眠りにつく世界

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第1話 眠りにつく世界

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 目を覚ました不知火しらぬいはじめは、違和感に気づく。
 いつもならば体にかかっているはずの掛け布団がない。
 いつもならば体の下に敷かれているはずの敷布団がない。
 背中には、フローリングの床の冷たく硬い感触が、ぺっとりとへばりついていた。
 寝ている間にベッドから転げ落ちたとしても、ベッド周りにはカーペットが敷いてあるため、フローリングに直接寝転がることはない。
 
 昨日は寝落ちでもしてしまったのかと考えながら、創は床の冷たさから逃れるために、ゆっくり上体を起こす。
 一体何があったのか、眠い目をこすりながら昨日のことを思い返す。
 
「………………」
 
「………………」
 
「あ」
 
 そして思い出す。
 人類の滅亡と、自分が安眠薬を飲んだことを。
 
 思い出した衝撃で脳が一気に覚醒し、眠気でぼんやりとしていた創の視界がばっと開ける。
 
 創は、安眠薬を飲んだ時と同じ場所――リビングの床に座っていることを把握した。
 左右を見てみれば、川の字で寝ていたはずの父と母は既にいなかった。
 代わりに、うすぼんやりと輝く黄色い光の粒子が漂っており、ゆっくりと天井に向かって上っていた。
 創が、目線の高さにある光の粒子に人差し指で触れようとすると、光の粒子は人差し指をすり抜けた。
 痛みも熱さも冷たさも、当然触れた感覚もない。
 
 創は手を引っ込めて、もう一度父と母が寝ていたはずの場所を見る。
 目を細めてみたところ、創には光の粒子が人型に集まっているように見えた。
 
「もう逝ったんだね。父さん。母さん」
 
 人間と人工物を粒子化する『自然の返上計画』を考えれば、両親の死体は粒子になったのだとすぐに分かった。
 不思議と創に悲しさはなく、両親がいない現実をすんなりと受け入れた。
 恐怖を奪う安眠薬の効果が、付随して創の悲しみという感情も弱めていた。
 
 創は、両親が最後に眠っていただろう床を軽く撫でた後、ゆっくりと立ち上がった。
 
 
 
 と同時に、耐えがたい飢餓感が創を襲った。
 
「うぐっ!?」
 
 創は咄嗟にスマートフォンをポケットにしまい込んで、キッチンへと走った。
 一秒後にでも餓死しそうな苦しみから解放されるため、死に物狂いで走った。
 
 キッチンに到着した創は、お茶を沸かす時間ももったいないと言わんばかりに蛇口をひねり、口を近づける。
 しかし、蛇口から水が出てくることはなかった。
 蛇口に残っていた水滴が、ぽたりと一滴、舌の上に落ちただけだ。
 
 創は蛇口を閉じることも忘れ、普段ミネラルウォーターのペットボトルを置いている場所ーー冷蔵庫の横を見た。
 冷蔵庫の横には、未開封の二リットルペットボトルが数本置かれており、創はそのうちの一本を手に取り、口を付けた。
 ゴクゴクゴク。
 三日ぶりの水分を、創はひたすら飲み込んだ。
 ペットボトルのミネラルウォーターは、あっという間に創の喉の奥へと消えていき、三十秒もしない間に空になった。
 
 飢餓感が薄れた創を次に襲ったのは、空腹感だ。
 
 水を飲む前よりも正気を取り戻した創は、空のペットボトルを冷蔵庫の横に戻した後、冷蔵庫を開ける。
 冷蔵庫の中には食材がなく、使いかけのマヨネーズとケチャップが残っているだけだ。
 創は冷蔵庫の閉め、きょろきょろとキッチンを見渡し、電子レンジの上で視線を止める。
 電子レンジの上に置かれた籠の中には、食パンが入っていた。
 袋は開封済みであり、六枚切りの内、三枚だけ残っている。
 創は食パンを一枚取り出し、冷蔵庫から取り出したマヨネーズをかけると、無心で食べ始めた。
 一枚目。
 二枚目。
 三枚目。
 食パンの入っていた袋も、あっという間に空になった。
 
「ふう。ご馳走様でした」
 
 飢餓感と空腹感が消えた創は、両手を合わせ、ルーチーンのように呟いた。
 
「さて、と」
 
 そして、ここはどこかを改めて考え始めた。
 
 創は、永眠するために安眠薬を飲んだのだ。
 であれば、次に目覚めることがあるとすれば、あの世か来世のはずだった。
 だが、今創が立っているのは、紛れもなく自宅。
 床や壁から小さな光の粒子が現れたり、粒子が現れた場所には小さな穴が開くいていることを除けば、眠る前と変わらない自宅だ。
 
 家の中に置かれている家具や雑貨の位置も、漂う匂いさえも同じだ。
 自宅を再現したあの世と呼ぶには、余りにも成功過ぎた。。
 創は、自分の目で見た景色と直感を信じ、一先ず、ここを自宅だと結論付けた。
 
 次に考えたのは、今はいつか、だ。
 創は習慣に従ってポケットからスマートフォンを取り出し、日時を見た。
 日にちは、四月三日。
 安眠薬を飲んだ日から、丁度三日が経っていた。
 時刻は午前八時。
 毎週の休日に、創が目を覚ましていた時間だ。
 
「あ」
 
 日時を確認したところで、突然スマートフォンがシャットダウンの動きを始めた。
 バッテリー残量ゼロパーセントの表示を最後に、スマートフォンの画面は真っ黒になった。
 三日間も充電をせずに放置していたのだ。
 当然と言えば当然の結果である。
 
「充電しなきゃ」
 
 現状を調べたい創にとって、スマートフォンの電源が落ちることは大きく困る出来事だった。
 
 創はキッチンを出て、自室がある二階へと向かう。
 廊下にも小さな穴が無数に開いており、光の粒子が天井に向って上っている。
 光の粒子は創の体に触れると、ぶつかることなくそのまますり抜け、天井をもすり抜けていった。
 
 階段を上って自室に入ると、一階よりも多い光の粒子に迎えられた。
 自室の壁や床からも光の粒子は産み出され、加えて一階から天井をすり抜けて現れた光の粒子も合流する。
 ざっと、一階の倍の量。
 無数のホタルでも飛んでいるかのような光によって、窓から日の入る部屋は明るさに満ちていた。
 
 創は、学習机の上に置かれた充電器を手に取り、スマートフォンとコンセントを繋いだ。
 
「あれ? 始まらない」
 
 が、スマートフォンは沈黙をしたままだった。
 充電を示すはずの充電ランプは、消灯を続けている。
 
「……そうか。水道が止まってたし、電気も多分止まってるんだろうな」
 
 充電が始まらない理由に気づいた創は、自室に置かれたスクールバッグの元へと向かう。
 黒い長方形のトートバッグは、上部にファスナー式のメインポケットと、前面に同じくファスナー式のサブポケットがついている。
 メインポケットの中には教科書とノートが数冊ずつ、サブポケットの中には財布やペンが入っている。
 創がサブポケットを開くと、サブポケットの中から大量の光の粒子が飛び出してきた。
 創は構わずサブポケットに手を突っ込み、モバイルバッテリーを取り出した。
 
「ああ、駄目か」
 
 取り出したモバイルバッテリーもまた、小さな穴が開いており、光の粒子がポコポコと浮かび上がっていた。
 創は駄目元でモバイルバッテリーをスマートフォンに接続してみるが、モバイルバッテリーの穴からバチバチと電気の弾ける音が聞こえたため、急いで引っこ抜いた。
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