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6章 聖女の恋愛編

2 伯爵令嬢は戸惑う

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ミルワード王国から帰って数日、セリーナは以前と変わらない日々を過ごしていた。

朝起きると、朝食を食べ、身支度を整える。
その後に聖女教育と称した勉強時間があり、日によって色々な事を勉強する。
それから遅めの昼食を取れば、そこからは仕事として占いをする時間だが、今は特に占う事もなく、セリーナはその時間を自由時間として過ごしていた。

パタリとカードをめくっては溜息を吐く。

このカードはセリーナが前世の記憶から作り出したタロットを模したカードだったが、普段の占いには使わない。

何故ならタロットは知識こそあるが、セリーナの専門分野外だ。

「いやいや、ないわ。」

セリーナは目の前のカードの並びをグチャっと潰した。

そうよ!そもそもタロット占いは得意じゃないから、結果だってデタラメなはずよ。
じゃなきゃ、私とリード殿下が上手くいくなどという結果が出るはずがないわ!

そう、セリーナはここ数日間、時間が出来ると占いをしていた。
それも占う事は決まって自分とリードの恋の占いだ。

タロットにたどり着くまでに、セリーナはありとあらゆる占いに挑戦したが、その結果はことごとく良好だった。

必ず結ばれる。

良好。

最上の関係。

永遠の幸福。

そんな御伽噺おとぎばなしの結末もビックリの結果達に、セリーナは困惑していた。

そもそも、セリーナにとっては、悪い結果が出れば、彼の事を諦められるだろうと始めた占いなのだから。

「あの…セリーナ様、リード殿下より庭園まで来て欲しいとのお呼び出しですが…いかが致しましょうか?」

ティナはカードに向かって頭を抱える主人に声を掛けた。
ミルワードから戻ったセリーナの情緒が不安定である事実に少しづつ慣れ始めているのは、素晴らしい順応力と言えるだろう。

「…伺うわ。」

そして、セリーナを悩ませているのは、毎日の様にリードと会うことだった。

それも偶然すれ違うというものではない。
ある日はセリーナの塔に現れお茶を飲み、ある日はリードの執務室に呼び出されて雑談をし、ある日は昼食を共にと…ここ毎日の様にリードが意図的に会おうとして来るのだ。

そして、今日は庭園…。

「急に悪かったな。」

言われた庭園へ向かえば、リードが一人で佇んでいた。

「いえ、お待たせしました。」

対するセリーナも一人だった。

ティナに一緒に行って欲しいと泣き付いてみたが、「殿下からセリーナ様お一人でと言われておりますので…」とハッキリ断られてしまったし、庭園までついて来てくれた護衛も、庭園の入口で頭を下げて「いってらっしゃいませ。」と見送られてしまった。

「こちらの庭園の花が見頃だからな。セリーナに見せたいと思ったんだ。」

リードが爽やかな笑顔でそう言うと、セリーナの心臓は跳ね上がる様に反応した。

そう、最近のリードは遠慮がない。
過ぎるほどにストレートな物言いで、会うたびにセリーナを動揺させるのだ。

「教えていただければ、一人でも見に来れますから、わざわざリード殿下にお付き合い頂かなくても大丈夫ですよ。」

こちらはこの恋心は胸の奥に秘めてしまおうと毎日必死なのに、この様に毎日の様に揺さぶられてはたまったもんじゃない。

「俺がセリーナと一緒に見たいと思ったんだ。」

リードの手が自分の髪に伸びて、毛先をくるくると弄ぶ。

リードはこの髪が気に入っているのか、最近は会う度にこの様に髪に触れるのだ。
そして、その度にセリーナの心臓は限界を突破してしまう。

流石に恋愛経験に疎いセリーナでも、これが口説かれている状態であると言う事は理解出来る。

「…。」

「髪飾りは…」

「え?」

「贈った髪飾りは気に入らなかったか?」

リードが突然、あの白いピオニーの髪飾りについて尋ねた事で、セリーナはあれを貰ったのも二人で花を観ている時だったと思い出す。

そして、リードが不安そうな顔を浮かべる原因もセリーナは察している。

セリーナはあの日以来、一度もその髪飾りを着けてはいないのだ。
それは部屋で飾り箱に収まって、大切に保管されている。

それは、もちろん気に入らないからではない。
あれを身に付けてしまうと、何とか抑え込んでいる気持ちが溢れてしまいそうで怖かった。

後先を考えずに、リードが好きだと口走りそうになるのだ。
自分に皇太子妃は務まらないと分かっているのに…。

そもそも身分が違い過ぎる。
リードは周辺にも大きな影響力を持つグリフィス王国の押しも押されもせぬ王位継承者で、かたや自分は爵位など名ばかりの、城のパーティーにすら呼ばれない伯爵家の一人娘なのだ。

あの魔女狩りが無ければ、一生言葉を交わす事もないまま、良くて遠くから眺める事しか叶わない相手だ。

「…いえ、そんな事はありません。」

「身に付けて貰えると嬉しいんだが…。」

リードが距離感を探るように申し出る。

「折角殿下が下賜くださったものですので、そうそう着けるわけには…。」

セリーナはリードの視線から逃れるように顔を伏せた。

「下賜などと…。何で…そう距離を置こうとするんだ…。」

見なくとも彼の顔に寂しげな表情が浮かんでいる事がわかる。

何か言わなくちゃ…。

「リード殿下はクラリスの事がお好きなのでしょう?」

セリーナだって、そんな事はこの期に及んで思っていない。

ただ、何か言わなくてはと慌てて口を開いた結果に、リードはポカンと口を開いて、彼にしては珍しくしばらくの間停止していた。

それだけセリーナの発言が予想外だったのだろう。

「クラリスの事は…そうではない。それは妹や姉に向ける様な家族への感情だった。それを愛だと思い込もうと努めていた事は否定しないが…お前と出会って、それが異性に向ける感情ではないと気付かされた。」

リードは自分の考えを整理するように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
それがより真摯な態度に見えて、セリーナはギュッと胸が苦しくなる。

「セリーナ、俺は…」

リードの手が再びセリーナに向かって伸びた。

でも、今度は髪の毛に向かっている訳ではない事は、セリーナにはすぐに分かった。

セリーナはその手から逃れる様に身を捻った。

そうしなければ、今頃はあの腕の中で抱き締められていた事だろう。

「…今は聞けません。お時間を下さい。」

セリーナはリードの方を見ずに声を上げた。
今、彼を見れば、その腕の中に飛び込みたい衝動に駆られると思ったのだ。
自分にはそんな資格はないにも関わらず。

「コーエンの事か…?」

セリーナは無言で頷き返した。

そうだ、リードの気持ちにどの様に答えを出すとしたって、コーエンとの関係をこのままにして良いはずがない。

リードが空を掴んだ手をゆっくりと下すのが視界の隅に映り、セリーナは無言のまま逃げる様に庭園を後にした。
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