強請り屋 静寂のイカロス

柚緒駆

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違和感

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 部屋に戻ると、突然涙が溢れた。泣くつもりなんてなかったのに、涙が止まらない。胸が苦しい。息が上手くできない。パニックになりそうな私を、碧さんは椅子に座らせて、静かに抱きしめてくれた。

「ごめん……なさい」
「大丈夫ですよ。何も心配要らないですから」

 そして、私の顔を間近で見つめて微笑むと、突然こんな事を言い出した。

「三歳違いの妹が居たんですよ、あたし」
「え?」

「小学生の頃、母親が家を出て行くときに連れて行っちゃったんで、もうずっと会ってないんですけど、たぶんどこかで元気にしてるんだろうなあって、いまでも思うんです」

「……私に似てた?」
「全然。あの子、すっごいヘチャムクレでしたから」

 そう言って大笑いした。そしてもう一度抱きしめてくれた。

「でもね、やっぱり会いたいんですよ。だから教祖様が、ずっと羨ましかった。いっつも夕月様と一緒に居られて」
「碧さん」

「大丈夫。きっと大丈夫です。悪い事ばかりは起きません。良い事だって起きますから。だから笑ってください」
「……うん」

 思い切り引きつった作り笑いだったけど、私は笑って見せた。碧さんはそれを見て満足そうにうなずいた。

「うちの班、今日の夕食当番なんですよ。美味しい物作りますからね。何かリクエストはあります?」
「ううん。碧さんのご飯、何でも美味しいから」そう言いかけて、私は思い出した。「そうだ、カレーがいい。ジロー君、カレーしか食べられないって言ってたし」

「カレーですか。そうですね、いま肉がないけど、野菜カレーもいいかも知れませんね。わかりました」

 碧さんは立ち上がってドアに向かった。

「それじゃ、腕によりをかけて美味しいカレーを作りますんで、絶対に食べに来てくださいよ」
「はい、絶対行きます」

「ではでは」

 碧さんは笑顔で手を振ってドアの向こうに消えて行った。



 五階の部屋に戻ると、築根は突然ホルスターから自動拳銃を抜いた。そしてグリップをオレの方に向けて差し出す。

「何の真似だよ」

 築根は深刻な顔で、嘆くように言葉を漏らした。

「私はダメだ。感情に流されて銃を抜いてしまう。これは、おまえが預かっていてくれないか」
「アホぬかせ。銃刀法違反だろうが」

 原樹はグッタリと疲れた様子で、両脚を投げ出している。呆れたような顔で、オレをにらんだ。

「おまえ、全然平気なんだな。二人も死んだんだぞ」
「オレが死んだ訳じゃねえからな」

 コイツら刑事のくせに、メンタル弱すぎるんじゃねえか、まったく。オレは無意識にタバコを咥えて火を点けた。あ。手に持った箱の中身を確認する。ない。て事は、残りは内ポケットに入ってる一箱だけだ。クソッ。

「ああ、早く外に出らんねえかな」
「それは無理だ」築根は暗い顔でしゃがみ込んだ。「あと二人殺されるんだろ? どうせそれまでは出られないさ」

「おいおい、病んでる場合かよ。頼むから、しっかりしてくれ」

 オレは視線を部屋の隅に移した。ジローが膝を抱えて座っている。結局コイツはまるで問題なく無事だった。わざわざ様子を見に行く必要なんかなかったんだ。もっとも、そのおかげで六階の殺人現場に一番乗り出来たんだが。
 とは言え、死体を見てわかった事はあまりない。首には扼痕も索条痕もなかった。全体にうっすら皮下出血らしい変色が見られただけだ。おそらく犯人は柔道で言う裸絞め、プロレスならチョークスリーパーだが、とにかく腕を首に回して絞め殺したに違いない。それくらいだな。

 疑問はある。和馬の死体は飾り付けられていた。予言を丁寧になぞるように。だが今回は違う。予言には首にホースを巻くなんてなかった。何故だ。何か方針転換をした理由があるはずなんだが。

 まさか実行犯が違う? いや、それはない。和馬の殺し方も、小梅の殺し方も、要は力尽くの力技だ。その点は変わっていない。違いを強いて挙げれば、和馬のときには殺してから死体が発見されるまでに時間的余裕があった。今回は殺してすぐ見つかるよう仕向けているから、余裕はなかったはずだ。

 余裕で言うなら和馬のときは、おそらく初めての殺人だ。精神的には余裕がなかったろう。だが小梅のときには多少慣れていたと考えられる。何が必要で何が不要か、取捨選択する余裕があったのかも知れない。ブレが見えるのは成長の証か。嫌な成長だな。

 犯人は少人数、おそらく二人かせいぜい三人。何故なら、ここのエレベーターは四人乗りだからだ。和馬の死体をエレベーターで運んだのなら、他には三人までしか乗れない。それどころか、日本のエレベーターは基本、一人当たり六十五キロで定員を計算している。もし原樹のように大柄なヤツがいたら、死体を含めて三人しか乗れない計算だ。エレベーターの重量ブザーが鳴って全部バレる、てな事になるほど間抜けな犯人じゃなかろう。

 ああ、クソッ。防犯カメラがあれば、悩む必要すらないレベルの事件なんだがな。しかし、ない物は仕方ない。そもそも犯人は、防犯カメラがない事を理解した上で計画を立ててやがるんだろう。腹は立つが、後手に回るのはやむを得ん。

 ……待てよ。

 非常ベルが鳴ってから、オレたちは階段で駆け上がった。その後にエレベーターで大松たちが上がってきた。犯人はそのときどこに居た?

 オレがそこまで考えたとき、ドアをノックする音が聞こえた。ここじゃない。隣の部屋、つまり本来オレとジローに割り当てられた部屋だ。廊下に出ると、驚いた顔の夕月が立っていた。

「ああ、ビックリした。そっちだったんですか」
「どうした。何かあったのか」

「いえ、今日の夕食はカレーなので、食べに来てくださいって言いに来ただけで」

 笑顔がぎこちない気がするが、言わないでおくか。

「そうか、そりゃ助かる」
「すみません、いちいち。内線電話に予備があれば、持ってくるんですけど」

「まあ、ない物は仕方ないわな」

 そう、ない物は仕方ないのだ。防犯カメラであれ何であれ、人は手に入るカードだけで勝負しなければならない。どんな事件でも、どんな人生でも、その鉄則は変わらない。

「それじゃ、食堂で待ってますから」

 そう言って会釈すると、夕月はエレベーターに駆けていった。

 ドアを閉じると、背後に築根が立っていた。

「何だよ」
「いや、気丈な子だな、と思って」

「そうだな、いつまでもそんなグチャグチャな頭してるアンタよりは気丈なんじゃねえか」

 築根は顔を真っ赤にして、慌てて髪をまとめて団子を作り始めた。オレは部屋の奥に入り、ジローに声をかける。

「夕食はカレーだってよ。おまえに気遣ってくれたんだから、腹一杯……」

 口が止まった。何だ。

「どうした、五味」

 原樹の声を無視する。何だいまのは。頭の中に、ザラリとした感覚。

 違和感か? いまのは違和感なのか? ヤニ臭い脳みそが、無音の警笛を鳴らしている。

 オレはいま、いったい何に引っかかってるんだ。
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