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第2話 現実

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 朝、京平はベッドの上で目を覚ました。
 いつも通りの部屋に、いつも通りの天井。
 緊張からか恐怖からか、全身からだくだくと汗が噴き出し、布団を湿らせている。
 言いようもない気持ち悪さを感じながら上半身を起こし、右腕で額の汗をぬぐった。
 べちゃっとした不快な感覚が京平を襲う。
 
 京平太勢いよくベッドから下りると、クローゼットから乱暴に制服と下着を取り出して、お風呂場へと駆け込んだ。
 脱衣所でパジャマを脱ぎ捨て、シャワーを全身で浴びる。
 最初の数十秒は冷水だったが、温水に切り替わるまで待つことなどできず、冷たさを全身で浴びた。
 死の恐怖から与えられた冷たさに比べれば、冷水なんてなんでもなかった。
 
「う……う……う……! うおおおおおあああああ!!」
 
 シャワーのザアザアと流れる音に向って、京平は叫んだ。
 頭の中に詰め込まれた不快感も、恐怖も、なにもかもを乗せて叫んだ。
 人間の身体とは、良くできている。
 叫びは横隔膜を動かし、動かされた横隔膜は自律神経に刺激を与える。
 副交感神経が優位に働き、一時的に京平の頭の中をすっきりとさせた。
 
「きょ、京平? どうしたの?」
 
 浴室が密室とは言え、最大出力にしていたシャワーの音があったとはいえ、京平の叫びは浴室の外にまで届いていた。
 朝ごはんを作っていた母親が手を止め、焦った様子で浴室の扉を叩く。
 
「ごめん! 大丈夫!」
 
 京平はシャワーを止めて、扉越しに叫んだ。
 落ち着いてからシャワーをあがり、手早く制服へと着替えて、洗面所から出る。
 
「本当に大丈夫?」
 
「大丈夫大丈夫。ちょっと、滑って転んじゃって」
 
 京平が朝起きてシャワーを浴びるなど、今までになかったことだ。
 そのうえ、尋常ではない叫び。
 当然に心配してくる母親に、京平は適当な返事をして自分の部屋へと戻っていった。
 
「あ、もう朝ごはんできるわよ?」
 
「ごめん、食欲がない」
 
 部屋に戻った京平は、机に向かった。
 起きた直後よりも、頭は冷静だ。
 しかし、心臓の音がドクンドクンといつも以上に響き、京平の緊張感を高めている。
 京平は改めて、今日の夢を思い出す。
 自身が、東京都の高校生全員を巻き込んだデスゲームのルールを考えなければならない状況にあることを。
 全身の汗を落としたばかりの体に、再び汗がにじむ。
 
 京平自身が、人を殺すことを想えば、再び京平の呼吸が粗くなり、体温が上昇していく。
 
「俺が……殺す……」
 
 心が悲鳴を上げる中、京平は大きく深呼吸をする。
 そして、使命感一つでスマホを取り出し、覚えている限りのルールを撃ち込んでいく。
 泣こうが喚こうが、現実は変わらない。
 誰かが死ぬのは変わらない。
 そうであれば、せめてマシな結末をと。
 
 ルール一.デスゲームはクラス単位で行う。
 ルール二.制限時間は一時間。
 ルール三.制限時間以内に半分以上を殺す。
 ルール四.参加者の全員に勝つ可能性を与える。
 ルール五.自分も参加者に含まれる。
 ルール六.自分が死んだりルールを決めた側だとバレたら全滅。
 
「改めて書くと、酷いルールだな」
 
 間違いなく、全国の高校生の半分以上が死ぬルール。
 そんな理不尽さに、京平は何度目かの吐き気を催した。
 最悪の気分を前に学校を休んでやろうとも考えたが、この日常が一週間後にはなくなるのだと考えれば、最後の晩餐を詰め込むがごとく意地が体を動かした。
 せめて一秒でも長く、日常を味わおうと。
 そして、ある決心を固めるために。
 京平は鞄を持って、家を出た。
 
 
 
「あ、京平おはよーう!」
 
 家の外には、幼馴染の西月萌音(にしづきもね)が待っていた。
 百五十センチメートルの小さな体を命一杯使って、右手をグッと上に伸ばして手を振った。
 伸びた背筋が胸部を前に突き出して、萌音の大きな胸が制服を大きく盛り上げる。
 京平は咄嗟に視線を逸らし、逸らした先を歩く通行人の視線が萌音の胸部へ向かっていることに気づくと、通行人をぎろっと睨みつけた。
 一連のやり取りに気づいた様子のない萌音は、てこてこと京平の前まで歩いてきて、京平をじっと見上げた。
 ニ十センチメートルの低さから、萌音はくりくりとした赤い瞳で京平を見上げる。
 
「どうしたの? なんか恐い顔してない?」
 
「いや、なんでもないんだ」
 
「そっか! ならいいんだけど!」
 
 萌音の黒いショートカットは、いつも通り赤いハートのヘアクリップで止められている。
 小学生の頃、京平が萌音と夏祭りに行き、射的でとった物だ。
 プラスチック製の安物だが、萌音はいたく気に入ってくれ、高校二年生になった今でもつけ続けている。
 もっとも、それは京平も同じ。
 萌音から「黒のショートカット、お揃いだね!」と言われた記憶を引きずって、京平は今でも黒のショートカットだ。
 
 萌音はくるりと体を反転させ、学校に向かって歩き出す。
 その動きが、その後ろ姿が、京平の決心を固めていく。
 
 萌音だけは守る、なんとしてでも、と。
 
 京平は、萌音のことが子供の頃からずっと好きだった。
 
 デスゲームは止められない。
 そうであれば、半分の死で許され、京平自身がルールを決定できるという現状は、京平にとって不幸中の幸いだ。
 不幸の度合いは、歴史上最大級であったとしても。
 
 
 
「おはよー、京平!」
 
「うぃーっす!」
 
「おはよう」
 
 デスゲームが始まる一週間前だろうと、日常は止まらない。
 京平はいつも通り登校し、いつも通り授業を受け、いつも通り友人と語り合った。
 昨日と違うのは、京平の中に、寂しさがあったことだ。
 まるで一週間後に卒業を迎えるような寂しさ。
 当たり前に肩を並べる友人の生死を自身が握っている寂しさ。
 一クラス四十人。
 話したことがある友人も、ほとんど話したことがないやつもいる。
 それらひっくるめて、京平にとって大切な思い出の一幕だ。
 
「どうした京平? なんか、元気なくないか?」
 
「え? そ、そうか? あー、ちょっと朝飯食いそびれちまって、それでかも」
 
「うっわ、まじか。昼休みまで、まだ二時間以上あるぞ?」
 
「はは……。なんとか頑張るよ」
 
 京平の心臓が脈打つ。
 一週間後には彼らも死ぬかもしれないと思えば、早々に口の中も乾き始めていた。
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