もーきん ずばばばばーん!

柚緒駆

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いつも見ている

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 都心の大きなビルの地下に入っているにしては、喫茶店の中は小じんまりしていた。入ってすぐにカウンター、その向かいの壁に沿って三つほどテーブルがあり、奥に進むと四人がけのボックス席が四つある。

 窓も扉もステンドグラス調の色つきガラスが嵌め込まれ、店内の装飾も黒、というかコーヒー色が基調になっていて、天井の照明の弱さも相まって全体的に薄暗かった。ハチクマ先生は最初カウンター席に座ろうかと思ったが――普段コーヒーを飲みに行くときは大抵カウンターなのである――今日は話の内容が内容だけに奥のボックス席へと向かった。

 四つあるボックス席は一つだけが使用中で、他は人影も無かった。昼飯時にこの状態で、この店は大丈夫なのだろうか。まあ、あまり繁盛していても話しづらいので、ハチクマ先生としては有難い静かさだ。使用中の席の斜め向かいのボックスに入り、色白のウミネコのウェートレスにアイスコーヒーを注文する。

 お冷を飲みながらホッと一息ついていると、斜め向かいから話し声が聞こえる。作家仲間にはこういう時、メモを片手に聞き耳を立てて、自分の作品のネタに使うという者もいるが、どうもそういうやり方は苦手だ、とハチクマ先生は思う。だから聞こえる声はなるべく無視しようとしていた。していたのだが、聞こえてくる声の主がやけに低くよく通る声をしていたので、どうしても聞こえてしまう。

「絵がイマイチなのはこの際置いとこう」
「はあ」

「問題はキャラクターだな。描き分けができてないっていうか、セリフに特徴が無さすぎるんだよ。二人以上出て来たときに、誰がどのセリフ喋ってるのかわからないだろ」
「はあ」

「おまけにストーリーにメリハリが無くて一本調子だ。読者の予想を裏切る要素がまるで無い。下手でもいいからもうちょっと突飛と言うか、話を飛躍させることはできないもんか」
「はあ」

「お待たせ致しました、こちらアイスコーヒーになります」

 ウェートレスが台車を押して現れるのがもう少し遅ければ、ハチクマ先生は壁を殴っていただろう。やはり聞かなければ良かった。どうやら漫画原稿の持ち込みらしいが、聞いていて胸が痛む。自分は漫画は描かないが、小説家だって卵の時代は同じ様なものだ。ああ、どうして自分は作家になどなったのだろう。と、何故かハチクマ先生はすっかり落ち込んでしまった。そのとき。

「いやあハチクマ先生、お待たせしました」

 店中に聞こえる大きな声に、思わずシーッ! と言いそうになる。

「ああ暑いですなあ、あ、僕もアイスね」

 ペリカン氏はグルグル変わるハチクマ先生の顔色になど気付かず、ウェイトレスに声を掛けながら向かいの椅子に座った。存外に早く仕事が片付いたのか、無理矢理片付けてくれたのか。どちらにせよ有難い事ではあったが、心臓にはかなり悪かった。

 ハチクマ先生がそっと衝立の陰から斜め向かいのボックス席に目をやると、まだ若い――圭一郎と同じくらいだろうか――髪の毛のツンツンと立ったヒヨドリがこちらを覗き込んでいる。もしや「先生」という言葉に反応したのでは、と思うと穴があったら入りたい気分である。一方ペリカン氏は足の水かきを広げパタパタと扇子の様に仰ぎながら、

「先生は漫画はお読みになりますか」

 と、たずねてきた。

「あ、いや、あまり」

 言ってしまってから、しまった、と思った。斜め方向から視線を感じる、気がする。何故馬鹿正直に答えてしまったのか。「多少は」くらい言えば良かったのに。内心焦りまくっているハチクマ先生を余所に、ペリカン氏は運ばれてきたアイスコーヒーのグラスを咥えると、一口で氷ごと飲み干してしまった。

「漫画の世界には原作者という仕事がありましてな、まあ簡単に言えば漫画のシナリオライターなのですが、何処の編集部も優秀な原作者を欲しがっておるのです、もし興味がありましたら、今度また詳しい話をさせてください」

 おそらくは社交辞令であろう。そう言えばこのペリカン氏も漫画雑誌の編集者だった。

「さて、ナベヅルから聞いた話ですと、私に聞きたい事があるとか」

 ハチクマ先生はハッと我に返った。危ない危ない、ここに来た理由を忘れるところだった。ナベヅル、すなわち今書きかけの作品を担当している編集者に、小国出版に詳しい者を誰か知らないかと尋ねた所、このペリカン氏を紹介されたのだ。顔から火を噴きそうな思いで慌てて鞄から件の本を取り出すと、ペリカン氏の前に差し出した。

「まず、この著者について何か知りませんか」

 ペリカン氏は表紙の真ん中あたりにある、著者名をじっと見つめた。大芭旦悟おおばたんご、と書いてある。

「うーん、私も本は読んでる方だと思うのですが、この著者は存じませんな、申し訳ないですが」
「そうですか、いや、それなら仕方ないです」

 実際仕方がないのだ、元々雲をつかむような話なのだし、著者については他を当たるしかない。だがその前に。

「ところでこの小国出版というのはどういう会社なのですか。ナベヅル氏にも他の作家仲間にも聞いてみたのですが、良く知っている者が見当たらないのです」

 するとペリカン氏は両翼を組んで、うーん、と一声唸ると、さっきまでとは打って変わって、向かいに居るハチクマ先生にも聞こえるかどうかという小さな声で呟いた。

「それはどの程度お知りになりたいのです」
「どの程度、とは?」

「もし小説のネタにしようなどとお考えなのでしたら、お止めなさいとしか言いようがありません」
「いや、断じてそのような事では。詳しい事はここではお話できませんが、これは私の知人の、一生に関わる事なのです」

 するとペリカン氏はもう一度、うーん、と唸り、

「私も詳しい訳ではないのですが」

 と前置きをして話し始めた。

「言うまでもなく、小国出版は小国財閥のグループ企業です。元々は小国銀行の広報部からスタートしたと言われています。出版社としての規模は中の下くらい、決して大手とは言えませんが、それなりの出版数と知名度は持っている会社です。ただ、以前から怪しい噂はありました。特定の作家ばかり扱う、とか、雑誌なら特定の観光地ばかりを宣伝する、などです。勿論ワイロだ癒着だ何だという説もあります。ただそう言った噂話が出ては消えする中で、いつも最後まで残る話に、特定の団体との繋がりがあります。ざっくり言ってしまえば、カルト宗教との関係です。そもそも小国財閥自体がカルトに関わっているという噂が絶えません。ならばその広告塔たる小国出版はいかほどか、という事です。実はこの件について過去何人かのジャーナリストが調査をしました。その結果、数人が行方不明になり、その他は有耶無耶になってしまいました。行方不明になった中には私の知人もおりましたがね、未だに真相は闇の中です。小国財閥は警察に影響力があるという話もあります。下手に関われば命取りになりかねません。これ以上深入りするのは、おやめになるべきでしょうな」

 ペリカン氏の言葉は静かに優しく、しかし断固たるものであった。今度はハチクマ先生が、うーむ、と翼を組み、しばらく考えた。そして。

「では最後に一つ、そのカルトの教義や信仰の対象についてご存知ですか」
「いや、それも実の所よくわかりません。ただ、小国出版は優生学に関する書籍の出版が多いのが気になります」

「優生学……あの優生学ですか」

「そう、簡単に言えば、どの鳥類が最も優れているか、どうすれば優れた鳥類を生み出せるか、という古い優生学です。その関連の本を、会社の規模からするとやけに多めに出しているという印象ですな」



 出版社を後にすると、また炎天下に放り出された。駅までの十分弱が長い。しかし文句も言っていられない。圭一郎が心配だ。「知り合いの知り合いの知り合い」が誰なのか、詳しく聞いておけば良かった。とにかく、今は急いで帰ろう、上手くすれば圭一郎を学校にいる時点で捕まえられるかもしれない。

 歩みを速めたハチクマ先生の足に、突然何かがぶつかって転がった。黄色い毛玉だ。よく見るとアヒルの子供だった。

「おいおい、大丈夫かお前」

 ハチクマ先生が抱き起すと、アヒルの子はエヘヘ、と照れ笑いをしながら立ち上がった。まったく、行きの電車の中といい、今日はアヒルに縁のある日だな、とハチクマ先生が思っていると、ひなアヒルはハチクマ先生の脚をつつき、話しかけてきた。

「ねえねえおじちゃん」
「ん、どうした坊主」 

 小さなアヒルは照れ臭そうに、お日様のような笑顔でこう言った。

「われわれはいつも見ているぞ」

 そして突然走り出した。その先には母親が、電車の中で出会ったあの母アヒルが、氷のような眼差しでこちらを睨み付けていた。数秒の刹那、母子アヒルの姿は人ごみの流れにかき消され、ハチクマ先生の視界から完全に消え去ってしまった。
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