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誓い

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艶やかでさらりとした髪にゆっくりと櫛を通す。少年のように短く切ったあと、似合うだろうと得意げに言ったエリーに強がっている素振りなどなかったが、それでもディルクは罪悪感を覚えずにはいられなかった。
ただの感傷だと分かってはいるものの、彼女を損なわない代案を思いつけなかったことに不甲斐なさが募る。

エリーの世界では髪の短い女性は珍しくないそうだが、女性は長髪が一般的なこの世界では罪を犯した女や奴隷の証として髪を落とされる国もあるため、エリーの性別が露見すれば偏見の視線に晒されてしまうだろう。

(……失態続きだな)

これまでならもっと上手くやれていたのにと、吐きかけた溜息を喉の奥で呑み込む。自由に振舞っているようでエリーは他人の気配に敏感だ。ただでさえ消耗しているなか、これ以上余計な負担をかけてはならない。
少し跳ねた毛先にお湯で湿らせたタオルを押し当てて寝癖を整える。

「エリー、眠いなら寝ていいぞ」

うとうとしながらも重そうな瞼を懸命にこじ開けている様を見兼ねて声を掛けたが、むっとした表情で首を横に振られた。

「やだ。お腹空いてるからご飯食べて寝る」

不機嫌そうな態度で断言されて、ディルクは言葉を重ねるのをやめた。こんな時のエリーが譲らないのは経験上分かっている。

(自力で起き上がれないほど疲弊しているというのに……)

エーヴァルトが出て行ったあと枕に顔を押し付けて悶えていたが、重い溜息を吐いていたことに本人は恐らく気づいていないだろう。

身支度を整えるよう声を掛けても、生返事ばかりで何かを確かめるように指先を動かす仕草に気づき、抱き起こして髪を梳いてやれば抵抗する気配はなく、体重を預けてきた。
甘えているのではなく、単純に力が入らないのだ。



エリーが倒れた直後、先にエーヴァルトが狼狽したことによりディルクは冷静になることができた。

『エリー!?――っ、また僕のせいで……!!』

絶望に顔をゆがめた友人が何を想像したかディルクには分かってしまった。抱き留めた腕から伝わる体温と呼吸を繰り返しているのをしっかりと確認する。

『エーヴァルト、エリーは無事だ!力を使い過ぎて倒れただけで命に別状はない!以前にも同じようなことがあったから大丈夫だ』

あの時は癒しの力を使い過ぎたことが原因で、今回のようにすぐに昏倒したわけではなかったが、まずは友人を落ち着かせることが先決だ。感情が大きく揺れれば力の制御が難しくなる。エリーの浄化が無駄になってしまっては元も子もない。

『ディルク!どうして…………っ、ごめん……』

エーヴァルトの瞳に一瞬非難するような色がよぎったのは見間違いではないだろう。以前にも倒れたことがあったのなら、何故止めなかったんだと言いかけたのだと察しがついた。だが自分の魔力を制御できなかったことが原因だとその言葉を呑み込んだに違いない。

『我が君、まだ体調が万全ではないのではありませんか?しばし休息をお取りになってください。……聖女殿にも休憩用の部屋を用意いたしましょう』

エーヴァルトに語りかけるベンノの声は労わりに満ちているが、こちらを見る眼差しは険しい。エーヴァルトの不調を取り除いても態度が和らぐこともなく、むしろ聖女の力を奮ったことで警戒心が一層強くなったたようだ。

『うん、そうしよう。……ディルク、エリーは大丈夫なんだよね?』
『ああ、勿論だ』

確信などありはしないのに断言する自分に嫌気が差す。時間とともに増してくる不安と焦燥感はこれまでにないほど苦しさで、エリーが目を覚ました時には心の底からほっとした。
だがどこかぼんやりとして無気力な様子に、不安がせり上がってくる。

(聖女の力は本当に何の代償もないのだろうか)

普通の少女だと思うようになったものの、最初から事も無げに力を奮う様子を目の当たりにしていたこともあって、それが当然のことのように捉えていたのだとエーヴァルトの言葉で気づいた。エーヴァルトはごく自然にエリーをただの少女として扱っているのに対し、ディルクは自分の中途半端な行動を振り返って苦い笑みを浮かべる。

守りたいと思う気持ちを持ちながらも、結局は友人を優先するためにエリーに負担を強いたのだ。


『王子様みたいだな……』

無意識に口から零れた言葉は彼女の本心で、羞恥に顔を染める様はどこにでもいる普通の恋する少女だった。そしてエーヴァルトもまたエリーに特別な感情を抱きつつある。

(エーヴァルトならエリーを絶対に傷付けないだろう……)

裏切られてもそれが当然であるかのように割り切るエリーを痛々しく思う。
異世界人だから、聖女だから仕方がないのだと諦めたように振舞っているのは、癒しの力を確かめるため自分が仕掛けた件がきっかけだとディルクは確信していた。あの時のエリーの傷ついた眼差しを忘れてはいない。

期待しなければ裏切られない、そうして自分の心を守っていても辛くないわけがなく、家に帰りたいと泣き出したのは何か心を揺らす出来事があり耐え切れなくなったからだろう。

そんな脆い一面を知っていながら、大切に思う気持ちが同情から愛情に変わっていくのを感じながらも、踏み出すことができなかった。
そんな自分がいまさらエリーを幸せにしたいと思う資格すらない。

(多分こんな風に世話を焼くのも、これが最後だな)

「終わったぞ。食堂まで歩けるか?」
「うん、ありがとう」

未練がましく触れていた髪から手を離して訊ねると、エリーはどこか探るような目を向けてくる。

「……無理したつもりじゃなかったけど、今度から気を付ける。………悪かった」

視線を外してぼそりと告げた言葉は意外な内容で、ディルクは束の間意味を理解できなかった。

「いや……エリーが謝ることじゃないし、むしろ俺が反省すべきなんだが……?」

そう返せばエリーは口を尖らせ、どこか疑うような眼差しでディルクを睨む。

「だって……いつもは色々言うのに何も言わないから、怒ってるんだろう?」

確かにいつもはエリーが危ない真似をすれば小言を並べるのが常だが、こんなに疲弊している状態で叱るつもりはない。

「心配はしたが怒ってはいない。……本当に大丈夫なのか?」
「特に違和感はないよ。ご飯食べて睡眠を取れば多分……大丈夫だと思う」

不安そうに揺れる瞳にディルクが反射的に頭を撫でると、緊張が解けたのか僅かに肩が下がる。聖女の力は未知の部分が多く、エリー自身も不安を抱えている中で軽率な質問をしてしまった。

「じゃあしっかり食べてゆっくり休まないとな」

そう声を掛ければ、ようやくエリーの表情に明るさが戻った。その笑顔を見せてくれるなら、それ以上は望まない。
ディルクは自分の想いに蓋をして大切な二人の幸せを守ることを心に誓った。
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