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根拠
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周囲の道士たちが身構え、私にじわりと近づいた。冗談を言っている空気ではない。囲まれている。逃げ場はなかった。いや、一つだけ。大階段の方向だけ隙間がある。私が走り出そうとした瞬間。
「目くそ鼻くそじゃねえか」
溜息交じりの声が聞こえた。後ろから。五味さんだ。
「何」
殻橋さんの目が不快げに歪んだ。五味さんはタバコを唇にへばりつけるように咥えて、ヘラヘラと軽薄に笑っていた。
「子供じみてるんだよ。宗教家の言う『正しさ』なんてのは、所詮内輪でしか通じない。絶対的でもなきゃ普遍的でもない。そんなもん押しつけあって何が楽しいんだ。くだらねえ」
「ほう。まさか彼らと我々が同じに見えると言うのですか。それは面白い意見です」
そう言う殻橋さんの顔は、まったく面白くなさそうだ。五味さんはタバコを口から引き剥がすと、椅子の横にあるスタンド式の灰皿に投げ込んだ。
「同じに見えるはずがない、同じに見える方がおかしい、そう思ってるんなら、そりゃアンタの目が曇ってるんだ。自覚した方がいいぞ」
「目が曇っているのはどちらでしょうか。仏教はこんな邪教とは違って世界宗教です。それは現実的に普遍的な価値を示しています。それを無視して『内輪でしか通じない』? いったいどこを見ているのでしょうね」
「もしアンタの言う通り、仏教が普遍的な価値を持ってるなら、アンタらの団体の価値は何だ。何の意味がある。既存の仏教に正しさがあるのなら、既存の仏教を信仰してりゃ済む話だろ。アンタらの存在そのものが、仏教を否定してるんじゃないのか」
「我ら給孤独者会議は既存の日本的仏教より以上に、お釈迦様の根源的な思想に原理的に忠実であらんとする団体です。他の仏教団体とは違う」
「つまり既存仏教には、普遍的な正しさなんかないって認める訳だ」
「詭弁ですね。屁理屈と言ってもいい」
五味さんは新しいタバコを咥えた。
「ガキを押さえつけてケツひっぱたくのも、ブッダの教えってヤツかい」
「子供の誤りを正すのは、大人としての責務です」
「仏様は、そこまでカバーしちゃくれねえってか」
五味さんは笑いながらタバコに火を点けた。殻橋さんは目を細めて見据えると、小さく息をついた。
「キリがありませんね。いいでしょう」
そして一度私をにらみ、大階段の上の朝陽姉様をにらんだ。
「それでは待ってみるとしましょうか。予言とやらが当たるものなのかどうか、私も興味が出てきました」
「おい、オレは予言なんか信じちゃいねえぞ」
そう言う五味さんを無視し、殻橋さんは周囲の道士たちにこう命じた。
「出入り禁止は継続です。私の許可がない限り、すべての出入りを禁じなさい。いいですね」
「おいちょっと待て!」
ロビーの反対側から声が響いた。大柄な刑事さんが、事務所の方からノシノシ大股で歩いてくる。
「さっきから訳のわからん事ばかり言いやがって、いい加減にしろよ」
殻橋さんは小さく首を傾げた。
「はて。どなたですか」
「県警捜査一課の原樹巡査だ!」
原樹さんは警察手帳を見せながら、殻橋さんにのしかかるように近づいた。殻橋さんは口元をハンカチで覆っている。
「その捜査一課の方が、私に何の用です」
「それはこっちの台詞だ。何の目的でこんな事をする。いいか、おまえらのやっている事は、れっきとした監禁罪だ。犯罪だ。すぐに全員を解放しろ」
「そうですか。それは大変ですね」
その言葉には「だからどうした」という響きがあった。
「なっ……わかってるのか、いますぐここで手錠をかけてもいいんだぞ」
「やってご覧なさい。やれるものなら」
殻橋さんは平然と答えた。原樹さんの周囲には道士たちが近づいてくる。一触即発の空気の中、また五味さんが声を上げた。
「やめとけよ」タバコを灰皿に捨てる。「相手はマトモじゃねえんだ。ケガをすんのはアンタ一人じゃねえぞ」
「おい五味、おまえどっちの味方だ」
怒鳴る原樹さんに、面倒臭そうな顔で五味さんは答えた。
「どっちの味方でもねえわ。ここから早く出たいのはオレも同じだ。何せこっちは金がかかってるんだよ、アンタらと違ってな。だが状況ってもんがあるだろうが。ちょっとは周りを見て判断しようぜ」
殻橋さんが小さく笑う。
「あなたはイロイロと失敬な人ですが、利口なのは認めましょう」
「そりゃどうも」
「一つ聞きたい」
女性の刑事さんが殻橋さんに近づいた。
「あなたは」
「県警捜査一課の築根麻耶警部補。確認していいか」
「何でしょう」
「我々がこの館内に足止めされるとして、その身の安全は保証されるのか」
殻橋さんは鼻先で笑った。
「当たり前でしょう」
「誰が保証する」
「私が、この殻橋邦命が、その名にかけて保証いたします。それでいいですか」
「了解した。あんたに任せよう」
「しかし、警部補」
情けない声を上げる原樹さんの横を、築根さんは通り過ぎた。
「おまえは少し頭を冷やせ」
そして五味さんの前に立った。
「世話をかけたな」
「礼を言われる筋合いはねえよ。それよりも」
五味さんはタバコを咥えて火を点ける。煙を一吹きして眉を寄せた。築根さんがうなずく。
「予言か」
「アレが単なる予言なら、どうって事はないんだが」
そして二人は私の方を見た。
「さっきのあの言葉、意味はわかんねえのか」
またジロー君の隣の席に座って、私は首を振った。
「ああいう感じの朝陽姉様は何度も見ていますけど、今回は意味までは。だけど」
「だけど?」
促す築根さんの目を見て、私は言った。
「あの予言は当たると思います」
「根拠は」
五味さんは視線をそらした。
「だって、朝陽姉様に父様の霊が降臨したんですから。これは天晴宮日月教団としては、最強レベルの『お言葉』、だから外れるとは思えない」
「それは根拠とは言わねえよ」
五味さんは上を向いて天井に煙を吐き、何て言うのだろう、そう、苦虫を噛み潰したような顔でつぶやいた。
「ただ、いまここはクローズドサークルなんだよな」
「目くそ鼻くそじゃねえか」
溜息交じりの声が聞こえた。後ろから。五味さんだ。
「何」
殻橋さんの目が不快げに歪んだ。五味さんはタバコを唇にへばりつけるように咥えて、ヘラヘラと軽薄に笑っていた。
「子供じみてるんだよ。宗教家の言う『正しさ』なんてのは、所詮内輪でしか通じない。絶対的でもなきゃ普遍的でもない。そんなもん押しつけあって何が楽しいんだ。くだらねえ」
「ほう。まさか彼らと我々が同じに見えると言うのですか。それは面白い意見です」
そう言う殻橋さんの顔は、まったく面白くなさそうだ。五味さんはタバコを口から引き剥がすと、椅子の横にあるスタンド式の灰皿に投げ込んだ。
「同じに見えるはずがない、同じに見える方がおかしい、そう思ってるんなら、そりゃアンタの目が曇ってるんだ。自覚した方がいいぞ」
「目が曇っているのはどちらでしょうか。仏教はこんな邪教とは違って世界宗教です。それは現実的に普遍的な価値を示しています。それを無視して『内輪でしか通じない』? いったいどこを見ているのでしょうね」
「もしアンタの言う通り、仏教が普遍的な価値を持ってるなら、アンタらの団体の価値は何だ。何の意味がある。既存の仏教に正しさがあるのなら、既存の仏教を信仰してりゃ済む話だろ。アンタらの存在そのものが、仏教を否定してるんじゃないのか」
「我ら給孤独者会議は既存の日本的仏教より以上に、お釈迦様の根源的な思想に原理的に忠実であらんとする団体です。他の仏教団体とは違う」
「つまり既存仏教には、普遍的な正しさなんかないって認める訳だ」
「詭弁ですね。屁理屈と言ってもいい」
五味さんは新しいタバコを咥えた。
「ガキを押さえつけてケツひっぱたくのも、ブッダの教えってヤツかい」
「子供の誤りを正すのは、大人としての責務です」
「仏様は、そこまでカバーしちゃくれねえってか」
五味さんは笑いながらタバコに火を点けた。殻橋さんは目を細めて見据えると、小さく息をついた。
「キリがありませんね。いいでしょう」
そして一度私をにらみ、大階段の上の朝陽姉様をにらんだ。
「それでは待ってみるとしましょうか。予言とやらが当たるものなのかどうか、私も興味が出てきました」
「おい、オレは予言なんか信じちゃいねえぞ」
そう言う五味さんを無視し、殻橋さんは周囲の道士たちにこう命じた。
「出入り禁止は継続です。私の許可がない限り、すべての出入りを禁じなさい。いいですね」
「おいちょっと待て!」
ロビーの反対側から声が響いた。大柄な刑事さんが、事務所の方からノシノシ大股で歩いてくる。
「さっきから訳のわからん事ばかり言いやがって、いい加減にしろよ」
殻橋さんは小さく首を傾げた。
「はて。どなたですか」
「県警捜査一課の原樹巡査だ!」
原樹さんは警察手帳を見せながら、殻橋さんにのしかかるように近づいた。殻橋さんは口元をハンカチで覆っている。
「その捜査一課の方が、私に何の用です」
「それはこっちの台詞だ。何の目的でこんな事をする。いいか、おまえらのやっている事は、れっきとした監禁罪だ。犯罪だ。すぐに全員を解放しろ」
「そうですか。それは大変ですね」
その言葉には「だからどうした」という響きがあった。
「なっ……わかってるのか、いますぐここで手錠をかけてもいいんだぞ」
「やってご覧なさい。やれるものなら」
殻橋さんは平然と答えた。原樹さんの周囲には道士たちが近づいてくる。一触即発の空気の中、また五味さんが声を上げた。
「やめとけよ」タバコを灰皿に捨てる。「相手はマトモじゃねえんだ。ケガをすんのはアンタ一人じゃねえぞ」
「おい五味、おまえどっちの味方だ」
怒鳴る原樹さんに、面倒臭そうな顔で五味さんは答えた。
「どっちの味方でもねえわ。ここから早く出たいのはオレも同じだ。何せこっちは金がかかってるんだよ、アンタらと違ってな。だが状況ってもんがあるだろうが。ちょっとは周りを見て判断しようぜ」
殻橋さんが小さく笑う。
「あなたはイロイロと失敬な人ですが、利口なのは認めましょう」
「そりゃどうも」
「一つ聞きたい」
女性の刑事さんが殻橋さんに近づいた。
「あなたは」
「県警捜査一課の築根麻耶警部補。確認していいか」
「何でしょう」
「我々がこの館内に足止めされるとして、その身の安全は保証されるのか」
殻橋さんは鼻先で笑った。
「当たり前でしょう」
「誰が保証する」
「私が、この殻橋邦命が、その名にかけて保証いたします。それでいいですか」
「了解した。あんたに任せよう」
「しかし、警部補」
情けない声を上げる原樹さんの横を、築根さんは通り過ぎた。
「おまえは少し頭を冷やせ」
そして五味さんの前に立った。
「世話をかけたな」
「礼を言われる筋合いはねえよ。それよりも」
五味さんはタバコを咥えて火を点ける。煙を一吹きして眉を寄せた。築根さんがうなずく。
「予言か」
「アレが単なる予言なら、どうって事はないんだが」
そして二人は私の方を見た。
「さっきのあの言葉、意味はわかんねえのか」
またジロー君の隣の席に座って、私は首を振った。
「ああいう感じの朝陽姉様は何度も見ていますけど、今回は意味までは。だけど」
「だけど?」
促す築根さんの目を見て、私は言った。
「あの予言は当たると思います」
「根拠は」
五味さんは視線をそらした。
「だって、朝陽姉様に父様の霊が降臨したんですから。これは天晴宮日月教団としては、最強レベルの『お言葉』、だから外れるとは思えない」
「それは根拠とは言わねえよ」
五味さんは上を向いて天井に煙を吐き、何て言うのだろう、そう、苦虫を噛み潰したような顔でつぶやいた。
「ただ、いまここはクローズドサークルなんだよな」
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