暴君マフィアの愛玩人形

浅海 景

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無自覚な執着

いつもなら社長を迎えに行くところ、前日に入った仕事の関係でまっすぐに職場へ向かった。
それなりに年季の入ったビルだが、中身はリフォームしており定期的に徹底した清掃を入れているから綺麗で快適だ。
駐車場に車を停めると、入口にスキンヘッドの男が直立している。

「猪俣、お前その顔どうした?」
「……自分の不手際です。三上専務、社長がすぐに顔を出すようにと」

メッセンジャーとして律義に待機していたらしい。とても嫌な予感がする。

「他に俺が知っておくことは?」
「……申し訳ございません。自分の口からは、ちょっと……」

それだけで十分だった。恐らく顔だけでなく身体にも痣が残っている。しょうもないミスでもやらかして社長に仕置きをされたのだろう。恐らくはその尻ぬぐいを押し付けられるといったところか。

マジ、面倒くさい。帰りてえ。
そう思っていた俺はまだ事態を甘く見ていた。

「おはようございます、社長」
「遅い。2日やるからもっと徹底的に調べ上げろ」

押し付けられたのは先日指示された若い女性の調査書だった。気に入ったにしては不機嫌な様子で緊張しながらも確認する。

「範囲はどの辺りまで必要でしょうか?」

ぴりっと空気が変わった。
え、何で?!効率的に仕事しようと思っただけだろ?

「朔空に関わるもの全てに決まってるだろうが。家族構成、親戚縁者、これまで関わってきた全ての人間関係、趣味嗜好、現在に至るまでの生活環境の一切合切だ」

どう考えても2日で調べられる内容じゃないよな……。
だけど返事は一つしかない。

「承知いたしました。……ちなみに瀬戸朔空本人への接触は――」

最短で最良の結果を得るための質問が、虎の尻尾を踏むことになるなんて予想できるはずがない。鈍い衝撃と同時に生温い液体が顔に掛かる。
滴り落ちる液体の色にコーヒーカップを投げつけられたのだと分かった。

「誰が朔空の名前呼んでいいと言った?」
「申し訳ございません!」

マジで何をした、瀬戸朔空!

手元にカップがあったから良かったものの、文鎮とかごついデスク時計とかが側にあったら、社長は絶対それを投げていたはずだ。

え、というか名前を呼んだだけで何で怒られてるんだ、俺?!

「朔空はうちにいるが、勝手に口をきいたら殺すぞ」

いるのかよ!もう確保してるんだったら、調査せず本人に確認すれば済む話じゃないのか?!

「それから従兄に拓斗という名前の奴がいるはずだ。そっちも調べとけ」

不愉快そうに顔を歪めた社長の様子に、内心驚く。基本的には他人に無関心で、男も女も道具だとしか思っていないような人だ。

そういやさっきから女の名前を呼んでいるな。気づいた瞬間ぞわっとした。

自分にすり寄ってくる奴らや役に立たない無能など覚える気がしないと、そいつらの特徴とか店の名前とかで呼ぶことが多い。
俺だって最初はホスト崩れ呼ばわりだった。
一応それなりに優秀だから、社長の補佐になったんだけどな。

「つかぬことをお伺いいたしますが、そのお――嬢様を社長はどうするおつもりですか?」

その女と言いかけてギリギリで別の言葉に変換した自分の反射神経と生存本能を褒めて欲しい。剣呑な雰囲気は一瞬で霧散したが、手元のペンを社長が離すまで気が気ではなかった。

頭脳派と思われがちだが、社長は武闘派でもある。正確に相手の急所や弱点を狙ってくるし、容赦のない攻撃を見るたびに敵に回したくないと思う。

「どろどろに甘やかして徹底的に俺の物にする」

それがどうしたと言わんばかりの目つきに、意味もなく俺は何度も頷きながら心の中で絶叫していた。

めちゃくちゃ執着してるー!!え、これ現実?!幻聴じゃない?!いや、本当何したらそんなに気に入られるんだよ、瀬戸朔空!

「はは、お嬢様は社長の大切な方なんですね」
「妙な勘繰りはよせ。ただの退屈凌ぎの玩具だ」

いやいや、何言ってんだよ!照れ隠しなのか?!ツンデレか?!ただの玩具にどれだけ独占欲丸出しの狭量な発言をしていると思ってるんだ!

「人形みたいに空っぽで従順だが、特定の事柄については腹立たしいほどに頑固だ。押し倒しても抵抗しないくせに、従兄だけはやたらと庇いやがる」

ようやく従兄が追加で調査対象となった理由が判明して腑に落ちると同時に、三上は思った。

……それって嫉妬ですよね?え、これ指摘したほうがいいやつ?

「ああもう適当な理由付けて消すか」

苛々した口調で言い放つ社長に頷きかけて、止める。
本人に自覚があろうがなかろうが、甘やかして自分の物にするというのなら嫌われるようなことをするのは悪手ではないだろうか。

庇っているということはそれなりに大切な相手なのだろうし、もしかして瀬戸朔空は脅迫されて監禁されている状態なのか。
普通であれば好きな相手には自分も好きになってもらいたいものだが、話を聞いている限り上手くいく要素はどこにも見当たらない。

「念のため確認させていただきたいのですが、社長はお嬢様にどうなって欲しいのでしょうか?」
「心も身体も俺を求めて、俺なしじゃ生きていけないようになればいい」

重っ!そんな執着向けられて嬉しいか?!俺ならマジで無理、怖え。っていうかそれを望む社長の執着がヤバい。
これ、止めなきゃガチでマズいやつだ。

このタイミングで従兄が殺されたら、瀬戸朔空は十中八九社長を疑う。どれだけしらを切っても、証拠がなくても不信感を抱いた相手に好意を向けるのは難しい。
俺が名前を呼んだだけでコーヒーカップを投げつけられたのだ。もし瀬戸朔空の心がなかなか手に入らなければ、社長の機嫌は間違いなく急降下する。

そうなれば、俺たちだってどんな八つ当たりをされるか分からない。退廃的な思考で冷酷で苛烈な社長にとって、他者もその辺のゴミも大差はなく、不快だと思えばあっさりと踏みにじられるような存在なのだ。

「お嬢様も新しい環境で戸惑われているのでしょう。急な変化は心身に負担を与えますし、特に女性は自分を気遣ってくれる優しい男に弱いですからね。その従兄とやらもすぐに処分するよりか、ここぞという時に使えるよう取っておいたほうが役に立つんじゃないですか?」

冷酷な瞳に室温が下がったような気がして、俺は表情を精一杯取り繕って頷いた。
色素が薄くて金色にも見える瞳で凄まれると肉食獣を前にしたような本能的な恐怖を覚える。
これまで身体に叩き込まれてきた経験もさることながら、社長に逆らった人間の末路を嫌というほど見てきたのだから仕方がない。
舌打ちに心臓が跳ねる。

「そいつの脅迫に使えるようなネタはしっかり押さえとけよ。それからお前を朔空につける」

…………はい?

「……それは、監視か何かでしょうか?」
「監視兼護衛兼下僕だ。朔空の要望はある程度叶えてやっていいが、逃がすなよ。ああ、監視だからと言って見過ぎたり、万が一朔空が懐くようなら殺すからな」

断りたい。全力でそんな危険な仕事からは下ろさせてほしい。だがどうやら身体を張ったアドバイスのせいで、適任と判断されてしまったのだろう。

「承知いたしました」

とんでもない爆弾を押し付けられた俺は、そう答えるしかなかった。
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