案山子の帝王

柚緒駆

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95 ハンディキャップ

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 かつてロシアと呼ばれた地域。凍える吹雪の吹きすさぶところ。世界政府の中央にある大統領執務室でいま、魔人リキキマのホログラムが背を向けようとしていた。

「リキキマ」

 ジュピトル・ジュピトリスの声に、冷たい目で振り返る。

「まだだ」

 そう言うジュピトルのホログラムをにらみつける。リキキマの目は告げていた。おまえごときが命令するのか、と。だがジュピトルは視線を逸らさない。

「いまは、まだだ」

 執務室に小さな笑い声が聞こえた。ジュピトルの正面には、『宇宙の目』こと邪神ヌ=ルマナのホログラムがある。椅子に座る黄金の六本腕。どこか東洋の仏像を思わせる、なかなかシュールな絵面だ。

「さすがに利口だな、ジュピトル・ジュピトリス」

 明らかに見下した口調のヌ=ルマナにジュピトルは言う。

「わざわざ僕たちの前に姿を現わした理由がある、という事だよね」
「おまえは話が早くて助かる」

 ヌ=ルマナの大きな両目がきらめいた。

「百人選べ」
「……百人?」

 それだけでは、いかなジュピトルでも意味がわからない。ヌ=ルマナは満足そうに微笑んだ。

「イ=ルグ=ルは間もなく目覚める。その瞬間、この惑星の人類の歴史は終わる。それは火を見るより明らかな事実。だが、それだけでは面白くない」

 ここでジュピトルは理解した。マヤウェル・マルソも理解した。だがジェイソン大統領とリキキマはまだわからない。ヌ=ルマナは続ける。

「そう、おまえたち人類に百人選ばせてあげようと言うのだ。たとえイ=ルグ=ルが目覚めたとしても、その百人は殺さずにおいてやろう。神の慈悲だ」
「百人のハンディキャップをくれると言うのか。随分と余裕だね」

 ジュピトルに動揺はない。平然と言葉を返す。しかし邪神は楽しげに含み笑いをした。

「イ=ルグ=ルの目的は危険な人類文明の滅却であって、必ずしも人類の絶滅ではない。たった百人でも上手くすれば、子孫を未来に長らえる事が出来るやも知れないだろう。それは認めてやっても良いというのが宇宙の意思だ」

「イ=ルグ=ルがその約束を守るという保証がどこにある」
「もちろん保証などない」

 あっけらかんとヌ=ルマナは言い切った。

「信じたくなければ信じねば良い。だがこちらは提案したぞ。それをどう受け止めるか、どう活かすかはおまえたち人類次第だ」

 ジュピトルはリキキマを横目で見た。

「エリア・トルファン、青龍塔」

 リキキマは駆け出し、ホログラムが消えた。三次元カメラの前から居なくなったのだろう。同時にヌ=ルマナは立ち上がる。

「それでは、こちらも退散するとしよう」

 そして、こう言い残し姿を消した。

「今度会うときまでにリストを作っておくといい」


 迷宮ラビリンスの中から直接テレポートは出来ない。空間が折り畳まれているからだ。リキキマは外に走り出ると、じれったそうにドラクルを振り返った。

「早くしろ! トルファンの青龍塔だ!」
「ハイハイ、わかってますって」

 後から出て来たドラクルは、やれやれという風にリキキマの腕を取る。

「それじゃ」

 二人の姿はかき消えた。


「目的は明白です」

 大統領執務室で、マヤウェル・マルソのホログラムが話す。

「人類が少なくなったと言っても、まだ総数で十億人います。そこからたった百人だけが生き残れるとなれば、世界中に大パニックが起きるでしょう」
「人類がまとまるのを、何としても避けたいんです。ならば人類は、何としてもまとまらなければなりません」

 ジュピトルもそう言う。しかし。

「うーん」

 ジェイソン大統領は腕を組んで首をかしげた。

「ただ、人類がまとまってイ=ルグ=ルと戦って、だよ、それでもし、たとえば、あくまでもたとえばだけど、玉砕して人類絶滅、なんて事にはならないだろうか」

 するとマヤウェルは、大げさに目を丸くした。

「まあ、つまり百人以外の人類には無抵抗で皆殺しにされろ、と?」

「いやいやいや、そうじゃない、そうではないんだけど。ただ、理想だけでは戦えないし勝てない。生き残るための可能性だけではなく、蓋然性も必要ではないだろうか」

 ジェイソン大統領の主張はピントがぼやけてわかりにくい。ただし話を聞いているのはジュピトルとマヤウェルである。察する能力は人並み外れている。

「つまり、百人のハンディキャップを確保した上で戦うべきだと言うのですか」
「そう、その通り!」

 ジュピトルの言葉に大きくうなずくジェイソン大統領。だが続くマヤウェルの言葉に、その顔は青ざめる。

「では、その百人は大統領が選んでくださるのですね」
「……えっ」


 リキキマとドラクルが迷宮の前に戻って来た。待っていた3Jにリキキマがぼやく。

「役に立たねえぞ、この安全装置」
「えー、ボクのせいなんだ」

 呆れた様子のドラクルに、3Jがたずねた。

「間に合わなかったか」
「一応トルファンにあるタワーは全部回ったんだけどね。まるで気配なし」

「向こうが逃げ回るつもりなら仕方ない」

 そう言う3Jにリキキマが文句を垂れる。

「仕方ないことあるか! あんの野郎、余裕ぶっこいてやがんだぞ。何が百人選べだ。だいたいな、あのときジュピトル・ジュピトリスが止めなきゃ、捕まえられたかも知れねえだろうが」

「その場合は、百人の提案を次に回して逃げられただけだ」
「ハイハイ、偉いね賢いね。おめえはいいよな、何でもかんでも見通せて。すげーすげー、あーすげー」

 精一杯のイヤミであったが、リキキマは思い出した。3Jにはイヤミが通じない事を。

「言っとくけど、褒めてる訳じゃねえからな」
「だろうな」

「だろうな、じゃねえよ。たまには怒れよ。感情的になってみろよ」
「それは難しい」

 考えるまでもなく即答だった。

「んあー、もう、何でこんな面倒臭えんだよ、コイツは!」

 リキキマは頭を掻きむしった。


 世界政府に夜のとばりが降りた頃、エリア・エージャンはまだ夕方にもならず、エリア・アマゾンは午前中である。賢人会議へと向かう車中で、マヤウェルは隣に座るカルロに目をやった。

「ヌ=ルマナの百人の提案を、公表すべきだと思う?」

 カルロは不思議そうな顔を向けた。

「もう決めているのだろう。何故たずねるのかわからない」
「自分の判断を絶対だと信じ込めるほど、年老いてはいないから」

 マヤウェルは微笑んだ。カルロは少し考える。

「……公表すれば、当然パニックが生じる。世界に混沌を求めるのなら、公表しない理由はない」
「そう、それは間違いない。なのに」

 マヤウェルは首をかしげた。

「ジュピトル・ジュピトリスは、公表するなとは言わなかった。何故」
「君の良識を信じたのではないのか」

 真顔で言うカルロに、マヤウェルは噴き出しそうな顔を向ける。

「マジ?」

 そして我慢出来なくなったのか、腹を抱えてしばらく大笑いすると、不意に深いため息を一つついた。

「そこまで無能なら、話が早いのになあ」

 その目は遠くを見ている。

「たぶんね。たぶんだけど、彼には自信があるんだと思う」
「自信?」

「そう、人類に対する自信。パニックが起きても、それを乗り越えて結束出来るという自信。『雨降って地固まる』、混乱がより結束を強くするという自信。彼は人類をそう見ている」

「なるほど、我々とは正反対だな」
「つまり、きっとどちらかが正しくて、どちらかが間違っているの。それを確かめてみたいと思わない?」

「我々が正しいと思っているのだろう。何故確認を取るのかわからない」
「もちろん自分の判断を絶対だと信じ込めるほど、年老いてはいないから」

 しかしイタズラっぽく見つめるマヤウェルの顔には、自信が満ち溢れていた。


 ジュピトル・ジュピトリスは考え込んでいた。大三閥会議からずっとだ。ナーギニーがデスクにコーヒーを置いても反応しない。ナーガがのぞき込むように声をかける。

「ジュピトル様、しばらく休憩なされては」

 ソファに寝転ぶムサシが笑った。

「何じゃ、イ=ルグ=ルが百人助けてくれるというのが、そんなに気に入らんか」
「……助けてはくれないと思う」

 ジュピトルは、ポツリと口にした。

「それはいいんだ。こちらは最初から、そのつもりなんだから。ただパニックは起こる」
「まさか、いまさらパニックが怖いとでも言う気か」

 探るようなムサシの言葉に、ジュピトルは首を振る。

「不信、疑心、恐慌、それはすべて必要な段階だ。3Jはそう言った。いまでは僕もそう思う。そう思うようになってしまった。パニックでどれくらいの人が死んで、生き残った人がどれほど結束して、戦力となり得るのか。それを考えるようになってる」

「そんな自分がイヤになる、か」
「自分はイヤにはならないけど、この状況は憎むべきだよ。一刻も早く終わらせなきゃならない。でも」

「でも?」

 ジュピトルは顔を上げた。その強い視線には、弱気を思わせるかげはない。

「ヌ=ルマナはこちらにボールを投げた。もし自分がヌ=ルマナなら、次はどう動くだろう。ボールを投げ返されるのを待っているだろうか。それが気になるんだ」
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