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91 音の鍵
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緊急の大三閥会議は、定刻通りに始まった。議題はもちろん、昨夜の四箇所同時攻撃について。中心はやはりジュピトル・ジュピトリスになる。
「この四件の攻撃が、先般のエリア・ヤマトやエリア・アマゾン、エリア・レイクスの事件と関係しているのか、そしてイ=ルグ=ルの仕業なのかについては、現段階では何とも言えません」
「いやいやいや、それはマズいよ」
大きな体を縮めるかのようにジュピトルのホログラムに両手のひらを向けるのは、世界政府大統領のジェイソン・クロンダイク。額に汗が浮かんでいる。
「もうデルファイの四魔人が外に出るのが当たり前になってるじゃないか。それが許されているのは、みんなイ=ルグ=ルと戦うためだと思ってるからであって」
ジュピトルは不思議そうにキョトンと見つめ返した。
「イ=ルグ=ルと戦うのは、もう避けようのない事ですが」
「うん、それはそうなんだろうけど」
「四魔人がデルファイの中に籠もっていたのでは、戦いようがありません」
「いや、とは言ってもね」
「たとえイ=ルグ=ルと関係なくとも、魔人の力が必要なときに彼らが現われる事を、我々は受け入れなくてはならないのが現状だと思います」
「……はい」
苦手だ。ジェイソンの貼り付いたような笑顔が物語っている。ラオ・タオが居なくなって、ウラノスが引退して、この大三閥会議も少しは気楽になるのでは、と思っていたのに、このザマである。
「まあまあ。正論で追い詰めては大統領が可哀想ですよ」
マヤウェル・マルソのホログラムが助け船を出す。気のせいだろうか、いつにも増して楽しそうだ。
「ただ、もしすべての攻撃が関連していて、なおかつイ=ルグ=ルとは関係なかった場合、我々は二正面作戦を取るしかなくなります。政治的な理由でそこから目をそらすのは、愚かだと思いますけどね」
笑顔でキツい事を言う。ジェイソンは口ひげをいじると、苦々しげに視線を左側に向けた。以前ラオ・タオの座っていた場所には、別のホログラムが。
「チー・リンはどう思うかね」
四十代くらいの、良くも悪くも官僚的な印象のある女性は、いま崑崙財団を率いている事実上の最高責任者である。優秀な実務家なのだろう事は見て取れるが、ジュピトルやマヤウェルのような鮮烈さ、あるいはウラノスやラオ・タオのような圧迫感はない。
「そうですね、虚偽の説明をするくらいなら、沈黙した方が、とは思いますが」
緊張の浮かぶその顔に余裕はない。何とかここを無難に切り抜けようという意思が垣間見える。ある意味、極めて普通の人と言えた。
「沈黙に意味はありません」
しかしジュピトルが否定する。
「たとえ混乱が起きるとしても、いま置かれている状況を正確に伝える努力はすべきです」
「それで世界が混沌に沈もうとも?」
マヤウェルが挑発するかのように微笑む。小さな丸眼鏡が輝いた。ジュピトルは正面から彼女を見つめ、うなずく。
「そうです。それでいいと思っています」
「随分と人類を信頼してるんですね」
「おかしいですか」
「いいえ、素敵ですよ」
マヤウェルの笑顔に曇りはなかった。ジュピトルも微笑み返す。お互いの笑顔を信用するかどうかは、また別の話であるが。
そんな二人と、困り顔のジェイソン大統領から視線をそらし、チー・リンは所在なさげに手元を見つめていた。
夜十時。酒場に戻った男たちは、店の前に止めてあった三台のトラックの、幌に包まれた荷台に分かれて乗り込んだ。
「おお」
「凄えじゃねえか」
山と積まれた手榴弾、機銃に大型ライフルから携帯型ミサイルポッドまで、襲撃に使えそうな武器が人数分以上に揃っている。
「こりゃテロリストってより、戦争屋だな」
「何だビビってんのか。降りてもいいぞ」
「ふざけんな、興奮してんだよ」
男たちが得物を手にした頃を見計らって、天井のスピーカーからファンロンの声が響く。
「準備が済んだら席にお着き、坊やたち。遠足に出発するよ。到着は三時間後だ。寝たいヤツは、いまのうちにゆっくり寝とくんだね。まあ、死んだら死ぬほど寝られるけどさ」
狂ったような笑い声と共に、闇の中、モーター式のトラックは、まるでリムジンのように音もなく滑り出す。目指すはグレート・オリンポス。
夕刻のエリア・アマゾン、マルソ家の屋敷から聞こえてくるのはピアノの音。だが曲名はわからない。オリジナル曲か。それにしても、いかにも拙い音の運び。弾いているのはカルロ。その背後でマヤウェルは不思議そうな顔で見ている。
「気に入ったみたいで何より」
「調律はしてないんだね」
振り返り苦笑するカルロに、マヤウェルはさも当然といった風にうなずいた。
「お母様しか弾かなかったから。もう何年も誰も触っていないの。使えそう?」
「たぶん」
「端末を」
マヤウェルの声に反応して、ピアノの隣の中空に、透明なモニターが現われた。カルロがつぶやく。
「『エレボス・リング』で検索」
すると画面に現われたのは、ネットワークゲームのトップページ。黒い縁取りの内側、緑地に黄色い文字でタイトルが浮かび上がっている。するとカルロは、黒い部分の左隅を指先でタップした。しかし、画面上には何も起きない。
カルロは椅子に座り直し、ピアノに向かった。ぎこちない指先で鍵盤を叩く。七つ目か八つ目の音を立てたとき、砂の山が崩れるように、画面が音もなく崩れ、色が消えて行った。
「これが専用鍵なんだ」
現われたのは、白地に黒文字のテキストチャット。画面を下にスワイプして、ログをチェックする。カルロが眉を寄せた。
「どういうことだ」
「何かあった?」
マヤウェルが近付いてくる。カルロは口元に手を当てて考え込んだ。
「テンプルが全員を呼び出してる。原則禁止事項なのに」
「何か異常事態が起きたって事じゃないの」
「……その異常事態と、四箇所同時攻撃が関係しているのだとしたら」
カルロは端末の呼び出し番号を口にした。モニターに反応はない。別の番号を、さらに別の番号を、と続けて五つ呼び出したが、すべて反応がなかった。
「誰も出ない」
「つまり現段階で、どういう状況が考えられると」
探るようなマヤウェルの問いに、カルロは迷う事なく即答した。
「カオスは壊滅したのかも知れない」
「カオスは壊滅したの」
それはいまにも泣き出しそうなウズメの言葉。縛り上げられたカオスのメンバー四人は、聖域の迷宮でリキキマと対面していた。椅子にふんぞり返る魔人の、その背後に立つウズメとローラ。しかしこの二人と捕まった四人には、どこか決定的な差があった。それはおそらく目の輝き。四人の目は死んでいる。
「……していない」
黒いスーツを着たテンプルが口を開いた。
「カオスは、壊滅など、していない」
「壊滅したのよ、テンプル。私たちは負けたの」
ウズメの声は聞こえているはずだ。しかしテンプルは中空を見つめたまま、ボソボソとつぶやいた。
「カオスは、イ=ルグ=ル様と、共にある。決して、敗北など、あり得ない」
「無駄だよ」
リキキマは一つため息をつく。
「この迷宮の中にはイ=ルグ=ルの思念波も届かない。つまり、コイツらはいまコントロールされてる状態にはないって事だ。なのに、コレだ。頭の中が書き換えられてるんだろう。もうダメだ、諦めろ」
「何とか治せないんでしょうか」
ローラの声は冷静だ。それでも気持ちは伝わる。だがリキキマは呆れた顔でこう返した。
「薬飲んで治るんなら頑張ってやらんでもないが、そうは行かんだろう。そもそもおまえらの体に薬なんか効かねえよな、血が流れてないんだから」
これにはローラも返す言葉がない。実際その通りなのだ。リキキマは続けた。
「本当ならあの現場で潰しても良かったんだ。けど誰かに見られたら後々面倒になる、こっちにもイメージってもんがあるからな、って3Jが言いやがったから連れて来ただけで、元から助ける気なんてない。おまえらだって死ぬ事なんぞ怖くないんじゃないのか」
「自分が死ぬ事は怖くありません」
水色の髪のローラは静かに言った。
「でも仲間を失う事は、悲しく苦しいのです」
「コイツらはおまえらの事を、もう仲間とは思ってないぞ」
「彼らにとって私たちが敵でも、私たちにとって彼らは家族ですから」
「そりゃ優しい世界だな」
面白くなさそうに、リキキマは言葉を吐き捨てた。
そのとき、不意に応接室のドアが開いた。そしてノックを三回。立っていたのはドラクル。
「順番が逆だぞ、拗ね籠もり」
リキキマの言葉にドラクルは目を丸くする。
「スネコモリって何」
「何だよ、拗ねて引き籠もってたんじゃないのか」
「そりゃまた随分と人聞きの悪い」
ドラクルは口をへの字に曲げて見せた。リキキマは鼻先で笑う。
「で、何の用だよ」
すると一瞬ローラを視界の端に捉えて、夜の王は笑顔でこう言った。
「試してみたい事があるんだけど」
「この四件の攻撃が、先般のエリア・ヤマトやエリア・アマゾン、エリア・レイクスの事件と関係しているのか、そしてイ=ルグ=ルの仕業なのかについては、現段階では何とも言えません」
「いやいやいや、それはマズいよ」
大きな体を縮めるかのようにジュピトルのホログラムに両手のひらを向けるのは、世界政府大統領のジェイソン・クロンダイク。額に汗が浮かんでいる。
「もうデルファイの四魔人が外に出るのが当たり前になってるじゃないか。それが許されているのは、みんなイ=ルグ=ルと戦うためだと思ってるからであって」
ジュピトルは不思議そうにキョトンと見つめ返した。
「イ=ルグ=ルと戦うのは、もう避けようのない事ですが」
「うん、それはそうなんだろうけど」
「四魔人がデルファイの中に籠もっていたのでは、戦いようがありません」
「いや、とは言ってもね」
「たとえイ=ルグ=ルと関係なくとも、魔人の力が必要なときに彼らが現われる事を、我々は受け入れなくてはならないのが現状だと思います」
「……はい」
苦手だ。ジェイソンの貼り付いたような笑顔が物語っている。ラオ・タオが居なくなって、ウラノスが引退して、この大三閥会議も少しは気楽になるのでは、と思っていたのに、このザマである。
「まあまあ。正論で追い詰めては大統領が可哀想ですよ」
マヤウェル・マルソのホログラムが助け船を出す。気のせいだろうか、いつにも増して楽しそうだ。
「ただ、もしすべての攻撃が関連していて、なおかつイ=ルグ=ルとは関係なかった場合、我々は二正面作戦を取るしかなくなります。政治的な理由でそこから目をそらすのは、愚かだと思いますけどね」
笑顔でキツい事を言う。ジェイソンは口ひげをいじると、苦々しげに視線を左側に向けた。以前ラオ・タオの座っていた場所には、別のホログラムが。
「チー・リンはどう思うかね」
四十代くらいの、良くも悪くも官僚的な印象のある女性は、いま崑崙財団を率いている事実上の最高責任者である。優秀な実務家なのだろう事は見て取れるが、ジュピトルやマヤウェルのような鮮烈さ、あるいはウラノスやラオ・タオのような圧迫感はない。
「そうですね、虚偽の説明をするくらいなら、沈黙した方が、とは思いますが」
緊張の浮かぶその顔に余裕はない。何とかここを無難に切り抜けようという意思が垣間見える。ある意味、極めて普通の人と言えた。
「沈黙に意味はありません」
しかしジュピトルが否定する。
「たとえ混乱が起きるとしても、いま置かれている状況を正確に伝える努力はすべきです」
「それで世界が混沌に沈もうとも?」
マヤウェルが挑発するかのように微笑む。小さな丸眼鏡が輝いた。ジュピトルは正面から彼女を見つめ、うなずく。
「そうです。それでいいと思っています」
「随分と人類を信頼してるんですね」
「おかしいですか」
「いいえ、素敵ですよ」
マヤウェルの笑顔に曇りはなかった。ジュピトルも微笑み返す。お互いの笑顔を信用するかどうかは、また別の話であるが。
そんな二人と、困り顔のジェイソン大統領から視線をそらし、チー・リンは所在なさげに手元を見つめていた。
夜十時。酒場に戻った男たちは、店の前に止めてあった三台のトラックの、幌に包まれた荷台に分かれて乗り込んだ。
「おお」
「凄えじゃねえか」
山と積まれた手榴弾、機銃に大型ライフルから携帯型ミサイルポッドまで、襲撃に使えそうな武器が人数分以上に揃っている。
「こりゃテロリストってより、戦争屋だな」
「何だビビってんのか。降りてもいいぞ」
「ふざけんな、興奮してんだよ」
男たちが得物を手にした頃を見計らって、天井のスピーカーからファンロンの声が響く。
「準備が済んだら席にお着き、坊やたち。遠足に出発するよ。到着は三時間後だ。寝たいヤツは、いまのうちにゆっくり寝とくんだね。まあ、死んだら死ぬほど寝られるけどさ」
狂ったような笑い声と共に、闇の中、モーター式のトラックは、まるでリムジンのように音もなく滑り出す。目指すはグレート・オリンポス。
夕刻のエリア・アマゾン、マルソ家の屋敷から聞こえてくるのはピアノの音。だが曲名はわからない。オリジナル曲か。それにしても、いかにも拙い音の運び。弾いているのはカルロ。その背後でマヤウェルは不思議そうな顔で見ている。
「気に入ったみたいで何より」
「調律はしてないんだね」
振り返り苦笑するカルロに、マヤウェルはさも当然といった風にうなずいた。
「お母様しか弾かなかったから。もう何年も誰も触っていないの。使えそう?」
「たぶん」
「端末を」
マヤウェルの声に反応して、ピアノの隣の中空に、透明なモニターが現われた。カルロがつぶやく。
「『エレボス・リング』で検索」
すると画面に現われたのは、ネットワークゲームのトップページ。黒い縁取りの内側、緑地に黄色い文字でタイトルが浮かび上がっている。するとカルロは、黒い部分の左隅を指先でタップした。しかし、画面上には何も起きない。
カルロは椅子に座り直し、ピアノに向かった。ぎこちない指先で鍵盤を叩く。七つ目か八つ目の音を立てたとき、砂の山が崩れるように、画面が音もなく崩れ、色が消えて行った。
「これが専用鍵なんだ」
現われたのは、白地に黒文字のテキストチャット。画面を下にスワイプして、ログをチェックする。カルロが眉を寄せた。
「どういうことだ」
「何かあった?」
マヤウェルが近付いてくる。カルロは口元に手を当てて考え込んだ。
「テンプルが全員を呼び出してる。原則禁止事項なのに」
「何か異常事態が起きたって事じゃないの」
「……その異常事態と、四箇所同時攻撃が関係しているのだとしたら」
カルロは端末の呼び出し番号を口にした。モニターに反応はない。別の番号を、さらに別の番号を、と続けて五つ呼び出したが、すべて反応がなかった。
「誰も出ない」
「つまり現段階で、どういう状況が考えられると」
探るようなマヤウェルの問いに、カルロは迷う事なく即答した。
「カオスは壊滅したのかも知れない」
「カオスは壊滅したの」
それはいまにも泣き出しそうなウズメの言葉。縛り上げられたカオスのメンバー四人は、聖域の迷宮でリキキマと対面していた。椅子にふんぞり返る魔人の、その背後に立つウズメとローラ。しかしこの二人と捕まった四人には、どこか決定的な差があった。それはおそらく目の輝き。四人の目は死んでいる。
「……していない」
黒いスーツを着たテンプルが口を開いた。
「カオスは、壊滅など、していない」
「壊滅したのよ、テンプル。私たちは負けたの」
ウズメの声は聞こえているはずだ。しかしテンプルは中空を見つめたまま、ボソボソとつぶやいた。
「カオスは、イ=ルグ=ル様と、共にある。決して、敗北など、あり得ない」
「無駄だよ」
リキキマは一つため息をつく。
「この迷宮の中にはイ=ルグ=ルの思念波も届かない。つまり、コイツらはいまコントロールされてる状態にはないって事だ。なのに、コレだ。頭の中が書き換えられてるんだろう。もうダメだ、諦めろ」
「何とか治せないんでしょうか」
ローラの声は冷静だ。それでも気持ちは伝わる。だがリキキマは呆れた顔でこう返した。
「薬飲んで治るんなら頑張ってやらんでもないが、そうは行かんだろう。そもそもおまえらの体に薬なんか効かねえよな、血が流れてないんだから」
これにはローラも返す言葉がない。実際その通りなのだ。リキキマは続けた。
「本当ならあの現場で潰しても良かったんだ。けど誰かに見られたら後々面倒になる、こっちにもイメージってもんがあるからな、って3Jが言いやがったから連れて来ただけで、元から助ける気なんてない。おまえらだって死ぬ事なんぞ怖くないんじゃないのか」
「自分が死ぬ事は怖くありません」
水色の髪のローラは静かに言った。
「でも仲間を失う事は、悲しく苦しいのです」
「コイツらはおまえらの事を、もう仲間とは思ってないぞ」
「彼らにとって私たちが敵でも、私たちにとって彼らは家族ですから」
「そりゃ優しい世界だな」
面白くなさそうに、リキキマは言葉を吐き捨てた。
そのとき、不意に応接室のドアが開いた。そしてノックを三回。立っていたのはドラクル。
「順番が逆だぞ、拗ね籠もり」
リキキマの言葉にドラクルは目を丸くする。
「スネコモリって何」
「何だよ、拗ねて引き籠もってたんじゃないのか」
「そりゃまた随分と人聞きの悪い」
ドラクルは口をへの字に曲げて見せた。リキキマは鼻先で笑う。
「で、何の用だよ」
すると一瞬ローラを視界の端に捉えて、夜の王は笑顔でこう言った。
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