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羽毛と魚
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心地よい温もりが身体に触れて手を伸ばすと、滑らかで柔らかな感触に半ば無意識にたぐりよせた。
「っ……こら、引っ張るな」
耳元で聞こえて来たリアンの声は、どこか焦っているようだった。名残惜しさに手を離さないでいると腕を押さえられてしまい、ノエルは残念に思いながらも目を開けた。
太陽の光を受けて艶やかに煌めく濃藍の翼が目の前にあり、視線を下げるとノエルの身体には自分の物ではない腕が絡みついている。
「………重い」
「寝ぼけて湖に落ちないよう、確保していてやったんだ。感謝しろ」
そこまで寝相は悪くないはずだ。ノエルが身体を起こすとリアンは伸びをしており、背中の翼は既に見えなくなっていた。
水辺に近く肌寒さを感じる気温だが、快適に眠れたのはリアンが翼の内側に入れてくれていたからだろう。
リアルな羽毛布団の温かさに思いを馳せながらも、ノエルはリアンに向きなおった。
「ありがとう」
「…………」
せっかくお礼を言ったのに、思わぬことを告げられたとばかりにノエルを凝視するリアンが少し腹立たしい。感謝しろと言ったのは何だったのかと言いたくなる。
「何か妙なことを企んでいるんじゃないだろうな。今後はお前から目を離さないから、碌でもないことを考えるんじゃないぞ」
宣言するように言われたが、何のことだか心当たりがない。大体いつも碌でもないことを企んでいるのはリアンのほうなのだ。
(……まあいっか)
昨晩感じた剣呑な気配は消えており、ノエルは小さく安堵の溜息を吐いて、リアンに朝食を要求することにした。お腹が空いた状態で考えても頭が回らない。
「朝は簡単な物だけだ。その分昼食は街でちゃんとした食事をさせてやる」
そういったリアンの言葉に不満があったわけではない。
だが透き通った湖の中を魚が泳いでいる姿が見えて、何とか釣れはしないだろうかと真剣に考えてしまった。
「ノエル」
水を汲みに行ったまま戻ってこないノエルに痺れを切らしたのか、リアンからぐいっと腕を掴まれる。転びはしなかったもののバランスを崩しそうになったため、むっとしながら見上げると、不機嫌な気配があった。
サボっていると思われたのだろうか。
「魚、釣れたら朝ご飯に追加してもらえる?」
湖面を見つめていたのは朝食の調達を考えていたのだと主張したものの、あまり良い理由ではないと自分でもすぐに気づく。食い意地が張っていると呆れられたのか、リアンから冷ややかさが消えて大仰に溜息を吐かれた。
「お前は釣りなんかやったことないだろう?濡れ鼠になるのがオチだ。大人しくしておけ」
食べられないと分かると余計に食べたくなるのが人の性だろう。
前世は海に囲まれた国だったため、食卓にはよく魚介類が並んでいた。今世では海のない内陸部にしか住んだことがないので、魚を食べる機会などあまりないのだ。
後ろ髪を引かれながらも湖に背を向けると、パチッと静電気のような音が聞こえた。振り返ると水面には魚が浮かんでおり、リアンが素早くバケツで捕獲している。
「今回は特別だ。お前が特定の食べ物に執着するのは珍しいからな」
ノエルの視線に気づき、淡い笑みを浮かべて告げたリアンの言葉に思わず固まってしまった。リアンが訝しむように眉を上げたため、ノエルは咄嗟に別のことを口にした。
「その魚って、食べても大丈夫なの?」
「それはどういう――ああ、別に毒を撒いたわけじゃない。小さな雷を落として気絶させただけだ」
リアンが指し示した方向を見ると、湖面に浮かんでいた魚たちは泳ぎ方を思い出したかのように、身をくねらせて姿を消した。
リアンは食料を得る際は、必要以上に命を奪わない。
そういうところは悪魔らしくないが、飢え死にしかけたノエルに取って食べ物を無駄にするのは許せないことの一つだ。
調理に取り掛かったリアンを見るともなしに見ながら、ノエルはぼんやりと思考を巡らせる。
食べ物に限らず好悪を示すことは、弱みになりかねないと反応を見せないようにしていたのに、どうして今回は間違ってしまったのだろう。
(昨晩死にかけたせいで悔いを残さないようにと思ったとか?それとも前世の記憶に引きずられてしまった?)
いずれにしても二度と同じような事態にならないよう注意しなければ。
今回は対価を取られずに済んだが、そうそうリアンの気まぐれが続くとは思えない。
自分の浅慮を戒めるとともに気を引き締めたノエルの鼻に、食欲をそそる香ばしい匂いが届く。
「もうすぐ出来上がるぞ。座って待ってろ」
空腹に抗えるわけがなく、ノエルは大人しくリアンの言うとおりに従った。
久し振りに食べた魚はとても美味しかった。
「っ……こら、引っ張るな」
耳元で聞こえて来たリアンの声は、どこか焦っているようだった。名残惜しさに手を離さないでいると腕を押さえられてしまい、ノエルは残念に思いながらも目を開けた。
太陽の光を受けて艶やかに煌めく濃藍の翼が目の前にあり、視線を下げるとノエルの身体には自分の物ではない腕が絡みついている。
「………重い」
「寝ぼけて湖に落ちないよう、確保していてやったんだ。感謝しろ」
そこまで寝相は悪くないはずだ。ノエルが身体を起こすとリアンは伸びをしており、背中の翼は既に見えなくなっていた。
水辺に近く肌寒さを感じる気温だが、快適に眠れたのはリアンが翼の内側に入れてくれていたからだろう。
リアルな羽毛布団の温かさに思いを馳せながらも、ノエルはリアンに向きなおった。
「ありがとう」
「…………」
せっかくお礼を言ったのに、思わぬことを告げられたとばかりにノエルを凝視するリアンが少し腹立たしい。感謝しろと言ったのは何だったのかと言いたくなる。
「何か妙なことを企んでいるんじゃないだろうな。今後はお前から目を離さないから、碌でもないことを考えるんじゃないぞ」
宣言するように言われたが、何のことだか心当たりがない。大体いつも碌でもないことを企んでいるのはリアンのほうなのだ。
(……まあいっか)
昨晩感じた剣呑な気配は消えており、ノエルは小さく安堵の溜息を吐いて、リアンに朝食を要求することにした。お腹が空いた状態で考えても頭が回らない。
「朝は簡単な物だけだ。その分昼食は街でちゃんとした食事をさせてやる」
そういったリアンの言葉に不満があったわけではない。
だが透き通った湖の中を魚が泳いでいる姿が見えて、何とか釣れはしないだろうかと真剣に考えてしまった。
「ノエル」
水を汲みに行ったまま戻ってこないノエルに痺れを切らしたのか、リアンからぐいっと腕を掴まれる。転びはしなかったもののバランスを崩しそうになったため、むっとしながら見上げると、不機嫌な気配があった。
サボっていると思われたのだろうか。
「魚、釣れたら朝ご飯に追加してもらえる?」
湖面を見つめていたのは朝食の調達を考えていたのだと主張したものの、あまり良い理由ではないと自分でもすぐに気づく。食い意地が張っていると呆れられたのか、リアンから冷ややかさが消えて大仰に溜息を吐かれた。
「お前は釣りなんかやったことないだろう?濡れ鼠になるのがオチだ。大人しくしておけ」
食べられないと分かると余計に食べたくなるのが人の性だろう。
前世は海に囲まれた国だったため、食卓にはよく魚介類が並んでいた。今世では海のない内陸部にしか住んだことがないので、魚を食べる機会などあまりないのだ。
後ろ髪を引かれながらも湖に背を向けると、パチッと静電気のような音が聞こえた。振り返ると水面には魚が浮かんでおり、リアンが素早くバケツで捕獲している。
「今回は特別だ。お前が特定の食べ物に執着するのは珍しいからな」
ノエルの視線に気づき、淡い笑みを浮かべて告げたリアンの言葉に思わず固まってしまった。リアンが訝しむように眉を上げたため、ノエルは咄嗟に別のことを口にした。
「その魚って、食べても大丈夫なの?」
「それはどういう――ああ、別に毒を撒いたわけじゃない。小さな雷を落として気絶させただけだ」
リアンが指し示した方向を見ると、湖面に浮かんでいた魚たちは泳ぎ方を思い出したかのように、身をくねらせて姿を消した。
リアンは食料を得る際は、必要以上に命を奪わない。
そういうところは悪魔らしくないが、飢え死にしかけたノエルに取って食べ物を無駄にするのは許せないことの一つだ。
調理に取り掛かったリアンを見るともなしに見ながら、ノエルはぼんやりと思考を巡らせる。
食べ物に限らず好悪を示すことは、弱みになりかねないと反応を見せないようにしていたのに、どうして今回は間違ってしまったのだろう。
(昨晩死にかけたせいで悔いを残さないようにと思ったとか?それとも前世の記憶に引きずられてしまった?)
いずれにしても二度と同じような事態にならないよう注意しなければ。
今回は対価を取られずに済んだが、そうそうリアンの気まぐれが続くとは思えない。
自分の浅慮を戒めるとともに気を引き締めたノエルの鼻に、食欲をそそる香ばしい匂いが届く。
「もうすぐ出来上がるぞ。座って待ってろ」
空腹に抗えるわけがなく、ノエルは大人しくリアンの言うとおりに従った。
久し振りに食べた魚はとても美味しかった。
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