切り捨てられた世界で

柚緒駆

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第23話 切り捨てられた世界で

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 刑事たちが走り回り、ケンタとユメナと八科祥子は身柄を確保されている。その中で場に不似合いな五十坂は、自分同様浮いているジローに対して、ジャケットの胸ポケットから端のヨレヨレになった名刺を差し出した。

 しかし、やはり虚空を見つめたままで受け取らないジローに、五十坂はニッと笑ってみせる。

「とりあえず受け取っておけ。俺の事務所の住所が書いてある。もし何かあったら訪ねてくるといい。カレーライスくらいならおごってやるからよ」

 するとジローはまた五秒ほど固まっていたが、やがて視線は虚空に向けたまま、両手でゆっくりと名刺を受け取った。

 そんなジローをその場に残し、五十坂は顔を並べる子どもたちに近づいて行く。部屋の中をのぞき込むと、せ細った少女が一人表に出て来るところ。

「よう、お嬢様。ご機嫌はいかがかな」

 ようやくベッドに狭庭夕里江を寝かしつけたのだろう式村沙良は、五十坂の顔を見て、はにかむように微笑んだ。

「ありがとう」

「ん?」

「この山荘の呪いを解いてくれて」

 これに五十坂の顔が不快げに歪む。

「俺はオカルトが何より嫌いでね」

「でも、やったことを客観的に見れば、そういうことですよ」

「そいつは嬉しくねえなあ」

 複雑な顔で五十坂は、またジャケットの胸ポケットから端のヨレヨレになった名刺を一枚取り出した。

「これ、おまえさんにも渡しておく。後で親父さんにも見せといてくれ」

「え、でも名刺はこの間もらいましたけど」

 と、五十坂は「ふふん」と笑ってこう言った。

「何て書かれてあるか、ちゃんと見てみな」

 紗良はしばし名刺を見つめ、やがて「あっ」と声を上げた。

「まあ、そういうこった。二度と会うこともないかも知れないが、一応後腐れないようケジメはつけなきゃな。んじゃ、親父さんにヨロシク言っておいてくれ。俺は帰る。これ以上この事件に巻き込まれるのは、まっぴらゴメンなんでね」

 その言葉で、もうなすべき仕事はやり尽くしたのだろう、五十坂は一人玄関から出て駐車場のクラウンに向かった。

「刑事さん! 新展開ですか、刑事さん!」

 マスコミの記者から声が飛ぶ。何で一般市民と刑事の区別がつかないのか最後までサッパリわからなかったものの、もうそんなことはどうでもいい。終わったのだ。面倒臭いことはすべて完璧に全部終了したのだ、帰るぞーっ! 俺は家に帰るんだーっ! 五十坂はクラウンの運転席で絶叫しながらキーを回し、ただちに門の外へと向かった。

 さあ、今度こそ本当に自由だ。自由ということは、すなわち仕事を探さなければならない訳だが、まあその辺はなるようになるだろう。



 事件が終わって二日後。朝からワイドショーは秋嶺山荘一色である。くっだらないねえ。五十坂は自宅兼事務所のソファに座って壁掛けテレビをながめていた。

 とりあえず今日は余裕がない。時間的に余裕はあるが、精神的な面と金銭的な面で余裕がまるでない。仕事らしい仕事が見つからないのだ。

 もちろん、簡単に見つかるような仕事を選んでいる訳ではないのだから自業自得なのだが、理屈はともかく腹は減る。今朝はトースト一枚で終わらせるか、なんとも侘しいねえ。などと思いながらキッチンに向かったとき。

 インターホンが鳴った。部屋の小さなモニターには制服姿の五十歳くらいだろうか、少し苛立った様子の男が映っている。何だ。借金の取り立てには見えないが。五十坂は玄関に出向き、ドアチェーンをかけたままで少し開いた。

「何ですかね」

 すると相手は迷惑そうな顔で、それでも少しホッとした様子だった。

「これ、おたくさんの名刺ですか」

 男から差し出された名刺は、端がヨレヨレの見覚えがある物。そこにはこう印刷されている。

――五味総合興信所 所長 五味民雄

「ええ、まあ。この名刺がどうかしましたか」

「うちのタクシーに乗った客がね、この名刺出すだけで何もしゃべらんのですよ。お金持ってるかどうかも怪しいし、そもそも子どもだしらちが明かんのです。ちょっと来てもらえませんかね」

 嫌な予感がする。いや、予感なんてオカルトを信じている訳ではないのだが、他に何と言えばいいのやら。まあとにかくこの自称タクシー運転手について行くしかあるまい。

 ジャケットを羽織って階段を下りると、ビルの前の路肩、銀色のクラウンの後ろに黒塗りのタクシーが停まっている。その後部座席に人影。近づいて窓からのぞき込めば、膝を抱えて虚空を見つめるジローが座っていた。

 五十坂……いや、五味民雄はボサボサ頭をかきながらため息をつく。それを承認と理解したのだろう、五味の横顔を見ながら運転手は、やれやれ助かったという風に頬を緩めた。

「それじゃ、タクシー代払ってもらっていいですか」

 そこで提示された金額は、軽く目玉が飛び出る程だった。なんたる貧乏神。しかし連れて帰れとはさすがに言えない。

「カード使えたっけかな」

「ええ、もちろん」

 はあ、どっかから金が降ってこないもんかね。カード精算機の音を聞きながら、五味民雄はそんなことを考えていた。

 繁華街の一本路地を入った裏通り、雑居ビルの四階の一部屋が五味総合興信所。ジローをタクシーから降ろすのに苦労はまったくなかった。事務所まで連れて来るのにも。

 それどころか事務所のドアを開けた途端、ジローは勝手にズンズン奥まで進み、ソファの端っこに膝を抱えて座ると、自分のテリトリーを主張するかのように動かなくなってしまった。

「おい、そこは客が座るところだ。座るんなら別のところにしろ」

 そう言いながらも、「無駄だな」と五味は悟っていた。まあ、今日は客が来る予定もないし、とりあえずこれでいいか。

 キッチンに向かい、冷蔵庫からパック飯を取り出す。中身をラーメン用の丼に開け、レトルトのカレーをかけると、そのまま電子レンジに突っ込んだ。五分も回せばいいだろう。カレーライスくらいは奢ってやると約束したのだ、この程度は仕方ない。

 電子レンジのチャイムが鳴った。スプーンを丼に放り込み――全体に熱が回っているかなど確認もせず――ジローの前の小さなコーヒーテーブルに置いた。

「食え」

 その途端ジローはスプーンをつかみ、竜巻のような勢いで丼のカレーライスを口にかき込んで行く。だが、テーブルに飛沫は飛ばさない。顔にカレーを塗りたくらない。コイツなりに気を遣ってやがるのか、五味はちょっと感心した。

 丼は一分としないうちに空っぽになり、ジローはまた膝を抱えて虚空を見つめる。

 丼をキッチンの洗い桶に突っ込むと、五味はタバコを一本咥えてジローの向かいのソファに座った。

「で、何があった。って訊いても無駄なんだよな、おまえは」

 確かに、ジローは何も言わず虚空を見つめるばかり。その水晶のような両目には、ライターの火を灯す五味の姿すら映っていないかのようだ。

「秋嶺山荘に居ても居心地は悪いだろうし、別の施設に移るにしてもイロイロ面倒だろうしな、嫌になって飛び出してきた気持ちは理解できんでもない」

 五味はタバコを大きく吸い込んだ。しかしジローは虚空を見つめている。

「だが、ここにはおまえを置いてやるだけの余裕がない。残念だ、ああ本当に残念なんだが、今日のところは帰ってくれるか」

 五味は煙を吐きながらのぞき込む。しかしジローは虚空を見つめている。

「おい。おいコラ、聞いてんのか。今日は帰れつってんだよ。まさか本気でここに居座るつもりじゃないよな。よな?」

 五味はタバコを灰皿に突っ込んだ。しかしジローは虚空を見つめている。

「おいぃぃぃぃっ! おまえぇぇぇぇっ! ふ、ふっざけんなよこの野郎! おまえなんぞここに置ける訳あるかぁっ! 帰れ、とっとと帰れ!」

 五味は玄関を指さしながら絶叫した。しかしそれでも、ジローは虚空を見つめている。



 それから二年近くが経った。

 秋嶺山荘については、一時期新しい運営者を取り決めて公的認可を取得する方向で動いていたらしいが、結果的には解散となった。子どもたちは大半が認可施設に割り振られ、ごく一部が親元へと戻ったらしい。

 日和義人こと葦河宏和、そして唐橋源治こと空葉匠の二人は、共に被疑者死亡で不起訴となった。皮肉と言えば皮肉である。

 良谷弥五郎は、下半身に障碍が残っているものの一命を取り留め、警察の取り調べに対し容疑をおおむね認めている模様。炭焼き小屋の窯からは、空葉匠の物と思われる焼け残った骨が見つかっている。近く第一審が執り行われる予定である。

 良谷弥五郎が死亡しなかったおかげで多少問われる罪が減じたケンタとユメナではあったが、少年審判の結果、ケンタは保護観察処分、ユメナは少年院送致と結果が分かれた。

 数件の殺人に関する幇助の罪を問われた八科祥子は容疑を全面的に認め、控訴もしなかったために地裁判決が確定した。懲役は十一年。ただし被害者遺族からは刑が軽すぎるとの批判がある。



 濃緑のレンガの壁の向こう側、「シガーカフェ わかば」には相変わらず紫煙が立ちこめている。

「ブレンド」

 カウンター席に座った五味は、咥えたタバコに火を点けた。いつにも増して不機嫌そうな顔で。マスターはフランネルのフィルターを手に、いつも通りの笑顔を向ける。

「おやご機嫌ですね、ミスターファイブ。今日はジローくんと一緒じゃないのですか」

「その呼び方はやめてくれ。ジローは留守番してるよ、こんな店に連れて来られる訳ないだろ」

 この言い方はさすがにカチンと来たのか、赤いベストのマスターは、ケトルの蓋をカチカチ叩いた。

「こんな店とは随分な言い草ですね。コーヒー薄くしますよ」

「地味な嫌がらせは地味に効くから勘弁してくれ」

 五味が小さく両手を挙げて降参の意思を示せば、立ち上る濃密なコーヒーの香り。

「お仕事の悩みですか」

 カップに注がれる黒い液体を眺めながら、五味は疲れた顔で笑う。

「悩み以前の問題だな。ここんところマトモな仕事が回って来ない。儲けより持ち出しの方が多いくらいだ」

「ああ、それは大変」

 まるで心配する様子もないマスターの言葉だが、五味にとってはいつものことで腹も立たない。

「大変なんだよ実際。何か景気のいい話はないもんかね」

「景気のいい話はありませんが、面白そうな話題ならありますよ。新興宗教の本部で連続殺人があったとか」

「いや、そういうのはいい。マジでいいから」

 心底ウンザリした顔で五味がカップを手にしたとき。

 入り口のドアが静かに開いた。

 そして入ってきた人影は、まっすぐカウンター席に向かう。五味が何気なく隣に視線を向ければ、そこに座ったのは見知った顔。

「式村さん。何でここに」

 驚く五味に横顔を向けたまま、式村憲明はブルーマウンテンを注文した。

「事務所の方に行ったら返事がなかったんでね。こっちかと思って来てみたんだ」

 顔を合わせるのは久しぶりだが、あれ以来式村には時折、仕事の関係で協力を仰いでいる。まあ協力と言っても、半分脅迫のようなものだが。しかし、しばらく見ない間に随分あっさりした印象になったなと五味は思う。

「何かあったんですか」

「紗良が死んだよ」

 そして沈黙。音の消えた世界で紫煙が揺れ、式村憲明の前にカップが置かれる。

「十五歳の誕生日を迎えられるかどうかという話はあったんだが、実際その通りになってしまった」

 式村は熱いカップに口をつけると、まるで毒杯をあおるかのように一気に飲み干した。唖然としている五味に目を合わせることなく、その横顔は告げる。

「だから、おまえとの縁もこれまでだ。私はもうおまえとは関わらない。私は自由だ。最高の気分だよ」

 硬い表情でそれだけ言い放つと、式村憲明は伝票を手にレジへと向かった。ドアを開けて出て行く、その背を視界の端で追いながら、五味は小さくため息をつく。

「何も言わなくて良かったんですか」

 マスターの言葉に、口元に笑みを浮かべた五味はこう答えた。

「いいよ、ガキじゃあるまいし。俺が切り捨てられる世界の側に居ただけだ。どうってことはない」
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