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第14話 カツレツ
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明治三十八年の創業時から、変わらぬ味を提供し続ける『ぽん多本家』。
その味の決め手は、『食材』と『技』である。
「産地に拘らない?」
「はい。『ぽん多本家』で使用する豚肉は、ブランドや銘柄と言った指定がありません。その目で選りすぐった豚肉を使用しています」
「何故そんなことを? ブランドや銘柄は、一定以上の質を保証するパラメータでは……ああ、そういうこと。産地に拘り過ぎると、確実に品質の良い豚肉を選べる反面、その産地以外にある最高品質の豚肉を選べなくなる、ということですね」
「助けてください。お嬢様の頭の回転が速すぎて、ぼくの説明台詞がどんどんとられてしまってます」
令和の主流は、チェーン店だ。
チェーン店が目指すのは、効率化と汎用化。
つまり、如何に人間が手を動かす作業量を最小限にするか、そして如何に特定の個人に依存しない作業を増やすかだ。
その目で選りすぐると言うのは、令和の主流の真逆。
知識と経験が作り上げる、伝統芸であり職人技である。
「決め手と言っていた『食材』と『技』の意味は分かったわ。確かに、他では真似できないことね」
「いえ、お嬢様。もちろん」
「これだけじゃないのでしょう? 他にはどんな工夫が凝らされているの?」
「説明台詞窃盗罪って、存在しないんですかね?」
「ないわよ。六法全書なら、全部暗記しているから間違いないわ」
「ひえっ」
足音が聞こえる。
誰かが部屋に近づいてくる足音が。
同時に、かぐわしい香りが部屋に届く。
カツレツから発せられる香りが。
部屋に料理人が入ってくると、向晴の興味は一瞬で奪われた。
「おまちどうさまです」
向晴たちのテーブルには、次々と料理が並べられていく。
ご飯、赤だし、おしんこ、そしてカツレツ。
目の前に来た香りは、より強い香しさによって、向晴の食欲をくすぐる。
食欲と同時に、向晴の視覚もくすぐられた。
向晴の視線は、自然とカツレツの乗る皿へと落ちる。
縁が金色に装飾された、真っ白なプレートに。
「大倉陶園の片葉金蝕のお皿ですね」
「え?」
「この広げた枝葉の片側を繋げたような縁模様。そして美しさを際立たせる金蝕技法。素敵ね」
「え?」
大倉陶園とは、一九一九年創業の陶磁器メーカーである。
日本の伝統的な技法やヨーロッパから取り入れた技法を用いて、観賞価値の高い高級磁器を生み出し続けている。
一九五九年には、皇太子明仁親王と同妃美智子の成婚時の晩餐会に食器を納めるなど、皇室御用達窯にもなっている。
また、片葉金蝕の皿は、一九二三年から一九二四年頃に作られた、大倉陶園の中でも歴史ある皿である。
一点一点丁寧に作り上げた浮き彫り模様。
そこへ金をつけることで、金の模様が鮮やかに浮かび上がり、テーブルの中で美しく主張をする逸品となるのだ。
ほれぼれとする向晴に対して、のび田は空気が抜けている風船のように萎んだ表情をしていた。
向晴はそんなのび田に気づき、首をかしげる。
芸術とも呼べる逸品を前にして、感動を僅かも見せないのび田の姿が理解できなかった。
「どうしたの? そんな表情をして?」
「え? いやー、あははは」
「……もしかして、このお皿をご存じないとか?」
「い、いえまさか! 大倉陶園の片葉金蝕のお皿ですよね? 知ッテマシタ、モチロン知ッテマシタヨー。高貴ナオ嬢様ニピッタリダト思イ、ゴ説明シタカッタノデスガ、マタシテモ台詞ヲトラレチャイマシタ。ハハハハハー」
「うーん、何かいつもと話し方が違うような」
「そ、それよりもお嬢様! カツレツ、温かいうちに食べちゃいましょう!」
「そうね、冷めないうちにいただきましょう」
当然、のび田に皿の知識があるはずはない。
食にこだわるのび田にとって、皿など陶磁器だろうが紙皿だろうが、興味がない。
とはいえ、向晴に失望されることは、のび田の言葉を向晴が信じるか否かに関わる重要なことだ。
のび田は向晴の興味を逸らせたことに、安心する。
「……不思議な色。そして、形ですね」
向晴はカツレツをじっくりと見つめる。
『ぽん多本家』のカツレツの特徴的な見た目は二つ。
色と切り方だ。
通常、カツレツや豚カツの色は、きつね色だろう。
豚肉に衣をつけて油で揚げる性質上、当然のことだ。
しかし、『ぽん多本家』のカツレツの色は、一味違う。
「白い」
「気づきましたかお嬢様。そう、ここ『ぽん多本家』のカツレツは、白いのです」
「不思議。どうやったらこんな色になるのかしら?」
「その秘密は、カツレツの揚げ方に詰まっています」
「揚げ方?」
「はい。『ぽん多本家』では、低温の油でカツレツを揚げ始め、徐々に油の温度を上げていくのです」
一般的に、豚カツを揚げる際の最適な油の温度は、百七十度から百八十度と言われている。
油の温度が低温だと、衣の水分を飛ばすことができず、揚げ上がった豚カツの食感がベチャベチャとしてしまうのだ。
高温の油で、五分から六分ほどサッと揚げれば、サクサクとした食感の豚カツが完成する。
対して『ぽん多本家』では、揚げ油に自家製のラードを使用し、百二十度の低温で揚げ始め、徐々に高温へと上げていく。
揚げる時間も十分以上と、一般的な豚カツの倍の時間だ。
ゆっくりと豚肉に熱が入ることで、肉の旨味を逃さず、内側にギュッと凝縮することができる。
さらに、低温によるベチャベチャとした食感を回避するため、仕上げは高温で揚げ、サクサクとした食感も実現している。
向晴は割り箸を手に取り、カツレツを持ち上げる。
「小さい」
「小さいですね」
さらに、一般的な豚カツは縦に切られ、楕円形の豚肉の周りを衣が包むような形で提供される。
対して『ぽん多本家』では、縦だけでなく、横にも一本切る。
より小さな楕円形が、ころんと皿の上に転がるのだ。
食べやすさを考えた、一口サイズである。
「では、いただきます」
小さなカツレツが、向晴の舌の上にころんと落ちた。
その味の決め手は、『食材』と『技』である。
「産地に拘らない?」
「はい。『ぽん多本家』で使用する豚肉は、ブランドや銘柄と言った指定がありません。その目で選りすぐった豚肉を使用しています」
「何故そんなことを? ブランドや銘柄は、一定以上の質を保証するパラメータでは……ああ、そういうこと。産地に拘り過ぎると、確実に品質の良い豚肉を選べる反面、その産地以外にある最高品質の豚肉を選べなくなる、ということですね」
「助けてください。お嬢様の頭の回転が速すぎて、ぼくの説明台詞がどんどんとられてしまってます」
令和の主流は、チェーン店だ。
チェーン店が目指すのは、効率化と汎用化。
つまり、如何に人間が手を動かす作業量を最小限にするか、そして如何に特定の個人に依存しない作業を増やすかだ。
その目で選りすぐると言うのは、令和の主流の真逆。
知識と経験が作り上げる、伝統芸であり職人技である。
「決め手と言っていた『食材』と『技』の意味は分かったわ。確かに、他では真似できないことね」
「いえ、お嬢様。もちろん」
「これだけじゃないのでしょう? 他にはどんな工夫が凝らされているの?」
「説明台詞窃盗罪って、存在しないんですかね?」
「ないわよ。六法全書なら、全部暗記しているから間違いないわ」
「ひえっ」
足音が聞こえる。
誰かが部屋に近づいてくる足音が。
同時に、かぐわしい香りが部屋に届く。
カツレツから発せられる香りが。
部屋に料理人が入ってくると、向晴の興味は一瞬で奪われた。
「おまちどうさまです」
向晴たちのテーブルには、次々と料理が並べられていく。
ご飯、赤だし、おしんこ、そしてカツレツ。
目の前に来た香りは、より強い香しさによって、向晴の食欲をくすぐる。
食欲と同時に、向晴の視覚もくすぐられた。
向晴の視線は、自然とカツレツの乗る皿へと落ちる。
縁が金色に装飾された、真っ白なプレートに。
「大倉陶園の片葉金蝕のお皿ですね」
「え?」
「この広げた枝葉の片側を繋げたような縁模様。そして美しさを際立たせる金蝕技法。素敵ね」
「え?」
大倉陶園とは、一九一九年創業の陶磁器メーカーである。
日本の伝統的な技法やヨーロッパから取り入れた技法を用いて、観賞価値の高い高級磁器を生み出し続けている。
一九五九年には、皇太子明仁親王と同妃美智子の成婚時の晩餐会に食器を納めるなど、皇室御用達窯にもなっている。
また、片葉金蝕の皿は、一九二三年から一九二四年頃に作られた、大倉陶園の中でも歴史ある皿である。
一点一点丁寧に作り上げた浮き彫り模様。
そこへ金をつけることで、金の模様が鮮やかに浮かび上がり、テーブルの中で美しく主張をする逸品となるのだ。
ほれぼれとする向晴に対して、のび田は空気が抜けている風船のように萎んだ表情をしていた。
向晴はそんなのび田に気づき、首をかしげる。
芸術とも呼べる逸品を前にして、感動を僅かも見せないのび田の姿が理解できなかった。
「どうしたの? そんな表情をして?」
「え? いやー、あははは」
「……もしかして、このお皿をご存じないとか?」
「い、いえまさか! 大倉陶園の片葉金蝕のお皿ですよね? 知ッテマシタ、モチロン知ッテマシタヨー。高貴ナオ嬢様ニピッタリダト思イ、ゴ説明シタカッタノデスガ、マタシテモ台詞ヲトラレチャイマシタ。ハハハハハー」
「うーん、何かいつもと話し方が違うような」
「そ、それよりもお嬢様! カツレツ、温かいうちに食べちゃいましょう!」
「そうね、冷めないうちにいただきましょう」
当然、のび田に皿の知識があるはずはない。
食にこだわるのび田にとって、皿など陶磁器だろうが紙皿だろうが、興味がない。
とはいえ、向晴に失望されることは、のび田の言葉を向晴が信じるか否かに関わる重要なことだ。
のび田は向晴の興味を逸らせたことに、安心する。
「……不思議な色。そして、形ですね」
向晴はカツレツをじっくりと見つめる。
『ぽん多本家』のカツレツの特徴的な見た目は二つ。
色と切り方だ。
通常、カツレツや豚カツの色は、きつね色だろう。
豚肉に衣をつけて油で揚げる性質上、当然のことだ。
しかし、『ぽん多本家』のカツレツの色は、一味違う。
「白い」
「気づきましたかお嬢様。そう、ここ『ぽん多本家』のカツレツは、白いのです」
「不思議。どうやったらこんな色になるのかしら?」
「その秘密は、カツレツの揚げ方に詰まっています」
「揚げ方?」
「はい。『ぽん多本家』では、低温の油でカツレツを揚げ始め、徐々に油の温度を上げていくのです」
一般的に、豚カツを揚げる際の最適な油の温度は、百七十度から百八十度と言われている。
油の温度が低温だと、衣の水分を飛ばすことができず、揚げ上がった豚カツの食感がベチャベチャとしてしまうのだ。
高温の油で、五分から六分ほどサッと揚げれば、サクサクとした食感の豚カツが完成する。
対して『ぽん多本家』では、揚げ油に自家製のラードを使用し、百二十度の低温で揚げ始め、徐々に高温へと上げていく。
揚げる時間も十分以上と、一般的な豚カツの倍の時間だ。
ゆっくりと豚肉に熱が入ることで、肉の旨味を逃さず、内側にギュッと凝縮することができる。
さらに、低温によるベチャベチャとした食感を回避するため、仕上げは高温で揚げ、サクサクとした食感も実現している。
向晴は割り箸を手に取り、カツレツを持ち上げる。
「小さい」
「小さいですね」
さらに、一般的な豚カツは縦に切られ、楕円形の豚肉の周りを衣が包むような形で提供される。
対して『ぽん多本家』では、縦だけでなく、横にも一本切る。
より小さな楕円形が、ころんと皿の上に転がるのだ。
食べやすさを考えた、一口サイズである。
「では、いただきます」
小さなカツレツが、向晴の舌の上にころんと落ちた。
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