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第20話 彼だけが見抜いた本当の私
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燃え落ちた公爵家の屋敷のことを、王都の人々は一週間も話題にしていた。
だが、やがて炎の記憶は少しずつ薄れていき、代わりに「罪を暴いた令嬢」の名が街角に囁かれるようになった。
誰もがその勇名を讃えた。けれど――リリアーナ・エルヴェール本人にとって、それはもうどうでもいいことだった。
「終わったのよ、すべて。国も、裁きも、復讐も」
朝の光が差し込む書斎の窓辺で、リリアーナは呟いた。
指先には小さな包帯が巻かれている。火災の夜、瓦礫を掴んで裂いてしまった傷。
その痛みはもう消えかけているのに、心の奥だけがまだ鈍く疼いていた。
背後から足音。アランが入ってきた。
「まだ包帯が取れないのか?」
「ええ。癒えるものと癒えないものがあるのね。傷も心も」
そう言って微笑んだ彼女の横顔を、アランは真っすぐに見つめた。
夜明けの光のような瞳。けれど、その奥には静かな翳りがある。
「君はなぜいつもそんな顔をするんだ?」
「……そんな顔?」
「勝者のはずなのに、まるで誰よりも悲しそうだ」
リリアーナは一瞬言葉を失い、ゆるやかに笑った。
「哀しいほど、あなたはよく見抜くのね」
「それが君の全てだから、見逃せないんだ」
アランの言葉は穏やかだったが、その真剣さが心を揺らす。
彼だけが、彼女の仮面の下にある“本当の私”をずっと見抜いていた。
誰も知らない痛みを、誰も気づかない優しさを。
「アラン。……もしもこのまま静かに生きられるとしたら、あなたはどうする?」
「どこまでも君の隣にいる」
「そう言って、後悔しない?」
「しない。君の“生き方”はもう俺の願いでもあるから」
その瞬間、リリアーナは胸の奥にまるで春風のような暖かさを感じた。
愛、という言葉では表現できないもの。
重ねた年月の信頼と、共に見た過去の重みが作った絆。
感情を飲み込みながら、彼女はゆっくりと目を伏せた。
「アラン。あなたが私の隣にいてくれて、本当に良かったわ」
「そう思うなら、これからは笑ってくれ」
「できるかしら」
「できる。ほら、今みたいに」
不器用に微笑む彼に、思わず本当に笑ってしまう。
その笑い声に、部屋の空気が初めて春を感じたように柔らかくなった。
***
昼下がり。リリアーナは街を歩いていた。
復興途中の通りには、瓦礫の隙間から小花が咲いている。
それを見つけたとき、彼女は足を止めた。
「こんなところにも……」
拾い上げた花は、以前彼女が“涙草”と呼んだものだった。
あの灰色の夜に散った花が、いつの間にか芽吹いている。
そこへ少年が駆け寄ってきた。
「お嬢さん、それ落ちてたの? きっと誰かが踏まないように避けてくれたんだ」
「ええ、そうみたいね」
「うちの母さんが言ってた。あの火事を止めた伯爵令嬢は、天が遣わした人だって」
その言葉に、リリアーナは微笑んで首を振った。
「違うの。ただの愚か者よ。壊さなきゃ、生まれ変われなかった愚か者」
「でも、誰かが守ってくれたんでしょう?」
「……そうね。たった一人、見抜いてくれた人がいたわ」
彼女は花を少年に渡し、その場を後にした。
***
夕暮れ時、屋敷の庭でアランが新しい訓練をしていた。
腕の傷はまだ完全に癒えていなかったが、剣を取る姿は以前と変わらず真っすぐだ。
リリアーナは少し離れた場所でその姿を見つめる。
ふと、胸の奥に言葉が溢れた。
「アラン」
「どうした?」
「私ね、ずっと“誰かに必要とされたい”って思っていたの。たぶん、それが全部の始まりだったの」
「それが間違いだったと?」
「いいえ。間違いじゃなかった。だって、あなたに出会えたのだから」
その言葉に、アランの目が見開かれる。
「君……」
「だから、もう十分よ。私はもう、誰かに証明されなくてもいい。私の生き方を、自分で選べる」
風が二人の間を抜け、夕陽が赤く差し込む。
リリアーナの髪が光の中で揺れ、その姿が短い幻のように見えた。
アランは剣を下ろし、静かに言った。
「やっと、君自身を愛せたんだな」
「ええ。ようやくね」
頬を撫でた風に、彼女の微笑がさらに優しくなる。
その瞬間、リリアーナの胸の中で何かがほどけた気がした。
憎しみも、悲しみも、運命への怨嗟も――すべてが風に流されていく。
残ったのは、静かな安らぎだけ。
彼女は掌を広げて、その中に収まる小さな“涙草”の花びらを見つめた。
「アラン。あの火の夜に、あなたが見抜いてくれた私の本当の心。
それが、今ようやく、私の中でもう一度花を咲かせたの」
アランは答えずに歩み寄り、そっとその花びらを彼女の手ごと包んだ。
指先の温かさが重なり合い、もう誰も言葉を発することはなかった。
その沈黙に、確かな絆があった。
静かで、強く、そして永遠に消えることのない光。
***
夜、二人は並んで空を見上げた。
星々が瞬く空の向こうに、かつての痛みも涙も置いて来た。
リリアーナはそっと呟く。
「運命の糸は、切れることだけが救いじゃないのね。
結び直すこともできるんだって、今ようやく分かったわ」
「その糸の先に、俺はいるか?」
「ええ。あなたがいなければ、もう絡み合うことすらできないもの」
アランは頬を赤らめ、苦笑いを浮かべた。
月が昇る。
風が二人の髪を撫で、夜が静寂を包み込む。
遠くで鐘が鳴った。
リリアーナはその音を聞きながら、そっと目を閉じた。
ようやく、自分の物語が始まる音がした。
(続く)
だが、やがて炎の記憶は少しずつ薄れていき、代わりに「罪を暴いた令嬢」の名が街角に囁かれるようになった。
誰もがその勇名を讃えた。けれど――リリアーナ・エルヴェール本人にとって、それはもうどうでもいいことだった。
「終わったのよ、すべて。国も、裁きも、復讐も」
朝の光が差し込む書斎の窓辺で、リリアーナは呟いた。
指先には小さな包帯が巻かれている。火災の夜、瓦礫を掴んで裂いてしまった傷。
その痛みはもう消えかけているのに、心の奥だけがまだ鈍く疼いていた。
背後から足音。アランが入ってきた。
「まだ包帯が取れないのか?」
「ええ。癒えるものと癒えないものがあるのね。傷も心も」
そう言って微笑んだ彼女の横顔を、アランは真っすぐに見つめた。
夜明けの光のような瞳。けれど、その奥には静かな翳りがある。
「君はなぜいつもそんな顔をするんだ?」
「……そんな顔?」
「勝者のはずなのに、まるで誰よりも悲しそうだ」
リリアーナは一瞬言葉を失い、ゆるやかに笑った。
「哀しいほど、あなたはよく見抜くのね」
「それが君の全てだから、見逃せないんだ」
アランの言葉は穏やかだったが、その真剣さが心を揺らす。
彼だけが、彼女の仮面の下にある“本当の私”をずっと見抜いていた。
誰も知らない痛みを、誰も気づかない優しさを。
「アラン。……もしもこのまま静かに生きられるとしたら、あなたはどうする?」
「どこまでも君の隣にいる」
「そう言って、後悔しない?」
「しない。君の“生き方”はもう俺の願いでもあるから」
その瞬間、リリアーナは胸の奥にまるで春風のような暖かさを感じた。
愛、という言葉では表現できないもの。
重ねた年月の信頼と、共に見た過去の重みが作った絆。
感情を飲み込みながら、彼女はゆっくりと目を伏せた。
「アラン。あなたが私の隣にいてくれて、本当に良かったわ」
「そう思うなら、これからは笑ってくれ」
「できるかしら」
「できる。ほら、今みたいに」
不器用に微笑む彼に、思わず本当に笑ってしまう。
その笑い声に、部屋の空気が初めて春を感じたように柔らかくなった。
***
昼下がり。リリアーナは街を歩いていた。
復興途中の通りには、瓦礫の隙間から小花が咲いている。
それを見つけたとき、彼女は足を止めた。
「こんなところにも……」
拾い上げた花は、以前彼女が“涙草”と呼んだものだった。
あの灰色の夜に散った花が、いつの間にか芽吹いている。
そこへ少年が駆け寄ってきた。
「お嬢さん、それ落ちてたの? きっと誰かが踏まないように避けてくれたんだ」
「ええ、そうみたいね」
「うちの母さんが言ってた。あの火事を止めた伯爵令嬢は、天が遣わした人だって」
その言葉に、リリアーナは微笑んで首を振った。
「違うの。ただの愚か者よ。壊さなきゃ、生まれ変われなかった愚か者」
「でも、誰かが守ってくれたんでしょう?」
「……そうね。たった一人、見抜いてくれた人がいたわ」
彼女は花を少年に渡し、その場を後にした。
***
夕暮れ時、屋敷の庭でアランが新しい訓練をしていた。
腕の傷はまだ完全に癒えていなかったが、剣を取る姿は以前と変わらず真っすぐだ。
リリアーナは少し離れた場所でその姿を見つめる。
ふと、胸の奥に言葉が溢れた。
「アラン」
「どうした?」
「私ね、ずっと“誰かに必要とされたい”って思っていたの。たぶん、それが全部の始まりだったの」
「それが間違いだったと?」
「いいえ。間違いじゃなかった。だって、あなたに出会えたのだから」
その言葉に、アランの目が見開かれる。
「君……」
「だから、もう十分よ。私はもう、誰かに証明されなくてもいい。私の生き方を、自分で選べる」
風が二人の間を抜け、夕陽が赤く差し込む。
リリアーナの髪が光の中で揺れ、その姿が短い幻のように見えた。
アランは剣を下ろし、静かに言った。
「やっと、君自身を愛せたんだな」
「ええ。ようやくね」
頬を撫でた風に、彼女の微笑がさらに優しくなる。
その瞬間、リリアーナの胸の中で何かがほどけた気がした。
憎しみも、悲しみも、運命への怨嗟も――すべてが風に流されていく。
残ったのは、静かな安らぎだけ。
彼女は掌を広げて、その中に収まる小さな“涙草”の花びらを見つめた。
「アラン。あの火の夜に、あなたが見抜いてくれた私の本当の心。
それが、今ようやく、私の中でもう一度花を咲かせたの」
アランは答えずに歩み寄り、そっとその花びらを彼女の手ごと包んだ。
指先の温かさが重なり合い、もう誰も言葉を発することはなかった。
その沈黙に、確かな絆があった。
静かで、強く、そして永遠に消えることのない光。
***
夜、二人は並んで空を見上げた。
星々が瞬く空の向こうに、かつての痛みも涙も置いて来た。
リリアーナはそっと呟く。
「運命の糸は、切れることだけが救いじゃないのね。
結び直すこともできるんだって、今ようやく分かったわ」
「その糸の先に、俺はいるか?」
「ええ。あなたがいなければ、もう絡み合うことすらできないもの」
アランは頬を赤らめ、苦笑いを浮かべた。
月が昇る。
風が二人の髪を撫で、夜が静寂を包み込む。
遠くで鐘が鳴った。
リリアーナはその音を聞きながら、そっと目を閉じた。
ようやく、自分の物語が始まる音がした。
(続く)
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