強請り屋 静寂のイカロス

柚緒駆

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時計の間

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 和馬叔父様の死の様子を小梅さんから聞いて、私は部屋に閉じこもった。私のせいだろうか。私が悪いのだろうか。あのとき、確かに和馬叔父様は生きていた。私がもし和馬叔父様の近くから離れなかったら、こんな事にはならなかったのかも知れない。

 でも、いったい誰が叔父様を殺したのだろう。あの給孤独者会議の人たち? 和馬叔父様が連れて来たのに? 

 もしそうじゃないなら、犯人はうちの教団の人になる。それはもっと考えづらい。確かに和馬叔父様は、誰からも好かれる人じゃなかったけど、誰かから恨まれていたとも思えない。恨まれるほど重んじられてはいなかったから。父様も、姉様も、和馬叔父様をあまり気にはかけていなくて、教団の中でも、これといった役職には就かせなかった。和馬叔父様は、それを不満に思っていた。

 そう、逆なんだ。和馬叔父様が誰かを恨んで殺したのなら話はわかる。和馬叔父様には動機がある。でも、殺される理由が思いつかない。和馬叔父様が死んで、得をする人がいるだろうか。誰も思いつかない。だって居ても居なくても、誰も困らない人だったから。

 ……いや、一人いる。和馬叔父様の存在に困っていた人が、一人だけいる。私だ。強いて挙げればだけど、私は得をする。和馬叔父様がいなくなれば、私は教祖にならなくて済むかも知れない。

 待って。もしかして、私に教祖の座を追われるって思った朝陽姉様が、和馬叔父様を殺したとか……ない。それはない。だってそんな事を理由に人を殺すのだったら、私を殺した方が確実だもの。和馬叔父様が死んでも、給孤独者会議の人たちが、特にあの殻橋さんが居るなら、たぶん何も変わらない。

 あれ、という事は、私が叔父様を殺した可能性もないって事なのかな。まあ、私にはちゃんと記憶があるし、人を殺して気付かないなんて事は、あるはずがないのだけれど。

 そんな事を思っていたとき、ドアがノックされた。


 チェーンをかけたままドアを少し開けると、申し訳なさそうな碧さんが立っていた。

「すみません、夕月様。こんなときなんですけど、ちょっといいでしょうか」
「何かあったんですか」

「はい、えーっと、あ、何て言ったっけ、あの子」

 すると碧さんの向こうから、五味さんがニョキッと顔を出した。

「悪い、ジローを見なかったか」
「ジロー君? ジロー君が居ないんですか」

「ああ、部屋には居ないし、他のところもざっと見たんだが、見当たらないんだ。スキンヘッドの連中も見てないって言ってるし、外には出てないはずなんだが」

「羽瀬川さんたちにも聞いてみたんですけど、知らないって言ってまして」

 碧さんの補足に、私は一つ思い当たった。

「三階は探しました?」
「廊下と階段は。部屋は誰もいないですし」

 そう、三階には出家信者の部屋はない。この建物は元ホテルをそのまま使っているので、鍵がなければどの部屋にも入れない。ただし。

「時計の間は?」
「あっ」

 碧さんが声を上げた。私はドアを開けて廊下に出た。

「一緒に行きます。その方が話が早いでしょ」



 時計の間とは、先代教祖典前大覚の私室らしい。何でも大覚は柱時計の収集が趣味だったらしく、五十近い数の時計を一部屋に集めたのだそうだ。

「父様は誰でも気軽に時計に触れられるようにって、部屋の鍵を外してしまったんです。でも、みんな恐れ多いみたいで近寄らなくて。結局父様が寝たきりになってからは、朝陽姉様と渡兄様と和馬叔父様、そして私の四人で管理する事になったんですけど、みんな時計になんて興味がないから、ほぼ放ったらかしで」

 階段を上りながら、夕月はおかしそうに笑った。とりあえず見る限りでは、典前和馬の死の影響はないようだ。まあ、あの死体を見てないって話だからな。見てりゃ態度も変わったのかも知れん。

 三階の階段室から廊下に入り、すぐ左手の部屋のドアの前に立つ。

「ここに居てくれるといいんですけど」

 レバー式のドアノブに手をかけ、ゆっくりと引いた。開いた。部屋に入ってすぐ右の壁のボタンで照明を点ける。足下に車椅子が二台畳んで置いてある。視線を上げると、部屋の壁一面に所狭しと柱時計が並んでいた。どれも既に止まっているようで、時を刻む音は聞こえない。その静寂に染まった部屋の床、畳が敷き詰められた真ん中に、横たわったジローが寝息を立てていた。本当に居やがった。何でこんな部屋に入り込んだんだ。

「あら、可愛い顔して寝てるじゃない」

 柴野碧の一段高いトーンの声が癇に障る。さすがに顔には出さないが。

「珍しいな、コイツが寝るなんて」
「寝るのが珍しいんですか?」

 夕月が不思議そうにオレを振り返った。

「コイツは基本、事務所のソファか、自分のベッドじゃなきゃ横にはならない。それ以外で寝てるなんざ、初めて見るんじゃねえかな」

 その説明に、夕月は興味深そうな顔をした。

「じゃあ、ここが気に入ったのかも知れませんね」

 かも知れない。そうかも知れないのだが。

「しかし、あのハゲ坊主どもに文句をつけられてもアレだしな。おい、ジロー起きろ」

 こっちは金がかかってるんだ。連中との無用のトラブルは避けたい。ところがジローは一瞬薄目を開けたと思ったら、また知らぬ顔で目を閉じてしまった。

「おいコラ、いま目開けただろ。ちゃんと見てたぞ」

 けれどジローは目を開けない。

「あ、この野郎、無視すんじゃねえよ」
「まあまあ、落ち着きなって」

 碧がオレの前に回って抑える。夕月も加勢する。

「そうですよ、こんなに気持ちよさそうに寝てるのに、可哀想です
「そうは言うがな」

「給孤独者会議の人たちには、私から話します。大丈夫ですから、このまま寝かせてあげてください」

 夕月は一歩も引くつもりがないようだ。

「……ったく、しゃあねえな」

 ここは一つ、負けておくか。そんなオレの考えを読んだのかどうかは知らんが、夕月は満面の笑みを見せた。

「ありがとう」そして碧を振り返った。「それじゃ、碧さんは毛布持ってきてあげて。私は給孤独者会議の人に話してくるから」

 そう言って、夕月は部屋から走り出て行った。

「ホント、いい子よねえ。優しいし、しっかりしてるし」

 碧がしみじみ言う。

「まあな、しっかりしてる感だけで言えば、教祖様より上かね」
「ああ、朝陽はちょっと抜けてるから」

 その言葉を聞いたとき、オレはよほど不審な顔をしていたのだろう。碧はケラケラと笑った。

「あれ、言ってなかったっけ。あたしは朝陽と中学のときから友達なの。つまり教祖様の『ご友人枠』でこの教団に入れてもらったって訳。それでいまは夕月様の教育係」

「なるほどね。それでか」

 碧はひとしきり笑うと、一つ溜息をついた。

「朝陽に助けてもらおうと思ったんだけど、でもね、朝陽を助けようとも思ってたんだよ。まあ実際には、あたしなんか助けになってないけど」
「そりゃな。簡単に助けられるような状況じゃねえわな」

「そう。お父さんが死んで、教祖になったら婚約者が死んで。そしたら今度は叔父さんだもんね。いくら何でも死にすぎ。体も心も追いつかないっつーの」

 そう寂しそうに笑った。

「誰か居ないのかよ、いまの教祖様を助けられるヤツは」

 ちょっとした興味本位だったが、碧は一瞬考えて、こう言った。

「居ると言えば居るよ」
「何だ、居るのか」

「うん、若先生」
「若先生? 天成渡か」

「そう。朝陽が下臼と婚約するって話になったときも、何で若先生じゃないの、って信者仲間で議論になったくらいだから。みんなビックリしてたよ。下臼って嫌なヤツでさ。いつも偉そうで、みんな大嫌いだったのに、何であんなのと婚約したのか。普通、若先生選ぶよね、って」

「そういう目はあったのか」

「だって初代教祖の息子ってだけでも、血筋的に問題ないじゃん。おまけに信者からの信頼も厚いし。誰が考えても、いいカップルなんだけど……なんだけどなあ」

 碧は腕を組んで、うーむと考えた。

「あれがなきゃなあ」
「アレってなんだよ」

「ほら、居るじゃん。若先生のところに必ずくっついてる、コバンザメみたいな女。風見麻衣子」

 オレは今朝方の胸倉をつかまれた件を思い出して、「ああ、アレな」と答えた。

「そう、あれ。あれがくっついて離れない以上、若先生と朝陽が一緒になるのは難しいね。でもあの女、若先生のお気に入りだし。おまけに手話通訳まで出来るから」

「引き離すのは無理ってか」
「そういう事。ホント邪魔な女。気は強いしケンカっ早いし、可愛げのない」

 碧は心底からの嫌悪感を顔に表わし、それを隠そうともしない。だがその顔が不意に笑った。

「それじゃ、あたしは毛布取ってくるから、あんたは部屋に戻りなよ。一人じゃ寂しいかも知れないけどさ」

 部屋から出て行こうとする碧に、オレは慌てて追加の質問をした。

「なあ、教祖様は中学生のとき、どうだったんだ、その、霊能力は」
「そりゃ凄かったよ。無くした物とか霊視でバンバン見つける、霊感ビンビンの凄い霊能者だったんだから」

「それから、ずっとか」

「ずっとじゃないよ。霊能者は大人になると力が落ちるらしいし。それで朝陽の霊能力も随分落ち着いたんだけど、でも、もしかしたら最近、またあの頃みたいに戻ってきたんじゃないかな。やっぱり血筋とか環境とかあるんだね」

 そう言って一度オレの顔を見つめると、もう質問はないと見たのだろう、碧はドアを開けて外に出て行った。

 部屋にはオレとジローの二人きり。ぶん殴るなら、いまだ。とは言え。

 ジローは気持ちよさそうに寝息を立てている。警戒心ゼロって顔だ。

「ったく、しゃあねえな」

 また同じ事をつぶやいて、オレは部屋を出た。
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