強請り屋 静寂のイカロス

柚緒駆

文字の大きさ
14 / 37

根拠

しおりを挟む
 周囲の道士たちが身構え、私にじわりと近づいた。冗談を言っている空気ではない。囲まれている。逃げ場はなかった。いや、一つだけ。大階段の方向だけ隙間がある。私が走り出そうとした瞬間。

「目くそ鼻くそじゃねえか」

 溜息交じりの声が聞こえた。後ろから。五味さんだ。

「何」

 殻橋さんの目が不快げに歪んだ。五味さんはタバコを唇にへばりつけるように咥えて、ヘラヘラと軽薄に笑っていた。

「子供じみてるんだよ。宗教家の言う『正しさ』なんてのは、所詮内輪でしか通じない。絶対的でもなきゃ普遍的でもない。そんなもん押しつけあって何が楽しいんだ。くだらねえ」

「ほう。まさか彼らと我々が同じに見えると言うのですか。それは面白い意見です」

 そう言う殻橋さんの顔は、まったく面白くなさそうだ。五味さんはタバコを口から引き剥がすと、椅子の横にあるスタンド式の灰皿に投げ込んだ。

「同じに見えるはずがない、同じに見える方がおかしい、そう思ってるんなら、そりゃアンタの目が曇ってるんだ。自覚した方がいいぞ」

「目が曇っているのはどちらでしょうか。仏教はこんな邪教とは違って世界宗教です。それは現実的に普遍的な価値を示しています。それを無視して『内輪でしか通じない』? いったいどこを見ているのでしょうね」

「もしアンタの言う通り、仏教が普遍的な価値を持ってるなら、アンタらの団体の価値は何だ。何の意味がある。既存の仏教に正しさがあるのなら、既存の仏教を信仰してりゃ済む話だろ。アンタらの存在そのものが、仏教を否定してるんじゃないのか」

「我ら給孤独者会議は既存の日本的仏教より以上に、お釈迦様の根源的な思想に原理的に忠実であらんとする団体です。他の仏教団体とは違う」

「つまり既存仏教には、普遍的な正しさなんかないって認める訳だ」
「詭弁ですね。屁理屈と言ってもいい」

 五味さんは新しいタバコを咥えた。

「ガキを押さえつけてケツひっぱたくのも、ブッダの教えってヤツかい」
「子供の誤りを正すのは、大人としての責務です」

「仏様は、そこまでカバーしちゃくれねえってか」

 五味さんは笑いながらタバコに火を点けた。殻橋さんは目を細めて見据えると、小さく息をついた。

「キリがありませんね。いいでしょう」

 そして一度私をにらみ、大階段の上の朝陽姉様をにらんだ。

「それでは待ってみるとしましょうか。予言とやらが当たるものなのかどうか、私も興味が出てきました」
「おい、オレは予言なんか信じちゃいねえぞ」

 そう言う五味さんを無視し、殻橋さんは周囲の道士たちにこう命じた。

「出入り禁止は継続です。私の許可がない限り、すべての出入りを禁じなさい。いいですね」
「おいちょっと待て!」

 ロビーの反対側から声が響いた。大柄な刑事さんが、事務所の方からノシノシ大股で歩いてくる。

「さっきから訳のわからん事ばかり言いやがって、いい加減にしろよ」

 殻橋さんは小さく首を傾げた。

「はて。どなたですか」
「県警捜査一課の原樹巡査だ!」

 原樹さんは警察手帳を見せながら、殻橋さんにのしかかるように近づいた。殻橋さんは口元をハンカチで覆っている。

「その捜査一課の方が、私に何の用です」
「それはこっちの台詞だ。何の目的でこんな事をする。いいか、おまえらのやっている事は、れっきとした監禁罪だ。犯罪だ。すぐに全員を解放しろ」

「そうですか。それは大変ですね」

 その言葉には「だからどうした」という響きがあった。

「なっ……わかってるのか、いますぐここで手錠をかけてもいいんだぞ」
「やってご覧なさい。やれるものなら」

 殻橋さんは平然と答えた。原樹さんの周囲には道士たちが近づいてくる。一触即発の空気の中、また五味さんが声を上げた。

「やめとけよ」タバコを灰皿に捨てる。「相手はマトモじゃねえんだ。ケガをすんのはアンタ一人じゃねえぞ」
「おい五味、おまえどっちの味方だ」

 怒鳴る原樹さんに、面倒臭そうな顔で五味さんは答えた。

「どっちの味方でもねえわ。ここから早く出たいのはオレも同じだ。何せこっちは金がかかってるんだよ、アンタらと違ってな。だが状況ってもんがあるだろうが。ちょっとは周りを見て判断しようぜ」

 殻橋さんが小さく笑う。

「あなたはイロイロと失敬な人ですが、利口なのは認めましょう」
「そりゃどうも」

「一つ聞きたい」

 女性の刑事さんが殻橋さんに近づいた。

「あなたは」
「県警捜査一課の築根麻耶警部補。確認していいか」

「何でしょう」
「我々がこの館内に足止めされるとして、その身の安全は保証されるのか」

 殻橋さんは鼻先で笑った。

「当たり前でしょう」
「誰が保証する」

「私が、この殻橋邦命が、その名にかけて保証いたします。それでいいですか」
「了解した。あんたに任せよう」

「しかし、警部補」

 情けない声を上げる原樹さんの横を、築根さんは通り過ぎた。

「おまえは少し頭を冷やせ」

 そして五味さんの前に立った。

「世話をかけたな」
「礼を言われる筋合いはねえよ。それよりも」

 五味さんはタバコを咥えて火を点ける。煙を一吹きして眉を寄せた。築根さんがうなずく。

「予言か」
「アレが単なる予言なら、どうって事はないんだが」

 そして二人は私の方を見た。

「さっきのあの言葉、意味はわかんねえのか」

 またジロー君の隣の席に座って、私は首を振った。

「ああいう感じの朝陽姉様は何度も見ていますけど、今回は意味までは。だけど」
「だけど?」

 促す築根さんの目を見て、私は言った。

「あの予言は当たると思います」
「根拠は」

 五味さんは視線をそらした。

「だって、朝陽姉様に父様の霊が降臨したんですから。これは天晴宮日月教団としては、最強レベルの『お言葉』、だから外れるとは思えない」
「それは根拠とは言わねえよ」

 五味さんは上を向いて天井に煙を吐き、何て言うのだろう、そう、苦虫を噛み潰したような顔でつぶやいた。

「ただ、いまここはクローズドサークルなんだよな」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

お飾り王妃の死後~王の後悔~

ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。 王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。 ウィルベルト王国では周知の事実だった。 しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。 最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。 小説家になろう様にも投稿しています。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...