山吹色のお菓子

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山吹色のお菓子

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 認知症で要介護になっても、若いときのことを記憶している者もいる。ピアノを嗜んだ人はショパンを弾いてみたり、寿司屋の大将だった人は行事飯に文句を付けたりする。
 しかし……。何処の世界にも、困った奴は居るものである。

 今井貞夫。学校の校長をしていた所為か、他人を見下す傾向にある。しかも、要介護度が進むに連れて、振舞いも酷くなっている。
 規則や決め事は守らないし、気に入らないことがあればすぐに自棄を起こす。施設の職員ばかりか、他の入居者の家族も、困り果てていた。
 寝たきりなら、他の大きな施設に移すことも出来る。ただ……。足腰がしっかりしているだけに、余計に質が悪い。

 深夜……。入居者は、眠らないにしても、おとなしく部屋に入っている時間である。しかし……。貞夫だけは、施設内を徘徊している。本人は見廻りのつもりかも知れないが、職員にとっては迷惑この上無い。
「今井さん。お部屋に戻って下さい。そろそろ、寝ないと……」
 職員が注意するが……。
「うるさい!」
 そう怒鳴り返し、聞く耳を持たない。当然に、野放しにも出来ず、職員の疲弊も余計になる。

 職員たちで、会議が行なわれた。議題は、もちろん今井貞夫の扱い方である。しかし……。良い対処法は、なかなか出ない。シフトを組み替えるしかなさそう。そう思われたとき。
「あ……、あのぅ」
 ひとりの若い女性職員が、恐る恐る手を挙げた。
「わ……、私に、考えがあるんですが」
 私のような若造が、意見をしていいんですか? そんな雰囲気を醸し出しながら訊いた彼女に、園長を務める婦人は笑顔で返す。
「何かしら? 遠慮しないで、言ってみて」
「古い新聞の記事なんですが……」
 若い女性職員は、一枚の紙を机の上に置いた。

 翌日……。貞夫は、この日もあちらこちらに迷惑を掛けていた。職員の淹れてくれたお茶がぬるい。そんな文句は、まだマシなほうである。
 他の入居者と視線が合っただけで。
「何だ? きさま。私に、文句でもあるのか?」
 そんな難癖を付けることも、一度や二度ではない。まるで……。周りは、みんな自分の太鼓持ちだ……と言わんばかり。

 夜……。就寝の時間になり、入居者たちが部屋に戻り、職員たちが巡回を始める。
 案の定……。貞夫は、まだ部屋に戻っていなかった。自分が、この施設内で一番偉いんだ。そう言わんばかりに、胸を張って廊下を歩いている。

「校長先生。今井校長先生」
「ん?」
 背後からそう呼ばれた貞夫は、立ち止まって振り向いた。
「何だ?」
 いつもとは違い、ひとりの職員がニコニコしながら立っている。その違和感に、貞夫は訝しげな表情で返した。
「そろそろ、お休みになって頂かないと。私どもも、他の入居者さんも、とても困るんですが」
 畏まって訴えた職員に、貞夫は。
「私に、命令するのか?」
 不愉快さを剥き出しにして返した。しかし……。職員は、それを待っていたかのように、笑顔で話す。
「もちろん、タダで……とは言いません。どうぞ、こちらへ」
 職員は、貞夫を園長室に招き入れた。
「なんだ? こんなところに、私を連れ込んで」
「ちょっと、他の入居者さんには、内密にしたいものでして。まあ。どうぞ、お掛け下さい」
 訝しげな表情の貞夫の問いに笑顔で返した職員は、ソファーに掛けるよう促した。
 貞夫が掛けたのを確認して、自分もテーブルを挟んで向かい合いのソファーに掛けた職員。笑顔で口を開く。
「実は……。前々から、申しておりますが。今井校長に、ここの規則をちゃんと守って欲しい。そう、一部の入居者さんたちから、不満の声が出ておりまして」
「何だ? また、その話か? いい加減にしろ!」
 不愉快さを剥き出しにして、怒鳴り返した貞夫。しかし……。職員は、笑顔で続ける。
「もちろん、タダで……とは、申しません」
 職員が、悪代官と密約をする商人の如く、パンパンと手を叩いた。すると……。若い女性職員が入ってきて、テーブルの上にあるものを置いて下がった。それは、紫色の袱紗に包まれた何かである。
「今井校長先生。どうか……。これで、他の入居者のお願いを、聞いて頂けませんでしょうか?」
 そう言いながら、職員は袱紗を開く。中から出てきたのは、紙の帯に括られた一万円札の束である。
 それを見た貞夫は、これが先程まで訝しげな顔を見せていた老人と同じ人間か……と思えるくらいの、恵比寿顔になる。
「分かっているじゃないか?」
 職員がどうぞ……と言うよりも早く、札束を鷲掴みにした貞夫。
「う~ん。いい感触だなぁ」
 そんなことを呟きながら、触り心地を確かめる。頬擦りをしてみたり、端をパラパラと弾いて指先の感触を楽しんだり。
「あのぅ。そろそろ、お部屋に戻って、お休みになられては? 他の入居者に知られると不味いので、それは私どもが保管しておきます」
「うん。そうだな」
 先程とは打って変わって、素直に頷いた貞夫。札束を袱紗の上に置いて立ち上がり、園長室を出ていった。

 貞夫と話をした職員が職員室に戻ると、少し遅れて若い女性職員が入ってきた。
「ちゃんと、お部屋に入りましたよ」
 どうやら、貞夫が部屋に戻るのを確認してきたらしい。
「それは、良かった。しかし……。あんな古い新聞記事、よく見付けてきたね」
 その言葉に、若い女性職員は笑って返す。
「フフフ。母親に、ちょっと愚痴ってしまったんです。そうしたら……。伯母さんが、今井さんが校長をしていたときの、小学校の卒業生で。あの事件のことを、教えて貰ったんです。記事を探すのは、ちょっと苦労しましたけれど」
「ありがとう。園長に、話を通しておくよ。特別ボーナスは、無理だけど。金一封くらいは、お願いしておくよ」
 その言葉に、若い女性職員は真っ赤になって返す。
「よして下さい! そんなつもりじゃ、ありません」

 今井貞夫。とある小学校の校長をしていたとき、汚職事件を起こしている。校舎の改築に絡み、特定の建設業者から賄賂を受け取り、便宜を図っていたのである。
 しかも……、捜査の結果。そういった贈収賄は、複数の業者と常習的に行なわれていたことが分かった。
 ただ……。甘い汁を吸わせた相手が多かったのか、保釈金も罰金もすぐに支払われた。
 前科が付いたため、校長を辞めた。しかし……。貞夫は、別に構わなかった。甘い汁を吸わせた連中が、いろいろ面倒を看てくれたからである。
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