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37話 小さな夜襲

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 騎士団長のザインクが助けられたことは感謝しなくてはならない。男爵ボイディア・カンドラスと敵対しているという言葉を信じるなら、有用な情報が得られる可能性もあるはずだ。そういう意味でこのルン・ジラルドという女と接点を持つ価値はあるのだろう。ただ。

 何故ザインクにもたれかかっているのだ。いや、もたれかかると言うより蛇のように絡みついている。ザインクもザインクだ、どうして拒絶しない。

「どうかされましたかぁ、伯爵様」

 黒い軍服の上から白く薄い服を羽織ったルン・ジラルドは、不思議そうな顔でこちらを見つめている。そんな顔ができる理由がわからない。

「いえ、あの、本日は何か提案があって引見を求めたと聞いていますが」

「はい、伯爵様にお願いがあるのです」

 そう言ってザインクの首に手を回す。ザインクは困った顔をしてはいるものの、それ以上嫌がらない。どうして。怒鳴りつければいいでしょう。

 そんな私の感情を逆撫さかなでするかのように、ルン・ジラルドの指先はザインクの頬に触れた。

「私にハースガルド家への使者を御命じください」

「ハースガルドへの使者? あなたをですか」

 言い方にトゲがある。自分でもわかっているのだが抑えきれない。

「はい。私が勝手に出向いても良いのですが、肩書があった方が向こうも状況の把握が容易でしょうから」

 ハースガルドにこの女を使者として送る。それを考えただけで胸がざわめいた。しかしそれを見越したようにルン・ジラルドは笑う。

「ご心配には及びません。私が会いたいのは公爵様ではありませんので」

「し、心配などしておりません!」

 何だこの女は。私にいったい何の恨みがある。

 けれど女はザインクに絡みつきながら、平然と言うのだ。

「心配はした方がよろしいですよ、この帝国の未来とか。ボイディア・カンドラスにメチャクチャにされないためにも、お早い決断をお願いいたします」


◇ ◇ ◇


 貧乏が悪い。金のあるヤツだけが金を儲けられ、金のないヤツはマトモに生きることすら許されない世の中が悪い。俺だってこんなことはしたくないんだ。でも娘を医者に診せるだけで金が要る。他人の命や法律なんぞ気にしてる場合じゃない。

 連中が人を集めてるって話を聞いて、俺はすぐに手を挙げた。乗り遅れる間抜けにはなりたくなかった。目的も理由も意味も危険性も教えられないヤバい仕事。人を殺すことになるんだろうが仕方ない。仕方ないんだ。

 夜中に獣道けものみちで国境を越えて王国領内へ。どこから聞いたのか事情に詳しいヤツの話じゃ、貴族の屋敷を襲うらしい。貴族か、それなら殺しても罪の意識は軽いかも知れない。金目の物にありつけるだろうか。

 軍隊経験のあるヤツらは別のデカいヤマに駆り出されたらしい。金払いはどっちがいいんだろう。クソ、若い頃に軍隊に入っときゃ良かった。ただ、こっちは十人ほどの小さな集団。当たりを引けば一人頭の割はいいはずだ。

 連中の仲間は王国にもいるらしく、俺たちは馬車で移動することになった。一時間ほど揺られただろうか、到着したのは小さな屋敷。これが貴族の家か? ちょっと信じられない気持ちはあったが、まあ仕事は仕事だ、貴族かどうかはこの際どうでもいい。

 作戦は単純明快。四方から火をかけ、逃げ出してきたヤツを皆殺しにするだけ。難しいことは何もない。屋敷の周りで配置について、火種から銃の火縄と松明たいまつに火を移していたとき、突然俺たちに話しかけてきたヤツがいる。

「やあ、いい夜ですね」

 見れば子供というほど幼くはないが、若くて小柄な黒い髪の男。家の者か、見られたぞ。殺すしかない。俺たちが身構えた、その瞬間。

 男はこう言ったのだ。

「フェルンワルド女王との盟約に基づき、赤獅子兵団に命ずる。打ち払え」

 闇の中に響き渡るラッパの音。無数の野太い男たちの声が湧き上がり、足音が怒涛のように迫った。なのに、何も見えない。松明の明かりは人影らしきモノを何一つ浮かび上がらせることはなかったのだから。

 俺たちはただ何もできないまま、見えない何かに殴り倒されただけだった。


◇ ◇ ◇


 一睡もできなかった。いまも興奮と緊張が後を引き、頭の中がジンジンしている。侯爵を拝命するグリムナント家は当然軍事力を有しているのだが、まさか自分がいくさの指揮を執ることになるなど夢にも思わなかった。

 無論、戦と言っても相手は三十人ばかりの小兵力、いつどこに現れるかはあの小癪こしゃくな占い師が予言していたので、こちらは百五十人ほどの兵で待ち構えて取り囲んだだけだ。一滴の血も流れぬまま無事に終わった。結果だけを見れば何ということもない。

 しかしタクミ・カワヤの言葉によれば、敵は余の首を取るつもりだったらしい。そのため目立たぬよう敢えて小人数で潜入してきたとのこと。事前に気づいていなければどうなっていたか。ましていま、当家にはロンダリア王がご滞在中である。敵の侵入を許していたらと考えると背筋が凍る。

 捕らえた者たちはまだ口を割ってはいないものの、タクミ・カワヤは帝国領からやって来た連中であると考えているようだ。それが事実なら、またややこしい問題となる。

 彼奴きゃつらが本当に帝国の回し者であった場合、王宮政府の中に帝国と矛を交えよと主張する主戦論者が出てくるのは間違いない。何せ国王陛下がご滞在の折を狙ってきたようにしか見えないからだ。だがもしも開戦の火ぶたが切って落とされたなら、最初に戦うのは国境を接する我がグリムナント家である。当家に悪意を持つ者は大喜びをするだろう。

 戦争は避けねばならぬ。何としても避けねばならぬ。このグリムナントを滅ぼしてなるものか。しかしそのために何をすればいいのだろうか。正直、この手には余る。かと言ってロンダリア王に縋りつくのも無理があろう。王宮政府の中に巣食う大貴族たちを向こうに回して、お若い陛下に勝ち目があるとも思えない。

 したがって結局のところ、この考えにしか至らないのだ。不本意ながら、極めて不本意ではあるのだが、あの小生意気なタクミ・カワヤに頼る以外に方法はないのかも知れぬ。何とも憂鬱なことよ。

「ご領主様、もう一杯お茶をいかがですか」

 文官頭のマルオスがポットを手に勧めるが、もう腹がタプタプ音を立てている。

「いらぬ。それよりもハースガルドから何か言ってきてはおらぬのか」

「はい、昨夜十人ほどの敵に襲撃される寸前だったとの連絡がございましたが、それ以外はまだ」

 まったく、国王陛下を押し付けておいていい気なものだ。ただ少し不思議ではある。たった十人とはいえ武装した集団に襲われて、私兵も持たないハースガルド家がよく無事だったものだと思う。傭兵でも雇ったのか。

「とにかく一度使いを出せ。この先のことを考えれば、あの占い師を味方につけておかねばならんからな。あと、領民には此度こたびのことは知らせるな。話が大きくならんとも限らん」

 その余の言葉を聞いて、マルオスの表情が固まった。嫌な予感がする。

「何かあるのか」

「はい、ご領主様。昨夜の戦果は兵どもの間から領民にすでに伝わり、ご領主様を称賛する声があちこちより届いております。いかが致しましょうか」

「い、いかがもタコもあるか!」

 思わず怒鳴ってはみたものの、人の口に戸は立てられぬのだ、こうなってはもはや王宮政府にまで伝わるのは必定。早急にタクミ・カワヤの意見を求めねば。

「占い師を連れて参れ、いますぐにだ!」
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