転生令嬢、シスコンになる ~お姉様を悪役令嬢になんかさせません!~

浅海 景

文字の大きさ
9 / 60

怒りと決意

しおりを挟む
「アネット様、申し訳ございません」

謝る料理長に何と答えたか覚えていない。ただ早く一人にならなければならないということだけしか考えられず、足早に部屋へと向かう。
冷静になろうとすればするほど、全身が熱く心臓が痛いほどに脈打っている。

ようやくのことで部屋に辿り着き、クッションを掴むとアネットはクローゼットの中に閉じこもった。
そしてクッションで口元を強く押さえると、力の限り絶叫した。

「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなああああ!!!」
怒り過ぎて耳鳴りがして、視界が歪む。

(あの毒親が!!!!)
平民の食べ物だと馬鹿にされたこと、皆で作ったマカロンを台無しにされたことに苛立ちはあったが、そんなことクロエがされたことに比べれば何でもなかった。

毒でもないのに、ましてやそれ以上口にしかけていたわけでもなくただ持ったままだというだけなのだ。扇子で容赦なく打擲されて滑らかな陶器のような手は、たちまち赤みを帯びた。その痛々しさに思い出すだけで胸が痛む。

地面に落ちたマカロンをクロエが悲しそうに見つめていたのをアネットはしっかりと目撃していた。無意識に左手を叩かれた右手に添えていたが、痛みに泣くこともなく表情をなくしたクロエを抱きしめてやりたかった。それなのに何も出来なかった自分にも腹が立つ。

感情を表に出すことは淑女として好ましくないとしても、クロエのそれは徹底しすぎていた。
躊躇いのないデルフィーヌの行動とクロエの態度から、常習的に躾と称して暴力を振るわれているのだとアネットは確信している。
悪さをして拳骨を落とされる子供など以前暮らしていた場所ではよくあることだったが、それ自体悪いことだとアネットは思わない。体罰も時と場合によっては絶対悪ではないが、クロエへのそれは明らかに行き過ぎであり虐待だと言えるだろう。

父は子供に興味がなく、健やかに成長して婚姻に支障がなければいいのかもしれないが、幼い子供を放置している状況はやはり育児放棄と同じことだ。
そんな環境で育てばいずれ心を壊すか、母親のように歪んだ性格になってしまう。
そう考えた時、アネットの頭には閃きが走り、欠けたピースがぴたりとはまったような感覚に陥った。


「お姉様は悪役令嬢……?」
ここが過去でもなく見知らぬ異世界であることは大陸図を見て分かったことだ。かつて自分がいた世界ではありえない地形と覚えのない地名。
形容できないほどの美女になることが予想されるクロエは王子殿下の婚約者である。
異世界転生、王子の婚約者とくれば、欠かせないのは悪役令嬢だろう。
前世で読んだマンガの内容が頭をよぎる。

(……事実は小説より奇なりというけど、そんな物語みたいなことが?――いや物語の中に転生してしまったと考える方が自然なのかも)

仮にこの世界が物語であろうがなかろうが、この際大した問題ではないのだ。今の状況であればクロエは心を閉ざしてしまうか、歪んだ性格の持ち主になってしまう可能性が高い。

性格の悪さは育った環境のせいだけでなく、元々そういう性質を持った人もいるだろう。このままクロエの生活環境が改善されなけれれば、間違いなく自己中心的で我儘な悪役令嬢になってしまう、そんな確信めいた予感があった。
物語の悪役令嬢だって、語られていないだけで悲惨な子供時代があったのかもしれない。

急速に頭が冷えていくとともに思考がクリアになっていく。完全に心を閉ざしていない今ならまだ間に合う。クロエの心を守り、幸せな未来に軌道修正が出来るはずだ。

「お姉様は私が守るわ」
悪役令嬢なんかにさせないし、誰にも傷付けさせたりしない。自分が前世の記憶を持って生まれ変わったのはこのためだったのではないだろうか。
目標が定まってからアネットの行動は早かった。ジョゼが部屋に来るなり、至急シリルを部屋に呼ぶように頼んだ。

「お呼びでしょうか、アネット様」
「ええ、お父様が次に邸で食事を摂るのはいつかしら?」

アネットの様子に違和感を覚えたのか、眉をひそめたのは一瞬で有能な家令はすぐさま表情を消して必要な情報を告げる。

「5日後になります」
5日もあれば十分だ。ケチのつけようがないぐらい、徹底的に完璧なテーブルマナーを身に付けて見せよう。

「その時は私も参加するわ」
質問でもなく確固たる口調で答えるアネットにシリルは恭しく一礼した。



(これは面接試験のようなものよ)

ジョゼに身支度を整えられたアネットは、鏡の中の自分を見て笑顔を作る。子供のような無邪気な笑みではなく、目元を和らげ口角を上げる淑女の微笑みだ。

「アネット様、そろそろお時間です」
この数日、アネットの様子に戸惑いながらも見守ってくれていたジョゼの言葉に頷いて、アネットは敵地へと向かった。

「お父様、おはようございます」
お辞儀の角度や指先に至るまで神経を張り巡らせて、優雅なカーテシーを披露すると一瞬の間があった。

「……掛けなさい」
どうやら第一関門は突破したらしい。

カミーユの言葉に安堵しながらも、緊張を緩めないよう気を引き締める。本番はこれからなのだ。
カミーユから向かって右側を一つ空けた席に腰を下ろす。時間をおかずデルフィーヌがクロエとともにダイニングに現れると、嫌悪感を露わにして眉を顰める。

「お義母様、お姉様、おはようございます」

座ったままアネットは柔らかい笑みを浮かべて挨拶をした。デルフィーヌが不機嫌になっていくのがはっきりと分かるが、アネットは侯爵家の娘として正しい行動を取ったに過ぎない。

(立ち上がって挨拶するなど格下の相手のすること。年長者に対する敬意は必要だけど、家族の間でそのような挨拶は不要だもの)

アネットのことを平民の娘としか見ないデルフィーヌには許容できないだろう。だが当主であるカミーユが咎めないのに、デルフィーヌは声高にアネットを非難できない。
ざまぁ成功だと内心ほくそえんでいたが、クロエが隣に座ると嬉しさと緊張でそれどころではなくなった。
対面であればさり気なく視線を向けることが出来たが、隣だと不自然になってしまうし無作法だと思われるだろう。

(せっかくお姉様と一緒にいるのに!!でもこれから一緒にいるためには今が頑張り時だわ)

朝食が運ばれてきて、アネットは自分を落ち着かせるためこっそりと深呼吸をした。これもクロエを守るためなのだと自分に言い聞かせて、頭の中でマナーのおさらいをする。

まずアネットが目標としたのは、クロエとの接触頻度を増やすことである。会えなければクロエの様子を知ることもできないし、守ることなど到底無理だ。
行動範囲を広げ交流の機会を増やすためには、父や周囲の大人たちにアネットの価値を認めさせなければならない。
アネットの価値、それは立派な淑女となることである。

ルヴィエ侯爵家に優秀な婿を迎えいれるには侯爵の身分だけでなく、婚姻を結ぶアネット自身の価値も重要となる。付加価値にも不満材料にもなり得るのだから、父がアネットに価値を見出せば多少の我儘が許される可能性は高い。

気合を入れて目の前の朝食に取り掛かることにした。
自分の一挙一動に視線が注がれているのが分かる。父は確認のため、義母は難癖をつけるためだろう。普通なら緊張を強いられるところだろうが、ジョアンヌの指導が徹底していたので、その程度では揺らぐことはない。

食べにくいサラダや転がりやすい小さな丸い豆も背筋を伸ばしたまま、危うげなく口に運ぶ。楽しい食事ではなかったが、食べ終えた時には無事やり遂げたという達成感に満足した気持ちになった。

「これからはダイニングで食事を摂るように」
カミーユはそれだけ言うとさっさと席を立った。

とりあえず食事の時間はクロエとともにいることが出来るが、食事中ずっと無言だったのが今日だけだと思いたい。貴族であっても食事中は交流の場として集うはずなのだが、黙々と食べることだけに集中するのなら一緒に食事を摂る必要はないのだ。

忌々しそうな表情を隠さず、デルフィーヌが席を立つとクロエもそれに倣う。せっかくなので話をしたいが、クロエは望んでいない気がする。だから一言だけ声を掛けようと思った。
体調はどうなのか、辛いことはないのかなど聞きたいことはたくさんあるが、同情されるのは侮辱と取られるかもしれないし、質問しても答えてもらえる時間も見込みもない。焦りながらも素直な気持ちを伝えようと思って、アネットは失敗した。

「お姉様、大好きです」
突然の告白めいた言葉にクロエが困惑したように首を傾げたが、すぐに思い直したかのように表情を消して何事もなかったかのようにダイニングから出て行った。残されたアネットにじわじわと羞恥が湧き上がってくる。

(ううっ、やらかしたあああああ!恥ずかしすぎる!!)

何の前振りもなく好きだと言われてクロエはさぞ困ったことだろう。
自分は味方だとさりげなく伝えたかったのに、事前準備がないまま口にしてしまったのだ。大丈夫だと思っていたのに、少なからず緊張が解けて気の緩んでいたせいだろう。

クッションを抱えて自室で悶えるアネットであった。

しおりを挟む
感想 72

あなたにおすすめの小説

【完結】婚約破棄はいいのですが、平凡(?)な私を巻き込まないでください!

白キツネ
恋愛
実力主義であるクリスティア王国で、学園の卒業パーティーに中、突然第一王子である、アレン・クリスティアから婚約破棄を言い渡される。 婚約者ではないのに、です。 それに、いじめた記憶も一切ありません。 私にはちゃんと婚約者がいるんです。巻き込まないでください。 第一王子に何故か振られた女が、本来の婚約者と幸せになるお話。 カクヨムにも掲載しております。

盲目王子の策略から逃げ切るのは、至難の業かもしれない

当麻月菜
恋愛
生まれた時から雪花の紋章を持つノアは、王族と結婚しなければいけない運命だった。 だがしかし、攫われるようにお城の一室で向き合った王太子は、ノアに向けてこう言った。 「はっ、誰がこんな醜女を妻にするか」 こっちだって、初対面でいきなり自分を醜女呼ばわりする男なんて願い下げだ!! ───ということで、この茶番は終わりにな……らなかった。 「ならば、私がこのお嬢さんと結婚したいです」 そう言ってノアを求めたのは、盲目の為に王位継承権を剥奪されたもう一人の王子様だった。 ただ、この王子の見た目の美しさと薄幸さと善人キャラに騙されてはいけない。 彼は相当な策士で、ノアに無自覚ながらぞっこん惚れていた。 一目惚れした少女を絶対に逃さないと決めた盲目王子と、キノコをこよなく愛する魔力ゼロ少女の恋の攻防戦。 ※但し、他人から見たら無自覚にイチャイチャしているだけ。

【完結】どうやら時戻りをしました。

まるねこ
恋愛
ウルダード伯爵家は借金地獄に陥り、借金返済のため泣く泣く嫁いだ先は王家の闇を担う家。 辛い日々に耐えきれずモアは自らの命を断つ。 時戻りをした彼女は同じ轍を踏まないと心に誓う。 ※前半激重です。ご注意下さい Copyright©︎2023-まるねこ

異世界で悪役令嬢として生きる事になったけど、前世の記憶を持ったまま、自分らしく過ごして良いらしい

千晶もーこ
恋愛
あの世に行ったら、番人とうずくまる少女に出会った。少女は辛い人生を歩んできて、魂が疲弊していた。それを知った番人は私に言った。 「あの子が繰り返している人生を、あなたの人生に変えてください。」 「………はぁああああ?辛そうな人生と分かってて生きろと?それも、繰り返すかもしれないのに?」 でも、お願いされたら断れない性分の私…。 異世界で自分が悪役令嬢だと知らずに過ごす私と、それによって変わっていく周りの人達の物語。そして、その物語の後の話。 ※この話は、小説家になろう様へも掲載しています

0歳児に戻った私。今度は少し口を出したいと思います。

アズやっこ
恋愛
 ❈ 追記 長編に変更します。 16歳の時、私は第一王子と婚姻した。 いとこの第一王子の事は好き。でもこの好きはお兄様を思う好きと同じ。だから第二王子の事も好き。 私の好きは家族愛として。 第一王子と婚約し婚姻し家族愛とはいえ愛はある。だから何とかなる、そう思った。 でも人の心は何とかならなかった。 この国はもう終わる… 兄弟の対立、公爵の裏切り、まるでボタンの掛け違い。 だから歪み取り返しのつかない事になった。 そして私は暗殺され… 次に目が覚めた時0歳児に戻っていた。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 作者独自の設定です。こういう設定だとご了承頂けると幸いです。

森に捨てられた令嬢、本当の幸せを見つけました。

玖保ひかる
恋愛
[完結] 北の大国ナバランドの貴族、ヴァンダーウォール伯爵家の令嬢アリステルは、継母に冷遇され一人別棟で生活していた。 ある日、継母から仲直りをしたいとお茶会に誘われ、勧められたお茶を口にしたところ意識を失ってしまう。 アリステルが目を覚ましたのは、魔の森と人々が恐れる深い森の中。 森に捨てられてしまったのだ。 南の隣国を目指して歩き出したアリステル。腕利きの冒険者レオンと出会い、新天地での新しい人生を始めるのだが…。 苦難を乗り越えて、愛する人と本当の幸せを見つける物語。 ※小説家になろうで公開した作品を改編した物です。 ※完結しました。

[完結]困窮令嬢は幸せを諦めない~守護精霊同士がつがいだったので、王太子からプロポーズされました

緋月らむね
恋愛
この国の貴族の間では人生の進むべき方向へ導いてくれる守護精霊というものが存在していた。守護精霊は、特別な力を持った運命の魔術師に出会うことで、守護精霊を顕現してもらう必要があった。 エイド子爵の娘ローザは、運命の魔術師に出会うことができず、生活が困窮していた。そのため、定期的に子爵領の特産品であるガラス工芸と共に子爵領で採れる粘土で粘土細工アクセサリーを作って、父親のエイド子爵と一緒に王都に行って露店を出していた。 ある時、ローザが王都に行く途中に寄った町の露店で運命の魔術師と出会い、ローザの守護精霊が顕現する。 なんと!ローザの守護精霊は番を持っていた。 番を持つ守護精霊が顕現したローザの人生が思いがけない方向へ進んでいく… 〜読んでいただけてとても嬉しいです、ありがとうございます〜

【完結】公爵令嬢に転生したので両親の決めた相手と結婚して幸せになります!

永倉伊織
恋愛
ヘンリー・フォルティエス公爵の二女として生まれたフィオナ(14歳)は、両親が決めた相手 ルーファウス・ブルーム公爵と結婚する事になった。 だがしかし フィオナには『昭和・平成・令和』の3つの時代を生きた日本人だった前世の記憶があった。 貴族の両親に逆らっても良い事が無いと悟ったフィオナは、前世の記憶を駆使してルーファウスとの幸せな結婚生活を模索する。

処理中です...