案山子の帝王

柚緒駆

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21 闇に溶ける

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「みなさん、初めまして。私はエリア・レイクスに暮らすジョセフと申します」

 ストライプのシャツを着た白髪頭の六十代くらいの男は、モニターの中で人懐っこそうな笑顔を見せた。背後に大きく開いた窓の向こうには、穀倉地帯の風景が広がっている。ビッグボスからのビデオメッセージはこうして始まった。

「我々ブラック・ゴッズは、その名をナバホの火の神に由来する、反権力組織です。まあ反権力というのは言葉の綾ですね。我々にだって客観的に見れば、権力構造はありますから。実質的には我々も、あなた方と同様、Dの民と戦う組織と言えます」

 戦う、という言葉と、その優しい笑顔が結びつかない。これが本当にエリア・レイクス最大のテロリスト集団の指導者なのだろうか。

「今回の事件、あなた方の中でも様々な意見があるでしょう。忸怩たる思いもあるかも知れません。ですが。まあ、これはあくまでも私個人の見解なのですけれど、結局は誰かがなさねばならなかった事だと考えています。我々、つまりDの民と戦う者の中の誰かが、引き金を引かねばならなかったのです。その大きな役目を担ったのがあなた方、『プロメテウスの火』でした」

 静かな口調から、思いが伝わってくる。プロミスは心が癒やされているのを感じた。

「私たちはこの大きな第一歩を、あなた方と共有したいと考えました。いえ、もっと単純に、あなた方を応援したいと思ったのです。だから我々の仲間の中から、選りすぐりの三人を向かわせました。必ずや、あなた方にとって大きな戦力となるでしょう。どうか頑張ってください。人類のために戦い抜いてください。我々は常にあなた方の味方です。それを忘れないで」

 ビデオメッセージが終わったとき、部屋の中には和らいだ空気が流れていた。目に涙を浮かべている者も居る。

「メッセージは以上だ」

 ナイトウォーカーは言った。

「ビッグボスが言うように、我々三人を戦力として存分に使ってもらいたい。必ずや期待に応えるだろう」

 プロミスはハーキイと目を見合わせた。そして互いにうなずく。

「それじゃ、あなたたちに何が出来るのか、教えてくれる」

 ナイトウォーカーは前に出た。

「ではまず、私からだ」


「おまえの責任だ」

 3Jは言う

「間抜けなおまえが迂闊な事をしなければ、死なずに済んだ連中だ」

 僕が間抜けだったから
 僕が迂闊だったから

 人が死んだ
 たくさん死んだ

 でもそれなら
 僕は何をどうすれば良かったんだ

「自分の持つ力を使え。己の存在意義を理解しろ。さもなくば人が死ぬ。これからもだ」

 僕に何の力があるんだ
 僕にどんな存在意義があるんだ

 何もない
 僕には最初から何もなかったんだ

「君にも力があるんだよ」

 これは……誰の言葉だ

「君は僕と同じなんだ。だから僕に出来る事は、全部君にも出来るんだよ、ジュニア」

 これは……僕の言葉?

「君の力を使ってごらん。君に出来る事はたくさんあるんだ。君が思ってるよりずっとね」

 やめろ
 やめてくれ

 何でいまなんだ
 何でいまこんな事を思い出すんだ

 僕は
 僕にはもう

「こんな事で死ぬ訳には行かないからだ」

 ……僕はどうすればいいんだ、3J


 夜の暗闇に沈む聖域の中心にある、迷宮の一階応接室。こんな時間に明かりが点いていた。大昔の西洋絵画に出て来るような、派手な飾りのついた椅子に、居心地悪そうに座っているのは銀色のサイボーグ。

「紅茶になさいますか、それともコーヒーの方が」

 老執事の勧めに困ったような雰囲気を醸しだし――銀色のマスクに表情はない――ジンライは小さく首を振った。

「いや、ハイム殿。拙者は水分を必要としないのだ」
「左様ですか。良い品が入りましたのに」

「それよりも、こんな夜分遅くに申し訳ない」
「いえいえ、お気遣いなく」

「して、例の物は」
「はい、今朝ほど確認致しました際には無事でございましたが、どう致しましょう、もう一度確認しておきましょうか」

「そうしていただけるとありがたい」
「うけたまわりました。では、少々お待ちください」

 一礼してハイムが部屋を出て行くと、その場は静寂が支配した。何の音もしない。何の音もしなかったのに。

「いらしていたのですね」

 ジンライの向かいの席に、赤いリボンにピンクの髪、魔人リキキマの姿があった。出た、という雰囲気を醸しだし――銀色のマスクに表情はない――ジンライは溜息をついた。しかしリキキマの笑顔は変わらない。

「今日はどんな御用ですか。あ、ダランガンからこの聖域に引っ越すとか?」
「そんなつもりは毛頭ない」

「でもサイボーグがインセクターの街に暮らすのもおかしいですよ。いい加減、3Jにも飽きたでしょう」

「いい加減、と申すなら、その口調もいい加減やめていただけぬだろうか」
「イヤです」

 リキキマはニッコリ微笑んだ。

 と、そこにドタバタと足音がして、ハイムが飛び込んできた。

「た、大変でございます、ジンライ様!」
「どうした、ハイム殿」

「例のアレが、例のアレがございません!」
「ああ、コレの事か?」

 ニンマリ笑うリキキマの指先に、直径十センチほどの半透明の円盤が浮いていた。ハイムはへなへなと座り込んでしまった。

「ああ、お嬢様でしたか」
「リキキマ。それには触れぬよう3Jが申したはずだ」

 しかしリキキマは鼻先で笑った。

「へっ、心配しすぎなんだよ。いくらイ=ルグ=ルでも、この迷宮の中まで思念を届けるなんて、そうそう出来やしねえ。だったら思念結晶もただの石ころだ」
「だが万が一の事が」

「あのなあジンライ」

 リキキマは不機嫌そうにふんぞり返った。

「おまえイ=ルグ=ルの実物と戦ったことないだろ。3Jもないよな。このリキキマ様はあんだよ。実際に戦ったんだよ。だったらどっちの言葉の方が説得力あると思う。あ?」

 ジンライは沈黙した。勝ち誇るリキキマの顔。

「ですがお嬢様」

 ハイムが言った。

「何だよ」
「お嬢様のおっしゃった理屈で、3J様が納得されると思われますか」

「する訳ゃねえだろ」

 リキキマは吐き捨てるようにそう答えた。

「あんのヒネクレ屁理屈野郎が、そんな簡単に納得したら褒めてやりてえわ、クソが」

「そう思われるのでしたら、やはり保管しておいた方が」
「あーあー、わかったよ。ったく面倒臭え」

 リキキマは思念結晶をハイムに放り投げ、立ち上がった。

「何か疲れた。今日はもう風呂入って寝る」
「はい、お休みなさいませ」

 頭を下げるハイムの後ろで、ジンライは驚いたようにつぶやいた。

「風呂に、入るのか」

 ハイムは振り返り、半透明の円盤をかざして見せた。

「と、いう訳で、このように思念結晶は無事なのですが、いかがでしょう」
「うむ、無事であれば良いのだ。迷惑をおかけした。では今夜は失礼する」

 そう言って席を立とうとしたジンライを、ハイムが手を上げて止める。

「少々お待ちを」

 耳に手を当て、何かを聞いていたかと思うとこう言った。

「申し訳ございませんが、ジンライ様。ついでと申し上げては何なのですが、ちょっとお手伝いいただけませんでしょうか」
「手伝う?」


 デルファイと外界を隔てる、高さ四千メートルの壁。その根元に、小さな異変が起きた。内側に、小さな突起が生まれたのだ。それは、暗視ゴーグルを着けた人間の頭。

「真っ暗じゃん」

 頭はそう言うと、ヌルリと全身を壁から抜け出させた。太った子供の姿。エリア・レイクスからやって来た、『壁抜け』ジージョだ。そして。

「よいしょっと」

 壁の中から引っ張り出されたのは、暗視ゴーグルを着けたミミと、何も装着しないナイトウォーカー。

「仕事が早いのはいいんですけどお」

 ミミは不満顔だ。

「到着早々仕事する事なくない?」
「でもさ、仕事ってそういうもんじゃん」

 と、わかったような顔で言うジージョに、ミミは「うわ、ムカつく」と返した。

「今夜はあくまで偵察だ」

 ナイトウォーカーはその目で闇の中を見渡した。

「いくら我々でも、いきなりデルファイの中心に乗り込む訳には行かない。まずは見る事、知る事を重視する」
「でもさ、これってただの夜の田舎じゃん」

 ジージョが言った。

「まあね、もっと怪獣みたいなのがウジャウジャ居るかと思ってたけど」

 ミミも拍子抜けしたようだ。

「それは残念でございました」
「!」

 ミミのすぐ隣に、白い口ひげをたたえた燕尾服姿の老人が立っていた。三人は慌てて距離を取り、身構える。

「何者だ」

 ナイトウォーカーの言葉に、老人は小さく首を振った。

「それはこちらの台詞でございます。いけませんな。余所の方が越境関門以外から入って来られるのは、とてもよろしくございません」

「なるほど、お見通しという訳か」
「左様でございます」

 そして老人はジージョを見つめた。

「そのお子様は、こちらで処分いたします」
「ひっ!」

 ジージョはミミの後ろに隠れる。ナイトウォーカーは構えを解くと、力感なく棒立ちになった。

「見逃してくれ、と言っても無理のようだな」
「左様でございます」

 すると。老人は目を剥いた。ナイトウォーカーの姿が、不意にぼやけたからだ。目の錯覚ではない。ナイトウォーカーは、その全身を闇に溶かしていた。

「ほう、これは珍しい能力ですな」

 ナイトウォーカーはやがて闇と渾然一体となり、消えてなくなった。だが空間に満ちる殺気。圧縮された闇が、刃となって背後から老人に襲いかかる。

 それを食い止めたのは、四本の超振動カッター。突如現われた銀色のサイボーグは、呆れたようにつぶやいた。

「まったく、夜が好きなヤツらが多すぎる」
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