案山子の帝王

柚緒駆

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77 カオス

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 百年以上前の骨董品。五十口径のアンチマテリアルライフル。現代には同じ口径でより反動の小さな狙撃銃もあるというのに、何をわざわざこんな難しい得物を選んだのか、それは本人にしかわかるまい。

 目印は黄色い点。ガラスの小瓶に入った黄色い錠剤。そのほんの少し左に立つのが標的。迷わずトリガーを引くと、轟音と共に肩口を叩く全身の骨をきしませる反動。女の髪が揺れた。水色の髪が。

 放たれた銃弾は音速を超え、一キロの距離を一瞬で飛び越える。命中したのは毛の生えた背中。皮膚を貫き筋肉にめり込む。獣人ズマの体は三メートルほど飛ばされ転がる。だがそれだけ。恐るべきは獣人の肉体。人間ならば胴が四散していたところである。

 しかし水色の髪の女は動揺した様子もなく、無言で次弾を装填する。そのスコープの視界の中に立つ影。女は顔を上げた。

 灰色のポンチョを着た銀色の戦闘用サイボーグ。女は躊躇う事なくトリガーを引く。だがそのときにはもう、ライフル本体は切り刻まれていた。その一瞬で女は立ち上がる。背中にあるのは小型のロケット。点火され、女の体はほぼ水平に飛んだ。行く先はズマの居る方向。ジンライは後を追った。


 大通りを埋めていた警備ドローンは遙か後方に待避し、鬼の行く手を塞ぐ物はもう何もない。身長十メートルの巨大な餓鬼の如き二本角の鬼は、相変わらずフラフラと揺れながら、地面をへこませつつ前進する。ただただ前進する。その目の前に、小さな五、六歳のおかっぱ頭の子供が立っている事など気付かない。

 子供は鬼に正面を向け、後ろ向きに歩いている。いや、速度的には駆けていると言った方が正確か。とにかく一定の距離を維持して移動していた。

「やれやれ、任されたのは良いが、一向に吼えないではないか」

 そう文句を垂れながら。


「……痛ってえ」

 ズマはうめきながら立ち上がる。背中に手を回し、爪で銃弾をえぐり出した。親指ほどもあるそれをしばし眺めると、背後でコソコソ逃げだそうとしている赤いチャイナドレスの女に投げつけた。

「痛ったーい」

 女は、ぶつけられた頭を押さえてにらみつける。だがズマは取り合わない。

「何逃げようとしてるんだよ」
「逃げようとはしてませーん。ちょっと物理的に距離が欲しかっただけでーす」

 女はアカンベーをした。ズマは素で返す。

「そういうところがオバサンな訳じゃん」
「うぐっ」

 そのとき、遠くから聞こえるロケットエンジンの音。チャイナドレスの女は、顔に希望を浮かべて振り返る。

「ローラ!」


 何だコイツは。ジンライは女の後を追いながら思った。小型とは言えロケットエンジンの加速に生身で耐えられるとは、これも化け物なのか。ジンライの脳や心臓は、機械制御によって生身の人間では意識を失うレベルのGに耐えている。よく比較されるサイボーグと強化人間だが、耐G能力においてはサイボーグが圧倒しているのだ。

 そのジンライですら気後れする速度で、水色の髪の女は飛んでいた。しかしそれは数秒の出来事。突如逆噴射がかかり、女は降下した。ジンライは気付いた。自分がズマの頭の上を通り過ぎた事に。

 ズマのバックアップを任されながらこの失態。ジンライは心の中で舌打ちした。


 両手を広げる赤いチャイナドレスの女、そこに回転しながら急降下して来る水色の髪の女。ズマは二人の間に割り込む。チャイナドレスの女はガラスの小瓶を放り投げた。思わず両手を伸ばすズマ。その隙に二人の女は両手をつなごうとした。けれど。

 女たちは見た。宙を飛ぶマント、ターバン、一本足。仕込み杖から銀光が走る。それはチャイナドレスの女の左腕を切断した。

「あっ」

 二人の女は同時に声を上げ、そして水色の髪の女は諦めた。赤いチャイナドレスの女は微笑む。降りてくる銀色のサイボーグ。ロケットエンジンが唸りを上げる。ジンライと入れ替わりに、水色の髪の女は急上昇した。

 振り仰ぐジンライに、3Jの声が飛ぶ。

「追うな」

 屋上に降り立ったジンライ、それに3Jとズマ、三人の真ん中に赤いチャイナドレスの女がへたり込んでいた。斬り落とされた左腕を持って。傷口からは一滴の血も流れていない。仕込み杖を鞘に戻し、3Jはズマを見た。その手にはガラスの小瓶。中には一つ、黄色い錠剤。


 巨大な鬼が歩く。痩せ細った手足を揺らしながら。しかし吼えない。まるで吼えない。どうしたものかとケレケレが困り始めたとき。

 天空から一条の閃光。しかし鬼の頭上で屈折する。側面のビルの根元をなぎ払うかのようにビームが地面をえぐった。

 鬼は目を剥いた。そして口を開けた。咆吼。最後の一声。

 鬼は見た。自分の目の前に暗黒が広がるのを。それはコンマ何秒の速度で鬼を飲み込まんばかりに拡大した。そして、本当に飲み込んだ。

 頬を大きく膨らませて、ケレケレはしばしモグモグと口を動かしていたが、不味そうな顔で、ペッと何やら吐き出した。ケレケレの体よりも大きな物体。よく見れば人間。六十歳ほどの、しょぼくれた男。ケレケレは近付くと、指でツンツン突いた。

「おい、生きてるか」
「う……あ」

 男は弱々しい声を出し、目を開けた。そのまま呆然と空を見上げている。ケレケレは笑顔でうなずいた。

「まあ、生きているのなら良いだろう」


 巨大な鬼の姿は、指揮司令センターのモニターから消えた。しかし、いったい何が起こったのか、指揮官にはわからない。間違いなくわかっているのは鬼が居なくなった事、そして奪われていた警備ドローンのコントロールが戻ってきた事の二つだけである。ただあと一つ、まだ不確かながら感じられるのは、自分たちの命が助かったという事だろうか。


「だーかーらーよお」

 聖域サンクチュアリ迷宮ラビリンス。大きなリボンのリキキマは、大いに不満という顔をしていた。

「なーんで、いちいちここに連れて来るんだよ。何でここでワンバウンドさせるんだよ。アレか、焼き肉の白飯みたいなものか。そんな扱いなのかここは。おぉ?」

 執事のハイムが入れた紅茶を飲みながら、3Jは言う。

「人型だからな」
「アホかおまえ。人型っつーんなら獣人だって昆虫人インセクターだって人型だ。植物人トリフィドだって人型だろ、人間にゃ見えないけどよ」

 それをハイムがたしなめる。

「お嬢様、お言葉が汚すぎるのではございませんか」
「汚くもなるわ! 何でもかんでも引っ張って来やがって。ああ面倒臭え面倒臭え」

 リキキマの前には、あの赤いミニのチャイナドレスの女が座っていた。膝の上には斬り落とされた左腕。怯えた様子はない。

 3Jは壁際に立つドラクルに目を向けた。

「見覚えはあるか」
「何でボクに聞くのかな。ある訳ないじゃない」

「デルファイの外に居る人外については、おまえが一番詳しい」
「へえ、評価してくれるんだ。でも生憎、それほど顔は広くなくてね」

 そう言って笑うと、一つ小さなため息をついた。

「君はどこの施設に居たのかな」

 女は無言で目を丸くした。ドラクルは続ける。

「君みたいなのが野良で居るなら伝説や怪談になるんだろうけど、あんまり聞かないじゃない、斬っても血が出ない人間の話は。『デキソコナイ』でもないみたいだし、だったら最近作られたんだろうって思ってさ」

 チャイナドレスの女は、深く息を吐いた。胸を押さえて目を伏せる。

「私の名はウズメ。遠く神に連なる血筋の者」

 自嘲するように微笑む。

「この体になったのは三年前。留学先のエリア・レイクスで事故に遭って、死んで、研究所で蘇った。うそと思われるかも知れないけど」
「……ツォハノアイ研究所」

 ドラクルの言葉にウズメはまた目を丸くする。リキキマがにらむように見つめる。

「知ってんじゃねえか」

 3Jがたずねる。

「それは」

 ドラクルは珍しく困惑した顔で答えた。

「ジョセフ・クルーガーが設立した研究所だよ。どうせよからぬ研究をしてたんだろうとは思ってたけど、まさかフランケンシュタインごっことは」
「ビッグボスの事まで知ってるんだ」

 ウズメは感心した顔でドラクルを見つめる。一方のドラクルは面白くなさそうだ。

「ああ、そりゃ知ってるさ。彼を殺したのはボクだから」

 苛立たしげにそう言うドラクルに、ウズメはしばし絶句した。そしてようやく出て来た言葉が。

「……うそ」
「君にうそをつく理由がボクにはなくてね」

「そんな、本当? うそ、すごい、すごいすごい」

 ドラクルの冷たい視線に気付かないのか、ウズメは興奮して子供のような語彙になっている。

「じゃあ私、いま恩人に会ってるんだ」
「恩人?」

 そうたずねるリキキマに、ウズメはうなずく。

「だってビッグボスが死んで、やっと私たちは自由になれたんだもの」

 その『私たち』という言葉に、3Jが食いつく。

「おまえたちは何人居る」
「人数は少ないよ。私とローラを含めて十二人しかいない」

「ローラ。あの水色の髪の女か」
「うん、そう。……どうかした?」

 ウズメはドラクルを見ている。リキキマも見た。3Jも見た。ドラクルの普段から青白い顔は、より一層青さを増していた。愕然と見開かれた双眸。言葉はない。その口は固く結ばれ、開く様子はなかった。

 3Jはウズメに視線を戻した。

「おまえたち十二人は何者だ。何を目的としている」

 それを聞くと、ウズメは静かに立ち上がった。微笑みを浮かべ、チャイナドレスを脱ぎ始める。止める者もなく、ウズメは一糸まとわぬ姿となった。リキキマは眉を寄せた。3Jも見つめた。その白く形の良い乳房の間、心臓の位置にポッカリと空いた隙間に。空間に。闇に。大きな穴の空いた胸を張ってウズメは語る。

「我らは『カオス』。何者でもなく何もない、空っぽの存在。目的は受け継いだ『遺産』を用いて世界に混沌をもたらす事。それこそが我々の存在意義」

 静かな微笑み。妖しく光る目。全身から沸き立つ色香。妖艶とはまさにこれ。だがその場に居る者は、誰一人戸惑いもしなければ非難もしない。やりにくいなあ、ウズメの気持ちは顔に出た。
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