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第1章
歓喜と絶望
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「カイル殿下、お顔が崩れています」
ライリーの指摘にカイルは表情筋を保とうとするが、ヴィオラのことを思い出せば自然と緩んでしまう。留学先にこれまで気に留めたことのないソルフェン国を選んだのは気まぐれのようなものだったが、本能が番の場所を伝えていたのかもしれない。
「フィスロ伯爵家に到着するまでに何とかしてくださいね。それから……慶事に水を差すつもりはありませんが――」
「心配するな。ヴィオラが俺に関心を示していないことぐらい分かってる」
決まりが悪そうなそれでいて自分を案じるかのようなライリーに、カイルは苦笑を漏らす。
(まあ確かに俺自身もあんな言動をしておいて何だがな)
どうしても彼女に想いを告げずにはいられなかったものの、ヴィオラの表情には喜びよりも困惑が勝っていたし、番について説明した後も途方にくれたような顔をしていたのは気づいていた。その場で断られないよう必死で言葉を尽くした結果、何とか保留にまでこぎつけたのだ。
愛おしくて堪らない、そんな感情が溢れて止まらない。無造作に束ねられた艶のないダークブラウンの髪や荒れた指先が彼女の暮らしが決して楽でないことを教えてくれる。
(もっと早く見つけてやりたかった……)
そんな想いが胸を刺す。ヴィオラの家族構成や現在に至るまでの状況は知らないが、恐らくは亡くなった師匠が唯一の身内のような存在なのだろう。
新緑のような瞳に悲哀に沈んではいなかったもののどこか諦観の色が映っていたし、見た目の年齢以上に落ち着いた態度はこれまで彼女が苦労を強いられてきたことを察するには十分だった。
ヴィオラの笑顔が見たい、彼女を幸せにしたい。込み上げる衝動を抑えるように目を閉じる。たとえ最終的に断られたとしても、それだけは必ず叶えたいと思った。
だから、その光景を見た瞬間、カイルは世界が崩壊してしまったかと思うほどの衝撃を受けた。
薄くたなびく煙を見た途端に、嫌な予感がして馬を飛ばした。
煙を上げながらも真っ黒に塗りつぶされた、ヴィオラの住まい。焦げた臭いがとても不快で、「ああ、燃えてしまったんだな」と思った瞬間に、馬から飛び降り駆け出していた。
「ヴィオラ!ヴィオラ、ヴィオラ、どこにいる!」
燻っている木材に熱さは感じるものの、痛みは感じない。そんなことよりもヴィオラを探すほうが先決だった。
大きな梁の下にあるのは、昨日ヴィオラと向かいあったテーブルだ。ずきりと胸が抉られるような痛みを無視して、慎重に邪魔な木材をどかしていく。ヴィオラが大切にしていた住まいを荒らすような真似はしたくない。それに万が一、彼女がそこにいたら傷付けてしまう。
「殿下、もうお止めください。これ以上は御身が――」
遠くからライリーの声が聞こえた気がしたが、それ以上制止は聞こえず黙々と専念した。
そうしてようやく手を止めて顔を上げた時、泣きそうなライリーの顔が目に入った。それほどに自分は酷い表情をしているのだろうか。
もちろん気分は最悪だったが、それでも希望はあった。
「殿下……?」
困惑するように声を掛けるライリーの耳元でカイルは囁いた。
「ヴィオラは恐らく生きている」
「――!」
声を上げそうになったものの、何故密やかに告げたのかを反射的に理解したのか、ライリーは無言で頷く。生まれた時からずっと側にいたライリーのことは家族同様に信頼している。
火傷で爛れた両手に力を入れると痛みが走るが、怒りを抑えるためにはちょうどいい。
(誰かがヴィオラを殺そうとした……)
燃え尽きた家の中にヴィオラの遺体は見つからなかった。殺した後に証拠隠滅のために火を放ったのでないのなら、殺すために放火したのだろう。
もしくは誘拐し殺したと見せかけるために火を放った可能性もあるが、調べればすぐに露見することのためにそこまでするとは思えない。
ならば何かしらの理由でヴィオラが家を空けていた際に、放火が行われた可能性が高い。
不用心だと思っていたのに、護衛すらつけなかった自分の能天気さに腸が煮えくり返るようだ。
(それよりも、ヴィオラを保護しなくては……)
ヴィオラ個人に恨みがある者の犯行か、それともヴィオラが自分の番であることを快く思わない者による犯行か。
一度しか会っていないものの、彼女が恨みを買うような人物とは思えない。だが後者の場合だとしてもヴィオラが番であることを知っている者は少ない。ただカイルの様子がいつもと違うと感じた者はそれなりにいるだろう。
昨晩フィスロ伯爵からも何か良いことがあったのかと聞かれたぐらいなので、番に出会えたことで浮かれていた自覚はある。
自分のせいでヴィオラを失いかけたのかと思うと胸が張り裂けそうだった。
(使える物は全て使う。二度はない。今度こそ彼女を絶対に護り抜く)
そのためには慎重に迅速に行動しなければならない。闇雲に探しても時間を無駄にするだけでなく、再びヴィオラの命を危険に晒しかねない。
カイルは自分の持ちうる全ての手札を頭の中に広げて、猛スピードで作戦を練り始めた。
ライリーの指摘にカイルは表情筋を保とうとするが、ヴィオラのことを思い出せば自然と緩んでしまう。留学先にこれまで気に留めたことのないソルフェン国を選んだのは気まぐれのようなものだったが、本能が番の場所を伝えていたのかもしれない。
「フィスロ伯爵家に到着するまでに何とかしてくださいね。それから……慶事に水を差すつもりはありませんが――」
「心配するな。ヴィオラが俺に関心を示していないことぐらい分かってる」
決まりが悪そうなそれでいて自分を案じるかのようなライリーに、カイルは苦笑を漏らす。
(まあ確かに俺自身もあんな言動をしておいて何だがな)
どうしても彼女に想いを告げずにはいられなかったものの、ヴィオラの表情には喜びよりも困惑が勝っていたし、番について説明した後も途方にくれたような顔をしていたのは気づいていた。その場で断られないよう必死で言葉を尽くした結果、何とか保留にまでこぎつけたのだ。
愛おしくて堪らない、そんな感情が溢れて止まらない。無造作に束ねられた艶のないダークブラウンの髪や荒れた指先が彼女の暮らしが決して楽でないことを教えてくれる。
(もっと早く見つけてやりたかった……)
そんな想いが胸を刺す。ヴィオラの家族構成や現在に至るまでの状況は知らないが、恐らくは亡くなった師匠が唯一の身内のような存在なのだろう。
新緑のような瞳に悲哀に沈んではいなかったもののどこか諦観の色が映っていたし、見た目の年齢以上に落ち着いた態度はこれまで彼女が苦労を強いられてきたことを察するには十分だった。
ヴィオラの笑顔が見たい、彼女を幸せにしたい。込み上げる衝動を抑えるように目を閉じる。たとえ最終的に断られたとしても、それだけは必ず叶えたいと思った。
だから、その光景を見た瞬間、カイルは世界が崩壊してしまったかと思うほどの衝撃を受けた。
薄くたなびく煙を見た途端に、嫌な予感がして馬を飛ばした。
煙を上げながらも真っ黒に塗りつぶされた、ヴィオラの住まい。焦げた臭いがとても不快で、「ああ、燃えてしまったんだな」と思った瞬間に、馬から飛び降り駆け出していた。
「ヴィオラ!ヴィオラ、ヴィオラ、どこにいる!」
燻っている木材に熱さは感じるものの、痛みは感じない。そんなことよりもヴィオラを探すほうが先決だった。
大きな梁の下にあるのは、昨日ヴィオラと向かいあったテーブルだ。ずきりと胸が抉られるような痛みを無視して、慎重に邪魔な木材をどかしていく。ヴィオラが大切にしていた住まいを荒らすような真似はしたくない。それに万が一、彼女がそこにいたら傷付けてしまう。
「殿下、もうお止めください。これ以上は御身が――」
遠くからライリーの声が聞こえた気がしたが、それ以上制止は聞こえず黙々と専念した。
そうしてようやく手を止めて顔を上げた時、泣きそうなライリーの顔が目に入った。それほどに自分は酷い表情をしているのだろうか。
もちろん気分は最悪だったが、それでも希望はあった。
「殿下……?」
困惑するように声を掛けるライリーの耳元でカイルは囁いた。
「ヴィオラは恐らく生きている」
「――!」
声を上げそうになったものの、何故密やかに告げたのかを反射的に理解したのか、ライリーは無言で頷く。生まれた時からずっと側にいたライリーのことは家族同様に信頼している。
火傷で爛れた両手に力を入れると痛みが走るが、怒りを抑えるためにはちょうどいい。
(誰かがヴィオラを殺そうとした……)
燃え尽きた家の中にヴィオラの遺体は見つからなかった。殺した後に証拠隠滅のために火を放ったのでないのなら、殺すために放火したのだろう。
もしくは誘拐し殺したと見せかけるために火を放った可能性もあるが、調べればすぐに露見することのためにそこまでするとは思えない。
ならば何かしらの理由でヴィオラが家を空けていた際に、放火が行われた可能性が高い。
不用心だと思っていたのに、護衛すらつけなかった自分の能天気さに腸が煮えくり返るようだ。
(それよりも、ヴィオラを保護しなくては……)
ヴィオラ個人に恨みがある者の犯行か、それともヴィオラが自分の番であることを快く思わない者による犯行か。
一度しか会っていないものの、彼女が恨みを買うような人物とは思えない。だが後者の場合だとしてもヴィオラが番であることを知っている者は少ない。ただカイルの様子がいつもと違うと感じた者はそれなりにいるだろう。
昨晩フィスロ伯爵からも何か良いことがあったのかと聞かれたぐらいなので、番に出会えたことで浮かれていた自覚はある。
自分のせいでヴィオラを失いかけたのかと思うと胸が張り裂けそうだった。
(使える物は全て使う。二度はない。今度こそ彼女を絶対に護り抜く)
そのためには慎重に迅速に行動しなければならない。闇雲に探しても時間を無駄にするだけでなく、再びヴィオラの命を危険に晒しかねない。
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