お嬢様、お食べなさい

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第13話 カツレツ

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「いらっしゃいませ」
 
 重々しい扉の先に広がるのは、四人が並んで座れるカウンター席。
 どっしりとした木製のカウンター席は、木の温かみと長年の歴史を感じさせる。
 また、カウンターの目の前は調理場に繋がっており、料理人たちが料理をしている姿を見ることができた。
 
 店内に、BGMはない。
 料理人たちの間に無駄話は一切ない。
 料理人たちは、鍛冶で刀を打つ職人のように、目の前の料理一つ一つに集中力を注いでいる。
 ただ静寂に包まれた空間に、カツレツを揚げるジュウジュウという音だけが厳かに響く。
 
 だから、仕方がない。
 グウッと向晴のお腹が鳴ったのを、のび田が聞いてしまったのも仕方ない。
 向晴は即座にお腹を押さえて、のび田の方を向いた。
 のび田はそっと目を逸らした。
 
「三人です。もう一人は後から来ます」
 
「お二階へどうぞ」
 
 料理人の案内に従い、向晴とのび田は奥へ進んでいく。
 カウンターの左側には短い通路があり、通路を通って奥へ進む。
 通路の奥の壁には、大きなショーウィンドがあり、何枚もの皿が飾られている。
 どれも名店に相応しい、シンプルだが高貴な皿だ。
 
「あら綺麗」
 
 思わず向晴が、感嘆するほどに。
 
 通路の左手には階段とエレベーター、右手には調理場への入り口と勘定場があった。
 向晴とのび田は灰色の階段を上り、二階へと昇る。
 階段の途中の壁にもまた小さなショーウィンドがあり、皿とカップが飾られている。
 
 階段を上った先には、定員に対して大きくゆとりをもった空間が広がっていた。
 一階がカウンター席なのに対して、二階はテーブル席だ。
 
 二人用の机が四つと、四人用の机が一つ。
 椅子は六脚あり、テーブルの片側に並んでいる。
 そしてテーブルをはさみ、壁に固定されたソファが伸びる。
 床は木のフローリングで、椅子もテーブルも木。
 部屋全体が、木のぬくもりに溢れている。
 壁には絵画がかかっており、ぬくもりの中に芸術と言う刺激も刺さっている。
 
 余談だが、三階には個室も用意されている。
 床一面に畳が敷き詰められている、和の空間をもって客を迎える。
 壁の障子や床の間の掛け軸は、忘れていた日本人の心を思い出させるがごとく雅である。
 
 
 
 二階に到着した向晴は、のび田に促されてソファ席に座り、のび田は対面の椅子に座る。
 向晴は机の上に置かれた調味料を、興味深そうに見て、手に取ってみる。
 ソース。
 からし。
 塩。
 シンプルな調味料が、昔ながらの王道のカツレツが出てくる光景を思わせる。
 
「どうぞ、お嬢様」
 
 向晴の興味がつきたタイミングで、のび田が向晴にメニューを開いて見せる。
 
 メニューはシンプルな、白い紙に黒い文字。
 カキフライ。
 車海老フライ。
 穴子フライ。
 きすフライ。
 始まりを飾るのは、フライたち。
 そして続くのが海老コロッケと、カツレツの名は未だに出てこない。
 
「あ! あったわ! カツレツ!」
 
 しばらくメニューとにらめっこしていた向晴は、ようやく見つけたカツレツの文字を、嬉しそうに指差した。
 
 カツレツ。
 三八五〇円。
 
 ぽん多本家の名物である。
 しかし、メニューの中に『名物』という言葉はなく、文字の大きさも扱いも他の料理と同列である。
 森の中に生える一本の木のように、
 ここはカツレツ屋ではなく洋食屋。
 名物カツレツも美味いが、他の料理も当然美味い。
 そんな店からのメッセージが、強く刻まれているようだ。
 
「お嬢様、ご飯はいかがいたしますか?」
 
「いただくわ」
 
 ご飯・赤だし・おしんこ。
 五五〇円。
 
「すみませーん」
 
 のび田が手をあげると、部屋の入り口で待機していた店員が、スタスタと近づいてくる。
 
「『カツレツ』と『ご飯・赤だし・おしんこ』を二つ」
 
「はい。『カツレツ』と『ご飯・赤だし・おしんこ』ですね」
 
 一階の料理人同様、無駄な会話も動きもない。
 静寂の中を、最低限と最善を選んでしなやかに動く。
 店員はメニューを料理場に伝えた後、おしぼりを二人に渡した、再度部屋の入り口の前で待機した。
 
 
 
 そわそわしながら入り口を見る向晴を見て、のび田は向晴の緊張をほぐそうと口を開く。
 
「お嬢様、料理が来るまでにはもう少し時間がかかります。その間に、『ぽん多本家』のお話をしますね」
 
「? 島田信二郎さんが創業したお店でしょう?」
 
「そうですね。お店の生い立ちのお話はしましたが、今からするのは『ぽん多本家』のカツレツの秘密についてです」
 
 秘密。
 その甘美なワードに、向晴は思わず前のめりになる。
 
「聞きたいわ!」
 
 向晴は知っている。
 空腹と知識こそが、料理にかかる最高の調味料であることを。
 空腹が高まった現在、向晴の期待は高まった。
 
「ではお嬢様。美味しい豚肉を食べたいとき、何を重視しますか?」
 
「さあ? 豚肉なんて選んだことないもの」
 
「例えば、ですよ。値段ですとか、産地ですとか、GACKTさんが選んだことあるとか」
 
「貴方のお正月の過ごし方がわかったわ」
 
 高貴なる向晴は、余計な知識を入れない。
 必要なのは、利益を上げるビジネス学と高貴にふるまう帝王学。
 向晴にとって美味しい豚の見分け方はシェフが習得すべき知識であり、自身には関係ない物だった。
 しかし、これから食べる物を美味しくするためであればと、特別に首をかしげて考える。
 
「今、貴方が言った中で言えば、産地かしら?」
 
「ほお。それは何故ですか?」
 
「生物の育成に、環境の良さは不可欠。であれば、気候や地形の都合上、豚の育ちやすい地域があるのではと予想しました」
 
「……ファイナルアンサー?」
 
「ねえ、いちいちテレビの真似するのやめてくれない?」
 
 のび田はうっすらと笑みを浮かべ、向晴をじっと見つめる。
 弧を描いたのび田の目は、相対する人間に不安感と緊張を与える。
 向晴は、そんなのび田の目をまっすぐと見つめ返した。
  
「主人の命令です。その顔辞めて、さっさと続きを言いなさい。首にするわよ」
 
「すみません。首にしないでください。餓死します」
 
 のび田は華麗なる土下座を決めた。
 
「もういいから。早く続きを教えて」
 
 あきれ顔の向晴に促され、のび田は起きあがって姿勢を正す。
 
「では僭越ながら、続きをお話しさせていただきます」
 
「いつも、そのくらい謙虚だと助かるわ」
 
「お嬢様の言った産地、というのは正解です。豚の農業産出額は九州が三十一パーセント、特に鹿児島県が全国の十四パーセントを占めていて、多くのブランド豚を輩出しています。これは、豚の育ちやすい気候もありますが、鹿児島県は全国に先駆けて豚の畜産を手がけた歴史的背景もあります」
 
「なるほど。いわゆる先行者利益ってことね。ブルーオーシャンだった豚の畜産に参入し、シェアを取った上で利益を上げ、他社が参入してきた来たときにはブランド力と、既存の利益とノウハウによって他社では真似できない高品質な豚を」
 
「お嬢様、眠くなるので止めてください」
 
 鹿児島の黒豚は、約四百年前に琉球王国から移入したのが起源と言われている。
 日本全体が富国強兵を目的として明治時代に入ってから畜産業に力を入れ始めたのに対し、より早い時期から豚の畜産を行っていたのだ。
 結果、鹿児島県の豚肉は桁違いのうま味と甘みを誇り、歴史を振り返れば西郷隆盛も愛したと言われている。
 
「さて、産地が大事なのは理解いただけたかと思いますが、ここ『ぽん多本家』では、産地に拘らないというアプローチをとっているのです」
 
 ゆっくりと、『ぽん多本家』のカツレツの秘密が紐解かれていく。
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