お嬢様、お食べなさい

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第10話 カツサンド

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「お嬢様、ピクニックに行きますよ!」
 
「なんですか、唐突に」
 
 井泉を出たのび田は、開口一番そう言った。
 向晴が視線を落とした先、のび田の手には袋が握られ、袋の中には井泉で購入したカツサンドが入っていた。
 
 向晴は、ピクニックという言葉の意味を理解していた。
 サンドイッチとピクニック。
 子供の頃に読んだ絵本の内容から、繋がりを推測はできた。
 
 ただし向晴にとって、ピクニックと言う外で食べる行為は理解できなかった。
 室内であれば、ふかふかの椅子もあれば、エアコンで室温の調整もできる。
 食べたい物が他にあれば、シェフに頼めば作ってくれる。
 しかし、外となれば、これら一切ができない。
 座りにくい地面の上で、天候と気温に左右される環境で、食べたい物が他にあればわざわざ買いに行かなければならない。
 向晴にとっては、ピクニックとはデメリットの塊という認識である。
 
 嫌そうな表情をする向晴に対し、のび田は向晴の心中を察した。
 
「お気持ちわかりますよ、お嬢様」
 
「え?」
 
「トイレに行きたいのでしょう? この近くに、ちょうど公衆トイレが」
 
「違うわよ! 仮にそうだとしても、聞き方を考えなさい! デリカシーってものがないの!?」
 
「デリカ……? 新作のお菓子ですか?」
 
「あー、なかったわー! 薄々そんな気はしてましたけどー!」
 
 向晴は頭を抱えた後、気を取り直してのび田を指差す。
 
「そうではなくて、なぜピクニックなのですか? カツサンドであれば、店内で食べればよいでしょう?」
 
 井泉のメニューには、カツサンドも含まれている。
 当然、店内でカツサンドを食べることも可能である。
 しかし、のび田はそれをせず、食後に「持ち帰りで」とカツサンドを注文した。
 てっきり、ヒレカツ定食を食べた後にカツサンドも注文するのだろうと思っていた向晴は、肩透かしを食らった感覚だ。
 
「お嬢様、わかっていませんねえ」
 
 のび田はやれやれと言わんばかりの仕草をし、向晴の不満は余計に刺激された。
 怒鳴りつけたい気持ちをぐっと抑えて、のび田に訊く。
 
「へえ。私の何がわかっていないと?」
 
「全部ですよ。カツサンドの誕生秘話を聞けば、きっとお嬢様もカツサンドを外で食べたくなりますよ」
 
「なら、聞こうじゃない」
 
 のび田は、北へ向かって歩き、語り始める。
 カツサンドの誕生秘話を。
 
「やわらかい豚カツの生みの親が井泉の初代ならば、カツサンドの生みの親は初代女将になります」
 
「当主さんではなく、女将さん?」
 
「ええ。時代は昭和。まだまだ男社会が根強い時代であったにも拘らずですね」
 
「へえ」
 
 ふっと、向晴の表情が和らぐ。
 向晴の生まれた高貴な家は、まだまだ家を継ぐ、血を残すという価値観が残っていた。
 向晴もまた、血を残す役目を持つ一人として生まれた。
 が、向晴はその努力と才覚で、高貴な家に対して実績を示し、家を継ぐ人間としての役割も与えられた。
 時代は違えど、戦った女性の一人として、向晴は初代女将への親近感を増していった。
 
「初代女将は明治生まれでしたが、時代を先取りする両親のもとで育ちました。そのため、朝食が和食の時代にいち早くトーストと紅茶に触れ、パンになじみのある環境で育ちました」
 
「昭和の時代に洋食。女将さんのお家は、ずいぶんと珍しい家庭だったんですね」
 
「だからこそ、初代が豚カツを作っていた時、『この豚カツをパンにはさんで、手軽にお稲荷さんや海苔巻き感覚で食べられるようにしたらどうだろう?』と思ったようです」
 
「パンになじみがあったからこその閃き、と言う訳ね」
 
「そうです」
 
 パンになじみのない時代に、カツサンドが生まれた理由。
 向晴は理由に納得し、ふむふむと頭を上下させる。
 
「そして、カツサンドのもう一つのポイントは、当時としては小ぶりなパンを使用したこともあります」
 
「小ぶり、ですか?」
 
「はい。当時の井泉には芸者のお客さんが多く、芸者の口紅が取れないよう配慮され、豚カツを挟むパンもあえて小ぶりなものを選びました」
 
「ここでも、お客様への配慮、と言う訳ね」
 
 豚カツは、箸になれた客が箸で食べやすいように。
 カツサンドは、客の口紅が取れないように。
 井泉の料理は、いつだって客のためをきっかけに作られている。
 
「カツサンドのの誕生秘話、ご理解いただけましたか?」
 
「ええ。とても心に響くお話しでした。女将さんのひらめきもさることながら、男性の立場が高かった時代に、女将さんのひらめきを取り入れる店主さんも素敵な方だと、お会いせずともわかりました。……ですが」
 
 向晴は、のび田の話した開発秘話の内容をもう一度振り返る。
 そもそも、のび田が開発秘話を話し始めた理由は、向晴がカツサンドを外で食べたくなるようにするためだ。
 何度思い出しても、向晴には外で食べたくなる要素が思い浮かばなかった。
 外で踊る芸者のために、という一文でもあれば納得できただろうが、それもない。
 
 問題の正解を求めるような瞳で、向晴はのび田を見る。
 
 のび田は、ふふっと笑って、向晴を見る。
 
「ああ、カツサンドを外で食べたくなる、というのは」
 
「というのは?」
 
「嘘です」
 
「ウソデス!?」
 
「はい。ピクニックにふさわしい場所に到着するまでの時間稼ぎとして、お話しさせていただきました」
 
「だ、騙したわね!?」
 
 怒る向晴の前で、のび田は右手でグーを作り、軽く自分の頭を叩いた。
 
「てへぺろ」
 
「それで許されると思いまして!?」
 
「おかしいですね。こうすると大体ごまかせるって、執事長が」
 
「爺やあああああ!?」
 
 兆老は右手でグーを作り、軽く自分の頭を叩いた。
 
「てへぺろ」
 
「あーもう! どいつもこいつも!」
 
「さて、到着しましたお嬢様。こちらなど、ピクニックに丁度良いかと」
 
「……ここは?」
 
「上野恩賜公園です」
 
 周囲を見渡す向晴の目に飛び込んできたのは、上野恩賜公園。
 通称、上野公園。
 日本で最初の都市公園であり、春には桜、夏には蓮の葉と、季節を楽しめる絶好のスポットである。
 また、園内に博物館や動物園など、多くの文化施設を抱えており、学びのスポットでもある。
 
「あいにく桜の季節ではありませんが、混みすぎてもなく、ちょうどいいかと」
 
「そう、ね」
 
 向晴は東京の中にぽっかりと作られた空間に、思わず目を奪われた。
 
 三人の目の前に広がるのは不忍池。
 周囲約二キロメートルの広さを持ち、蓮の葉がぷかぷかと浮かぶ池だ
 青と緑が作り出す芸術性は、一瞬で向晴の視線を引き付けた。
 
「もう少し、歩きましょうか」
 
「そう、ね」
 
 三人は、不忍池の周辺を沿って歩き、不忍池に突き出すように伸びた遊歩道へと入っていく。
 
 蓮池テラス。
 池の上を歩くことができるこの場所は、不忍池を池の外側からではなく、内側から楽しむことができる。
 足元に蓮の花まるでカーペットのようで、うっかり足を踏み入れたくなるほどだ。
 
「綺麗ね」
 
「でしょう?」
 
 基本的に室内で過ごす向晴だ。
 写真とは違う自然の美しさに触れ、思わず感情をこぼす。
 蓮の葉に触れようと手を伸ばしてみたり、ただ風を感じてみたり、自然を全身に感じていた。
 
「自然を感じながらの食事も、悪くなさそうでしょう?」
 
「そう、ね。悪くはなさそうね。ところで、どこで食べるの?」
 
「あちらにベンチがありますので、座って食べましょう」
 
 蓮池テラスを渡り終えた三人は、のび田の指差す方向にあったベンチに向かう。
 ちょうど、歩道を挟んだ向かい側。
 
「こちらへどうぞ、お嬢様」
 
「ありがと」
 
 兆老がベンチの上に敷いたシートの上に、向晴は腰かけた。
 のび田は袋の中から箱を取り出し、箱を開く。
 箱の中には、ぎっしりとカツサンドが詰まっており、のび田は向晴にすっと差し出す。
 
「どぞ、お嬢様」
 
「ありがと」
 
 向晴はカツサンドを一つ取り出し、ぱくんとかぶりついた。
 本来であれば、行儀が悪いと敬遠するところではあったが、自分たちと同じようにベンチに座ってご飯を食べている家族がいたことで、これも一つのマナーなのかと受け入れた。
 小柄なサイズのカツサンドは、向晴の唇から色を落とすことなく、向晴の口へと入っていった。
 
「美味しいわ」
 
 井泉の店内とは違い、パンにはさまれたカツは揚げたてでなく、ほんのりとぬくもりが残る程度だ。
 しかし、木々の奏でる音や子供たちの楽しそうな声を聞きながら食べるカツサンドは、向晴に味だけではない体験を味わわせていた。
 
「たまには、ピクニックもいいかもね」
 
 目を閉じる向晴の瞳には、芸者たちが美味しそうにカツサンドを食べる姿が浮かんでいた。
 
 
 
 
 
 
「……あれ、お嬢様? リアクションはとられないんですか? 芸者になったつもりで踊るとか」
 
「台無しね!!」
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