案山子の帝王

柚緒駆

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44 ヌ=ルマナとハルハンガイ

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 深夜近く。満天の星空に、一筋の星が流れた。

 ユーラシア大陸の東端は神魔大戦最大の激戦地の一つ。かつて人類が繁栄した大都会の痕跡はもうない。目に見えるのははクレーターばかり、目には見えない放射能汚染も苛烈。大戦から百年経ったいま、人の住む場所はなく、ただ静かに砂漠に飲み込まれていた。

 そこからずーっとずーっと、延々と西に進むと、ゴビ砂漠を越えた向こう側、ユーラシア大陸の真ん中にエリア・トルファンがある。人口は約二億。東アジア、東南アジアとインドの生き残りが合流してこの数である。そして、これより大きなエリアは世界に存在しない。

 エリア・トルファンとヒマラヤ山脈の間、かつてチベットと呼ばれた地域も、すでに砂漠に沈んでいる。その一角、音のない死の世界に、突然轟音と共に砂煙が上がった。星が落ちたのだ。

 深くえぐれた砂丘。周囲は夜の闇が包んでいるが、中心部の高熱に砂が溶け、周囲をほの赤く照らし出している。そこから歩いて出て来たのは、二つの人影。

 小さな影は、腰の曲がった老人に見える。全裸で頭髪はなく、目は固く閉じられており、そして耳が異様に大きい。老人は傍らの背の高い影に顔を向けて言った。

「ここで良かったのか、ヌ=ルマナ」

 背の高い、短い緑の髪の若い女は、裸である事を恥じる事もなく、驚くばかりに大きな目を老人に向けた。

「疑うのか、ハルハンガイ」

 ハルハンガイと呼ばれた老人は、困ったように首をかしげた。

「ヌ=ルマナを疑いはしない。だが、ここにはイ=ルグ=ルの声がない」
「確かに、イ=ルグ=ルは見えない。奇妙だ」

「宇宙にあったときには、間違いなくここからイ=ルグ=ルの声が聞こえていた」
「そうだ、この場所の地の底に、イ=ルグ=ルの姿が見えていた。だがいまは見えない」

 ヌ=ルマナの顔に疑念が宿った、その瞬間。

 空を埋める星々が消えて行く。天を覆う巨大な扉が閉じるかのように。いや、実際に閉じたのだ。ただし扉ではなく、巨大な口が。

 しかし間一髪、目の大きな女ヌ=ルマナは、耳の大きな老人ハルハンガイを片手につかみ、口の外に飛び出していた。巨大な口は音もなく小さく縮んだ。おかっぱ頭の子供の姿へと。

 ヌ=ルマナは、燃えるような目つきでにらみつけた。

「その姿、ケルケルルガの化身か」

 子供は応える。

「我はケレケレ。ケルケルルガの化身の一つ」

 老人ハルハンガイは鼻先で笑った。

「これは厄介な声をしておるな」

 殺伐とした神々の対面の儀が終わるやいなや、天空から降る一本の赤い光。だがヌ=ルマナは、予期していたかのように指をその方向に向けていた。指先が大出力のビームを散乱させる。しかし。

「ヌ=ルマナ!」

 ハルハンガイの警告。とっさに振り返ったその首筋に、四本の超振動カッターが迫った。それを止めたのは、それも片手で四本同時に握り止めたのは、ハルハンガイの細い腕。にんまり、暗い微笑みが顔に浮かんだのは一瞬。ハルハンガイの足をズマの手が握るまで。

 ズマの咆吼が響く。ハルハンガイとヌ=ルマナの体は空から引きずり下ろされ、地面に叩きつけられた。即座に襲いかかる、ケレケレの口。その下顎をハルハンガイが、上顎をヌ=ルマナが押しとどめる。

「ケルケルルガの化身の力、人間の力、それにイ=ルグ=ルの力の断片も『聞こえる』な。これは厄介な」

 ハルハンガイの言葉にヌ=ルマナは微笑む。

「愚鈍なケルケルルガの化身の分際で、策を弄するなど生意気で小賢しい……いや、違うな」

 何かに気付いたヌ=ルマナの頭部はぐるりと周囲を見回した。そして見つけた。暗闇の砂漠の中に立つ三つの影を。ヌ=ルマナの『宇宙の目』は見通した。一つはさっきのサイボーグ。一つはさっきの獣人。そして真ん中に立つのは人間。頭にターバンを巻き、マントで身を包んだ、片目で一本足の、ただの人間。

「おまえの策か」
「ならばどうする」

 感情のこもらぬ、抑揚のない声で3Jは応じた。ヌ=ルマナは笑う。

「我々に楯突く事は、世界のシステムに敵対する事、すなわち運命に逆らう事と理解せよ」
「たとえおまえが神であっても」

 それは3Jの宣戦布告。

「俺には不要だ」


 まだ深夜と言うには少し早い夜。グレート・オリンポスの自室の机で、ジュピトル・ジュピトリスは、うつらうつらと船を漕ぎ始めていた。

「ジュピトル様」

 ナーガの声に、ハッと目を覚ます。

「ああ、ごめんごめん。もうちょっと頑張るから」
「いえ、そろそろお休みになってはいかがかと」

 ナーガは心配げだ。ナーギニーもうなずく。

「本日はパーティもございましたし、ご無理をなさらない方が」

 そう、今日はパーティがあった。何が建前だったかは忘れたのだけれど、とにかくネプトニス不在のパーティが。急な体調不良だと言うが、来客を追い返す訳にも行かず、プルートスは相変わらずという事で、ジュピトルが主役を張るしかなかったのだ。酒も飲まざるを得ず、精神的にも肉体的にも疲れ果ててしまった。

 そしていま、モーニング姿のままでイ=ルグ=ルのストーリーを書いている。全然書けてはいないのだが。

「そうだねえ、でも、もうちょっとだけやろうかな」
「わかっとらんのう」

 ソファに寝転ぶムサシが言う。

「おまえさんが寝ないと、周りが寝られんじゃろうが」
「あ、そうか」

 ジュピトルはため息をつくと苦笑した。

「了解。今日はもう寝る事にするよ」

 そう言って椅子から立ち上がったとき。

 首元のネクタイピンが振動した。

「ネットワークブースター接続」

 ジュピトルの視界に、青い髪の青年、アキレスが姿を現す。

「どうかしたの」
「妙なのだ、主よ」

 アキレスは珍しく神妙な顔をしている。

「いまさっきグレート・オリンポスのセキュリティが、一斉に解除された」

 ジュピトルは、ハッとする。

「まさか、イ=ルグ=ルが」
「いや、今回はグレート・オリンポスの外のセキュリティには異常がない。完全にこの内側だけで何かが起きている」

「……何かがって事は、カメラもセンサーも使えないって事だね」
「部分的なトラブルではない。館内のセキュリティシステムはすべて死んでいる」

「ミュルミドネスは意図的な解除だと判断した?」
「セキュリティセンターからの解除指示を確認している。アクセスキーの名義はネプトニスだ」

 一瞬の沈黙。そして。

「使える攻撃ドローンは何機」

 ジュピトルの問いにアキレスは即答する。

「待機モードにあった三機が使える」
「警備ドローンは」

「同じく二割が動かせる」
「戦闘衛星を直上で待機。攻撃ドローンは第二ヘリポートに。警備ドローンの位置は指示する。館内マップを」

 そして部屋の中の三人を見回す。

「悪いけど、逃げなきゃいけないみたいだ」

 ムサシが身を乗り出す。

「上か、下か」
「上に。でも待ち伏せされてる前提で」

「そりゃシビアじゃのう」

 ナーガとナーギニーは、すでに出入り口を確保している。ジュピトルはアキレスに警備ドローンの位置を指示しながら、外に向かった。一瞬3Jの顔が脳裏をよぎったが、そうそう都合良く現われてはくれまい。自分で何とかしなければならないのだ。


 高度にセキュリティシステムが発達した現代、いかなエリア・エージャンの中心たるグレート・オリンポスであっても、人間の警備員など主要ブロックにしか居ない。そのシステムが解除されてしまえば、もはや無人の荒野と変わりない。

 オーシャン・ターンは顔も隠さず、正面玄関から堂々と入った。エスカレーターも自動ドアも生きている。エレベーターも使えるはずだ。

 隣を進むアシュラが顔をのぞき込む。先行して安全を確認しなくていいのか、と問いたいのだろう。だがオーシャンは立ち止まると、アシュラを見つめ、次にナイトウォーカーを、ミミを、ジージョを見つめてこう言った。

「今夜は聖なる夜だ。中層に上がるまではイ=ルグ=ルのご加護を信じろ。それより上は、私を信じろ」


「我はケルケルルガの『化身』に過ぎない。だが、ヌ=ルマナとハルハンガイは『本体』だ。簡単には行かんぞ」

 それはケレケレの事前の忠告。ジンライはその意味をいま痛感していた。その四本の腕は超振動カッターを高速に、そしてランダムに振って、目の大きな女、『宇宙の目』ヌ=ルマナを攻め立てていた。しかし当たらない。かすりもしない。

 パンドラはビーム攻撃を続けている。もちろんフルパワーで撃てば敵も味方も全員まとめて消し飛んでしまうので、低出力のビームしか撃てないとは言え、ヌ=ルマナはそれをすべて手のひらで受け止めながら、ジンライの刃を軽々とかわしている。

「速い速い、ああ速い」

 ヌ=ルマナはそう歌うように笑う。

「でも、最初の一撃で斬らねばならなかった。おまえの技はもう見えている。見えているものは、当たらない当たらない」

 クルクルと体を回転しながら、裸のヌ=ルマナは逃げ回る。まるで誘惑するかのように。


 ズマの渾身の一撃を、耳の大きな老人、ハルハンガイは片手で受け止めた。

「聞こえるぞ聞こえるぞ。おまえの中に眠る、イ=ルグ=ルの力の断片が聞こえるぞ」

 そこに飛びかかり噛み付こうとするケレケレの口を、裏拳で打ち据える。

「おまえの口は厄介だが、噛まれなければどうという事もない」

 見た目と印象の異なるパワー系のハルハンガイに、ズマは圧倒されている。このままではいけない。何とかしないと。

 ズマは一旦距離を置いた。そして唸る。全身に音を立てて生える、針金のような剛毛。口が耳まで裂け、両目が輝く。ズマは大地を蹴った。

 咆吼とともに繰り出される右の一撃。ハルハンガイは片手で受け止める。だがパワーを上げたズマに押される。慌てて両手で押さえる。それこそが狙い。ズマの左手が円弧を描いて宙を走った。ハルハンガイの顔側面をマトモに捉える。だが。

 ハルハンガイの顔は、歪みすらしなかった。いや、歪ませはした。自らの暗い笑いに。そして老人はズマの右の拳をつかんだまま、上半身を回転させた。その瞬間、強烈な衝撃。ズマの体をバットに見立てて、飛んできたケレケレを打ち返したのだ。見事なホームラン。ハルハンガイはズマを投げ捨てると、3Jの方を向いてたずねた。

「まさかこの程度の力で、世界と戦えると思ったのかね、愚かな」
「なるほど、おまえは『宇宙の耳』だ」

 3Jは抑揚のない、感情のこもらぬ声でこう言った。

「所詮、耳でしかないな」
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