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第6話「柳生蒼穹」

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━━━「私と同盟を結びませんか?」

昨日、蛇巻たまき珠恵たまえという少女から、そんな言葉を投げかけられた。
魅力的な誘いだったけど、結局、僕は断った。
だから、何も変わらなかった……


僕は今、学校の教室で自分の席に着いている。
朝のホームルームが始まる直前の時間。
目の前の机の上には接着剤で固定された白い旗があり、
旗には赤い文字で『死亡』と書かれている。
僕はこの迷惑な旗の処遇について悩んでいた。

(あれ……これって、放置すると……死ぬの?)

ふと、そんな思念が頭をよぎる。
「………」
ゲンを担ぐわけではないが、念のために折っておこう。
旗は接着剤で固定されているため、簡単には外れそうにない。
僕は机を持ち上げ、逆さにし、床に思いきり叩きつけた。
大きな衝撃音が教室内に響き渡る。
棒の役割を果たしていた割り箸が根元から折れた。
とりあえず、目的は達成したようだ。
「………」
僕の突然の奇行に、教室内は静まり返っていた。


案の定、僕の行動は非行の一種とみなされ、
休み時間に生徒指導室に呼び出されて、説教されるハメになった。
いじめっ子たちは、何らおとがめなし。
傍観ぼうかん者たちが真実を言うこともない。
イジメに抵抗した人間だけが、問題児扱いを受けている。
……いつも僕だけ・・が悪者だ。
もっとも、何を訊かれても、
「すみません」としか言わない僕にも問題はあるのだろう。
きちんと事情を説明すれば、一方的に責められることはなかったかもしれない。
(この教師は信用できないからな……)
彼らにとっては、いじめっ子よりも、
いじめられっ子の方が、むべき問題児なのだ。


━━━あれは小学五年生の頃だった。

「俺に面倒な問題を押しつけやがって……
 おまえさえいなければ、うちのクラスでイジメが起きることもなかった。
 あいつらが悪いんじゃない。おまえがイジメを誘発しているんだ」
「………」
「全ておまえの責任だ。反省しろよ、見沢」
「はい……すみません……」
「このクラスで何か問題が起きた時、その中心にいるのは、大抵おまえだ。
 迷惑極まりないトラブルメーカーだ。
 いじめられっ子のおまえが、このクラスの平穏を乱しているんだよ」

いじめられているのは、僕の弱さが原因なんだ。
いじめたくなるような僕の存在が、周囲の人間をいじめっ子に仕立て上げる。
僕は、いじめられて当然の人間だった。
いつだって、他人は誰も悪くない。
悪いのは僕だ。
僕というどうしようもない存在が、他人に悪魔的な所業を行わせる。
悪者を作り上げている元凶。
元凶のくせに、被害者づらをして、悲劇の主人公を演じている。
本当に、救いようがないな……

テーブルの上に財布を置きっぱなしにしていて、
そのことを父さんにきつく叱られた時のことを思い出す。

「おまえの友達が家に遊びに来て、テーブルの上にある財布を目にする。
 もしその友達が財布からお金を取った場合、
 それは、その友達だけが悪いんじゃない。
 おまえも悪いんだ。
 おまえがテーブルの上に財布を置きっぱなしにしなければ、
 その友達が盗みを働くこともなかったんだ。
 友達にお金を盗むように仕向けたという意味では、
 おまえにも責任があるんだぞ」

……そういうことだ。
どうやら人間とは、そういう生き物らしい。
イジメの経験から導き出された考察と、
父さんに叱られた時に得た教訓は、つながっている。
だから、誰かに悪意を向けれられたり、害を与えられたりしたとき、
それをその人だけのせいにするのは間違っている。
その人がそういう行動をとった原因は、自分にあるんだ。
自分の不幸を他人のせいにしても意味が無い。
他責思考は現実逃避と同じだ。
自分自身が変わらなければ、何も解決しない。
それに、何か嫌な事があったとき、
自責に落とした方が、精神的にもラクなんだ。
なぜなら、自責に落とせば、自分の問題としてそれを処理できる。
自分の外側の問題は、
自分の力だけではどうにもならないことが多い。
でも自分の内側の問題なら、
自分の行動次第で解決できる可能性があるんだ。

━━━そう、自分でコントロールできる事象なら、何も怖くないんだ。



その日の放課後。学校からの帰り道。
いつもと同じルートを歩いていた。
そして、昨日の夜に蛇巻珠恵と会話をした公園の近くに差し掛かった。

「あの……」



この子は確か……『柳生やぎゅう 蒼穹そら』。

「………」
彼女とは一度も話したことが無い。
にもかかわらず、すぐに名前を思い出せたのは、
彼女がちょっとした有名人だからだ。

「何?……僕に何か用?」」

━━━ビクッ!

彼女の身体が少し震えた。
僕の無愛想で冷淡な声におびえたのかもしれない。

「……同盟」
「えっ?」
「私と同盟を……結んでください」
「ええっ!?」
思わず頓狂とんきょうな声が出た。
まさか昨日の今日で、
再びそのセリフを聞くことになるとは思わなかった。
それとも僕が知らないだけで、実は世間では今、
『同盟』という言葉が流行っているのだろうか。

「蛇巻さんから、あなたのことを聞いて……それで……」
なんだ、そういうことか。
「昨日、蛇巻さんにも同じことを言われたばかりだよ」
おそらく、彼女に変なことを吹き込まれたのだろう。
同盟関係を迫ってくる女の子なんて、
蛇巻珠恵のような特殊な人間だけだと思いたい。
「……そうなの?」
柳生やぎゅうさんは口を少しだけ開いて、ポカンとした表情で訊いてきた。
「うん、だから、柳生さんにも同じことを言われたときは、ビックリした」
「………」
蛇巻珠恵は一体、何を考えているのだろう?
気の弱そうな女の子に無理やり変なことを言わせるなんて……
「……まさか……イジメ……」
僕は脳裏に浮かんだ言葉を口にした。
「え……」
「蛇巻さんに……嫌がらせを受けている、とか?」
そうは思いたくないが、その可能性を考えてしまう。
「っ! ……ち、ちがうっ! そんなんじゃない!」
柳生さんは、やや強めの口調で、慌てて否定した。
「でも、『同盟を結んでください』っていうのは、
 自分の意思で言ったわけじゃないんでしょ?」
「………」
二日連続で、別々の女の子から同盟を結ぶように迫られるなんて、
偶然にしては出来すぎている。
「確かに、そのセリフは蛇巻さんから教えてもらったものだけど……」
やはり、そうだったか。
「でも! あれは、あの言葉は、私の本心なの!」
柳生さんは強い口調で、そう言い切った。
「う、うん……」
そのあまりに必死な様子に、これ以上は追及できなかった。
こんなにも悲愴ひそうな演技をしなければならないほど、
蛇巻珠恵が怖いということなのだろうか。
「お願い、信じて」
「………」
蛇巻珠恵がどこかでこのやり取りを見ている可能性がある。
今ここで余計な詮索をしようものなら、
柳生さんが後で酷い目に遭うかもしれない。
「……分かった」
だから僕は、信じるフリをすることにした。
「………」
「………」
お互い、黙ったまま相手の様子をうかがっている。
「……あの、それで……同盟は?」
「あ、そうだったね……」

どうしよう。
もしここで僕が断ったら、
柳生さんは後で、蛇巻珠恵に怒られるんだろうか。
でもこれが、『無理やり誰かに告白させる』
というたぐいの罰ゲームのようなものだとしたら……
それなら、所定のセリフを言った時点で罰ゲームが成立するから、
僕の返事はあまり重要ではないのかもしれない。
(……じゃあ、断った方が良いのかな)
柳生さんも、僕が断る前提で言ってるだろうし……

「………」
柳生さんの表情からは、真意は読み取れない。
(分からないな……)
他人の心にうとい僕に、他人の気持ちなど分かるわけがない。
だから、自分の都合の良いように、想像で、決めつけるしかない。

彼女は言わされているだけだ。
本心ではそれを望んでいない。
だから、受け入れてしまったら、かえって彼女に迷惑がかかる。
……なんだ、この茶番は。

━━━こんなの、互いに傷つくだけだ。

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