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第23話「吸血姫」

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「なに……してるの?」
僕の口からようやく出た言葉がそれだった。
「一部始終を見てたんなら、分かるだろ」
「………」
見たままの事実なら、既に脳が理解している。
しかし、その事実は受け入れがたいものだった。
「まさか……死んでないよね?」
だから僕は、こんな無意味な質問をしてしまった。
「………」
キリコは倒れている男の首を右手でつかみ、高々と持ち上げた。
「………」
僕はその様子を固唾かたずを呑んで見守る。
「………」

10秒ほどして、変化が表れた。




━━━【殺戒の波動:『エナジードレイン』】━━━

「━━っ!?」
僕は目を疑った。

男の身体が徐々に痩せ細っていく。
そして1分も経たないうちに、肉体は消えてなくなり、
衣服と骨だけが残された。
でもキリコはまだ死体を離さない。
すると、今度は骨までもが体積を減少させていき、
遂には消滅してしまった。

「これで完了だ。死体は残らない」
「………」
「【殺戒さっかいの箱庭:『吸血きゅうけつ』】」
「……?」
「アタシはその継承者だ」
「……は?」
蛇巻たまき珠恵たまえがそう言ってたんだ」
「……なるほど」

僕は妙に納得してしまった。
摩訶不思議、意味不明な言動といえば、蛇巻珠恵の十八番だもんね。

「超人的な身体能力、万能な武器の実体化、エナジードレイン。
 自分に特殊な能力があるのは理解していた。
 そのせいで面倒なことになっている、ってのもな。
 だが、それ以外のことは何も知らなかった」
「………」

つまり、『それ以外のこと』を教えてくれたのが、蛇巻珠恵だったわけか。

「ヴァンパイアってのは元々、死体が蘇っただけの、
 ただの肉塊みたいなものだったらしい。
 奴らが血を欲しがるのは、生への執着が強いせいだ。
 つまり、奴らにとって、血は生の証。
 血そのものを求めているわけじゃなくて、
 生気を吸収することが本来の目的なのさ」
「………」
なんで今、そんな話を……?
「アタシがこの能力を維持するには、
 定期的に人間の生気を奪い取る必要がある。
 まあ、『維持する』って言っても、
 実質的には、アタシに選択の余地は無い」
「………」
「生気を摂取できなければ、アタシは正気を失う。
 そうなったら、あとは餓えた獣と同じだ。
 強烈な生気への渇望から、
 最初に目についた人間を殺すだろう。
 そしてその人間から生気を奪い、ようやく正気に戻る」
「……まるで麻薬の禁断症状みたいだね」
「毎回、確実に人を殺さなきゃならない分、
 麻薬よりタチが悪いかもな」
「………」
「だが、勘違いするなよ。
 アタシはこいつを殺したこと、後悔しちゃいない」
「………」

━━━後悔?

「君は正気を失いたくない一心で、人を殺した。
 それなのに、『後悔しない』なんてことがあるの?」
僕がその疑問をぶつけると、キリコは忌まわしげに顔を歪めた。
「アタシだって、誰彼構わず殺したいわけじゃない。
 ちゃんと選別してるんだよ」
「………」
それはつまり、命の選別……
「アタシがその気になれば、
 死刑が確定している奴をターゲットにすることもできる。
 でも、そいつらはアタシが何かしなくても、
 法の裁きを受けることが確定してるだろ」
「………」
だから、自分が手を下すまでもないと……
「アタシが殺すべきなのは、
 道義的には裁かれるべきなのに、
 今の社会システムでは決して裁かれることのない悪人だ」
「………」

なるほど。これが、彼女が孤立する理由か。

彼女は正義感が強すぎて、他人の悪意に過剰に反応してしまう。
だけど、この世の中では、
行き過ぎた正義感はあまり歓迎されない。
むしろ『秩序を乱すもの』として反感を招くだろう。
本当は誰も、正義なんか望んでいない。
求めるのは『安定』。
しかし正義とは、その安定を破壊するものだ。
正義という異分子が悪と衝突すれば、
今現在、安定した生活を送っている人にまで、被害が及ぶ。
とばっちりを受けるぐらいなら、
自分とは直接関わりのない悪に対しては、
何もしないでいてくれた方がありがたい、
下手に刺激を与えないでほしい、というわけだ。
自分が被害者にさえならなければ、
他所よそで起こっている悪行には目をつむっていられる。
それが普通の人間。
正義か悪かなんて、どうでもいい。
だから一般人にとって、正義感が強すぎる人間というのは、
悪人よりもタチが悪い存在なのだろう。

「だから君は、普通の人間とは相容れないんだね」
「多数派の人間は少数派の人間を、
 自分たちの価値観を脅かす者として排除する。
 稀有けうな価値観を保有する異質な存在は、
 自分たちの既存の安定を覆しかねないからだ」
「……うん、確かにそうだね」
「アタシの価値観が世の中に受け入れられないってことぐらい、
 ちゃんと分かってるさ」
「………」

キリコが少数派であることや、特異な価値観を持っていることは、
僕にとっては大した問題ではない。
だけど……

「裁くのは……まあ……悪いとは思わない。
 でも……人を殺すのは……
 それをしてしまうことは……
 ……君自身が、人の道を外れているように見える」
「━━っ!」
キリコが一瞬だけ動揺したように見えた。
しかし、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべる。
「違うな。それはオマエの意見じゃなくて、一般論だ。
 本当のオマエは、アタシと同じだよ」
「………」
「でもそれを認めて異常者扱いされるのが嫌だから、
 オマエは世間一般の価値観を持ち出し、
 それをあたかも自分の価値観であるかのように言っているだけさ」


#################################

「オマエは自分の価値観が本当に自分のモノだと思うか?」

#################################


(だから昨日、あんな質問をしてきたのか……)

「オマエだって本当は、
 こういう解決が望ましいと思ってるはずだ。
 クズには何を言っても無駄。矯正しようがない。
 だったら、力ずくで世の中を修正するしかない、ってな」
「………」
「だってオマエ、ルールを守らない奴とか、
 平気で人を傷つけるような人間を目の当たりにしたとき、
 そいつらの存在を許せないと思うタイプだろ?」
「………」
「ちゃんと見てたぜ。昨日の空き缶の一件。
 あいつらが空き缶を投げ捨てるのを見たとき、
 オマエの目には怒りや憎しみの感情がこもっていた」
「………」
「もどかしかったんだろ?
 正義を実行したいのに、それをできないことが」
「………」
「悪人に対する抑えきれない憎悪の感情。
 それのどこが悪い?
 悪い奴を殺すのに、理由なんていらないだろ?」
「………」

理由なんて、関係ない。
そんなものは、ただの後付けに過ぎないのだから。

「『濡れぬ先こそつゆをもいとえ』」
「━━!」
おそらく意味が伝わったのだろう。
キリコは苦虫を噛み潰したような顔で小さく呻いた。
「その一線を超えてしまったら……もうダメなんだ。
 元には戻らない。後戻りできない。
 たとえ思っていても、
 実際にやるのと、やらないのとでは、
 天と地ほどの差があるんだよ。
 僕は……そこまでしないと思う」
「……それは、オマエが弱いからだ。
 力を持たない人間だからだ」
「………」
「自分の信じた正義を為せる強さ。
 世の中を思い通りにできる力。
 もし自分にそういう力があれば、
 誰だってその力を惜しみなく使うはずなんだよ」
「………」

キリコの言いたいことは分かるけど……

「でも、やっぱりダメだ。
 こんなこと、いつまでも続けられるわけがない。
 なんていうか……破滅する未来しか見えないんだよ」
「………」
キリコはしばらく黙ったまま僕を見ていた。

「……ちっ、オマエなら、分かってくれると思ったんだけどな」
「………」
「どうやらアタシの見込み違いだったようだ」

そう言って、キリコは歩き去っていった。

「………」
キリコの姿が見えなくなった後も、しばらくの間、僕はその場で立ち尽くしていた。

(まさか、そんな理由で失望されるとは思わなかった)


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