一歳になるのだ、精神的な成長のあかしなのだろう、きっと。よし、何かプレゼントを買って帰るかな。何がいいだろう。無難にケーキにするか。それとも、うーん、安月給ではなかなかいい選択肢がない。そうだ、プレゼントと言うのもおかしいけど、幸から連絡があったことは話しておこう。恵さえ良ければ会って食事をするくらいはできるかも知れない。いまさら過去は取り戻せないけど、人間は未来に進む訳じゃない。人間の進む先が未来になるのだから。

 そんな思いを顔に浮かべながら、久志は繁華街を歩いていた。その後ろ姿を見ている人影が二つあることに気付きもしないで。

「ホントにいいのかね、これで」

 大きなバックパックを担いだ勇作が、チューリップハットを目深にかぶり直す。

「細かいヤツよな。そんな心配など要らんと言うに」

 お揃いのチューリップハットをかぶった、半袖のパーカーにハーフパンツ姿のマーニーが苦笑した。

「あやつらの記憶は、ちょうど都合のいいようにパーツが組み合わさって、理性と常識で判断しやすい『事実』が出来上がっておるのだ。余程のことがなければ、それに疑問を持つ者などおらんよ」

「そういう話じゃねえだろう。何つーかよ、その、道義的に」

 しかしマーニーは鼻先で笑う。

「ハッ、道義をどうこう言えるような生き方などしておるまい」

「いや、俺はそうだが」

 困惑している勇作を尻目に、マーニーはスタスタ歩き出した。小丸久志とは反対方向へと。

「人間は自分に火の粉が直接降りかからない限り、実際の事件もおとぎ話も感覚的に大差ない。そういう者が世界の大半を占めているのだ。ならば陰惨な事実より綺麗なおとぎ話を見せてやるのも悪いことではあるまいて」

「そんなに綺麗じゃねえ気もするが。て言うか、こんなことができるんなら」

 勇作が大股で後を追いかけるが、マーニーは止まらない。

「最初からやれというのか。こんな手品、キルデールには通じんぞ。アレの殺戮を手助けするようなものだ。そんな趣味はない」

「実際のところ、どうなんだ」

 隣に追いついた勇作を、マーニーは見上げる。

「何が」

「あの最後にキルデールに言ったこと、本当なのか。神の意向とか何とか」

 あんなことをしたヤツを神が許すのなら納得が行かない、とその顔は告げていた。マーニーは苦笑するしかない。

「この国には素晴らしい言葉があるだろう。『嘘も方便』とな。キルデールが本当に天界に戻ったのかどうかは私にもわからん。だがこの地上を離れてもいいという気持ちにアレがなったのなら、それで十分ではないか」

 この返答に勇作は呆れ顔だ。

「まさか教祖やってたときも、こんな感じだったのかよ」

「さあ、どうだったかな」

 マーニーが微笑んだとき。不意に歩みが遅くなった。前方からやって来る女には見覚えがある。縞緒有希恵だ。マーニーも勇作も何も言わない。いま、向こうはこちらを知らないはずなのだ、それが当然である。しかし無言ですれ違うかに思えたその瞬間、縞緒が小さな笑みを浮かべてささやいた。

「またいずれ」

 歩き去って行く後ろ姿を、愕然とした顔で見送るマーニーと勇作。

「ただ者ではないと思っていたが、あの女」

「なるほど、効かねえヤツはいるんだな」

 やがてマーニーは小さくため息をつき、「まあいい」とつぶやいた。

「いずれやって来る日のことは、いずれ考えるさ。今日はとにかく今日のことを考えよう」

 勇作もうなずく。

「そうだな、まず昼飯か」

「なあ勇作」

 マーニーはチューリップハット越しに見上げている。

「まだ外国人は嫌いか」

 勇作は、ほんの一瞬躊躇した。

「……頑張って好きになるのも何か違うだろ」

「まったく、どこまでも馬鹿正直なヤツよな」

 今度はマーニーが呆れたように笑い、勇作も微笑み返す。

「とにかく今日は醤油ラーメンにしようぜ」

「メロンを置いてる店ならいいぞ。昼食と言ったらメロンに決まってるからな」

 マーニーはまた早足で進む。勇作は負けじとそれを追いかける。

「決まってる訳あるか。だいたい、そんな金ばっかり使ってられねえだろ」

「だったらお主は仕事を早く見つけろ」

「世の中そんな簡単じゃねえんだよ。不景気ってものを理解しろ、おまえは」

「おまえ言うなーっ!」

 ジリジリと空気が焼けるように暑い夏の日、デコボココンビの進む先には、真っ青な空。白くて大きな入道雲が立ち上っていた。
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