一寸先は闇

北瓜 彪

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第3章 使い捨ての守り神

日曜日の朝食

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 「おい、何だこれ⁉︎」
「えーっ?」
朝の食卓に似つかわしくないサトシの台詞に、ユキは素っ頓狂な声を上げて振り向いた。
「なっ、何なんだこのトマト!」
 見ると、ユキが確かに置いたはずの夫の皿には、いつもの朝食ーサラダとソーセージと目玉焼きとパンとヨーグルトーではなく、どす黒い大ぶりのトマトが1つ、皿の白とコントラストを成すかのようにぼすんと乗っかっていた。
 「そ、そんなのわたし出してないよ!」
「じゃあ誰がやったって言うんだ!!」
 ユキは慌てて冷蔵庫を開けて野菜室を確認した。けれどもそこにあったのは今朝の使いかけのミニトマトのパックだけだった。
「うん、やっぱりわたしじゃない。」
「わ、わたしじゃない、って…じゃあこれは何なんだ!大体どうしてこんなになるまでトマトを放置しておいたんだ!勿体ないじゃないか!」
「わたしじゃないよ!そもそも朝ごはんにトマト1つしか出さない訳ないじゃない!」
 そうは言ってみたものの、普段からおっちょこちょいで天然なユキは、自分がミニトマトのパックから黒いトマトを出していなかったかどうか自信を持てなかった。
「でも、最近そういうミニトマトも出回ってるじゃない?緑のトマトとか、黄色いのとか、あーあとオレンジのとか…。」
「にしてもこんなの見たことないよ!だって、皮真っ黒だぞ。」
「食べてみれば?腐ってる訳じゃないと思うけど。」
「な、こんなの食える訳ないだろ!捨ててくれ。」
 言われてユキはサトシの皿を下げる。夫はつまらなそうにパジャマの背中に手を突っ込んで首の後ろを掻き始めた。しかしトマトのツヤのある黒色に、どうしてもユキはそれを捨てることができず、興味本位でかぷりと1口かじってしまった。
ーーグゥーンーー
途端、朝の陽光が食卓を満たし、あたりは白を浴びて無音になった。
 
 
 気がつくと、そこは大草原だった。幼児の頭の中のような甘ったるい青空を見上げながら、サトシとユキは草原に寝転がっていたのだ。先に飛び起きたのはサトシだった。
「お、おい!一体どこなんだここは⁉︎」
すぐにユキも起き上がって「え⁉︎え⁉︎」と戸惑い始める。
 …ゥワンゥワンゥワンゥワン…
そこへどこからか赤いボールが宙を漂いながら近づいてきた。
「あ?何だあれは!?」
「何が?…あっ!」
ユキも赤いボールの存在を認めたその時、
「ビユン!」
まるで気づかれるのを待っていたかのように、突然ボールからビームが放たれ、草原の上に落ちた。
「ジュウゥ」
草が一瞬にして焼け焦げ、小さな炎のようなかたまりになった。
「いやあーっ!!」
ユキとサトシが悲鳴を上げて抱き合う。ボールは次に2人めがけてビームを放った。
「ビユン!」
「きゃあああ!!」
 夫婦は突かれたように走り出した。その後ろから、赤いボールが
「ビユン!ビユン!」
とビームを放ち、2人の通った道を赤銅色の焼け野原に変えていく。
「ビュン!ビュン!ビュン!」
「ジュウゥ、ジュウゥ、ジュウゥ」
パジャマ姿の夫とエプロン姿の妻が手を繋いで草原を駆け抜ける様子は、2人を境に広がる天国と地獄によってただならぬ様相と化していた。
「どうなってるんだ!?」
「わたしにも分からない!!」
 逃げて逃げて走り続けてユキが疲れて振り向くと、ボールは遠くの空宙で静止していた。
「あれ?」
…ドサッ。
ボールが草の上に落ちて、それっきり動かなくなった。

 その時、上空の雲の1つがいきなり発火して、ユキに向かって落下してきた。
「あぶない!」
咄嗟にサトシがユキに体当たりして、2人は草原に倒れ込んだ。
「…いてて…大丈夫か?」
ユキが立っていた場所には、歪な形の焼け跡があった。

 …ガター…
すると、空の一部が箱の蓋のように上に開いて、周りの空と蓋との間の空間から黒い折れ線がにょきっと顔を出した。
「うそ…今度は何なの…?」
ユキが泣き声を上げる。
 …カサカサカサカサ…
折れ線が2本、3本と顔を出し、6本目が出るとほぼ同時に、3つの目がついた黒い楕円体が蓋を押しのけた。
「ク、クモだ!巨大グモだぁ!!」
 3つ目の巨大グモは6本の脚を動かそうとして、
「カシャッ」
と草原に墜落した。
「い…いや………。」
「…に、逃げろ…逃げろ!逃げるんだ!」
 …ガサガサガサガサガサガサガサガサ…
クモが体勢を変えて動き出す前に、サトシはユキの背中を押して自分も走り出した。
 …ガサガサガサガサガサガサガサガサ‼︎
6本の細い脚が草をかき分けて蠢くのが、後ろを見なくとも分かった。
「ハッ…ハァ、ハァッ……ねえわたし達どこまで逃げればいいの⁉︎」
「そんなこと知るか‼︎元はと言えばお前があの黒いトマトを食ったからこうなったんじゃないのか⁉︎」
「知らないよそんなの!!あっ!」
ドサッ!
ユキが草に足を取られて転んだ。
「ユキ!!」
「ダメ!あたしもう走れない!サトシだけで逃げて!!」
「お前を置いて逃げられる訳ないだろう!!」
カサカサカサカサカサカサカサカサ…
「お願い‼︎逃げて!!」
……ガサガサガサガサガサガサガサガサ‼︎
「ご、ごめん!!!」
  泣いた。泣いた。涙が出て、緑の視界がぼやけた。サトシは涙を流しながらやけくそになって走った。
……ブオオオオオー!!
「ドサッ!」
サトシも転んだ。背後で聞こえた動物の鳴き声に似た大音量が気になって、振り向かずにはいられなかった。
…カシャカシャカシャカシャカシャカシャ…
どす黒い大グモが依然脚を動かしながら、あるところで何かに喰らいついている。ユキに喰らいついている。
カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャガサガサガサガサガサガサガサガサカサカシャガサガサカシャカサカサカシャ…
「う、うわあああー!!!」






 そこで目が覚めた。
「うわあっ!」
これは草原を全力で駆け抜けた汗なのか、それともひどい悪夢に魘されたための汗なのか。
 サトシは疲れ果てた身体を腕で押し上げて、ベッドの上に起き上がった。隣で寝ているユキはもう起きているらしかった。
「10月28日、日曜日………。」
 それから思った。これは草原を全力で駆け抜けた鼓動なのか、それとも…。

 「おはよー…………。」
パジャマの背中に手を突っ込んで首の後ろを掻きながら、リビングのドアを開けて、サトシは絶句した。フローリングの上で、妻が無残な姿で倒れていたのだ。まるで獣に内臓を喰い荒らされたかのような…。
「ああー!!!」
 サトシのイスの前には朝食用の白い皿が1つ、そしてその上には心臓のように真っ赤な大ぶりのトマトが1つ、朝の光に照らされて鮮やかに微笑を湛えていた。





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