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サプライズ
「朔空、今日は外で食事をするぞ」
生理による体調不良が落ち着いた翌日、零からそう告げられた。鎖を繋がれて四日目だが、こんなに早く外出の機会がやってくるとは思わなかった。
足枷を外され、青灰色のワンピースに着替える。
多少薄れたものの首筋から鎖骨に鬱血痕が残っているので、ハイネックなのが有難い。
指輪を付けているから、しるしを見せる必要はないのだろう。
「……まだ少し顔色が良くないな。動くなよ」
チューブの中身を小指に載せて、零は朔空の唇をゆっくりとなぞった。壊れやすいものを扱うような繊細な触れ方にくすぐったいような身体が熱を帯びるような、落ち着かない気分になる。
「うん、これでいい」
艶のあるピンクベージュのリップのおかげで、顔色が明るく見える。リップもそうだが、あっさりと綺麗に塗ってくれた零もすごい。
「ありがとう、零」
「せっかくだから可愛い恰好して行かないとな」
この三日間、零は何かと朔空の世話を焼き、甘やかすことを繰り返していた。そのことに申し訳ないなと思いつつ、朔空はずっと自分を終わらせる方法を考えていた。
だから決して忘れたわけではなかったのに。零が危険な人だということは出会った時から分かっていたのに。
案内された個室は応接室のような場所だった。
「食事の前に寛ぐ場所だ。茶の種類も多いから色々試してみたらいい」
ゆったりとしたソファーに並んで座ると、すぐに給仕の女性が小さな茶器を3つ、朔空の前に置いた。
零を見ると着信があったらしく、外国語で何かを話している。
比較しながらお茶を飲んでいると、通話を終えた零が手のひらを差し出したので飲みかけのお茶を渡す。
中身を一気に空けると、零はにっこりと微笑んで言った。
「朔空、おいで」
あれから膝の上に座ることが増えて、呼び掛けだけで何を求められているのか分かるようになった。零からすればペットが懐いたような感覚なのか、腰を下ろすと零は満足そうに口の端を上げて朔空の髪や頬を撫でる。
「ねえ朔空、キスしたい。いつも俺がしているようなキス、朔空からして?」
いつ店員が入って来るか分からない状態で少し躊躇っていると、まだ呼びに来ないから大丈夫だと朔空の内心を見透かすように告げられた。
零の頬に手を添えて顔を近づけると、淡く柔らかな琥珀の瞳に目が引き寄せられる。普段はすぐに目を閉じてしまうから、こうやって間近で見るのは珍しいかもしれない。
「したくない?」
わざとらしく眉を下げてみせる零に小さく首を横に振る。最近の零はずっと優しかったから、朔空ができることであれば少しでも何か返せたらいいなと思っていたからだ。
そっと唇を重ねると、零がリップを塗ってくれた時の感覚がよぎる。零はキス魔だと思っていたが、最近は朔空も慣れてしまったらしい。
身体の奥に熱が灯ったような感覚を覚えながら唇を舐めると、小さく笑う気配とともに口が開く。舌を伸ばして擦り合わせ、絡めるだけで呼吸が乱れる。
零は器用に上顎から舌の奥のほうまで舌を這わせるけど、朔空には難しい。
零がいつもしてること……。
記憶を辿りながら零の要望に応えられるよう集中していたせいで、気づくのが遅れてしまった。
どさりと何かが床に落ちる音で、はっとして顔を離す。
「おや、思っていたより早かったですね」
笑みを含んだ声には明確な悪意があった。扉の方を向いて、青ざめた表情で口元を押さえる女性を見た瞬間、朔空の頭は真っ白になった。
ひくりと喉が震えるのに声が出ない。
「朔空が気にしていると思ってね。サプライズのつもりで招待したんだけど、嬉しくない?」
唇に付いたリップを親指で拭って、零は優しい口調で朔空に話しかける。ここに着いてからずっと、零が初めて会話をした時のような友好的な言動をとっていた。それに何かしらの意図があることにどうして気づかなかったのだろう。
どうして………?
いつから零の機嫌を損ねていたのか、何が原因だったのか。疑問ばかりが頭に浮かび、何も思いつかない。
唯美さんを零に関わらせてはいけないのに、拓斗兄さんの元に帰してあげないといけないのに。
「っ、朔空ちゃんを放してください」
「酷い言いがかりですね。別に無理強いはしていませんよ、貴女もご覧になったのでは?」
朔空が硬直している間に、顔を赤らめながらも険しい表情で声を上げた唯美さんに対して、零は冷笑を返す。いつも穏やかで優しい唯美さんにあんな顔をさせているのは朔空だ。
「零……」
何と言えば零が満足するのか分からなくて、言葉に詰まる。朔空の迂闊な言動で唯美さんを危険に晒してしまうかもしれないと思えば、言葉が出ない。
「朔空?」
優しく頬に触れながら、零の瞳に嗜虐的な色が浮かぶ。まるで弱った獲物を弄ぶような獣のような残酷さで、朔空の反応を楽しんでいるのだ。
そう考えるとますます言葉が出なくなって、窒息しそうになる。
私が、しっかりしないといけないのに……。
間違えてしまったという後悔ばかりが心を埋め尽くす。
「朔空ちゃん、私と拓斗くんがいるから大丈夫よ。一緒に帰りましょう?」
あんな光景を見せてしまったのに、唯美さんはいつもと同じように穏やかだ。だけどその声は緊張と不安で僅かに震えていた。
人と争うことが苦手なのだと、困ったような笑みを浮かべていた唯美さんの姿がよぎる。
だがそんな言葉に零の気配がピリッと尖り、朔空は零の服を掴んで必死に首を横に振るが、零は一瞥しただけで唯美さんに視線を移す。
碌に返事も出来ない今の朔空を気に掛ける価値はないのだろう。
「随分と勝手なことを言いますね。朔空が俺のところにいるのは朔空の意思ですよ」
冷やかだが丁寧な言葉遣いで接しているのだから、まだ零の許容範囲を超えていない。だけどきっとそれも時間の問題だ。
「零、帰る。零と一緒に帰りたい」
背後で息を呑む音がして、心がぎゅっと締め付けられる。唯美さんの想いと勇気を朔空は踏みにじったのだ。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
心配してくれたのに、優しくしてくれたのに、恩知らずでごめんなさい。――許されたいと思ってごめんなさい。
「朔空ちゃんと話をさせてください。朔空ちゃんは何の理由もなく連絡を絶つような子じゃありません」
懇願するような響きに胸が痛くて、言葉が返せない。優しさも温もりもいらないのに、振り払えない自分が嫌だ。
私は……狡い。醜くて、汚い――穢らわしい子。
心が冷えていく感覚は不意に強引に顎を掴まれ、顔を上げさせられたことで打ち切られた。凶暴で冷酷な獣の目が朔空を捉えて、唇を塞ぐ。優しくない噛みつくようなキスに意識を奪われる。
「そんな顔するな。余計な事を気にせず黙って甘えてろ」
耳元に落とされた声に、縋りたくなる。
黙っていい子にしていたら、唯美さんに何もしない……?
訊ねる勇気もないまま、零の胸に顔を埋めた。
「朔空ちゃん……」
戸惑いや悲しみが混じった唯美さんの声が聞こえても、朔空は顔を上げることが出来なかった。
生理による体調不良が落ち着いた翌日、零からそう告げられた。鎖を繋がれて四日目だが、こんなに早く外出の機会がやってくるとは思わなかった。
足枷を外され、青灰色のワンピースに着替える。
多少薄れたものの首筋から鎖骨に鬱血痕が残っているので、ハイネックなのが有難い。
指輪を付けているから、しるしを見せる必要はないのだろう。
「……まだ少し顔色が良くないな。動くなよ」
チューブの中身を小指に載せて、零は朔空の唇をゆっくりとなぞった。壊れやすいものを扱うような繊細な触れ方にくすぐったいような身体が熱を帯びるような、落ち着かない気分になる。
「うん、これでいい」
艶のあるピンクベージュのリップのおかげで、顔色が明るく見える。リップもそうだが、あっさりと綺麗に塗ってくれた零もすごい。
「ありがとう、零」
「せっかくだから可愛い恰好して行かないとな」
この三日間、零は何かと朔空の世話を焼き、甘やかすことを繰り返していた。そのことに申し訳ないなと思いつつ、朔空はずっと自分を終わらせる方法を考えていた。
だから決して忘れたわけではなかったのに。零が危険な人だということは出会った時から分かっていたのに。
案内された個室は応接室のような場所だった。
「食事の前に寛ぐ場所だ。茶の種類も多いから色々試してみたらいい」
ゆったりとしたソファーに並んで座ると、すぐに給仕の女性が小さな茶器を3つ、朔空の前に置いた。
零を見ると着信があったらしく、外国語で何かを話している。
比較しながらお茶を飲んでいると、通話を終えた零が手のひらを差し出したので飲みかけのお茶を渡す。
中身を一気に空けると、零はにっこりと微笑んで言った。
「朔空、おいで」
あれから膝の上に座ることが増えて、呼び掛けだけで何を求められているのか分かるようになった。零からすればペットが懐いたような感覚なのか、腰を下ろすと零は満足そうに口の端を上げて朔空の髪や頬を撫でる。
「ねえ朔空、キスしたい。いつも俺がしているようなキス、朔空からして?」
いつ店員が入って来るか分からない状態で少し躊躇っていると、まだ呼びに来ないから大丈夫だと朔空の内心を見透かすように告げられた。
零の頬に手を添えて顔を近づけると、淡く柔らかな琥珀の瞳に目が引き寄せられる。普段はすぐに目を閉じてしまうから、こうやって間近で見るのは珍しいかもしれない。
「したくない?」
わざとらしく眉を下げてみせる零に小さく首を横に振る。最近の零はずっと優しかったから、朔空ができることであれば少しでも何か返せたらいいなと思っていたからだ。
そっと唇を重ねると、零がリップを塗ってくれた時の感覚がよぎる。零はキス魔だと思っていたが、最近は朔空も慣れてしまったらしい。
身体の奥に熱が灯ったような感覚を覚えながら唇を舐めると、小さく笑う気配とともに口が開く。舌を伸ばして擦り合わせ、絡めるだけで呼吸が乱れる。
零は器用に上顎から舌の奥のほうまで舌を這わせるけど、朔空には難しい。
零がいつもしてること……。
記憶を辿りながら零の要望に応えられるよう集中していたせいで、気づくのが遅れてしまった。
どさりと何かが床に落ちる音で、はっとして顔を離す。
「おや、思っていたより早かったですね」
笑みを含んだ声には明確な悪意があった。扉の方を向いて、青ざめた表情で口元を押さえる女性を見た瞬間、朔空の頭は真っ白になった。
ひくりと喉が震えるのに声が出ない。
「朔空が気にしていると思ってね。サプライズのつもりで招待したんだけど、嬉しくない?」
唇に付いたリップを親指で拭って、零は優しい口調で朔空に話しかける。ここに着いてからずっと、零が初めて会話をした時のような友好的な言動をとっていた。それに何かしらの意図があることにどうして気づかなかったのだろう。
どうして………?
いつから零の機嫌を損ねていたのか、何が原因だったのか。疑問ばかりが頭に浮かび、何も思いつかない。
唯美さんを零に関わらせてはいけないのに、拓斗兄さんの元に帰してあげないといけないのに。
「っ、朔空ちゃんを放してください」
「酷い言いがかりですね。別に無理強いはしていませんよ、貴女もご覧になったのでは?」
朔空が硬直している間に、顔を赤らめながらも険しい表情で声を上げた唯美さんに対して、零は冷笑を返す。いつも穏やかで優しい唯美さんにあんな顔をさせているのは朔空だ。
「零……」
何と言えば零が満足するのか分からなくて、言葉に詰まる。朔空の迂闊な言動で唯美さんを危険に晒してしまうかもしれないと思えば、言葉が出ない。
「朔空?」
優しく頬に触れながら、零の瞳に嗜虐的な色が浮かぶ。まるで弱った獲物を弄ぶような獣のような残酷さで、朔空の反応を楽しんでいるのだ。
そう考えるとますます言葉が出なくなって、窒息しそうになる。
私が、しっかりしないといけないのに……。
間違えてしまったという後悔ばかりが心を埋め尽くす。
「朔空ちゃん、私と拓斗くんがいるから大丈夫よ。一緒に帰りましょう?」
あんな光景を見せてしまったのに、唯美さんはいつもと同じように穏やかだ。だけどその声は緊張と不安で僅かに震えていた。
人と争うことが苦手なのだと、困ったような笑みを浮かべていた唯美さんの姿がよぎる。
だがそんな言葉に零の気配がピリッと尖り、朔空は零の服を掴んで必死に首を横に振るが、零は一瞥しただけで唯美さんに視線を移す。
碌に返事も出来ない今の朔空を気に掛ける価値はないのだろう。
「随分と勝手なことを言いますね。朔空が俺のところにいるのは朔空の意思ですよ」
冷やかだが丁寧な言葉遣いで接しているのだから、まだ零の許容範囲を超えていない。だけどきっとそれも時間の問題だ。
「零、帰る。零と一緒に帰りたい」
背後で息を呑む音がして、心がぎゅっと締め付けられる。唯美さんの想いと勇気を朔空は踏みにじったのだ。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
心配してくれたのに、優しくしてくれたのに、恩知らずでごめんなさい。――許されたいと思ってごめんなさい。
「朔空ちゃんと話をさせてください。朔空ちゃんは何の理由もなく連絡を絶つような子じゃありません」
懇願するような響きに胸が痛くて、言葉が返せない。優しさも温もりもいらないのに、振り払えない自分が嫌だ。
私は……狡い。醜くて、汚い――穢らわしい子。
心が冷えていく感覚は不意に強引に顎を掴まれ、顔を上げさせられたことで打ち切られた。凶暴で冷酷な獣の目が朔空を捉えて、唇を塞ぐ。優しくない噛みつくようなキスに意識を奪われる。
「そんな顔するな。余計な事を気にせず黙って甘えてろ」
耳元に落とされた声に、縋りたくなる。
黙っていい子にしていたら、唯美さんに何もしない……?
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