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当然の権利
環境が変わっても、自分の人生に見切りを付けても、まだ生きているのならやることは変わらない。むしろ迷惑を掛けないようにしっかりと準備が必要だ。
いつその時がくるのかは朔空にも予想がつかないのだから。
現在受けている仕事を順番に片付けていく。相手が気に入るかどうかで、工数が変わってくるため事前のヒアリングはもちろん、イメージ案も数点用意してメールを送る。
副業の新規案件は受けないほうがいいのかもしれない。
気づけば室内が薄暗くなっていたので、デスクライトを点ける。室内の電気もどこかにあるのだろうけど、手元が明るければ支障はない。
カタカタとキーボードを叩いていると、室内がぱっと明るくなった。
「電気も点けずに仕事をしているのか?」
「……おかえりなさい」
手を止めて振り向けば、零ともう一人、茶髪の垂れ目が印象的な男がいた。誰だろうと朔空の視線に気づいた男は小さく頭を下げる。
「朔空、この三上をお前に付ける。俺がいないときはこいつがお前の世話係だ」
…………世話係。
零の言う世話とは、性的な触れ合いやお風呂に入れられることを指すのだろうか。
昨晩からの零の言動を思い出して朔空はそう考えた。
つまり、零が不在の時は三上さんの人形になれということ……?
同時でなくても二人の相手をするのは体力的にきつい。昨晩だって零の相手をした結果、寝不足なのだ。
「三上じゃ不満か?」
何の反応も示さなかったせいか、零から問われて朔空は首を横に振った。別に三上さんだからというわけじゃない。
せめて今回だけの遊びであればいいなと思って、その可能性に思い至った。
「零、身体で返すの、三上さん?」
アパートの件は身体で返せと言われていたので、その件だろうかと質問してみたのだが――。
「ああ?」
底冷えするような低い声とナイフみたいな鋭い視線で、不正解だと分かった。ぎょっとしたように目を剥いて小刻みに首を横に振る三上さんを見ずとも分かる。
「昨晩から今朝に掛けて誰の物か教え込んだつもりだったが、まだ足りないのか?」
後頭部を掴まれて獣のような獰猛さを隠さない顔が近づいてきたと思ったら、ぎゅるるるると間の抜けた音を立ててお腹が鳴った。
静かな室内に響いた音に、零も思わずといった風に動きを止めて凝視している。
「………腹、減ってるのか?」
忘れていたけど、そういえば介護状態で朝食もあまり食べられなかったのだ。こくりと頷けば零が眉を顰めた。
「まさか昼も食べてないんじゃないだろうな?」
正午近くに食事の希望を聞かれたが、断ったのは朔空だ。昨晩はお礼の延長線だったが、今は違う。
今後の扱いが分からないまま、そして借りを返さないまま更に増やしてしまったらという危惧があった。
だったら空腹の方がいい。
「ご飯、買いに行ってもいい?」
「三上、料理人と待機組は全員処分しろ。料理人は代わりを早急に手配しておけ」
朔空の回答は零を誤解させてしまったらしい。意地悪をされたわけではないのだと零の袖を引っ張って首を横に振る。
「食事を用意するって声を掛けてくれたけど、断ったの。零に借りを返してないままだったから」
「……朔空は俺のものなんだから、衣食住を与えるのは当然のことだ。お前はただ欲しい物を欲しいと言えばいい。何でも用意してやる」
こくりと頷けば、零の雰囲気が少し柔らかくなった。
「何が食べたい?」
「……おにぎりとお水」
また零の眉がぴくりと動く。無言で三上さんに視線を投げると、すぐさま水が届けられる。半分ほど一気に飲み干すと、お腹も少し満たされたようで落ち着いた。
「朔空、他に食べたい物は?」
質問はまだ終わっていなかったらしい。おにぎりだけで十分なのだけど、少し考えて追加する。
「……具のないお味噌汁?」
「好きな物を言え。昨日の食事も嫌いじゃなかったんだろう?」
好きな食べ物は唯美さんのシチュー。唯美さんの作る料理が一番だけど、他のシチューやスープ系も好きだと思う。
ただ作業しながら食べるには向いていない。
「仕事するから片手で食べられるものだったら何でもいい」
こだわりはないので、もうそろそろ作業に戻りたい。観察するように目を細めている零はそれ以上何も言わなかったので、机に向かいかけたのだがすぐに引き戻された。
「あとどれくらいかかる?」
「……3時間ぐらい」
「ブラック企業かよ。他の会社に転職するか?働かなくてもいいけどな」
スマホを取りだしかけた零に朔空は全力で首を横に振った。
「今やってる仕事は副業の分。ブラックじゃない」
締切間際に残業することはあるけど、そう多くはない。これは朔空の自己満足で、拓斗兄さんに安心してもらうためにやっていることだ。
身内だからと朔空が採用されたこと、一人だけ在宅勤務を許可されていることを快く思っていない人も社内にはいるし、その人たちに拓斗兄さんが頭を下げてお願いしてくれたことも知っている。
拓斗兄さんは絶対に朔空に言わないけれど、親切に教えてくれる人がいた。すぐに辞めようとも思ったが、それでは拓斗兄さんたちに心配を掛けるだけだ。
フリーでやっていけると分かれば、拓斗兄さんに迷惑を掛けないで済むと考えて始めた副業では、デザインだけでなく動画編集の仕事も細々と受け付けている。
不満そうな零の溜息に、少しだけ胸が痛んだ。
きっと辞めさせられるのだろう。仕事をしてお金をもらうことで、朔空は自由になれた。だから大切なものだったけれど、零にとってはそうじゃない。
「とりあえず軽食は用意させるが、終わったらしっかり食事を摂らせるからな。お前は痩せすぎだ」
思っていたものと違う言葉が返ってきて、朔空は顔を上げた。零は不機嫌そうだったが、それ以上何も言わずに三上さんを連れて部屋を出て行く。
仕事、していいんだ……。
安堵とも喜びともつかない感情がじわじわと湧きあがる。宣言した時間通りに終わらせようと、朔空はパソコンに向かって猛然と作業に取り掛かった。
いつその時がくるのかは朔空にも予想がつかないのだから。
現在受けている仕事を順番に片付けていく。相手が気に入るかどうかで、工数が変わってくるため事前のヒアリングはもちろん、イメージ案も数点用意してメールを送る。
副業の新規案件は受けないほうがいいのかもしれない。
気づけば室内が薄暗くなっていたので、デスクライトを点ける。室内の電気もどこかにあるのだろうけど、手元が明るければ支障はない。
カタカタとキーボードを叩いていると、室内がぱっと明るくなった。
「電気も点けずに仕事をしているのか?」
「……おかえりなさい」
手を止めて振り向けば、零ともう一人、茶髪の垂れ目が印象的な男がいた。誰だろうと朔空の視線に気づいた男は小さく頭を下げる。
「朔空、この三上をお前に付ける。俺がいないときはこいつがお前の世話係だ」
…………世話係。
零の言う世話とは、性的な触れ合いやお風呂に入れられることを指すのだろうか。
昨晩からの零の言動を思い出して朔空はそう考えた。
つまり、零が不在の時は三上さんの人形になれということ……?
同時でなくても二人の相手をするのは体力的にきつい。昨晩だって零の相手をした結果、寝不足なのだ。
「三上じゃ不満か?」
何の反応も示さなかったせいか、零から問われて朔空は首を横に振った。別に三上さんだからというわけじゃない。
せめて今回だけの遊びであればいいなと思って、その可能性に思い至った。
「零、身体で返すの、三上さん?」
アパートの件は身体で返せと言われていたので、その件だろうかと質問してみたのだが――。
「ああ?」
底冷えするような低い声とナイフみたいな鋭い視線で、不正解だと分かった。ぎょっとしたように目を剥いて小刻みに首を横に振る三上さんを見ずとも分かる。
「昨晩から今朝に掛けて誰の物か教え込んだつもりだったが、まだ足りないのか?」
後頭部を掴まれて獣のような獰猛さを隠さない顔が近づいてきたと思ったら、ぎゅるるるると間の抜けた音を立ててお腹が鳴った。
静かな室内に響いた音に、零も思わずといった風に動きを止めて凝視している。
「………腹、減ってるのか?」
忘れていたけど、そういえば介護状態で朝食もあまり食べられなかったのだ。こくりと頷けば零が眉を顰めた。
「まさか昼も食べてないんじゃないだろうな?」
正午近くに食事の希望を聞かれたが、断ったのは朔空だ。昨晩はお礼の延長線だったが、今は違う。
今後の扱いが分からないまま、そして借りを返さないまま更に増やしてしまったらという危惧があった。
だったら空腹の方がいい。
「ご飯、買いに行ってもいい?」
「三上、料理人と待機組は全員処分しろ。料理人は代わりを早急に手配しておけ」
朔空の回答は零を誤解させてしまったらしい。意地悪をされたわけではないのだと零の袖を引っ張って首を横に振る。
「食事を用意するって声を掛けてくれたけど、断ったの。零に借りを返してないままだったから」
「……朔空は俺のものなんだから、衣食住を与えるのは当然のことだ。お前はただ欲しい物を欲しいと言えばいい。何でも用意してやる」
こくりと頷けば、零の雰囲気が少し柔らかくなった。
「何が食べたい?」
「……おにぎりとお水」
また零の眉がぴくりと動く。無言で三上さんに視線を投げると、すぐさま水が届けられる。半分ほど一気に飲み干すと、お腹も少し満たされたようで落ち着いた。
「朔空、他に食べたい物は?」
質問はまだ終わっていなかったらしい。おにぎりだけで十分なのだけど、少し考えて追加する。
「……具のないお味噌汁?」
「好きな物を言え。昨日の食事も嫌いじゃなかったんだろう?」
好きな食べ物は唯美さんのシチュー。唯美さんの作る料理が一番だけど、他のシチューやスープ系も好きだと思う。
ただ作業しながら食べるには向いていない。
「仕事するから片手で食べられるものだったら何でもいい」
こだわりはないので、もうそろそろ作業に戻りたい。観察するように目を細めている零はそれ以上何も言わなかったので、机に向かいかけたのだがすぐに引き戻された。
「あとどれくらいかかる?」
「……3時間ぐらい」
「ブラック企業かよ。他の会社に転職するか?働かなくてもいいけどな」
スマホを取りだしかけた零に朔空は全力で首を横に振った。
「今やってる仕事は副業の分。ブラックじゃない」
締切間際に残業することはあるけど、そう多くはない。これは朔空の自己満足で、拓斗兄さんに安心してもらうためにやっていることだ。
身内だからと朔空が採用されたこと、一人だけ在宅勤務を許可されていることを快く思っていない人も社内にはいるし、その人たちに拓斗兄さんが頭を下げてお願いしてくれたことも知っている。
拓斗兄さんは絶対に朔空に言わないけれど、親切に教えてくれる人がいた。すぐに辞めようとも思ったが、それでは拓斗兄さんたちに心配を掛けるだけだ。
フリーでやっていけると分かれば、拓斗兄さんに迷惑を掛けないで済むと考えて始めた副業では、デザインだけでなく動画編集の仕事も細々と受け付けている。
不満そうな零の溜息に、少しだけ胸が痛んだ。
きっと辞めさせられるのだろう。仕事をしてお金をもらうことで、朔空は自由になれた。だから大切なものだったけれど、零にとってはそうじゃない。
「とりあえず軽食は用意させるが、終わったらしっかり食事を摂らせるからな。お前は痩せすぎだ」
思っていたものと違う言葉が返ってきて、朔空は顔を上げた。零は不機嫌そうだったが、それ以上何も言わずに三上さんを連れて部屋を出て行く。
仕事、していいんだ……。
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